プロローグ 追放の聖女
荘厳な鐘の音が、聖都アルティナに響き渡った。
だが、それは祝福の鐘ではない。
神に背いた者を告げる鐘――断罪の鐘だ。
広場には信者たちが集まっていた。
中央の白石の壇上に、女が一人、立たされている。
白衣の裾は土に汚れ、金の聖印は剥き出しになり、その肩は、ひどく細く見えた。
セリア=フィーネ。
かつて、神の声を聞く聖女と称えられた女である。
「セリア=フィーネ。汝は神の意志を偽り、神託を拒み、人々を惑わせた。ゆえに神の加護はもはや汝を離れた。ここに、聖女の名を剥奪する!」
壇上の上から、威圧的な声が響いた。
大司教バルド。かつて彼女を聖女に任命した人物。
だが今はその権威を振りかざし、「神託を偽り、神意を拒んだ」と彼女を糾弾する。
ざわめきが広がった。
群衆の中には涙を浮かべる者もいれば、石を手にする者もいた。
「偽聖女」「神に見放された女」
そんな罵声が、波のように広場を包む。
この国の聖女制度には禁忌があった――奇跡を民に向けてはならない。
奇跡は王権と神殿の象徴であり、民衆救済のために使えば穢れとして聖女の加護が削れる。
そしてセリアは、その禁忌を破りつづけた。
飢えた子どもを癒やし、兵士の死を遠ざけ、民の祈りに応えた。
その結果、加護はほぼ失われ、奇跡を使えない無能の聖女として断罪される。
神の奇跡は、王と神殿が独占するもの。
民のために使うことは、反逆なのだ。
セリアは群衆の嘲笑を前に、静かに真実を口にする。
「神の声は……最初から聞こえていませんでした。私が聞いたのは、人々の祈りの声です」
その言葉に、バルドの顔が歪む。
「異端め……! 護衛、印を奪え!」
兵士たちが近づき、セリアの胸元にある聖印を掴み取る。
淡い光が一瞬、抵抗するように揺らめいた。
だがすぐに、光は消え、聖印は灰となって風に散った。
群衆が息を呑む。
セリアの身体から、温かな気配が完全に消えるのを、誰もが感じた。
「これにて、聖女セリア=フィーネは、聖都より追放する!」
バルドが宣言し、再び鐘が鳴る。
セリアはゆっくりと壇を降りる。
人々が道を開けるが、その瞳には恐怖と憐れみが入り混じっていた。
「……私は、これで自由になったのかしら?」
去り際に見えた塔から放たれる光は、冷たく彼女を拒んでいた。
◇ ◇ ◇
旅路は長く、そして静かだった。
セリアは、荷車一つにわずかな食糧と古びた祈祷書を積み、北の荒野を歩いた。
空は灰色。
人里を離れるたびに、胸の奥の空洞が広がっていく。
奇跡はもう使えない。祈っても光は降りない。
だが彼女の心にはまだ、救いたいという小さな火だけが残っていた。
「……いいの。この選択をしたのは、私自身だもの」
呟いた声は風に溶けた。
それでも、足を止めることはできなかった。
辿り着いたのは、かつて巡礼の途中で見つけた廃教会。
今は誰も来ず、忘れ去られた神の家。
そこで彼女は祈ろうとするが、もう言葉は出ない。
扉を押すと、木の軋む音がした。
中には埃まみれのベンチと、割れたステンドグラス。
光の欠片が床を照らしていた。
「ここなら……誰にも見つからないわね」
セリアはマントを外し、埃をはらってベンチに座った。
そのとき――
かすかな声が風に紛れて届く。
「……たすけて……」
小さく、かすかな声。男の子のようだった。
最初は錯覚だと思ったが、再び聞こえる。
「たすけて……ぼく、いやだ……」
夜空の向こう、森の方角で炎が上がる。
熱風が教会に吹き込み、焦げた匂いが満ちる。
「火事……?」
セリアは息を呑む。
その炎の中に、確かに誰かがいる。
「……行かなきゃ」
セリアは立ち上がり、外へと駆け出した。
奇跡を失っても、彼女は走り出す。救う力がないのに、救いを求める声へと駆けていく。
夜空を焦がす炎の向こうで、確かに、誰かが泣いていた。
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