第2話 灯火の母、焔の子
手を繋いだまま廃教会へ戻る道は、夜の冷気が静かに包んでいた。
リオは何度もセリアを見上げ、そのたびにぎゅっと手を握り返す。指は細く、骨ばっていて、幼いのにどこか力を抜くことを忘れてしまった子どもの手だった。
「ここが……ぼくらの、家……?」
廃教会の朽ちた扉の前で立ち止まったリオは、ぽつりと呟く。
煤にまみれた頬、震えの残る手。
それでも、その瞳の奥には、かすかに希望の色が灯りはじめていた。
セリアはそっと微笑み、頷く。
「ええ。今日からは――あなたの帰る場所よ」
錆びついた取手を押すと、扉がきぃ、と軋む。
中から漏れた橙色の光が、夜の闇をほんの少し後ずさりさせた。
灯りは、セリアが追放の途中で手作りした油と布切れのランプだ。
粗末だが、どこか温かい。壁に揺れる影が二人を優しく迎えていた。
その柔らかな光に照らされて、リオの小さな肩がほっと緩む。
「⋯⋯落ち着く」
「今日は色々あって疲れたでしょ。まずは体を拭いて、休まないとね」
セリアは小さい焚き火で井戸水を温め、古い布を濡らしてリオの顔や腕を丁寧に拭いた。
リオはくすぐったそうに身じろぎする。
「セリア、手……優しいね」
「あなたが痛くないように、気をつけているだけよ」
「痛くても、がまんするよ」
セリアの手が止まった。
「がまんしなくていいの。これからは、痛い時は痛いって言って、怖い時は怖いって言って……泣きたい時は泣いていいのよ」
リオは目を丸くし、ゆっくりとまばたきをした。
「いままで、そんなの……言っちゃだめだって、言われてた」
「ここでは大丈夫。ここはあなたを縛る場所じゃないわ」
リオは口を閉じ、短く息を吸う。
何か大切なことを確かめるように、セリアの手の温度を確かめるように、そっと指を絡めた。
静寂が落ちたが、それは息苦しいものではなく、不思議と柔らかい沈黙だった。
セリアはリオに小さな布を渡す。
「はい、これが今日からあなたの寝床よ。ベンチは少し硬いけれど……」
「ここで寝ていいの……?」
「もちろん。むしろ、あなたに寝てほしいわ」
リオは布を抱きしめ、胸に押し当てた。
「……ぼく、ここにいてもいいんだね」
「ええ。あなたはここにいていいのよ」
その言葉を受け取った途端、リオの胸の奥で何かが震え、ほどけるように揺れた。
その安心が恐怖も呼び起こしたのか、リオは小さく震えながら問いかけた。
「……また、燃えちゃったら……どうする……?」
セリアは迷わず膝をつき、その手をしっかりと握った。
温かな月光が破れたステンドグラスを通り、二人の影をひとつに重ねる。
「そのときは、また抱きしめるわ。熱くても、怖くても――あなたを離したりしない」
「……ほんとうに……?」
「本当よ」
そして、ためらいを乗り越えるように言った。
「リオ。今日から、私があなたのお母さんよ」
その瞬間、リオの瞳が、大きく揺れた。
その揺れは、恐れでも戸惑いでもなく――希望という名の光が生まれる瞬間だった。
「……セリアが……?」
「ええ。私があなたを守る。あなたがどんな力を持っていても、どんな過去があっても。私は、ずっとあなたの味方よ」
リオの唇が震え、声が引き結ばれ、声にならない声が漏れた。
そして次の瞬間、リオはセリアの胸へ飛び込んだ。
「……っ、う……うわぁぁぁ……!」
小さな身体から溢れた嗚咽は、ずっと我慢していた子どもの悲鳴だった。
セリアはその背を包み、そっと揺らす。
「大丈夫。もうひとりじゃないわ」
「……お母さん……おかあさん……!」
「そうよ。あなたのお母さんよ、リオ」
焔ではなく、涙の熱がセリアの胸を濡らした。
震える手がセリアの服を掴み、小さな指が何度も確かめるように握りしめる。
セリアはそのたびに、そっとリオを抱き寄せる。
やがて泣き疲れ、微かな寝息が混じり始めるまで、セリアはその小さな背中を離さなかった。
その夜、廃教会には確かに温かな気配が満ちていた。
壊れたステンドグラスの破片が月光を反射し、床に淡い色を散らす。
風の音さえ、祝福の歌声のように聞こえる。
そして気づかぬうちに――教会の片隅で、祈祷書が微かに光を帯びていた。
まるで、この場所に生まれた『母と子の絆』が、消えてしまった奇跡を揺り起こしたかのように。
暗闇の中、小さな光は静かに瞬き続けていた。
――それは、二人の物語の始まりを告げる灯火のようだった。
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