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第9話 悪魔の子

そんな、ささやかなしあわせが満ちる小さな村に向かう、馬車が一台。キャビンには従者と、一人の青年が乗っていた。夜の闇に、ランプの明かりだけが煌々と光っている。

「あとどのぐらいだ。」

頬杖をつきながら、退屈そうに青年は従者に問う。

「馬を走らせて三日ほどは…。今夜は街に泊まり、明日の早朝に出発されるのはいかがでしょうか。」

「そうするか。…ったく、忌々しい。」

小さく舌打ちをし、青年は夜空に浮かぶ月を眺めていた。


サチが風に攫われた自身の帽子を追いかけていく。白地にピンクの花飾りが付いた彼女のお気に入りの帽子だった。

「…。」

帽子は、見たことのない青年の足元にふわりと落ちる。

「ひろってくださーい!」

サチは次に吹く風を警戒して、青年に声をかけた。青年は帽子を拾い上げて、サチに手渡す。

「どうぞ、お嬢さん。気をつけて。」

「ありがとーございます!」

青年は太陽の光に透ける金髪を惜しみなくさらけ出して、その瞳は鮮やかな碧眼だった。どこか気品が漂うその立ち居振る舞いに、彼がどこぞの貴族だと知れた。

サチは子どもらしい無遠慮な視線を注いでしまう。その視線に気が付いた青年は、ふっと笑って彼女を許す。そして、サチに言う。

「この村の教会に案内していただけないだろうか。」

その笑みは、どこか見たことのある面影を宿していた。


数日の間、教会で供に過ごすようになったルイスとアリスは、森にある私物を取りに出かけていった。薄暗い森は心配だから、と紅夜は蝶々に頼み込み、彼もその用事に同伴している。

