第二話:たいへんだ、豆乳屋が#2
14年前、初めて彼らと出会った夜を、
冒険者ギルド長のケツァゴールは生々しく思い出せる。
燃え盛るように赤い、月が大地を照らした夜であった。
寝ているのか寝ていないのか自分でもわからないような風体で過ごす夜更け。
一人のギルド員が彼の寝所のドアを叩く。
この町でギルド立ち上げから間もない頃、
まだ町の中心に有るダンジョンの第一層、
その中腹までも占拠できていないころあいである。
何か不測の事態が起こったら容赦なくたたき起こせ、
とギルド中に言明してある以上、それが実際は誤報であろうとも責めるつもりはなかったし、
実際に誤報を聞かされることもなかった。
ゆえにその夜が、初めて彼が睡眠を妨げられた夜になった。
もっとも、現役時代から眠れぬ夜、
というものは鷹揚にしてなにかの急転が起こる予感がしているものだ。
吉と出るか凶と出るか、
それだけは何年冒険者を務めようとも消して悟りえぬことであるのだが。
はたして、そんな彼を呼ぶギルド員の声は困惑に見えており、
要領も得なかった。
ただ、表門の前でギルド長を呼んでいる人物がいる、
門番では到底対応できない存在であり、
彼の命に従わなければどんな事態になるかわからぬと。
そのくせにメッセンジャーボーイの声は遠慮がちで、
切羽詰っては居なかった。
まあ、モンスターの襲撃ならば言葉を交わすこともなく、
よって恫喝や挑発なども起こり得ぬ。
そんな風体の輩ならば、
腰に佩いた自慢の剣を持ってたたき出してやればよい。
では、そんな闖入者は一体何者か?
先導するまだ年若いギルド員の背を眺めつつ、
そんな事を思いながら先導されること、大通りを歩きしばし。
彼を待っていたのはなるほど、こんな存在は常識の埒外ではある。
見上げるほどの人型。
それこそ屋根より背が高いとなると
“人型”と呼ぶしかない御仁が片膝をついて彼を待っていた。
『お初お目にかかる―――私の名前はテオドール。
貴方が三国に名だたる“冒険者の町”の冒険者ギルド長で間違いはないか?』
目礼するその石像のような面を拝んだだけで、
ああ別に荒事にはならんな、とケツァゴールは肩の力を抜いた。
互いに名前は交換した、次はこの文字通りの大者が何を欲しているかである。
まずテオドールは切望する事の前に、自身が提示できる代償を捲し立てた。
生身の人間には危険な討伐依頼などがあれば、
優先的にこなす意思があること。
災害や施設の建築にも対応できること、
自分の体が入れるものならダンジョンにも乗り込むつもりであること。
馬車にもなれるので用心の護送や物資の輸送なども効率的に行えること、
などである。
最後の一つは眉唾であったが、
目の前で馬車になられると事実を認めざるを得ず、
夜中だというのに変に笑えた。
「で、あんたが冒険者登録がしたいのはわかったが。
あんたほど使いつぶし甲斐のある新人は、
むしろこっちから頭を下げなくちゃ得がたい人材だというのは承知している。
それを踏まえてだ―――俺達に望むことはあるかい?」
うなづくテオドール、
右に一歩ずれると彼には及ばずとも大きなガタイをもつ馬と。
彼らの評価とは間逆に位置する、
細面のエルフがその腕に赤ん坊を抱いていた。
『ギルド長、われわれは故あってこの赤ん坊を面倒見ている。
成人までの長きにわたる間、彼をともに見守っていてくれないだろうか?』
まさかの子連れで冒険者登録、こんなヤクザ家業に手を出さずとも、
立派な仕事にいくらでもつけそうな力を持つだろうこの存在が、だ。
少なくとも嫁を迎えて子供を育てようとする同業者は、
早々冒険から足を洗って店を持つなり店に雇われるなりするものだ。
畑を持つ奴も居た。
「とりあえずは乳母を紹介するくらいしかできんぜ?
