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ほっとレモン

作者: スバ
掲載日:2026/01/31

「失礼いたします」


 厚い扉の向こうで爽やかな挨拶がこだまする。もう左手に空席が無いことを確認し、改めて次が自分の番なのだと悟った。鞄を持つ手に意図せず力が入る。

 面接を終えたばかりの若い男性がドアを閉め、「ふぅ」と小さく息を吐く。つられて人事の女性がこちらへ近づいてきた。


「お疲れ様でした、木村さん」


 労わるような優しい声だった。木村と呼ばれた男性が鞄を両手へ持ち変え、礼をする。


「ありがとうございます」

「初めての面接で大変だったでしょう。面接官もたくさんいただろうし、緊張したよね。質問には答えられたかな?」

「そう、ですね。大体は。言葉につまづいたこともありましたけど、とりあえず言いたいことは言えたと思います」


 「そっかそっか」と女性が相槌を打つ。長い茶髪のポニーテールが目に留まった。

 長年人事を務めていると聞いただけあって、福岡さんの話し方はとても親しみのあるものだった。学生、社会人と関係なく、分け隔てなく接してくれる。人と関わる機会が多いに関わらず、彼女が今日まで仕事を続けられている理由もなんとなくわかった。

 福岡さんがそのまま続ける。


「それで、この後ね。少しだけやることがあるんだけど。木村さん確か、交通費の支給を申請してたよね? メールにも書いてあったから。伝えた通り領収書の方は持ってきているかな?」

「はい。あります」


 男性が鞄の中を漁り、薄い紙の挟まった透明なクリアファイルを取り出す。なんとなく私も自分のポケットに手を突っ込み、ソレがあることを確認した。

 男性が領収書の入ったファイルを手渡す。


「ありがとうね。確認させていただきます。他にも手続きがあるから、さっきの控室で少しだけ待っててもらってもいいかな?」

「分かりました」


 去り際にもう一度礼を送り、男性がその場を後にする。角に消える雄々しい背中を見送りながら、私はグッと拳を握りしめた。

 福岡さんが預かったファイルを近くの机に置き、面接会場へと入り込む。おそらく中の準備が整っているかを確認しに行ったのだろう。数秒もしないうちに彼女は戻ってきた。

 

「お待たせしました、矢代やしろさん」

「はい」


 ようやく自分の名前を呼ばれ、重い腰に力を入れる。立ち上がった私は軽く腕をさすり、彼女の方へ向き直った。


「それでは、こちらが面接会場となります。会場には扉を3回ノックしてからお入りください。会場へ入ってすぐ、右手に長机が用意してありますので、荷物はすべてそこへ置くようにしてください。部屋の真ん中に椅子がありますので、面接官の指示を仰ぎつつ、ご着席するようお願いいたします」

「分かりました」


 面接の流れはいたってシンプルなものだった。

 ゆっくりと足踏みをし、私は入り口のドアの前にたどり着く。ガラスの向こうに三人の面接官が見えた。


「それじゃ、頑張ってきてね」


 途端に胸が熱くなる。良い人だな、と心から思った。

 福岡さんからのささやかなエールを受け取りつつ、私は右手で「く」の字を作る。

 「コン、コン、コン」と3回ノック。間も無くして、奥から「どうぞ」と案内された。


「失礼いたします」


 小さく深呼吸をし、私は取っ手に指をかけた。

 面接会場へと入り込み、なるべく背を向けぬようにして扉を閉める。そうして前を見るや、三人の面接官と目が合った。


「失礼いたします」


 再度挨拶し、深々と頭を下げる。心の中で3秒を数えた後、私は落ち着いて顔を上げた。

 いわれた通り長机にすべての荷物を置き、中心の椅子へと向かう。向かい合うようにして三人が着席していた。

 左から順に、会社の重役と思しき年配の男性が一人。若々しさを帯びた清潔感のある男性が一人。そしてボブヘアーの、童顔な女性が一人。皆が私の様子を窺っていた。

 椅子の左側に立ち、私はそっと息を吸う。


矢代佳恋やしろかれんと申します。本日はよろしくお願いいたします」


 次いで面接官2人も丁寧に頭を下げてくれた。左の年配者はそうでもなかったが。

 優しい男性の「どうぞご着席ください」の一言とともに腰を下ろし、私はへその下で手を重ねる。


「本日はお越しいただきありがとうございます」


 真ん中の男性が笑みを見せる。耳心地の良い声だった。


「面接官を担当させていただく佐藤です。青森で工場の班長を務めております。そちらから見て右にいるのが主任の島根、左にいるのが製造課課長の山岡です。本日はよろしくお願いいたします」