「行ってらっしゃい。」

三人を送り出して、紅夜は手を振った。アリスも大きく手を振って応える。

「いってきまーす!」

ルイスも照れくさそうに小さく手を振り、蝶々は紅夜に持たされた弁当の入ったバスケットを下げていた。

「…。」

三人の後ろ姿が見えなくなるまで見送り、紅夜は教会の中へと引き返した。

今日は久しぶりに教会で、紅夜たった一人だ。せっかくだから、大掃除をしてきれいになった教会で三人を迎えようと思う。

清掃用具を準備していると、教会の扉がコンコンとゆっくりノックされた。

「シスター?いるー?」

それはサチの声だった。彼女の言葉に、紅夜は首を傾げながらも何の警戒なく扉を開けた。

「サチ?どうしたの…、」

「あのね、シスターにお客さま。」

紅夜はサチの背後に立つ青年を見て、時を止めた。

「あ!そうだ!」

サチの無邪気な声が響いた。

「お兄ちゃん、シスターに似てるんだ!!」


「久しいな、紅夜。」

サチに礼を言い、教会から送り出して青年は紅夜を見る。その目色に先ほどまでの温かみは滲んでいない。

「…月夜兄さん。」

彼の名前は石蕗 月夜。紅夜の実の兄だった。

「相変わらず、不吉な色の髪と瞳だ。いっそのこと染めたらどうだ。」

月夜はまるで冗談のように、紅夜の容姿を蔑む。

「主の前で姿を偽りたくないので。」

紅夜は目を伏せて、平静を装う。

「お前が神の名を語るだなんて、随分と偉くなったものだな?シスター。」

ふと、村人が月夜の姿を認め遠目で様子を覗っているのがわかる。月夜は小さく舌打ちをして、教会の礼拝堂に踏み込んで扉を閉じた。

「遠慮の無い田舎はこれだから嫌だ。村人がこんななら、お前の生活もたかが知れているな。」

「…皆、心優しい人たちばかりよ。悪く言わない、」

紅夜の言葉を遮って、月夜は教会の長椅子の背を強く蹴った。大きな音が響き、紅夜は一瞬身をすくませる。

「悪魔の子が、俺に指図をするな。」

紅夜の胸の内に、ずしりと鉛のような感情が生まれて佇む。

ー…悪魔の子。


紅夜は幼い頃から家族にそう言われて、蔑ろにされてきた。家の離れにたった一人、幽閉され、生きる喜びがないままに生かされた。その生にはたった一つの理由があった。

「お前なんか、火炙りになってもおかしくないんだ。」

『火炙り』の言葉に、紅夜は肩を震わせる。その様子を月夜は薄ら笑いで見つめ、更に言葉を紡ぐ。

「まあ、何。俺は鬼じゃない。実際に愛しい妹が炎に焼かれるだなんてことは些か不本意だ。」

家柄に傷も付くしな、と本心も添えることを忘れない。

「紅夜。俺と供に来い。父上が、お前を所望している。」

そう言って、月夜は紅夜の手を取った。そしてそのまま彼女を連れて行こうと、扉まで大股で歩んでいく。

「え…、ま、待ってください…っ!」

紅夜は狼狽する。

「いちいち手を煩わすな。さっさとしろ!」

「離して、」

「紅夜!」

月夜が開け放った扉から、小さな影が二人の間に立ち塞がった。

「ルイスさん…。」

紅夜の盾になったのは、ルイスだった。紅夜はへなへなと膝から崩れ落ちる。

「こうやー!!」

アリスが紅夜の元へと駆け取って、彼女を強く抱く。そして、月夜に向かって威嚇するように二人は歯をむき出しにした。

「何だ、こいつら…!」

「あんたこそ、何?」

月夜の背後から、蝶々がいぶかしげに睨みながら立った。

「紅夜に何か用?ていうか、誰。」

長身の蝶々に見下ろされ、月夜は気分を害したようだった。「俺は、紅夜の兄だ。家族の問題に関係ないヤツは引っ込んでいてくれないか。」

そうなの?と蝶々は、視線で紅夜に確認を取る。

「は…、はい。兄の月夜です。」

戸惑いがちに頷く紅夜を見て、蝶々はふむと呟く。

「紅夜のお兄さん。ぱっと見、人さらいと一緒ですよ。紛らわしい真似はお控えください。」

蝶々に不敵に微笑まれて、月夜の頭にカッと血が上る。

「人さらいだと!?ふざけるな、侮辱だ。撤回しろ!俺だって、こんな悪魔なんかに用はなかったのに…、」

月夜の口が、蝶々の大きな手のひらで塞がれる。

「どうか口を慎んでください。」

蝶々の金色の瞳が鈍く光った。それはまるで、獲物を見つけた獣の目だった。

「…噛み殺すよ?」

「チッ…!」

月夜は蝶々の手を払いのけて、距離を取った。

「紅夜!明日、また来る。それまでに、この無礼者たちを飼い慣らしておけ!」

そう言い捨て、月夜は村の外に止めた馬車に戻っていったのだった。

「…。」

蝶々とルイスが月夜の姿が見えなくなるまで睨む中、アリスは紅夜をずっと抱きしめていた。

「こうや、大丈夫?」

「…うん。ありがとう。」

小さな体に子ども特有の高い体温を宿し、アリスの少し早めの心臓の鼓動が紅夜の気を落ち着かせた。

「あの…、皆さんはどうして…。森に向かったはずでは?」

紅夜の問いに蝶々が答える。

「ああ、忘れ物をして引き返してきたんだ。」

「忘れ物…。そうですか。」

そういえば、居間のテーブルの上に蝶々のコンパスが忘れてあった。今、ひたすらにコンパスに感謝する。

「お見苦しいところを、見せちゃいましたね。」

「無理に笑わなくて良いよ、紅夜。」

尚も紅夜を抱きしめるアリスに習い、ルイスもそっと抱きしめてくれた。

「笑って、自分を誤魔化そうとしているのかも知れないけど、それって多分逆効果だから。」

「ルイスの言うとおりだな。」

ふと小さな溜息を吐き、蝶々が三人の元へと近づいた。

「お茶にしよう。まずは落ち着いて話を聞かせてくれないかな、紅夜。」

心配そうにこちらを見つめる村人たちに礼を言い、蝶々は三人を伴って教会の居住区へと戻っていった。


蝶々とアリスがお茶を用意している間、ルイスと紅夜は居間のソファに腰掛けていた。

「…。」

ルイスはしきりに窓の外を警戒し、月夜がまたすぐにでも戻ってくるのを警戒しているようだった。恐らく蝶々に頼まれたのだろうと思う。