いい教育者を紹介しようにも、
俺を含めてここに居るのはほとんどろくでなしだ」
ここには、意識しなければ自分の名前の書き方も忘れてしまうやつがごまんと居る。
だが、その意見にテオドールは首を振って如何を示す。
『別に貴族を相手にするような立ち振る舞いを習わせる必要はない。
乳母を紹介してくれる件は素直にありがたいが、
折を見て、この子は私が自らモテモテに育て上げるつもりだ』
あごを落としてケツァゴールは絶句した。
「モテ…………女にかい!?」
テオドールはしばし瞑目、わずかの思案の後、彼の目を見て肯定した。
『そうだ』
良く吟味してなお、ゆるぎない彼の誓いに、
失礼とは思ったがケツァゴール抱腹絶倒である。
「気に入ったぞ、気に入ったぞ手前ら。
この赤子の行く末を、おれ自身も見てみたくなった!
まずはさっそく乳母のところに連れて行ってやろうが、テオドール。
お前さんの姿を見たらどんなに肝っ玉の太い女でも腰を抜かすだろう。
まずはこの小さな色男だけ、町の中に入れてやろう」
その間、お前はどうする?
その問いにテオドールはこう答えた。
『まずは自分の力量を君と私、互いに示したい。
無謀でもかまわないので危険なモンスターの狩猟などないか?』
「あるぜ、時たま顔を見せる下級ドラゴンの討伐、今のところ掲示板の高い高い位置に張ってある最難関任務だ。
明り取りに近い位置にある所為で、わら半紙が段々色ヤケし始めている」
報酬も弾むぞ、というとなんの仕草か、ケツァゴールの足より太い親指を天に指し示し、不敵に笑うテオドール。
『それは何よりだ、金を持っているやつは相手の程度はどうあれ、
とりあえずモテる。
この子が、テリオスが独り立ちする頃には、
使い切れないほどの資産を用意してやろう』
きりきり働くぞ?と、世知辛いことをのたまいつつ、不敵に笑う。
なんとも心強い存在が、初めて冒険者の町に現れた。
それがはじめの夜だった。
※
豆乳を満載にして冒険者の町、その表門にやってきた立派な馬車。
昨日の騒ぎの中心人物?であったその存在を前に、
門番たるものやはり声を挙げねば職務怠慢になってしまう。
「とまれ!とまりなさい其処の色男が乗った馬車ァ!」
イヤらしい笑いを浮かべつつ、
簡素な鎧と槍を持った若い男が朝一番の来訪者を止めた。
「おはようございます門番のオブライトさん。
豆乳屋です」
「んン?怪しいナァ、怪しいナァ
…………そうやって危険物を背負ってやってくる不埒者が後をたたんのだ。
まして君は昨日もバ系のやくそうを担いで、
裏手を爆走していたようじゃないか?テリオス。
純朴そうな顔をして豆乳屋ですなどと嘯いても、
たとえ暇をもてあました若奥様が門を開けようと、
本職の私が唯で門を開けることはない。
さあ、まずは積荷を改めさせてもらおうか!?」
そういってずい、と木製のマグを突き出す自称律儀な男、
上官さん不正略取です。
仕方がないなぁ、と御者台から飛び降りるテリオス。
幌の裏をめくると、見知った顔に、
やぁと手を上げ朝の挨拶をするベネッタが居た。
ダンジョンだけにあらず、表の仕事もそこそここなす彼女は門番たちとも多少の面識は有る。
それどころか彼女を迎える役は譲らぬと、
詰め所でもみ合いになる程度には支持者を持つ、
売り出し中の中堅女性冒険者であった。
「ん?ミルクの生絞りまで売り出すのかい?手広く儲けるなぁ」
「自分の吐いた反吐尻から流し込まれたいか貴様」
朝からお下劣、門番といえども其処は冒険者の町クオリティ。
果たして売り物の豆乳をなみなみとせしめた門番は、
ベネッタの冷たい視線を身に浴びつつ、
まだ熱い豆乳をうまそうに飲んだ。
「あぁ、今日のこのいっぱいのために生きてるなぁ。
これが終わったら昼休憩を除いて退屈な立ちっぱなしの仕事だ、
本当にお前さんとの邂逅だけが私の潤いだよ」
「ダウト、あなたと同じ立ち仕事のミセットさんが、
彼女に向けても同じこと言ってたと教えてくれました、この前」
彼女は華を売っているにもかかわらず、実際華を持っているところをみたことがないという矛盾にまみれた職を持つ女性だ。
夜遅くまで仕事をしているからか、
羽振りがいいことに良く軽食やお茶を共にするのだが、
いつだって昼頃は眠そうにしている。
「おい本当か?
