第3話 魔剣術師
グロ描写がこの話から増えてきますので、ご注意ください。
――つまるところ、街では暮らせないのだ。
街で暮らすには金か、ジグナリウムがかかる。
街の外で暮らすなら、どうという事はない。
ジンは野宿地と決めた場所に火を起こし、外套の中から手を出すと兎の肉を小枝で作った串に刺してあぶり始めた。
タウンリカリスを離れてから三日の夜。
道中で野生の獣を狩り、泉の水をすすり、生きている。
(何という事はない。タウンリカリスにいた頃より食生活が充実してるじゃないか)
確かに、マールギアの弁当はご馳走だった。
しかし、一日一食なのだ。足りる訳がない。
(そういや、バグの野郎、マールギアの手料理を食べたことがないと言っていたが……)
とりとめのない思考ではあった。
他人の家庭事情など想像しても、それは悪趣味というものであろう。
だが、よくよく思い出してみると、不思議な人たちではあった。
このご時世、半年も家賃を払わなくても許してくれていた。
ファフニールというのが嘘であることも、早々に気づかれていたであろう。
そして、マールギアに魔剣術師であることを見抜かれた。
それは、有り得ないことであった。
キャニオンの魔剣術師とは、割と有名な集団ではあったが、誰がそうなのか、という情報は秘匿されている。身を立てる証すら支給されないし、体にそれと分かる烙印のようなものもない。
なぜならば、魔剣術とは人の範疇を大きく超える、一つの武の到達点だからだ。
連盟騎士団ファフニールや魔剣士ですら、彼らには届かない。
それでも魔人には勝てず、キャニオンは事実上崩壊したのではあるが。
(まあ、アズラエル先生の身内だからな。なんにせよ別の意味で規格外であることは確かだ……)
そんなことを考えているうちに十分に焼けた兎の肉を口に運ぶ。
と、不意に視線を感じた。
タウンリカリスを経ってから、必ず食事時になにか探るような視線を感じる。
それが気のせいだと断じるには、ジンは経験を積みすぎていた。
ちりちりと首筋を焦がすような、不快感。
(ぼちぼち鬱陶しいな……)
夜盗の類ではない。気配は街の中からたまに感じていた。それが顕著になったのは、外へ出てからだ。
常に着かず離れずを保ち、ジンが野営の準備を始めると大胆にも近づいてくる。
(キャニオンの生き残り……がこんな分かりやすい気配をまき散らすわけはないな。まさかマールギアの差し金……というわけではないな。一般人にしては気配が殺せ過ぎている。だとすると、タウンリカリスに来る前にもめた魔人信仰者か?)
思考を巡らせるが、結局は栓の無い事ではあった。
所詮思考など暇つぶしに過ぎない。直接聞かなきゃわかりやしないのだ。何もかもが。
そしてそうやって暇をつぶしていると、その気配は消え、常ならば食事を再開するか寝てしまうのだ。
どうせ、不意を突かれたところで殺されることもない。
キャニオンでの厳しい修練で、気配を感じた瞬間に深い眠りの中からでさえ、瞬間的な覚醒とカウンターを自動的に放つようになっている。
ましてや、視線の気配すら隠せないような、三流ならばどうあがいても不覚を取ることはない。
過信でも油断でもなく、そう自然に思える程度にはジンは修練を積んでいた。
(このままどこまでもついてこられるのも面倒だしな)
ジンは残っていた兎の肉を口に放り込むと、遠く離れているにもかかわらず気配をダダ漏らしているそれの追跡を始めた。
☆
レインが彼の野営地の死角に身を隠したは、ちょうど兎らしき肉を口に運ぶ瞬間だった。
(おいしそう……)
空腹を訴える腹をさすり、そうやって今は絶えることしか出来ないことに、そこはかとない理不尽さを覚えながら今日も今日とて上司から命じられた任務を続行する。
ジンという青年の監視。
タウンリカリスで彼を発見したのは、レインの上司にとってかなりの朗報だったらしい。
報告時は澄ましていたが、退出する瞬間に小躍りしていたのは全力で見なかったことにしていた。
その後、上司に定期的なジンの監視と報告を命じられている。
(あの冴えない男がなんだってのかしら?)
