第3話 守るべきもの
夜が明けるまで、セリアはリオの側を離れなかった。
廃教会のベンチに敷いた薄い寝具の上で、リオは疲れ果てたように眠っていた。
痛ましいほど細い肩が規則正しく上下し、時折かすかな寝息が震える。そのひとつひとつが、セリアの胸をじんわりと温かくさせた。
(今日から……私がこの子のお母さん)
そう口に出したときは勢いだった。どこまで責任を取れるのか、自分に何ができるのかなど、考える余裕もなかった。ただただ、目の前で泣く小さな子供を放っておけなかった。
けれど──今は違う。
燃え落ちた村で、瓦礫の中から伸びてきた小さな手を握り返した瞬間。炎に照らされ泣きじゃくるリオの小さな背中を抱き締めた瞬間――セリアの中で何かがはっきりと変わっていた。
この子を一人にしない。
この手を放さない。
夜がゆっくりと薄れ、廃教会の割れた窓から白い光が滲みはじめる。
夜が明けていく。新しい朝が来る。
セリアはそっと立ち上がり、焚き火へ向かった。
冷たい水で顔を洗い、昼に拾ってきた野草と干し肉のかけらを煮る。
廃教会の黒ずんだ古鍋は重く、底には無数の傷があったが、まだ十分使えた。
薪を調整しながらスープをかき混ぜる。固いパンを炙りながら、ふっとひとりで笑った。
「……焦がさないように、ね。あの子、すぐ気にするから」
鍋から立ち上る湯気が、ほかの朝よりも優しく感じた。
◇〜─〜─〜─〜─〜◇
「……ん……」
リオが目を開けたのは、スープの匂いが教会に満ち始めた頃だった。
くたびれたまつ毛が震え、やがてゆっくりと目が開く。
「あっ……セリア……?」
「おはよう、リオ。よく眠れた?」
リオは一度瞬きをしてから、きょろきょろと部屋を見回した。
「……ここ、ほんとうに……燃えてない……?」
「ええ、燃えてないわ。あなたが寝ている間に、何ひとつ」
リオは胸に手を当てて、深く息をつく。
「よかった……」
その安堵が、どれほど重たい恐怖の裏返しなのか、セリアには分かった。
だから、そっと手を差し出す。
「さぁ、朝ごはんを食べましょう」
リオは少し迷ってから、そっと手を重ねてきた。温かい……けれど、その奥に不安はまだ残っている。
丸太に座らせた途端、リオがもじもじと指を絡めた。
「また……燃やしちゃうかもしれないよ」
「燃えたら燃えたで、パンがちょっと黒くなるだけよ」
セリアが笑うと、リオはぽかんと口を開けた。
「きょ、教会ごと燃えたら⋯⋯?」
「教会ごと燃えても……また建て直せばいいわ」
「そ、そんな……!」
「私はね、物が燃えるより、あなたが傷つく方がずっと嫌なの」
リオの耳のが真っ赤になった。
「……ありがとう」
その小さな声が嬉しくて、セリアはスープをすくって差し出した。
「熱いから気をつけて――」
その瞬間、リオの体温がふっと跳ね上がり、スプーンが赤熱した。
「あっ……!」
リオは慌てて手を離し、肩をすくめる。
「ご、ごめんなさい……!」
「大丈夫よ」
セリアはスプーンを布で包んで冷ました。
リオは縮こまり、すすり泣きしそうな顔をする。
「怖がらなくていいの。制御すれば、きっとあなたの焔は人を守れる」
「……守れる?」
「ええ。今日から訓練しましょう」
リオは驚いた表情で、セリアを見つめた。
その瞳に宿った小さな光は、焔の赤ではなく――希望の色だった。
◇ ◇ ◇
食後、廃教会の外で簡単な訓練を始めた。
風は少し冷たいが、空は晴れていた。焦げた森の匂いが微かに残る中、セリアはリオに向き合う。
まずは深呼吸。
天災の暴走は感情に引きずられやすい。
「息を吸って、胸にためて……ゆっくり吐くの」
「すぅ……はぁ……」