 各人が紹介に続いて会釈する。今度は山岡と呼ばれた面接官もしっかりと返してくれた。もっとも、それが体裁を守るためなのかは知らぬが。


「それではさっそく面接の方に入りたいと思います」


 背筋を伸ばし、すっと腹を据える。


「まず初めに、簡単に自己紹介をお願いします」


 私はゆっくりと目を合わせた。


「本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきありがとうございます。矢代佳恋と申します。2020年3月に朝日女子大学を卒業いたしました。本日はよろしくお願いいたします」


 蛇足に軽く頭を下げた。

 真ん中の佐藤さんが顎に手を添え、疑問を述べる。


「ありがとうございます。2020年の3月に大学を卒業したとのことでしたが、昨年度に就職へ踏み切れなかったのには、何か事情があったのでしょうか」


 想定内の質問だった。要は、去年に就活を出来たのにも関わらず、なぜ職に就かなかったのかということを聞きたいのだろう。既卒者に対して当然に抱く疑問だ。

 私は問題なく答える。


「はい。理由は一身上の都合となります。一時期、大学での生活で精神病を患っていた時期があり、やむを得ず今年度に就職することにいたしました。もっとも、現在は体調の方も万全であり、働くにあたって何の問題もございません」


 ひときわ力を入れて言い切った。

 「なるほど」といった風に佐藤さんが頷いたあと、再び口を開く。


「ありがとうございます。よく分かりました。それは大変でしたね。

 続いてですが、当社を志望する理由を伺ってもよろしいでしょうか」


 私は少しだけ口角をせり上げた。


「はい。私が御社を志望する理由は、お菓子の商品開発に興味があるからです。

 御社の商品は、長年親しまれている定番商品が多く、世代を超えて愛されている点に魅力を感じています。特に馴染みのある『ミルクの里』は、幼いころから身近にあった商品で、何気ない日常の中で安心感を与えてくれる存在でした。

 そのような商品を安定して届けられる企業の一員として、品質や信頼を大切にしながら、お客様に選ばれ続ける商品づくりに貢献したいと考え、志望いたしました」


 若い二人が手元のペンでメモを取る。山岡さんは「ふぅん」と面白くなさそうな顔をしていた。

 佐藤さんがペンを離す。


「ありがとうございます。なるほど、お菓子の開発に興味があるのですね。となると、商品企画に携わりたいということでよろしいでしょうか」

「そうですね」

「かしこまりました。昨年も、当社に入社してまだ間もない新入社員の企画が『月の光』という新商品を生み出したこともあったので、もしかしたら矢代さんのアイデアも早期に採用されるかもしれませんね」


 分かりやすく掘り下げてくれる佐藤さんに、私はおざなりの笑みを見せた。


「それで、続いてですが、学生時代に最も頑張ったことを教えてください」


 いわゆるガクチカといったやつだ。私は冷静に答える。


「はい。私が学生時代に最も力を入れたことは、高校時代にバレーボール部のキャプテンとしてチームをまとめた経験です。

 私が主将になった当初、部内では練習の意見についての食い違いやモチベーションの差異があり、チームの雰囲気が安定しないことが課題でした。

 そこで私は、全員と個別に話す時間を設け、それぞれの目標や不安を共有したうえで、チームとしての共通目標を明確にしました。その結果、練習への意識が統一され、チーム全体の連携力が向上しました。

 この経験から、周囲の意見を尊重しながらまとめる力と、状況に応じて行動するリーダーシップを身に付けることができました。御社で働くことになった際にも、社内でのチームワークを大切にしつつ、業務に取り組んでいきます」


 少々話を盛ってはいるが、まず勘づかれることはないだろう。

 そう油断していると、今度は島根さんが手指を組む。


「ありがとうございます。バレー部のキャプテンを務めていたのですね。部活動の時間が限られている中、個別にチームメイトと話す時間をとるのはなかなか難しいことだったとは思いますが、その点はどのように対処していたのでしょうか」