そんなことまで筒抜けなお前さんに嫉妬したいところだが、
実際はまったく嫉妬する必要がないあたりアレだなテリオス」
「なんかオブライトさんまで矛盾にまみれた発言を始めましたねぇ…………」
首をかしげるテリオスに、馬車が制止の声をかける。
『テリオス、女性に謎が多いのは世の常だが、はっきりわかることも有る。
今まさにベネッタの機嫌が急転直下大暴落、ほかの女性の話はほどほどにするんだ』
「ハァ!?何も怒ってねえし!」
はい諸君、ここでテオドール直伝の、
理不尽に怒る女性の不機嫌を緩和するトーク術が入ります。
小首をかしげて「おこってます?」と問いかけるテリオス。
まずは相手に主導権を与えることが重要、発破をかけます。
もちろん滅茶苦茶怒ったまま「怒ってない!」と返してくるベネッタ。
だがしかし繰り替し繰り返し「怒ってます?」と聞くことで段々と
「あいつの商売女なのに~」とか「お前わかってないのに~」
といった地の感情が聞き取れます。
やがて感情的な部分に振り回される所が抜けていくので、
頃合を見て相手に対する愛情をたっぷり込めて
「おこっちゃいやです」とささやきましょう。
この技を実際に使う時点で注意すべき点は二つ。
『引き際を誤らない事』と『自分から謝らない事』
どちらも火に油を注ぐことになりかねません。
そして、残念ながら上記の技は、
有る程度気心の知れた女性に対してでないと端から逆効果です。
「はぁ…………おまえらとっとと行けよ」
重苦しいため息を一つ吐いて、門番は道を開けた。
飲んだ豆乳が早くも胃にもたれていた。
※
『ム!?テリオス、殺気を感じる。
この大通りは急いで駆け抜けるぞ!』
門をくぐった瞬間、彼らの乗っている馬車はそんな事を言い出した。
「ちょ、殺気ってここ町の中よ?
昨日みたいにモンスターが入り込んでるって言うの?」
獲物を持ってきていないベネッタは少々同様気味に言うが、
御者台に座るテリオスが首を振って否定した。
「いいえ、この気配は人間のもの。
となれば僕らに牙向く相手は明白。
豆乳に飢えた冒険者達に他ならない!!」
「「「「ヒャッハー!!」」」」
見知りたくもない顔見知りが路地から現れ、
民家の屋根から飛び降りて、そして軒下から蛇のようにはいずり出てくる。
「ミミミ、豆乳だッ!豆乳をよこせぇぇぇ!!」
「喉が、腹が、体中が渇いてるんだよぉ!」
「な、いいだろぉ?先っぽだけ、先っぽだけだからよぉ?」
豆乳の先っぽとは何か?
なかなかに深遠な表現だが構っている暇はない。
商業ギルドの制裁をものともせず、
自身の欲望に正直すぎる不良冒険者達が入れ替わり立ち代り迫ってくる。
テオドールは自身を引く響天号を急がせると、
サスペンションを軋ませて取り付いたアクタレどもを振り落としにかかった。
だがしかし!
