第1話 焔の子、天災児リオ
森は、夜そのもののように暗かった。
セリアは枝をかき分けながら、炎の匂いを追った。
廃教会から見えた火柱はまだ昇っている。
耳を澄ませば、確かに――泣き声が混じっていた。
(声は……あのあたりから)
息を粗くしながら木々の隙間を抜けると、突然視界が開けた。
そこには小さな集落があり、炎に呑まれていた。
黒煙が夜空へ立ち上り、崩れた家々。弾ける梁。飛び散る火の粉。
焦げた匂いは、涙腺を刺激するほど濃かった。
「⋯⋯っ!」
熱気の波が容赦なく押し寄せ、セリアは思わず腕で顔を覆った。
奇跡を失った今、炎は防げない。
それでも――足は止まらなかった。
「だれか! いないの……!」
張り上げた声は、火の轟音に呑まれて消える。
それでも諦めずに叫び続けると、焦げた家屋の影から、細く震える声が返ってきた。
「……っ、ひ……いやだ……!」
小さな、喉を絞るような声が聞こえた。
セリアはその声へ向けて駆け寄る。
煙を吸い込んで咳き込みながら、倒れた柱を押し退け、散らばる板を踏み越えて声をかける。
「大丈夫、もう大丈夫よ」
ようやく見つけた声の主は、煤にまみれた黒髪の少年だった。
小柄な身体を抱えて震え、涙で頬に黒い筋を作っている
(まだ……生きている)
セリアは胸を撫で下ろした――だが、すぐに異変に気づいた。
少年の周囲だけ、炎が避けるように歪んでいる。
まるで目に見えない力が、燃え盛る火を押し返しているようだった。
否。
その現象はセリアがかつて奇跡を使ったときに似ていた。
「……あなた、もしかして……」
問いかけた瞬間、少年が顔を上げた。
「……ぼくのせい、なんだ」
涙に濡れた瞳は、ありえない色をしていた。
深紅。
揺れる火のような色。
少年は震える声で言った。
「ぼくが……燃やした。村も、家も……みんな……。ぼく、いらない子だから……また、あの声が……僕が生まれたせいで⋯⋯」
その声は、恐怖と罪悪感に押しつぶされた、かすかな悲鳴であった。
セリアは息を呑む。
焔を生む子。
『天災』と呼ばれ、昔から忌まれた存在。
小さな身体に宿った過剰な魔力が、感情の爆発とともに周囲を焼き尽くす――そんな悲劇の伝承がこの世界にはいくつもある。
(この子が……?)
だが少年は、誰よりも怯えていた。
自分を責め、自分を恐れている。
セリアは、そっと少年に手を伸ばす。
「あなたのせいじゃないわ」
「……え……?」
少年が顔を上げる。
真っ赤に腫れた目が、わずかに揺れた。
「怖かったのよね。一人で、苦しくて、どうしようもなくて。心が壊れそうになれば……誰だって、叫びたくなるものね」
少年が口を震わせる。
「でも……みんなが……!」
「炎はね、本来は悪いものじゃないの。寒さから守り、光を生み、命を温める力よ。あなたの焔も、きっとそうなれる。生きたいと願うことを、恐れなければ」
少年は口を震わせる。
「……ぼく、生きていいの……?」
「もちろんよ」
迷いのない声で、セリアは答えた。
「あなたは、生きるために生まれてきた。誰かを傷つけるためでも、災厄として終わるためでもない。あなたの焔を、抱きしめてくれる未来だってあるわ」
少年は堰を切ったように泣き出した。
胸にすがりつく小さな体を、セリアはしっかり抱きしめた。
炎の中でも、少年の身体は不思議なくらい温かかった。
人を焼く炎ではなく、人が触れられる焔のように。
「……怖いよ……また燃えちゃうかもしれない……」
「燃えてもいいわ」
セリアは、優しく少年の頬を拭った。
「燃えても、私はあなたを抱きしめる。泣いても、怒っても、暴れても――手を離さない」
少年は驚いた顔でセリアを見る。
その表情は、初めて救いというものに触れた子どものようだった。
「名前は?」
「……リオ」
「リオ。とにかく今は、ここを出ましょう。夜が明ける前に」
「……うん」
奇跡はない。だからこそ、この手で抱きしめられる。
◇ ◇ ◇
集落を離れる前、セリアは――一度だけ振り返った。
炎は弱まり、灰が静かに降り積もっている。
その灰は、まるで亡くなった人々にそっと布をかけるように、やわらかく村を覆っていた。
(どうか安らかに)
声には出さず、セリアは胸の奥に祈る。
(炎に呑まれた痛みが、どうか苦しみに変わりませんように……)
灰の中には、暖炉の焼け跡、壊れた椅子、溶けた鍋――生活の名残が散らばっていた。
そこに沢山の思い出があったことを、セリアは感じていた。
村に戻って埋葬することはできない。
だが祈りだけは、そっと置いていける。
セリアはルカの手を握り直し、森の道へ歩き出す。
「行きましょう。あなたの未来を……これから、一緒に探すの」
「……うん」
涙で濡れたリオの声は、それでも、ほんの少しだけ温かかった。
夜の森を、二つの影がゆっくり進む。
その背後で、村の最後の火が静かに揺れ――まるで、二人を見送るように赤く灯っていた。
【 天災 】:──過去に神が残した力の一部。災厄をもたらす者。古くより伝承に残っており、人々の生活を脅かす存在として迫害され続けてきた。
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