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一日理髪店



 夕貴だけが終始にこにことしていた夕飯の片づけも終え、俺が一番に入ることになった風呂から上がるとやけにリビングが騒がしくなっていることに気付いた。


 なにかあったんだろうか?


 いまリビングにいるのはあの男と夕貴だけだ。手早く入浴を済ませたのに、やはり少しでも隙を見せるべきじゃなかったのか?


 髪の水気を拭うことも忘れ、慌てて服を着ると脱衣所の扉を開ける。家の構造的にリビングと脱衣所は繋がっているのだが、そこから見えた光景の異様さに俺は思わず間抜け面を晒してしまった。


「あれ、早かったね」

「……なにしてんだ?」


 一段低くなっている自覚のある声で問いかけると夕貴はきょとんとした表情のまま、リビングの中心で椅子に座らされてる男と、指に引っかけている鋏に視線を往復させる。


「なにって……」


 そして楽しそうに破顔すると、鋏の刃を交差させて何も無い宙に切り込みを入れた。


「一日理髪店?」


 椅子の下に広がったシートの上に散っている黒髪の量はまだ少ない。しかし、今まで完全に夕貴の玩具にされていたらしい男は不安そうにもぞもぞと動いている。俺が入ってきた時からじっと此方を見る彼の黒い目には、どこか縋る様な色があった。


「ユキはそこで見ててよ。こう見えて、僕結構上手いんだから」


 気合いを示すように夕貴の両袖は捲られている。しかし俺自身が身を持って兄の不器用さを知っていたので、危なっかしく握られていた鋏は容赦なく取り上げた。この兄は料理以外はてんで使い物にならないのだ。


 このまま夕貴に任せていては、どんな奇抜な髪形になってしまうかわからない。それは少しだけ可哀そうだと、俺の良心が疼いた結果だ。断じて黒目に負けた訳ではない。


 濡れた髪から零れる水滴が邪魔で、手に握っていたタオルを頭に巻いた。


「ちょっと!」


 抗議するような夕貴の声も無視して、安堵のような吐息を微かに零した男の後ろに回りこむ。予想通りというかなんというか、男の髪の毛はばらばらの長さに切られていた。これでは男も不安に思うはずだ。思わず夕貴に視線を飛ばすと、大人しく見守ることにしたのか少し離れた位置のソファから面白そうに此方を見ている。


「幸貴くん、ありがとう」


 一種の才能のような不器用さに感心さえしていると、ふいにそんな小さな礼が聞こえてきた。


「……早く出て行ってほしいから協力するだけだ」


 勘違いするな。そういうニュアンスを含めて返しても、男は柔らかい声音でうん、と頷く。


「精一杯努力するよ。何から何まで迷惑かけて、本当にごめんね」


 わかっているなら、それを行動に移してほしい。吐き出しそうになる溜息をぐっと堪えて、近くに置いてあった櫛を手に取った。


「精一杯じゃなくて、必ず仕事見つけろよ」

「うん、ごめんね……」


 力のない声にただ沈黙だけを返して、手に取った櫛で男の髪を梳いた。ばらばらと中途半端に切られた髪がシートに広がる。その量や長さに関わらず髪が絡まっているようなところは一切無かったが、代わりにとでもいうように猫の毛や羽毛が時折くっついていた。


「……あんた、意外にキレイな髪の毛なんだな」

「え?」


 恐る恐る髪に触れてみても、脂でべたついていたりしない。それどころか、さらさらと音でも立てそうなぐらいに指の間を零れていく。見たところフケも浮いて無いし、想像していた髪の毛と全く違った。汚かったら風呂場に蹴り飛ばしてやる予定だったんだが、と僅かに拍子抜けして呟くと男は苦笑まじりに答えた。


「私が捨てられたのは、つい昨日だからね」

「は? 捨てられたって……」


 物騒な言葉に思わず手を止めると、男は私にもよくわかっていないんだけど、と前置きをしてから話し始める。


「どうしてか、昨日までいた場所から急に放り出されてしまってね。昨日一日動かないで待っていたんだけど、迎えが来なくて。夕貴くんが、それは捨てられたって言うんだと教えてくれたんだけど、実は私にもまだピンときてないんだよねえ……」


 ぼんやりとした口調で語るような話しじゃない。ていうか、兄貴は何を口走っているのだろう。その先の話は大体掴めてきたが、男の話は尚もゆっくりと続いていく。


「私も戻ろうと思ったんだけど、恥ずかしいことに道がわからなくてね。宇宙船を見つけられればすぐに帰れるんだけどそう簡単にはいかないし、しばらくはここで仕事をして、暮らしていこうと思ってるんだ」


 ……ウチュウセン?


