第八話 決心日
「あの人どの面下げてウチに来てるんだ?」
静かな口調は僅かに震えていた。
「苛められてたんだろ、杜城暁朗に。家族に隠してきたつもりだろうけどな、いくらなんでも数年続いてれば気付く」
言葉を失った。
どれだけ杜城くんに嫌がらせを受けても、両親には相談しなかった。いや、当初は告げようとした。しかし、仕事で多忙な両親に私が打ち明けるだけの時間はなかった。
対して瞬治には、鼻から相談するつもりはなかった。――弟には己の弱いところを知られたくなかったのだ。不器用な私はきっと瞬治にとって手のかかる姉に他ならない。でも、しっかりした人でありたいと思うのだ。そんなちっぽけな矜恃を守るために私は口を割らなかった。
「……そう」
カラカラの喉からやっと声を振り絞る。自尊心がガラガラと崩れ去った。
「それで何で来てたんだ?」
現在の杜城くん私の間柄を、嘘偽りなく打ち明けていいのだろうか。逡巡しても、血縁とはやっかいなもので、逃げ道がなくなる。私の虚言などすぐに見抜かれるのは解かりきったことだ。それでも、本能的に足掻いてしまうのは仕方がない。
「たまたま駅で会って、暗いから送ってもらっただけ」
淀みなく伝えると、明らかに不審そうな顔をされた。私は口にしてから、しまったと思う。彼にその設定は無理があるだろう。
「本当にそれだけ?」
胡散臭そうに言われ、再び黙り込んでしまう。
やはり誤魔化せない。腹をくくり、真実を伝えるために一呼吸した。
――「俺と付き合え」。
瞬治に杜城くんと再会してからのことを伝えている間、彼の卑怯な台詞が頭の中をリフレーンしていた。
「それで、黙って言うこと聞いたんだ?」
全てを語り終わった直後の弟の視線は、責めを含んでおり、私は俯く他なかった。
暫く静寂が二人の間を包んでいたが、コンロにかけてあるヤカンが甲高い音を立て、ぴりぴりとした雰囲気を引き裂いた。それを合図に、瞬治がおもむろに口を開く。
「正直に言って、杜城暁朗は気に入らない。そんで、そいつの言いなりになる由の気も知れないね」
蔑みの言葉に小さくなる。言い返す余地がない。
「言い返さないの? なんだっけ。……脅嚇、か? いつまでそんなことされる関係続ける気だよ。はん、バカだ」
唇を噛む。こうやって蔑まれ見下されるから、瞬治には言いたくなかったんだ。しっかりしている弟は的を射ていることを、はっきりと言う。年下の弟に喝破されて嬉しいわけがない。今日は特に頭に来た。悩んでいる最中なのに、何故追い詰めるような真似をするのだ。
「バカで悪い?」
「ああ悪いね!」
瞬治はさらに私の心に突っ込んでくる。
「はっきり言葉にしないから、悪いから、あの人になめられるだろ。本人の想いを無視して『付き合え』? あの人も由も大バカだ!」
バカで結構。歯軋りをして威嚇した。だが、所詮私は私だ。威嚇はできても反論はできない。
「ほら、黙る。全部吐き出せって言ってんだろ。……いいよ。自分は孤独だって思いこんでな」
ぷいと身を翻し弟は自室に篭った。
あの子は本当に強くて正しい。対して私は弱気で間違っている。その判断は付いているのに。違う、それだけではいけない。考えを実行に移すなら今しかないのだ。今を逃したら私は再び立ち止まってしまう。
無自覚に足は瞬治の部屋に向かう。扉越しに彼を呼んだ。だが、無視を決めこまれて彼の返事はない。
「バカはバカなりにやってやるから!」
久しぶりに大声を出して臍を固めた。見返してやる。瞬治、そして杜城暁朗を。