 ごもっともな質問だった。


「はい。相談は主にSNS上で行うようにしていました。携帯だと、場所と時間も関係なく、メッセージを残せばやり取りができるので、それを活用しながらチームメイトとは連絡を取るようにしていました」

「なるほど。分かりました」


 納得したように島根さんの表情が明るくなる。私はほっと胸を撫で下ろした。

 再び主導権が佐藤さんへと戻る。


「ありがとうございます。それでは次に、矢代さんの長所と短所を教えていただけますか」


 私は暗記していた内容を整理した。


「はい。私の長所は、責任感の強さです。大学時代にはスーパーでアルバイトをしていましたが、任された業務は最後までしっかりとやり遂げ、期限やルールを守って行動することを大切にしていました。

 一方で短所は、その責任感ゆえに考えすぎてしまうことです。そのため、最近は何か悩みがあったら、早めに周囲へ相談するよう心がけています」

「具体的にはどんな仕事をしてたの?」


 山岡さんからだった。間髪入れず来た質問に、私は少々面を食らう。


「はい。主にレジ打ちと品出しをしていました」

「へぇ。そうだったんだ。迷惑なお客さんとかいなかった? 例えば、いちいち買ったものにケチ付けてくる人とか」

「そうですね。時々いました。ただ、そのような時はすぐに社員の方へ報告し、指示を仰ぐようにしていました」


 「へぇ」と興味のなさそうな返事が返ってくる。

 嫌がらせの質問、ではないのだろう。他の二人も慣れたような様子でいる。単に気まぐれから来たのか、それとも私を見下してのことなのか。どちらにせよあまり考えすぎないことにした。

 佐藤さんが顔を上げる。


「ありがとうございます。では最後に、当社の商品で何か印象に残っているものはございますか?」


 すぐに大好きなお菓子が思い浮かんだ。


「はい。やはり一番は『ミルクの里』です。

 味の美味しさはもちろんですが、長年変わらない品質と、世代を問わず親しまれている点が特に印象的でした。

 一時的な流行ではなく、日常に寄り添う商品を作り続けてい点に、メーカーとしての責任感やこだわりを感じ、大変魅力的に感じております」


 甘いミルクチョコレートのかかったサクサクのクッキーを想像する。今日の帰りにでも買っていこうかと悩んだ。


「ありがとうございます。私も『ミルクの里』は大好きですよ。当社の商品をそのように評価していただけるとは嬉しい限りです」


 島根さんが両手を合わせながら笑いかける。共通の好きなものを見つけられただけに、なんとなく同族意識のようなものを感じてしまった。不意に親近感がわく。

 握っていたペンを置き、佐藤さんが軽く胸を張る。


「ありがとうございます。よく分かりました。

 それではこれで、私たちからの質問は以上となります」


 もうそんな時間かと、私はあっけにとられた。


「矢代さんの方から私たちに、何か聞いておきたいことはありますか?」


 この機会を無駄にしてはなるまい。じわりと拳に汗が滲む。


「はい。実際に働いてみて、この会社らしいと感じるのはどんな時か、差し支えなければ教えていただきたいです」


 私は用意していた質問を投げかけた。

 なかなか思いつかないのか、「そうですねぇ」と佐藤さんが考えるそぶりを見せる。変なこと聞いてしまったかと、少しだけ罪悪感にかられた。

 すると、右側から島根さんの声が飛んでくる。


「私は会社の試食会がある時、かな」


 興味がそそられる回答だった。


「月に1回、会社の中で新商品の試食会があるんですが、私はそれが当社独自の取り組みに思います。会社にいるみんなで商品を味わって、お互いに改良点などの意見を出し合うのですが、改めて考えてみると、他の会社にはない唯一無二の個性のように思います」


 丁寧に教えてくれる島根さんのことを、私はますます好きになった。

 「確かにそうですね」と佐藤さんが同調する。同じくそう思ったのだろう。壁のない素のやり取りに、私は目に見えない二人の信頼関係のようなものを感じとった。やはりこの会社で働きたいという想いが一層強まる。