 今なにか、不可思議な単語がナチュラルに混ざっていた気がしたがきっと気のせいだ。そうに違いない。


 要するに、この男は見知らぬ土地に捨てられたのだ。そして帰り道がわからなくて、途方に暮れていたところを夕貴が拾ったということなのだろう。


 少しこの男に同情心が芽生えかけたが、慌てて打ち消した。悔しいことに夕貴がこの男に完全に絆されている今、俺まで感情に流されていては痛い目を見ることになりかねない。コイツはただの他人だし、第一その話だって作り話かもしれない。本当だったとしても、捨てられるだけの悪事を働くような人間なのかもしれない。


 一度目を閉じると雑念を振り払って、一通り梳いた櫛を置いて鋏を握る。軽快に音を鳴らして長い髪を切っていきながら、普段と変わらぬ調子で口を開いた。


「でもその髭とか髪ってさ、かなり前から伸ばしてたんだろ。てっきり浮浪者だからだと思ってたんだけど、違うんだよな。なんで?」

「それもわからないんだよね……。気が付いたらいきなり髪も髭も伸びてるし、服も変わってたから驚いたんだ」


 困ったものだよねえ。軽い調子で笑う男の様子からは、嘘なのか本当なのかがわからない。それが余計に俺の中で不信感を煽って、俺はふうん、と気のない返事をした。それを男は別の意味に捉えたのか、申し訳なさそうに肩を落とす。


「ああ、ごめん。幸貴くんから話しかけてくれたのが嬉しくて、つい話し過ぎちゃったかな……」


 随分と腰が低い。マイペースな人間には夕貴で慣れていたが、こういう風な人間の扱い方はわからない。なにより素性も本性もわかっていない相手となると、余計に混乱と困惑が俺の頭を掻き乱した。結果的に沈黙を選択すると、男はもう一度ごめんと呟いたきり口を開くことはしなかった。


 それに助かったと思う反面、もやっとした気持も出てくる。


 なんともいえない複雑な感情を抱いたまま鋏を動かして、顔のほとんどを覆いながらサンタクロースのように垂れ下がっていた髭と、背中の中ほどまで伸びていた髪をばっさりと切っていく。


 そしてようやく出てきた男の顔をいつの間にか風呂に入ってきたらしい夕貴が不躾に眺め回していた。ややして、疑うような眼差しを俺に向けてくる。


「……おじさんだよね?」

「ああ、そうだな」


 片づけをしながら頷くと、夕貴は恥ずかしそうに俯いてしまった男の顔を再度眺め回して羨ましそうに言う。


「いいなあ、おじさん超イケメンじゃんかあ……」


 がっくりと肩を落とした夕貴に心の中で賛同しながら、俺もちらりと男を見る。黒い森林の中から出てきた顔は、声を聞いた時に受けた印象を裏切らずに若々しく、そして精悍だった。外国の血が混ざっているのか、彫りの深い顔立ちをしていて、涼しげな目許と薄い唇が甘く微笑めば女なんか簡単に騙せそうだ。


「ゆ、夕貴くん……。あの、そろそろいいかな?」


 まじまじと至近距離から見つめられて、居たたまれないのだろう。男は助けを求めるような視線で俺を見てくる。仕方ない、と溜息を吐いて夕貴、と呼びかけるとあっさりと離れた。