リオの周りの空気が、わずかに揺れる。
炎が噴き出す寸前の予兆は確かにある。
けれど、呼吸に合わせて落ち着いていく。
「上手よ。次は、手のひらに小さな火を灯してみましょう」
「できるかな……」
「きっとできるわ。あなたを信じてる」
リオはぎゅっと目を閉じ、両手を胸の前に出した。
──ふっ。
手のひらに、橙色の火がともった。
「……! 出た……!」
「ええ、とても綺麗な火よ。ほら、熱くないでしょ?」
セリアが指先を火に近づけると、リオが慌てて腕を引いた。
「あ、危ないってば!」
「大丈夫。あなたの『生きたい』って気持ちがこもった、温かな炎だもの」
リオは戸惑いながらも、火を見る目が少し柔らかくなった。
「ぼく……こんなふうに火を出せたこと……なかった……。いつも⋯⋯全部燃えて⋯⋯」
「これから一緒に覚えていきましょう。あなたはひとりじゃない」
リオは胸に小さな火を抱くようにして、こくりと頷いた。
その瞬間、セリアは――この子の未来を絶対に守ろうと強く思った。
◇ ◇ ◇
日が暮れ、廃教会に静けさが戻る。
訓練はまだまだこれからだけど、今日はこれだけで十分だった。
「セリア……今日は楽しかった」
「私もよ。頑張ったわね、リオ」
リオは眠気にふらふらしながら寝具に潜り込む。
セリアはその髪を優しく撫で、ようやく肩の力を抜いた。
(少しずつ……この子の心が変わってきてる)
そう感じられる一日だった。
――だが。
その夜の静寂は、長く続かなかった。
ぎぃ……
ぎ、ぎ……と、扉の外で木が擦れるような音がした。
「……っ」
セリアは反射的に身を起こす。
リオも目を覚まし、怯えたようにセリアの服の裾を掴む。
「セリア……なに、これ……」
「静かに。私の後ろに」
セリアの言葉が終わる前に、さらに音が近づく。
金属が引きずられる音。
獣とも人ともつかぬ低い唸り。そして、複数の足音。
扉の向こうに、影が立つ。
「……いるのは分かっている」
低く濁った声。だが確かな言葉を持っていた。
「そこに……天災児を匿っていると聞いた」
リオの肩がびくりと震える。
セリアは祈祷書を握り締め、リオを背にかばう。もはや奇跡は使えない――それでも手は自然に祈りの形を作っていた
「この子は……渡しません」
扉がぎゅう、と押し開かれた。
飛び出してきたのは狼。だが、その目は濁り、黒い煙のようなものが口元から漏れ出している。
(瘴気……!? 神災獣の……!)
そして、月明かりの向こうに現れたのは、神聖騎士の鎧を着た男だった。だがその鎧は黒く腐食し、彼の足元にも瘴気がまとわりついている。
男は剣を引きずりながら、一歩踏み込んできた。
「天災児は……生まれながらに、災厄の種……芽を刈り取らねば……」
「させないわ!」
セリアの叫びと同時に──リオの感情が爆発した。
恐怖。
不安。
大切な人を奪われるという絶望。
そのすべてが、焔となって溢れ出す。
リオの周囲に紅蓮の火柱が立ち上がり、瘴気と衝突して爆ぜ、火花が飛び散る。
熱い風が教会を揺らし、古い窓ガラスがひび割れる。
「リオ、下がって! でも逃げないで――私のそばに!」
「……こわい、こわいよ……でも……セリアを傷つけたくない……!」
涙を流しながら、それでもリオは踏みとどまった。
焔は荒れ狂いながらも、セリアには決して触れなかった。
彼の焔は、ただの天災ではなく――彼女を守るためのものに変わりつつあった。
月明かりが紅く歪む。
――そして、物語は次の戦いへ動き始める。
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