第十三話 立ち入り禁止
五月に入って間もないある日、私が掃除していた男子トイレが急に立ち入り禁止になったらしい。早河さんは嬉しそうにそう告げてきた。立ち入り禁止になれば、彼女は掃除をしなくても済む。
「気にならない?」
「何が?」
早河さんは最近私の近くによく出現する気がする。そして、突然話をきりだす。そんな彼女は嫌いじゃない。
「急に立ち入り禁止になったじゃん。理由知りたくない? それにウワサの真偽も」
正直トイレがどう使われていたかなど、どうでもよかった。彼女の話に相槌を打ちながら、どのタイミングで本音を打ち明けるべきか探る。
「筋肉バカに訊いてみたけど、曖昧にごまかすんだよ?」
筋肉バカというのは担任教師のことだ。筋肉隆々の体を蔑んでいるように聞こえるが、彼女は実に楽しそうに担任教師をそのように呼んでからかう。言われた本人はわざとらしく笑い、軽く注意するだけだ。
早河さんは積極的な性格をもってして、人をすぐに見方に付けることができる。担任とも親しい。それでも理由を教えてくれなかったのだから、彼女は面白くないのだろう。
「立ち入り禁止になった理由は、担任と腹割って話して訊き出すとする。よしこの話を参考にすると、ウワサは正確性に欠けるので実地調査」
眩暈がした。実地調査という単語に引っかかったが、それ以上に「よしこ」の方が問題だ。
「私、由っていう名前……」
「え、ウソ!? だって吉川、よしこって言ってたよ?」
喉まで来ていた溜息を寸前で飲み込む。できれば広まって欲しいないあだ名なのに。
「……できれば由で」
「そ、それじゃあ由。放課後男子トイレ行こう!」
早河さんの声が大きいので、周囲にいた人たちが振り向く。女子同士で男子トイレに行くということを公言した早河さんは、気まずそうに下を向いた。
一週間ほど前まで通っていた外トイレまでの道のりを、私は早河さんと共に歩く。――正しくは連れてかれている。好奇心旺盛な彼女に巻き込まれていた。
何故「私」なのだろう。私と違って早河さんは友だちが多く、この実地調査らしきものに付き合ってくれる人など簡単に集めることができるはずだ。疑うらくは、彼女は腹の内に何か抱えているのではないか。思わず猜疑心を抱いてしまう私はどうしようもなく愚か。心の内で自らを嘲る。
「ドア、開けるよ」
立ち入り禁止になっているトイレは鍵がかかっており、進入できないようになっていると早河さんから聞いてはいたが、肝心の鍵は壊されてドアノブが取れかかっていた。
早河さんの緊迫した声音で私は気持ちを引き締めた。錆び付いているドアは聞き苦しい音を立てゆっくりと開く。
途端、網膜に焼き付けられた光景は。
呆然としてドアを閉めた。口を半開きにしたまま早河さんが私を見る。
「マジだったんだね……あのウワサ」
トイレには洗面所側の壁に背中を預けながら絡みあう男女。こちらには見向きもせず二人の世界に入っていた。ちらつく肌が衝撃的過ぎて五秒も経たないうちにドアを閉めたので、詳細なことは覚えていない。いや、覚えなくてもいい。早河さんが知りたかったのは、本当にトイレでことが行われているかどうかだ。
「う、うん」
ベンチに座り込んでいる早河さんに、もう帰ろうと提案しようとしたが、舌を噛んで不発に終わった。
「痛っ!」
頭に拳が落とされ、目から星が飛ぶ。
早河さんは私に鉄拳を食らわせた長身の人物を見て叫んだ。
「吉川! なんでここに……!」
彼に見下ろされ、胸に眠っていた熱がぐっと迫ってきた。眠っていたわけではない、心の中で燻っていていただけで、風を起こせば簡単に燃え上がる。いつか烈火が起こるのだろうか。その時が来ることを考えてしまい、体を震わせた。
次の更新は七月第一土曜日の予定です。