「で、俺にお褒めの言葉はないわけ? お前の代わりにやってやったんだけど」


 両腕を組んで聞くと、夕貴は満面の笑みで親指を突きたてた。


「完璧! さすが幸貴だね。いっそ本職にすれば?」


 無邪気に冗談なのか本気なのかわからないことを言ってくる夕貴に、苦笑を返して軽く額を小突く。


「ばーか。美容師なんて俺に向いてるとは思えないね」

「そうかなあ。私は向いてると思うけど」

「は?」


 思わぬところからの反応に眉を寄せると、男は嬉しそうに笑いながら自分の短くなった髪にそっと触る。


「こんなに自分の髪形を気に入ったの、初めてだしね。ありがとう、幸貴くん」


 今までは隠れていた笑みがダイレクトにぶつけられて、急にむず痒い気持に襲われた。にこにこと笑う顔を見ていられなくなって視線を外すと、その先で夕貴がにやにやと笑っている。ムカついて殴っても、夕貴はいらつく笑みを止めない。


「あはは、ユキ照れてるー」

「照れてない!」

「ホントにユキって可愛いよね」

「男が可愛いわけあるか! 気持ち悪い!」


 ぎゃあぎゃあと言い合いを続けていると、男がのんびりと呟く。


「本当に君たちって仲いいよねえ」


 薄々わかっていたが、この男は重度の天然らしい。夕貴なんかは嬉しそうににこにこ笑って頷いているが、仲がいいと言われて純粋に喜ぶ兄弟は少ないはずだ。少なくとも俺は複雑な気分になった。


 すると唐突に夕貴が、あ、と声を上げた。


「そういえば僕、おじさんって呼ぶの止めた方がいい?」

「え、どうしてだい?」


 不思議そうに首を傾げる男に、夕貴は至極もっともなことを言う。


「だっておじさん、まだ若そうじゃん。今さらだけど、おじさんなんて失礼かなって」

「ああ、確かにな」


 見たところ二十そこら、シワ一つない顔は精々二十代後半ぐらいにしか見えない。幾ら俺たちが高校生とはいえ、そんな相手におじさん呼ばわりは少々気が引けるのだろう。けれど男は、ますます不思議そうな顔をした。


「いや、私はもう三十もとうに過ぎたし、立派なおじさんだと思うけど」

「うそ!」

「!?」


 目を見開いて男を見つめると、男の方こそ驚いたような顔で俺たちを見た。


「え、じゃあ今いくつなの?」

「三十九。もうすぐ四十だよ」


 詐欺だ。そんなの、ひどい年齢詐称である。俺たちが愕然としていることに気付いたのか、男は困ったように頭に手を置いたが、騙された気分なのは俺たちの方だ。


「おまえ、詐欺師か。その顔は作りものかなにかなのか」


 明らかに失礼なことを口走ったというのに、今度ばかりは夕貴も何も言わなかった。それどころか、疑うような眼差しで男の顔を眺めている。


「いや、この顔は生まれつきだけど……。そんなに若く見えるかな? よく言われるんだけど……」


 戸惑ったような顔で首を傾げられても、浮かぶものは呆れである。もっと年齢がいっていて、例えばこの男と同じくらいの年齢であればもっと違うことを感じるかもしれないが、今の俺は若い子に分類されるのでどうでもいい。


「ああ、そう……」


 ぽつりと反応を返すと、夕貴は目じりを釣り上げて俺の両腕を力強く掴んだ。何事かと驚いていると、夕貴は熱っぽい目で語る。


「ユキ、これはどうでもいい問題じゃないよ! 人類の神秘を僕たちは垣間見ているんだから!」

「……俺たちまだ若いし、そんな熱くならなくてもいいだろ。大した問題じゃあるまいし」

「ダメだよ! ちゃんと美貌を保つ秘訣とか教えてもらわないと! 僕将来ハゲたりしたら絶対嫌だもん!」


 必死の形相で詰め寄られて、その勢いに思わず腰が引けた。口の端を引きつらせてなんとか、へえ、と相槌を打つと夕貴はその勢いのまま男に突進していく。


「なにをどうしたらそんな若々しくいられるんですか!」

「特になにもしてないけどなあ……」


 夕貴の勢いにも関わらず、きちんと大人の対応で丁寧に答える男はお人よしの部類に入りそうだ。矢継ぎ早に質問を繰り出していた夕貴は、結局撃沈することになったが。


「天然って怖い……」

「大丈夫、お前も十分天然だって」


 落ち込む夕貴の頭をぽんぽんと撫でると、夕貴は不思議そうに首を傾げた。



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