「くっそ、中にまで入り込んできたッ!」
「ち、チチチチチチチチチ乳ィ!」
酒の抜け切れていない息を吐きながら、
長い舌を伸ばしつつ迫る冒険者を蹴り飛ばすベネッタ。
舌をかんだのか悶絶して転げ落ちる。
「はいはいこれから宿の食堂に卸しに行きますからね!
親父さん達に迷惑かけないように買ってってくださいねぇ!」
御者台から飛び降りると、
筋力強化の魔法を使って前から迫る冒険者達をなぎ払いつつ叫ぶテリオス。
邪魔臭いからといって響天号に轢かせるわけにもいかん、
オーバーキル過ぎる。
『テリオス、見えてきたぞ!?
配達先の一軒目、サルノコシカケ亭だ!』
※
大通りではすったもんだこそあったものの、
宿屋をめぐる頃にはそんな騒ぎは沈静化している。
顔なじみの宿屋の親父さんは彼らにねぎらいの言葉をかけ、
町を救ったテオドールに挨拶をする。
そんな様を横目に、ベネッタは宿が用意した容器に、
ミルクタンクから直に豆乳を注いで回るのだ。
「で、今日は一寸多めに絞ってもらってるんですけど、
本当にいつもどおりの量でいいんですか?」
「ああ、暴利をむさぼるのは悪手、
くわえてうちらは朝食と併せて提供するからね。
おかわりを含めても、いつもの量で十分なのさ。
それに、ひいふうみい……うん、今朝はうちも満席になりそうだねぇ」
何を数えているかと思えば、テオドールの後ろにはずらりとこの町の女性冒険者達が列を成していたのである。
むさくるしい奴らよりは数が少ないが、それでも百余名はざらに居る。
「なーに?今日はフォルクス乳業の仕事うけたのー?」
「ほんとおいしい仕事持ってくよなー」
「うるせぇうるせぇ、手元狂うからそっちいってろ!」
ミルクタンクを抱えたベネッタにニヤケ顔で声をかけてくる同業者達、
もちろん重量軽減がかけられた其れを取り落とすことはない。
本当に軽いのだ、水筒とまでは言わないが遠出に出る自分の荷物よりは間違いなく軽い、大きくて胸に支えるほどなのにだ。
「まあ、ほかの宿もこんな感じだろうね。
さあ!うちの席は20名までだよ!ついでに朝食にトーストでもかじっていけ!」
「うーい」
「やっとなんか食えるわ、片付けだけで徹夜仕事だよ肌に悪い…………」
ぞろぞろと前から20名、宿の食堂に入ってゆく女性冒険者達、
もちろん訳知り顔でベネッタに一言かけてゆくのも忘れない。
二件目は未亡人が細腕一つで経営する朝霧の渚亭だ。
もしかして泊り客の袖引いてるんじゃないかと、
まことしやかにささやかれているが、
決してそんなことはないセイン女史の店である。
今朝もはよからけしからん色気を放ち、テリオスたちを迎え入れる。
「おはよぅテリオス君、今日はずいぶんとたくましい人たちと一緒なのね?」
「おいそのたくましい中に私は入っていないだろうな?」
すごむベネッタ。
ははは、とその場に笑いがこだまするが、
誰一人否定しないところで一寸へこんだ。
「並んでる女の子たちぃ、うちは10名引き受けるわ?
はいっていらっしゃいな」
「おいおい、ずいぶん少ないじゃないか」
「つめれば20名は行けるだろう?アンタの店もさ」
「ごめんねぇ、もう席半分ぐらい埋まっちゃってるのよ。
熱いミルクをほしがるベイビーたちは、なにも冒険者だけじゃないのよ?」
たしかに食堂のほうをみてみれば、
店主に負けず劣らずの色気過多なお姉さん達がすでに席についてた。
テリオスのほうに次々と投げキッスを艦砲射撃、
割ってはいるベネッタ、チョップでことごとく迎撃する。
なるほど、別に店主は客の袖を引いているわけではないらしい。
「ちょっとあんたらは夜のうちに熱い奴飲んでるじゃんよぉ」
と男性冒険者に負けず劣らず、
下品な事を呟きながらぞろぞろと入店する女性冒険者10名。
「テリオス君も今度うちに泊まりにいらっしゃいな?
