第七話 遅い感謝
その後、吉川くんに反論した理由を四六時中考えていた。登校中にも授業中にも。
思えば、私は人に自己の主張を伝えようとすることがあまりなかった。それは小学、中学時代それは意味のないものだったからだ。
物思いに耽っている間、私はうわの空に見えるらしく教師に度々注意を受けた。存在感の薄い私はその他一般に見えるので、教師を始め生徒からも注目を浴びることはなかったのに。
不慣れなことに戸惑っているとステンレス製のペンケースを床に落とした。材質が材質なので床に落ちた際に派手な音を立てたが何事もなかったように授業が進んでいく。私は一人で筆記用具をケースの中に戻していった。消しゴムは結構遠くに飛ばされていたが、ないと困るので立ち上がって取りにいく。
クラスメートの中には昨年も同じクラスだった人は居る。その人の机下に落ちている消しゴムを自ら拾い上げる。床から顔を上げれると、通常の授業の風景が目に入る。その光景を、一枚フィルタをはさんで客観的に見た時、私の中で虚無感が生まれた。
ああ、気付いてしまった。心に根付いた疑問の答えを。
本当に私はクラスメートにとって空気なのだ。気にかけるまでもない。いや、存在に気付いてすらいないかもしれない。昨年一年間私が平穏だと思っていた高校生活は実に中身のないものではないか。必要があれば級友と交わるが、個人的な付き合いは皆無だ。……吉川くんに反論したくなった理由を悟った。
席に戻った時、私がまだ拾っていなかったシャーペンが机の上に置いてあった。これはどういうことだろう。きょろきょろと前後左右を見ると、後方の席に座っている吉川くんと目が合う。彼の口が動いた。
ドジ。彼はそう口パクした。視線はすぐに逸らされ、彼は何事もなかったように寝てしまう。
吉川くんは私をいない存在として扱ったことはない。どんなに疎んでも無視をしたりしたことはない。
紺色頭の男子生徒がトイレに入ってきた時、彼は私のことを忘れてはおらず、引っ張り出してくれた。
机の上に置かれているシャーペンを手に取った。私ではない誰かが置いてくれたものだ。断言はできないが吉川くんが置いてくれたのではないだろうか。
トイレでの出来事とシャーペン。彼にとっては気に留めることもない動作だったかもしれない。
だけれど、私には希少で貴重な行為だった。少なくとも私は嫌ではなかった。
だから、勘違いして欲しくなかった。彼の「起きてて悪かったな」という言葉を聞いて、反論したくなった。
「傲慢」「自己中心的」「尊大」「俺様」「傍若無人」……例えるならこれらの言葉が当てはまる吉川くん。小学生から中学生まで私を虐げてきた苛めっ子と同じ性質だと思っていた。態度や雰囲気でそう決め付けていた。でも、やっぱり人は人それぞれだ。吉川くんには吉川くんなりの特性がある。
彼にはいろんなことを気付かされた。他人から見れば些細なことだろうけれども、さりげない行動がとてつもなく嬉しい。
授業終了のチャイムが鳴る。
「起立」
クラス委員が声を上げる。私は周囲の生徒よりも遅れて席を立った。
「礼」
これまた私は一呼吸遅れて礼をする。その後休憩時間に入ったが私は席に着かず、覚束ない足取りで歩き始めた。こうして私から吉川くんの席に行くということは初めてだ。
「吉川くん……」
ノートを鞄に入れていた吉川くんは手を止めて私を見上げた。
「あ?」
分かったのだ。何故彼に反論しようとしたのか。
口をもごもご動かしたが、言葉を選んでいるうちに時があっという間に過ぎていく。
「言いたいことがあるなら早く話せ。あ、今日はココア、買ってくんなよ。で、代わりと言っちゃなんだが、これ職員室の担任の机に置いといてくれ」
吉川くんは授業の終わりに集めていた三十数人分のノートを私に押し付けた。
「……え?」
「文句でもあんのか?」
反射的に頭を振った。
面倒臭いことは大嫌いで人に何かを押し付けることを厭わない。
私は勘違いしてはいけない。ささやかな優しさを持っているのも、俺様なのも吉川くんに違いないということを。