「ありがとうございます」


 私は満足気に感謝を述べた。


「いえいえ。他に何か聞いておきたいことはありますか?」


 少々苦渋する。

 悩んだ末、私はもう一つだけ質問をすることにした。


「はい。入社するにあたって、事前に取得しておいた方が良い資格などがございましたら、ぜひ教えていただきたいです」


 療養中にできた差をどう埋めるべきか。

 少しでも働く上での事前知識を身に付けたいと思い、私は意中の問いを投げかけた。


「資格、ねぇ」


 しかし、返ってきたのは質問の答えではなく、一種の嘲笑とも捉えられるような冷たい返事だった。

 山岡さんが左手で頬杖をついては、目を細める。


「必須の資格とかは特にないよ。基本的なビジネスマナーとかを学んでれば十分だと思う。ただ、少しだけ疑問なんだけどさ」


 無精ひげの生えた顎を突き出した。


「矢代さんさっき、病気に罹っていたから就職活動ができなかったんだって、たしかそう言ってたよね。

 矢代さんの言い分もわかるよ? 休むのも確かに大切だと思う。でもさ、大学生の本業は勉強なんだから、その休んでた時間をさ、今言ってるような資格の勉強に活かせたんじゃないのかな?」


 張りつめた空気が喉を覆った。


「いえ、その」

「いくら療養中とはいえ、時間はあったでしょ。他のことに挑戦することも十分できたと思う。だけど矢代さんは何もしなかった。それにも何か大きな理由があったのかな?」


 今度ははっきりと、私に対する嫌がらせなのだと理解できた。

 こんな風に問い詰められることもおおよそ予想はできていた。

 いくら精神的に苦しんでいたとはいえ、山岡さんの言うように、出来た時間を有効に使い、参考書を読むことぐらいはできた。勉強することだってきっとできたはずのだ。なのに私はそれをしなかった。今考えればほんとうに、空白の何もない、無為な時間を過ごしていたと思う。


「おっしゃる通りです」


 ただしそれは、働いて当たり前の、せわしない昭和の時代を生きた、保守的で利己的な、若者の痛みを知らない者の意見だ。


「本当に分かってるの? 今のうちにしっかりしておいた方がいいよ。社会人になったら、辛いからやめたいなんて絶対通じないからね」

「はい。重々承知しています」

「それにさ、さっき精神病になったって言ってたけどさ、その前までアルバイトは続けられていたんだよね? 本当に病気だったのかな。それとも単に、ただ就活がしたくなかっただけで、自分に甘えて」



「はい。ビルから飛び降りましたから」



 目を開くように、身体中に血を巡らせるように、呼吸をするように、気づけば私はそのことを打ち明けていた。

 

 「えっ」と全員が声をあげ、私を見る目が変わる。しかし不思議にも心は落ち着いていた。


 山岡さんの主張は正しい。彼の言う通り、確かにそうするべきだった。過去の私もずっとそう思っていたし、今の私だってずっと後悔している。

 人間関係に辟易していた。どれだけ仲が良くても、出席票を提出してくれる都合のいい奴と一度思われてしまえば、自然と心は離れていく。ノートをとらせろだのと自己中心的。飲み会に参加しなければ付き合いの悪いやつと否応なく評価される。

 バイトで失敗ばかりした。レジ打ちでミスが発覚し、人前で怒鳴られたこともある。宥めようにも、言い聞かせようにも、怒声は大きくなるばかり。バックヤードで泣いていたって誰も慰めてなんてくれなかった。

 世の中は冷たいのだ。

 本当に私のことを考えてくれる人なんていやしない。どれだけ他人を気遣うようなことを言っていても、結局最後は自分だけ。辿り着く場所はみな同じ。本当に頼れる人や場所などどこにもないのである。