お華ちゃんたちも貴方のことまってるわぁ」
「確かに、立派な花壇がありますね」
窓際を眺めつつテリオスは言う。
女性の経営する店は、やはり雰囲気がちがうものだ。
※
5件目、6件目を挟み、程なく列を成した女性冒険者がはけるころには、
料理のみを提供する小口の店舗にも配達が終わる。
次に向かうのは第三緩衝場に近い孤児院である。
「さあみんな!豆乳をもってきたぞ!」
わっとかけてくるテリオスよりも年少の子供たち。
「テリオスにいたん!テリオスにいたん、今日甘いの有る?」
「ベリーベリーは!バナー味は!?」
もみくちゃにされながら問われるテリオス、
さすがのベネッタも子供相手には手荒なまねはできん。
そのときである、建物からどすどすという足音とともに、
良く響く声がかけられた。
「こらっ!あんた等、味つきは週に一度だって何べんも言ってるじゃないさ!!
あんまりテリオスにいちゃん困らすんじゃないよ!」
牛顔だが肝っ玉母ちゃんの貫禄が見て取れる施設の責任者、
ミノタウロス型獣人女性のブルケリマさんだ、乳母もかねている。
「いッつもすまないねぇ、売りものの豆乳わけてもらってさ」
「とんでもないですブルケおかあさん、ここは自分の古巣ですし」
「はっは!だから乳分けてるだけでアンタはあたしの子供じゃないっていっつも言ってるだろう?
だけどまあ、ろくに顔も見せない悪たれ卒業生どもにくらべりゃあ、
アンタはできの良すぎる息子さ。
いただいている豆乳のおかげで、アタシもミルクの出がいいしね」
それにしても、と傍らで会釈するベネッタに近寄り、
その豊かな胸部装甲をむんずと掴んで言った。
「アンタも女連れまわすようになったか、
しょっちゅう施設を抜け出して無断外泊してたからねえアンタ。
それにしても人族にしてはいいおっぱいだ、
きっと子供はたらふくのめるよ?」
おいこの、とばかりに反撃に転ずる手をさらりとかわし、
今度は立派な馬車に目を向ける。
「それにしても昨日の騒ぎ、本当に大変だったね。
あたし達も隣の緩衝場で非難した人たちの手伝いをしていたからねぇ。
その馬車なんだろう?冒険者達の筆頭ってのは」
すでに何人かの子供たちにおもちゃにされているテオドール。
幌にもぐりこんだ子供たちは口々に「広ッ!!」と感嘆する。
『はじめましてブルケリマさん、いつもテリオスがお世話になっています』
急に人語を話し始めた馬車に上っていた子供が、
危うく滑り落ちそうになった。
「あれ、アンタあたしと会ったことあったっけか?」
『ああ失礼、何度もテリオスの話に出ていたので、
もしかしたら会ったことがあったと勘違いしていたかもしれません。
では子供たちよ、一寸離れていてくれたまえ』
「えっ?やるのテオドール!?」
わーっと離れる子供たちが十分な距離をとったのを確認すると、
孤児院中に響き渡る声で叫ぶテオドール。
『もちろんだ、顔を見せねば礼儀に反する。
Wake up!!』
起きろと気合一合、その馬車は前輪を立ち上げ、
車底に折りたたまれた手足を伸ばし、幌を腰へマントのように回し。
背にした御者台から人の胸元ほどもある、巨大な顔を引き出し、
瞳に強い光を放った。
『――――テオッッッ・ドォォォォォォル!!』
今町中で噂の種、彼の巨大な人型が孤児院の子供の前に姿をあらわした。
たちまちスゲーとデケー以外の言葉を忘れてしまった子供たちを前に、
背にした幌を後ろ手にごそごそやると、ミルクタンクを取り出す。
『さあみんな。
味つきはないけれど今日は私が豆乳を注いであげよう。
