第2話 人と悪魔は対等足りえるか(2)
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退魔局に併設されたカフェで、メイはタブレットと本を相互に睨んでいた。
「うーん……うーん……う~~~~ん?」
唸るメイの耳に、コトン、と言う音が届く。
真新しい木で出来たテーブルの上には、湯気の立ったコーヒーが置かれていた。持ってきた骨ばった手が、視界の端に移動して行く。
メイは無意識にその手を追いかけた。
「お疲れさん、メイちゃん」
コーヒーを持ってきたのは、ベルフェゴールだった。
白いワイシャツに、黒いハーフエプロンを身に着けている。店員の制服だった。
「ベルさん⁉ え⁉ ここで働いてたんですか⁉」
「空夜経由でヘルプを頼まれたんだよ。人手が足りないから来いって言われて」
「ああー。ここ、最近出来たから……」
今日は落ち着いているが、以前アキトと一緒に来た時は座る場所がなかったことをメイは思い出した。新しく出来た故に、物珍しさでやって来た外部の客も多かったのだろう。
――いや、でもベルさんが店員やってたら、もっと客が来ちゃわない?
辺りを見渡すと、二人席に座る女性たちによって、熱い視線がベルフェゴールに向けられている。
あ、これベルさん目当てで来てる人既にいますね?
メイがつらつらと考えていた時、ベルフェゴールが「あっ」と声を上げた。
「『ちゃん付け』するとセクハラになるんだっけ。ごめん」
「この間、空夜に注意されたんだよなあ」気まずそうに言うベルフェゴールの言葉に、メイの思考は吹っ飛んだ。
長く生きている悪魔が、現在の、人間のコンプライアンスを重視している……。しかも退魔師に言われて直している……。
「メイさん?」
思わず宇宙猫と化していたメイは、ハッと我に返る。
「い、いえ! メイちゃんでいいですよ。アキちゃんからもそう呼ばれてますし」
「いや、アキと俺じゃ大分ケースが違うと思うんだが……」
うわあ~~~~いい人だ~~~~。人じゃなくて悪魔だけど。
もし、まだメイがベルフェゴールの事を「アキトに恋愛感情を持って堕とそうとしている」と勘違いしていたら、「親しくもない私に『ちゃん付け?』」と、嫌悪感に似たモヤモヤを感じただろう。あるいは親しくない同僚や上司から呼ばれたら、一人の社会人として扱われないように感じただろう。メイは背丈が低く、同級生の間でも子ども扱いされてきたため、その辺りは敏感だった。
だが、ベルフェゴールのそれは、「保護している子どもの友だち」に対する親愛(というより親心)の表れだと言うことを、今のメイは重々理解している。
――でもそれはそれで、アキちゃんが切ないんだよなあ……。
『アキト恋愛推進派』であるメイは、その辺何とかならないものかと頭をひねらせる。
「ところで今、なんか悩んでいたみたいだけど。仕事か?」
「あ、はい。仕事というか、勉強って言うか」
メイはベルフェゴールが見やすいように本を広げた。
「ソロモン72柱について勉強しようかと思ったんですけど、説明がよく分からなくて……」
「あー、翻訳者との相性もあるよな」
「はい。それになんと言うか、権能がいまいち分かりづらいと言うか……」
「例えばこれ」メイはある文章を指さした。
【アガレス】
留まるものを走らせ、逃亡するものを呼び戻す。
「……この能力、どういう意味ですかね。っていうか、なんに使うんですかね」
「それは……俺もよく分からねえな……」
「まあでも、基本的に悪魔ってのは多機能だからな」ベルフェゴールは言った。
「よく分からないところは、あんまり難しく考えなくていいと思うぜ。
そもそもソロモン72柱のような有名なのと対峙する方が珍しいんだ。退魔師の大体の仕事は、霊とか無名の妖怪だったりするしな」
「まー確かに……」
メイも新人とは言え、そこそこ仕事を受けた退魔師だ。ソロモン72柱と言った悪魔より、死んで間もない幽霊や動物霊と対峙する事が多い。
元々一神教において『悪魔』と呼ばれる存在は、多神教の神や天使が零落した姿として認識されている、いわば高位の存在だ。その宗教がメジャーな国なら別だが、仏教と神道が主流のこの国では、そうそう遭遇するものではない。
……とここで、メイはベルフェゴールを見た。
いや、めっちゃ有名な悪魔に遭遇してるじゃん。メイは自分にツッコミを入れる。
しかし、とメイは思う。
ベルフェゴールとは、それだけで『人間嫌い』を意味する悪魔だと言われている。だが目の前にいる彼は、『人間嫌い』とは到底思えない。
『怠惰』『好色』を司る悪魔のはずだけど、こうやってカフェで働いているし、『魅了』を持つアキちゃんの告白に対して真っ当な言葉でフってるし……。
「あれ?」
「どうした?」
思ったより大きな声が出たらしく、メイは慌てて口を塞ぐ。
しかし気づいてしまえば、それを無視する事も出来ない。
「……あの、不躾な質問なんですけど。ベルさんって、アキちゃんの『魅了』の影響はないんですか?」
メイの問いかけに、ベルフェゴールは「あー……」と気まずげに目を泳がせた。
「そもそもメイちゃんは、アキの『魅了』についてどれぐらい把握している?」
「えーと、契約されている悪魔相手に、『魅了』で自分に契約のすげ替えが出来ること、くらいですかね。
後、アキちゃんが生まれる前から影響があった事は聞きました」
メイの言葉に、ベルフェゴールの顔が強ばった。
――え、なにかマズイこと言った?
「ど、どうしましたか?」
「や……アイツ、そこまで君に打ち明けてたんだなと」
ベルフェゴールの戸惑うような様子に、メイは違和感を持つ。
しかし、「話を戻すけど」と続けたベルフェゴールは平常で、メイの感じた違和感はどこかへ消えていた。
「まず今のアキの『魅了』は、基本的に本人の意思である程度押さえ込まれている」
「現にレストランにいたベヒモスは、アキを見ても変化はなかっただろ」ベルフェゴールの言葉で、メイはそう言えばそうだ、と納得した。
「そんで2つ目」ベルフェゴールは人差し指と中指を立てた。
「契約対象のすげ替えのような強制力は、『魅了』を使った呪術で行われる。だから『魅了』だけじゃ、相手の意志を誘導するような事にはならない」
「以上だ」とベルフェゴールは立てていた指を下ろした。
……あれ?
「それで、ベルさんに影響はあるんですか?」
「………………」
ベルフェゴールは、首ごと視線を逸らした。
――もしかしてもしかしてもしかして!?
「その沈黙はYESって捉えていいですか!?」
「NOだ! 俺、基本的に誘惑系とか耐性ある方だから!」
ええ~? 本当でござるか~~!?
『アキトの恋愛推進派』であるメイはさらに問い詰めようとしたが、その前にベルフェゴールは厨房に呼ばれてしまった。




