第八話 女泣かせ
吉川くんに押し付けられたノートを職員室まで運ぶことは、思ったよりも労力がいることだった。彼は軽く持っていたが、私は幾度も足を止めながら運んだ。男子の力はちょっと羨ましい。
掃除開始時刻に数分遅れ、小走りで外トイレに向かう。彼の用事で遅くなったのだが、叱られるに違いない。ああ、恐ろしい。彼の荒立った姿はあまり見たくない。できれば良いところだけ見ていたい。
「わっ」
急いでいると誰かとぶつかってよろけた。運悪く足場が段差になっていたので一段ずり落ち、見事に転倒する。アスファルトについた膝が摩擦して熱い。
久しぶりにこけた割に、瞬間的にパッと立ち上がることができた。中学時代よく転んだたまものと言おうか。
同じように転んだ女の子の手を取って立ち上がらせる。
「大丈夫?」
見たところケガはない。……あ、すごい可愛い子だ。
頬は上気して桜色。顔は小さい。髪はロングでくるくる。瞳は大きくて涙の膜が張ってうるうるしている。動物に例えるならリスだ。
「だいじょ、ぶ」
突然瞳から涙をぽろぽろ零し始めた。どうやらマスカラを付けていたようで黒い筋が白い頬にできている。
「どこか痛い?」
私はどうすることもできずに、その場であたふたした。その間に彼女は落ち着いていき、涙を自ら拭った。
「ケガは、ない」
しっかりとした口調で私に言い張ると、彼女は泣きはらした目で校舎の方へ去った。
何故彼女は外トイレの方から走ってきたのだろう。私が掃除をしている外男子トイレは学校の敷地内の北にあり、体育館に隣接している。逆に、女子トイレは南に位置しているのだ。
頭を傾げたまま歩き、外トイレに到着すると、ベンチで寝そべっていた吉川くんが居た。私へ顔を向けると、彼は瞳をめいっぱい広げた。
「その膝どうしたんだよ!」
「女の子とぶつかって転んで……」
先ほど転倒した時に擦りむいていたのだろう。膝から血が垂れていた。とめどなく流れていている血が、靴下を汚している。
吉川くんはどこからか園芸用のホースを持ってきて、ベンチに座って足を伸ばしている私の右膝に水をかけた。
いつも扱き使われている彼が私に跪いている様はかなり異様で、背中に嫌な汗をかく。
「女って、髪が長くて巻いてるヤツか? 背は、よしこと同じくらいで」
「知ってるの?」
彼の顔が強張った。膝にかかっていた水が不意に止まる。
「ああ。今までここに居たからな。かなりムカつく女だったけど。泣けば済むと思ってるところが気に食わねえ」
私と衝突した女の子を思い浮かべた。彼女が泣いた理由――吉川くんに関係しているのだろうか。いや、まさかそんな。
「まさか……泣かせたんじゃないよね?」
「だとしたら、何?」
一瞬自分の全ての生命活動が止まったかと思った。
彼は私以外の女子にも強く当たっている。その事実は私を愕然とさせた。私だけに辛く当たるならまだいい。付きたくもない免疫があるから。
「お前には関係ないだろ」
その一言は私を失意に落とすのに十分だった。
聞き慣れた携帯電話の着信メロディーが流れ始める。……誰の携帯電話のメロディーか分かっていても、電話を取ることができずに硬直したままだった。
ここまで読んでくださり、どうもありがとうございます。感無量です。
私事ではありあますが、近日中に現れる学生の敵の人数が把握できました。どうやら四人のようです。
一人目は長期戦になるであろう、あらゆる部門でやっかいなもの。二人目は母国語ではない言葉を駆使するもの。三人目は左手を酷使して武器を操らなければならないもの。四人目は完全に専門外で対処方法に困るもの。
六月中はこれらの対策で精一杯なので、更新ができないかもしれません。GW中の更新を増やし、完結を遅らせないようにしたいと思います。おそらく、次の更新は月曜日あたりになるかと。
では、失礼いたします。