格下げされていた
「本当にごめんなさい。 私は〈あなた〉に嘘をついて浮気をしていました。 でも、もう二度としないと誓います。 私が愛している人は、〈あなた〉だけなんです」
そして、冒頭に戻る訳なんだが、妻が俺に向かって土下座で謝っている状況だ。
「一月前から、君の様子が変だと思ったから、調査をしてもらっていたんだ。 俺は君のことを信じていたのに、すごく残念だよ」
「うぅ、ごめんなさい。 〈あなた〉が信じてくれていたのに、裏切りと言われても仕方がないことをしてしまいました。 いくらでも謝りますから、二度と浮気はしませんから、どうか許してください。 本当に愛しているのは、〈あなた〉だけなんです」
妻は涙を流しながら、俺に許しを真剣に請うているようだ。
一緒に暮らす中で概ねの性格は分かっているから、妻は本気で言っていると思う。
今は嘘をついてはいない。
浮気をしていると疑ったのは、〈残業と言って帰りが遅くなる〉、〈スマホを肌身離さず持ち歩く〉、〈夜の行為を拒否する〉、と言う典型的な浮気時の行動だったため、妻は隠し事がかなり下手くその方だと思う。
〈夜の行為を拒否する〉以外は、俺を蔑ろにするようなことはなく、以前と同じように接してくれていたのだから、俺を嫌いになった訳じゃないらしい。
浮気相手と熱愛している間は、愛する対象じゃなくなり、俺は気心の知れた同居人へ格下げされていたのだろう。
「それじゃ、ここからは会話を録音するから、正直答えてほしい。 いいかい」
「えっ、録音するのですか」
「そうだよ 。言った言ってないという、トラブルを回避するためだよ」
「うぅ、〈あなた〉がそうしたいなら、従います」
「それじゃ、まず浮気相手の名前とか連絡先を教えてほしい」
「うっ、あの、あちらには赤ちゃんがいますので、言いたくありません。 奥さんに申し訳なくて、そっとしておいてあげたいのです」
はっ、コイツ本気で言っているらしいな。
それならどうして、浮気なんかしたんだよ。
それに、俺が浮気相手の名前を言ったのを聞いてたくせに、まだ白状しないのか。
浮気相手の家庭が壊れても、バラしていないから自分のせいじゃないって、言いたいのだろう。
ほんと、自己の都合しか考えていないな。
「次の質問だけど、これから君はどうするつもりなんだ」
「あの、離婚はしたくありません。 二度と浮気はしませんし、一生あなたに尽くしますので、どうか許してほしいです」
えぇー、浮気相手の名前も言わないで、結婚生活を続けるつもりなのか。
名前を言わないという、夫〈俺〉の不利益となる行動を、何の拘束力も担保もない言葉だけで、補えると思っているのか。
信じられないことを要求してくるな。
浮気相手を、まだ愛していて庇っていると思われても、仕方がないことなんだぞ。
「もう一度聞くけど、浮気相手の名前とか連絡先を教えてほしいんだ」
「さっきも言いましたけど、赤ちゃんがいる家庭を、壊すようなことはしたくないのです。 〈あなた〉もそう思うでしょう。 その分〈あなた〉に尽くしますので、申し訳がないのですが堪えてください」
「君がした浮気が、家庭を壊したとは思わないのか」
「そうだと思います。 私がしたことは最低のことで、心から反省しています。 だからこれ以上、奥さんや赤ちゃんにご迷惑をおかけしたくないのです、分かってください」
「最低なことをしたのに、その責任をとって俺の希望である離婚はどうしてしないんだ」
「うぅ、責任は取りますけど、〈あなた〉を愛しているから、離れたくないのです」
「君は尽くすと言い、責任を取ると言うけど、具体的には何をしてくれるんだ」
「えぇっと、あの、浮気は二度としません。 嘘もつきません。 良い奥さんになって、〈あなた〉に人生を捧げます」
「ふぅん、具体的なことは一つも無いんだな。 それに当たり前と言えば、当たり前のことばかりだ」
「えぇー、そんな。 私の言うことが信じられないのですか」
「はっ、嘘をついて浮気をした女の言うことなんか、信じられはずがないじゃないか」
