第二話 よしこ!
放課後、私は掃除場所である外のトイレに向かうために階段を下っていた。ショートホームルーム後は廊下や階段が生徒で埋め尽くされるが、目的の外トイレに向かうに連れて、生徒の数は減っていく。
ついつい歩幅が大きくなり、傍から見たら不機嫌に見える歩き方になってしまう。私だってトイレ掃除を好き好んでしたいわけではない。ただ早く掃除を終わらせたいだけだ。そのために移動時間を節約したい。
「おい」
重い荷物を抱え、必死に足を動かしていた私は、自分に掛けられた言葉だと気付かなかった。
「おい。吉川女」
周囲を見回したが、他に生徒は居ない。
心の中で舌打ちをした。誰に呼び止められたのか、察しが付いた。本当に舌打ちできたのなら、さぞかしすっきりすることだろう。それを実行できないのが私という人物なのだけれども。
「な……に」
怯えが声の震えに出る。吉川くんから一歩遠ざかった。一歩では足らずに、三歩程後ずさった。体が俺様体質を拒否する。体の温度まですっと下がったのを感じた。
「行くのか?」
言葉が解りかねて困り果てる。彼はヘアピンでとめてある前髪をかきあげ、欠伸をした。もう一度舌打ちしたい衝動を抑えて、彼の言葉の意味を必死になって考えた。「行く?」と訊いているなら、掃除のことかもしれない。
「行く」
短く答える。すると、彼は私の耳にしっかりと届くような舌打ちをしてくる。舌打ちしたいのは私なのに。
返答はなかったので、彼の存在を無視して再び歩き出した。チキンハートがドクドクと脈打つ。吉川くんは心臓にかなり悪い。
とりあえず関門突破だ。早足で階段を上り続ける。
「よしこ! 帝華堂のアイスココア買って来い!」
よしこ? 誰のことだろう。辺りをきょろきょろ見回していたが、先ほどみたく誰も居なかった。悪い予感がする。慎重にゆっくりと振り返ると、吉川くんが仁王立ちしていた。
「そこのお前だ。吉川女、面倒だからよしこ!」
硬貨を投げつけられ、反射的に弾丸のように飛んでくるそれを、目を瞑って避けた。チャリーンと音を立てて、階段を凄まじい勢いで下っていくものを目で追う。
「落とすんじゃねぇ!」
全力で投げられたら取れないに決まっている。それに、かなり危ない。非難したかったが、黙って五百円玉を拾うために、せっかく上ってきた階段を下りていく。
「後で持ってこいよ」
冷たい視線で脅され、ふと小学生の時のことを思い出した。
その時はランドセルだった。
下校時に数人でじゃんけんをして、負けた人が皆のランドセルを持っていくというゲームが、小学生の時に流行った。私はそれに全敗し、五人のランドセルを肩に二つ、右手に二つ、左手に二つ持った。傍から見れば大きなランドセルの塊に見えただろう。後で知ったのだが、頻繁に私を弄っていた男子が、私が必ず負けるように計ったらしい。当時の季節は夏で、暑さでへろへろになり、最終的には倒れた気がする。気がする、というのは私がはっきりと覚えていないからだ。目を覚ました時に、現場に居合わせたイトコのお兄ちゃんがそのことを語ってくれた。
意識が途切れる直前、ちゃんと持って来いよ――その男子は私にそう告げた。
小学生の時に私を陥れた男子、杜城くんと、吉川くんの顔が私の頭の中で重なって消えた。杜城くんも私に対しては、冷たい顔をしていた。だいっきらい。杜城くんも、吉川くんも。
私が黙り込んで階段の隅に佇んでいる間に、吉川くんは消えた。