魔王陛下の溺愛は、私の想像を超えていました
ふかふかの、まるで雲の上に浮いているような心地よい感覚で、私は意識を取り戻しました。 重い瞼をゆっくりと持ち上げると、そこは伯爵家の物置小屋とはあまりにもかけ離れた、夢のような空間でした。
目に飛び込んできたのは、最高級のシルクを贅沢に使った大きな天蓋付きのベッドです。 シーツは肌に吸い付くように滑らかで、部屋全体がバラと白檀を混ぜたような、高貴で甘い香りに包まれています。
「……私、死んでしまったのかしら」 「いいえ。貴女様はしっかりとお生きておいでですよ。レティシア様」
横からかけられた穏やかな声に、私は弾かれたように飛び起きました。
「⁉ 」
そこには、完璧に整ったメイド服を纏った美しい女性たちが数人、私に向かって深く頭を下げていました。 その仕草は洗練されており、王宮の教育を受けた者たちであることは明白でした。
「おはようございます。我が帝国の、新たなる太陽よ」 「た、太陽⁉ 」
私は慌てて自分の姿を確認しました。 泥だらけだったはずの体は綺麗に清められ、最高級のレースがあしらわれた、透けるようなネグリジェを着せられていました。 ボサボサだった茶色の髪も、今は艶やかに整えられ、ほのかに花の香りが漂っています。
そこへ、重厚な彫刻が施された大きな扉がゆっくりと開く音がしました。
「レティシア、目覚めたか」
現れたのは、あの森で私を救ってくれたヴォルデレード陛下でした。 彼は昨夜の厳格な戦装束とは違い、ゆったりとした金の刺繍入りの黒いローブを纏っています。
近くで見ると、その美しさはさらに際立っていました。 彫刻のように整った顔立ち、高い鼻梁、そして優しげに細められた赤い瞳。
「ひっ……あ、あの……」
私は反射的にシーツを抱え込み、ベッドの隅へと身を縮めました。 私のような出来損ないが、こんな尊い方と同じ部屋にいていいはずがありません。 すぐに「分不相応だ」と怒鳴られる。そう身構えていた私に、彼は音もなく歩み寄り、ベッドの端に静かに腰を下ろしました。
「怖いか? 私の姿が」 「い、いえ……そんなことはありません。ただ、私のような無能が、このような場所にいても良いのかと思いまして……」 「無能? 誰がそんな戯言をお前に吹き込んだ」
彼の声が、わずかに低くなりました。 その響きには、私に対するものではない、誰かへの強い怒りが混じっているようでした。
怒らせてしまった。そう思って震える私を、彼は大きな手で優しく包み込みます。 その手は驚くほど大きくて、そして頼もしいほどに温かかったのです。
「レティシア。君は自分がどれほどの力を持っているか、全く自覚していないのだな」 「……力、ですか?」
私には魔力なんてありません。それは幼い頃、お父様が呼んだ有名な鑑定士によって、無慈悲にも証明されています。
けれど、彼は私の小さな手を、自分の広い胸元にそっと当てました。 トクン、トクン、と力強い鼓動が、手のひらを通じて私の指先にまで伝わってきます。
「私の中に渦巻く『呪い』が、君が触れているだけで静まっていくのがわかる。君は無能どころか、この世界で唯一、私の魂を真に浄化できる本物の聖女だ」
「私が、聖女……⁉ 」
あり得ません。聖女はお姉様です。 私はただの、身代わりの供物として森に捨てられた存在なのに。
混乱する私の頬を、彼が愛おしそうに親指で優しく撫でました。 その視線はあまりに甘く、溶けてしまいそうです。
「アステリアの愚か者どもは、君の力をエルヴィラという女に流し込む道具にしていたのだ。君の魔力を強制的に吸い取って、あの女の力として偽装していたに過ぎない。君が国を出た今、あちらの『偽物』はすぐに化けの皮が剥がれるだろう」
彼の言葉が、雷に打たれたような衝撃をもって私の脳裏に響きました。 私の力が、吸い取られていただけ? 私がダメな子だったから、魔力が出なかったわけではないというのですか?
「信じられないなら、これを見るといい」
彼が指を鳴らすと、メイドたちが銀の盆に乗せられた、透明な大きな魔石を持ってきました。 「これに触れてみてくれ。君の真実がわかる」
促されるまま、私はその魔石に恐る恐る指先で触れました。
その瞬間。 カァァァッ‼ と、部屋中が眩いばかりの真っ白な光に包まれました。 温かくて、全身を優しく包み込むような懐かしい光。 私の体の中から、これまで重く堰き止められていた奔流のような力が湧き上がってきます。
「……なに、これ……」 「これが君の真の姿だ。レティシア、君は誰よりも高貴で、そして美しい」
光が収まった後、鏡を見た私は思わず息を呑みました。 くすんでいた茶色の髪は、眩いばかりの白銀色に輝いています。 それは、建国神話に伝わる「始祖の聖女」と同じ、奇跡の色でした。
「ああ……なんて愛らしい。君をあの暗い森で独りにしていたと思うと、胸が裂けそうだ。これからは、私が君のすべてを支配し、そして慈しもう」
彼は私の腰を引き寄せると、そのまま耳元で熱っぽく囁きました。 彼の低い声が、直接心臓を撫でるように響きます。
「朝食の用意をさせた。君の好きなものを何でも用意させよう。それとも、私が直接食べさせてやろうか?」 「えっ、あ、あの、それはご自分でできます……‼ 」 「ふっ、照れる姿も可愛いな。だが忘れるな、レティシア。君はもう、誰の影でもない。私の、たった一人の愛しい妃なのだから」
彼は満足げに笑うと、私の額に優しく、けれど独占欲を滲ませた確かな口づけをしました。
私を「ゴミ」と呼んだ家族とは正反対の、蕩けるような甘い扱い。 戸惑いと、そして生まれて初めて感じる強烈な幸福感に、私の心臓は壊れそうなほど速く鼓動を刻むのでした。