「他に私から聞きたいことはもうありません」


 だからこそ、私だけは私自身を信じてあげなくちゃならない。何もできなかった過去の自分に、「仕方なかったんだ」と一言、励ませるようにならなくちゃいけない。

 自分を守れるのは自分だけ。あの時の苦しみに比べたら、今の状況なんて、ほんのかすり傷でしかないのだから。

 狼狽える山岡さんを取り残し、佐藤さんがハッと我に返る。


「い、以上で、本日の面接は終了となります。お疲れさまでした」


 私は椅子の右側に立ち上がり、お世話になった2人へ感謝を述べた。


「本日はありがとうございました」

「ちょ、ちょっと待て!」


 何か言う山岡さんを無視して歩き出す。私はそそくさと荷物をまとめ、入り口の扉の前に立った。


「失礼いたします」


 引き留める山岡さんをよそに、私は最後に挨拶をし、何事もなかったように部屋の外へと飛び出した。

 面接が終わってすぐ、人事の福岡さんがこちらへ近づいてくる。


「矢代さん、お疲れさまでした」


 私の痴態を肯定してくれるような、そんな優しい声だった。


「ありがとうございます。色々聞かれましたが、なんとか無事乗り切ることができました。あとは結果を待つのみです」

「そっかそっか。本当に頑張ったわね。矢代さん、絶対に入社するんだって意気込んでいたものね。面接の結果は今日から3日以内には届くと思うわ。なかなか落ち着かないとは思うけど、楽しみに……うーん、心して待っていてね」

「はい。本当にお世話になりました」


 私は深々と礼をし、福岡さんに謝礼を述べた。

 と、ここである事を思い出し、ポケットの中に手を突っ込む。


「あっ、あとすみません。私も交通費の支給を希望していたんですが、この領収書は福岡さんに渡せば」

「ごめんなさいね」


 豆鉄砲を食らったような気分だった。

 突然頭を下げてきた福岡さんに私は困惑する。どうしたのかと聞く前に、彼女は事情を説明してくれた。


「実はね、さっきの面接の時、少しだけ矢代さんの声が中から聞こえてきたの。本当にごめんなさい。うちの山岡が無礼を働いてしまって」


 そうかと、私はようやく理解できた。

 おそらく福岡さんは先ほどの一部始終を耳にしていたのだろう。私が山岡さんから嫌がらせを受けていたことも。それに対して私が、どう返したのかも。

 一呼吸を置き、私はかぶりを振る。


「なるほど。そうだったんですね。ですが全然大丈夫ですよ。あんな風に言われるのには慣れてますし、それに、山岡さんが言っていたことはすべて正論でしたから」

「だけど」

「面接は終わったんです。過ぎたことを考えたってどうしようもありません。今日は帰りにミルクの里でも買って、うちで美味しいものでも食べようと思います。寝たら全部忘れる体質なので」


 福岡さんは何も悪くない。彼女が責任を感じる必要は全くないのだ。

 観念したように福岡さんが顔をあげ、やるせない笑みを見せる。


「……本当にごめんなさいね。山岡には後で私の方から注意を入れておくから。あ、あと、交通費の支給だったわよね。領収書はこちらで預からせてもらうわね」

「はい。よろしくお願いします」

 

 ポケットからしわくちゃになった領収書が出てくる。福岡さんは慌てふためく私を、「ぷっ」と、子供のように明るく笑ってくれた。 

 控室で残りの手続きを終え、特に行きたい場所もなかった私はそのまま帰路に着いた。都会の空はまだ明るい。どれだけ私が、緊張と不安で永遠のような長い時間を過ごしたとて、皮肉にも時の経つリズムは変わらず、常に一定なのである。

 ふと、駅前のコンビニが目に付き、ミルクの里を購入した。飲み物が無くなっていたことに気づき、ついでにほっとレモンも購入した。楽しみが少しだけ増える。

 そのまま行きと反対の新幹線に乗り、待ち遠しい我が家へと発進する。新幹線の中は比較的空いていた。指定席に腰掛け、私は先ほど購入したばかりのものを袋から取り出す。ほっとレモンの温かさがかじかんだ手指に沸々と沁みた。



 世の中は冷たい。

 生きることに苦しんでいる中、どれだけ私が必死に努力をしても、自分のことを見てくれる人なんてまずいない。

 中には鬱のことを、甘えだの言い訳だのと身勝手なことをいい、他人の心に土足で踏み入ってくるような人もいる。

 だからこそ、私だけは私を温めてあげよう。

 だからこそ、私だけは私を信じてあげよう。

 少しでも明るい光を灯してあげよう。周りを気にする必要なんてない。自分らしく、自分のペースで、ゆっくりと進んでいけばいいのだから。

ご一読いただきありがとうございます!

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