「でも、私が〈あなた〉を愛しているのは、本当のことです。 これは嘘じゃありません」
一緒に暮らしている夫がいるのに、平気で嘘をつき浮気をしていたんだぞ。
それは愛している男にすることじゃない、どうでも良いと思っている男にすることだ。
〈あなたを愛している〉と言う言葉が、一番の嘘じゃないか。
「君は俺のことを愛していると言うけど、二番目か三番目に愛しているってことだと思うよ。 残念ながら俺が一番じゃないんだ」
「はぁ、そんなこと、あるはすが無いでしょう。 私には〈あなた〉しか愛している人はいませんよ」
「それは昨日、一番愛していた男に捨てられたためだろう、一番がいなくなったから二番目が浮上してきたにすぎない。 また一番に愛する男が出来たら、君にとって俺はまたどうでも良い存在になってしまうんだよ」
「はっ、〈あなた〉は二番じゃありません、一番に決まっています」
「ふーん、それじゃどうして、浮気相手とはしてたくせに、夜の行為を拒絶したんだ。 俺が望んでいるのに、浮気相手の連絡先を教えてくれないんだ」
「…… 」
「答えられないんだな。 君と話しても時間の無駄にしかならない。 離婚届を用意してあるから、名前を書いてハンコを押してくれよ」
「いゃぁー、別れたくないよー、許してよー」
妻が叫ぶように自分の希望を言いやがる。
俺のして欲しいことは全く叶えようとしないのに、自分の希望が叶えられなかったら、大声を出して俺を糾弾するつもりなのか。
涙まで流して、いったい何をしようとしているんだろう。
「はっ、大きな声をだすな。 それじゃ答えてみせろよ」
「うぅ、夜に誘われて断ったのは、申し訳ありませんでした。 断った理由は私にも良く分かりません。 おかしくなっていたんだと思います」
「おかしくなっていたことが、証拠そのものだよ。 浮気相手を一番に愛しているから、夫だけど二番の男には抱かれたくは無かったんだよ。 一番愛している人を裏切ることになるからな」
「…… 」
「はぁ、答えられないなら、早く名前を書いてハンコを押してくれよ」
「うっ、絶対に違う。 おかしくなっていたから、そんなの説明できないよ。 それに前も今も〈あなた〉を一番愛しているわ」
「はぁー、それじゃ、またおかしくなったら、浮気をするってことじゃないか」
「はっ、もうおかしくなったりしないわ」
「君がおかしくなるのは、自分ではコントロール出来ないよ。 異性を好きになるのは理屈じゃなくて感情だからな。 君は恋をしたら、周りが見えなくなるタイプだと思う。積 極性も一途なところも持っていると思うな」
「浮気をしたのは、ほんの出来心なんです。 私は〈あなた〉に一途だったじゃないですか」
「そうなら良かったのだけど、俺はしょせん君の本命じゃなくて、安定を得るための男なんだ。 君は俺のことを確保しつつ、刺激的で燃えるような恋愛をまたしてしまうんだよ。 一番愛している男の部分が空白だから、それを埋めようとするんだと思う」
「はぁー、私のことを私より理解しているように言いますけど、私はそんな尻軽な女じゃありません」
「でも浮気したじゃん」
「一回だけです」
「えぇー、違うよ。 三回はしているだろう」
「回数じゃないです 。相手の人数を言ったのです」
「はっ、もう止めよう。 一人だけなら良いと思っている時点で、ダメだと思うな」
「…… 」
「もう良いだろう。名 前を書いてハンコを押してくれよ」
妻がもう一度土下座をしてきた。
また何かどうでもいい言い訳をしてくるんだろう。
「私にもう一日猶予をください。 〈あなた〉に言われたことを、良く考えてみたいのです。 どうかお願いします」
俺は妻とのやり取りに、思っていた以上の疲労を感じていたので、話し合いを長引かせるのは良くないと分かっていながら、願いを聞いてやることにした。
このまま話していても、埒が明かないとの思いもあったんだ。
妻も一晩寝て冷静に考えたら、俺の言っていることを分かってくれるとの、期待も少しあった。