基本的には着かず離れずを歩き、野営の時間になると少し大胆に近づいて物陰から覗いているが、気づいた様子もない。
レインは、簡単すぎる任務だと不快に思っていた。
それがまったくの思い込みで、ジンには最初から捕捉されていることにも気づかずに。
(まあ、素手で獣を捉えることができるくらいだし、それなりに腕は立つのでしょうけど……でもそれだけね)
緊張感なく兎の肉を頬張っているジンを一瞥し、今日の仕事を切り上げることにする。
そのあとを、ジンにつけられていると気付かずに。
☆
魔剣術師の本分とは、暗闘である。
気配を殺し、時に何かの気配に紛れ、確実に任務をこなす、職人。
星のまたたき一つさえあれば、視界は確保できる。そういう風に身体ができている。
幸いなことに、今日は雲一つない星空だ。
ジンにとって、昼間と変わらないくらい自由に動ける。
女だった。いや、正確にいえば女であることには気づいていた。
だが、彼女が歩いていった場所にくっきりと残る足跡。
それを見つけた瞬間、相手が思いのほか厄介な組織に所属する人間だと気づき、やれやれと肩をすくめた。
そして、気配の隠し方が雑な理由も察する。
(あいつらは目立ちたがり屋だからなあ……)
正直に言えば、事を構えたくはない相手ではあった。
彼女達の所属する組織ともめれば、大陸中に指名手配される。
逃れる唯一の術は、大国で唯一大連盟に所属していないマルクチア帝国に入るくらいしかない。
(だが、ここで皆殺しにすればしばらくは大丈夫か?)
物騒な思考を巡らせ、ジンは追跡を再開した。
武力で制圧してしまえばいいのだ。
(よし、そのためにはまず、彼女を捕まえなければな)
ある程度の指針が決まると、行動は早かった。
ジンは足音を消し、体が風を斬る音すら消し、背中を向けている彼女に気取られることなく距離を詰めると、彼女の口を後ろから左手で塞ぎ、右手で彼女の耳を引きちぎった。
一瞬の惨劇に、レインの思考と反応は追いつかず、右耳に激しい熱さを感じ、それが痛みへと変わるころにようやく悲鳴を上げたくても口がふさがれていることに気付き、ならばせめて暴れて身を離そうとしても、ジンは体を無力化するための行動に移っていた。
レインの口をふさいでた左手を口から離し、引きちぎった耳をその口に詰め込む。
そのおぞましい感触に、レインは思わず胃の中身をぶちまけそうになったが、ジンが再び口と鼻を塞ぎ、それを許さない。
せりあがってきた吐瀉物が口の中にたまり、ぽろぽろとレインの瞳から涙が零れ落ちる。
だが、行き場をなくしたそれは口と鼻の中を蹂躙すると、再び胃の中に戻っていった。
口の中に詰められた、レインの右耳とともに。
白目を向いた彼女の口と鼻から手を放すと、ずるずるとその場に崩れ落ちていく。
「こんなものか」
なんの感慨もなくジンは呟き、右耳だった場所から血を噴出させながら、意識を失いちょろちょろと失禁を始めている彼女の姿を見下ろしていた。
無残で酷い光景ではあった。
それを見下ろすジンの表情も、酷く酷薄なものであった。
ふと、自分が仁一郎だったころが懐かしく思ったが、それはジンの意識に紛れて深い記憶の底へと沈んでいく。
レインの血液で汚れた頬をぬぐいながら、彼女の髪をつかみ、野営地へと帰っていく。
そこに、他者に対する尊厳はなかった。ただ、物を扱うように、事務的に運んでいく。
――魔剣術師とは、そういう風にできている――