自分のカップをもってくるといい』
弓手に小ペットボトルサイズになったミルクタンクを、
引き手の親指で天を指し、子供たちに笑いかける。
大興奮で自分のカップを取りに行く子供たち。
注ぐ端から『大きくなれよ?私のように大きくなれよ!?』
といって回るには、苦笑いが禁じえない乳母であった。
※
そして十分にあまったミルクは結局屋台通りで売りさばくこととなり、
ようやく仕事らしい仕事をこなせたベネッタ。
今テリオスは二人分の昼食を買いに走っているところ、
テオドールと二人きりだ。
人の顔ほども有る握り飼葉で腹を満たしている響天号を尻目に、問いたいことは山ほどあったが。
いかんせん、あいては冒険者筆頭。
くわえて人知の及ばぬ威容を誇る馬車が相手だ。
偉大な先輩相手に冒険者としての心構えを聞くのもやぶさかではないが、
自然と選ぶ話題はテリオスのこととなる。
「じゃあ、あいつの性格はほとんどアンタの差し金か?」
『ああ、おかげで挨拶代わりに女性を持ち上げ、
踏み込んだ色恋に発展しそうな話題に関しては絶妙に聞き逃すように成長した。
―――結構苦労したんだぞ?』
おかげで現在進行形で苦労する女性が両手での指で足りないほど居ます。
やりきれない憎しみに、車輪を蹴っ飛ばすベネッタの足にも力が入る。
「ベネッタさーん、香草包み焼きとパン買って来ましたー!」
駆け寄ってくるテリオスをみて舌打ち一つ、
結局実になるようなテリオス情報は聞き出せないままだ。
自分達のためにとっておいた豆乳を片手に、
パンに挟んだ肉をかぶりつく二人。
そんな仲の良い二人に、テオドールは声をかける。
『二人とも、昼からは冒険者ギルドに足を伸ばしてくれないか?
ミルクタンクの片付けは私がやっておこう、
帰りには響天号を迎えにやるからな』
「えー?今日はずっとテオドールと一緒に居ようと思ったのに」
『はっはっは、其れは光栄だが。
まあだまされたと思って行ってみるといい。
ひょっとしたらいいことがあるかもしれないぞ?』
さて、そんな彼らを路地の片隅からみやる二つの影。
ハゲ散らかした頭の下で情熱的に馬車を見やるのは、
昨晩テリオスとともに戦った魔道士のDrアルドバラン。
別の意味で情熱的に馬車を見やるのは、
彼の手で作られたという“人工従者”カペラである。
「ぬぅ…………不思議、摩訶不思議よのうテオドール。
あのような存在は魔道ではけして有り得ぬ、
やはり超次元世界が誇るすべてを可能にする学問、
カガクの其れに相違あるまい」
学術的興味しんしんでその馬車を見つめる様、実にマッド。
魔法の世界から突如身を引き、
カガクを極めると行方をくらましていた彼は、
実にマッドな雰囲気で周りを寄せ付けない孤高の天才カガク者であった。
「よし、かくなるうえはワシも冒険者登録をするぞ!
新人冒険者としてならあの小僧に近寄ってもあやしまれまい!!」
『年齢制限に引っかかっています、わが主』
「なんとせちがらい世よのう。
だがワシもあのような巨神を作りたいのだ!
なんとしても情報をかき集めなければならん…………」
頭をかきむしるアルドバラン、そんな主を見下ろして、
カペラは一つの決意をした。
『では私があのテリオス少年に近づきましょう、
新人の育成も先輩冒険者の仕事
――――まずは私の魅力でかの少年を骨抜きにしてあげます』
まずは周囲から攻めるのだとバキゴキと鋼の人工関節を鳴らしながら、
冷たい水晶の瞳に炎を宿らせる。
骨抜きどころか骨が圧壊されそうな勢いであった。