「…ルイスさん。」

「何だよ。」

「さっきは、ありがとうございました。」

紅夜が頭を下げると、ルイスはちらりとこちらを見る。

「格好良かったです。嬉しかった。」

顔を上げ、今度は心から微笑んで見せるとルイスは照れくさそうに唇を尖らせた。

「別に…。」

「本当、かっこよかったよな?アリス。」

ティーセットをお盆に載せてやってきた蝶々が、お菓子を手にしたアリスに問う。

「うん!」

誇らしげに頷くアリスは、テーブルの上に持っていたお菓子を置くとルイスに抱きついた。

「ルイス、王子さまみたいだった!」

「あー、もう!僕のことはいいから!!それより、紅夜のことを気にしろよ!」

はあい、と返事をしてアリスはルイスから離れ、紅夜の隣に座った。その間にお茶を人数分淹れた蝶々は、各々にティーカップを配る。

「ありがとうございます。」

カップを受け取った紅夜は一口、お茶を口に含んだ。それは紅夜が好んで飲んでいたハーブティーだった。

「美味しい…。」

優しく甘い、芳醇な香りに紅夜はほっと一息吐く。

「良かった。ルイスとアリス、砂糖は?」

蝶々に角砂糖をもらい、二人もお茶を飲んだ。

「…何から、話せば良いのかしら。」

紅夜は戸惑いがちに、口を開く。

「まず…、そうね。先ほど、揉めていた男性は私の兄。名前は月夜と言います。彼は私を実家に戻そうとして、この村までやってきたみたいです。」

「いきなりだね。」

蝶々もお茶を飲み、呟く。

「ええ。…きっと、姉の体調が優れないのだと思います。」

紅夜は三人兄妹で、一番下の妹だという。

姉の名前は、白夜。

白夜は美しく聡明で、誰からも愛される人物だった。ただ体が弱い、虚弱体質を除けば完璧な姉だ。

「おねえさん、病気なの?でも、それで何故、こうやを連れて行っちゃうの?」

アリスの疑問は皆のものとして、頭にクエスチョンマーク浮かぶ。

「私の血を必要としているのでしょう。」

紅夜は自分の左腕をそっと押さえる。そこに存在する傷痕は、過去に血液を採取するために付けられたものだった。

「血を…?」

蝶々がいぶかしげに紅夜を見る。紅夜は頷いて、言葉を紡ぐ。

「血を、魔術に使うんです。」


紅夜が生まれた石蕗家は爵位のある名家だった。

一族総じて金髪と碧眼が目立つ麗しい容姿の家系だと、紅夜を蔑むためにかけられた言葉で知った。


ー…黒髪に赤目だなんて、まるで魔女のようだ。

ー…仕方が無い。あの子は悪魔の子なのだから。


ー…せめて、その生を姉のために使えれば良い。


紅夜は石蕗家の屋敷の離れに隔離され、外に出ることを禁じられていた。退屈な時間を、たまに与えられる古い書物で紛らわしていた。何度も何度も読み返した物語を、再び読もうとしたときだった。

『!』

不意に、本邸の中庭から笑い声が聞こえ、紅夜は窓から中庭を覗いてみた。

そこには父親と剣の稽古をする月夜と、母親と刺繍をする白夜の姿があったと言う。それはまるで、理想の家族の完全体のようだった。

紅夜は羨ましく、そして寂しくその様子を眺めていた。

『私も、こんな髪の毛の色じゃなければよかったのかな…。』

紅夜がぽとんとインクが滲むように呟いても、誰も聞いてくれる者はいなかった。

ある日のこと。木陰でもはっきりわかるほど白夜の顔色が悪くなり、母親が紅夜の元へと訪れた。束の間の来訪が嬉しくて、紅夜は無邪気に喜んでしまった。

『ついていらっしゃい。』

母親は無表情にそんな紅夜の手を引いて、家の敷地内にある教会の地下にある供物堂へと向かった。

かつん、かつん、と石の階段を下る中、暗闇に母親の持つろうそくの明かりだけが頼りで紅夜は彼女の服の裾をぎゅっと握り締めていた。

供物堂の中は湿気が高く、鉄が錆びたような匂いが充満していた。

『紅夜、よく来たね。』

先に到着していた父親が両手を広げて、紅夜を招く。紅夜が父親の元へと行くと、白夜にしていたように抱き上げてくれた。紅夜はやっぱり嬉しくて、彼をぎゅっと抱きしめる。

いい子だ、と囁かれながら、紅夜は臙脂色のクロスがかけられた祭壇へとおろされた。

父親は、紅夜の左腕に刃物を添える。

これから何が起こるのかを理解していない紅夜は、きょとんと目を丸くしていた。

『紅夜。今日からお前は、神の供物として血液を捧げるのだ。』

『白夜のためよ。光栄に思いなさい。』

両親の言葉を最後まで聞き終えた瞬間、刃物が紅夜の柔い肌の上を滑った。熱い高温が線になって引かれたようだと、紅夜は思った。

痛みと痺れが、紅い血液を伴って溢れ出す。その刺激に涙が零れるが、誰も慰めてなどしてくれなかった。

その日を境に、月に一度。両親は紅夜の左腕を傷つけて、血液を採取するようになったのだ。

『痛いよぉ…っ、』

傷つけられた日の夜は、その痛みにしくしくと泣いて過ごした。とても眠気など訪れなかった。

いっそ、眠ってしまえれば。気を失ってしまえば、こんな激痛を感じる目に合わないのに。


夢の中では、紅夜は家族の一員になれた。その幸福感を噛みしめた瞬間に目が覚めるから、絶望感が増した。

数年が経ち、紅夜が15歳の誕生日を迎えた日の朝のこと。両親が、紅夜が過ごす離れにやってきた。今日は儀式の周期では無いのに、と不思議に思いつつ迎え入れる。

『お前は神のお嫁さんになりなさい。』

『あなたにとって、一番のしあわせよ。良かったわね。』

あれよあれよと言われるままに、紅夜はこの屋敷を出る支度をさせられた。

どうやら自分は、家を出されて神職につくらしい。

見習いとして、遠方の修道院に送られると聞き、紅夜の中に不思議な虚無感があった。

『…お前が紅夜か。』

両親が馬車の手配に紅夜から離れたその僅かな時間、初めて兄の月夜に話しかけられた。

『…。』

紅夜が黙って頷くと、月夜は無遠慮な視線を彼女に投げかけた。

『父上が言っていたとおり、薄気味悪いヤツだな。なあ、知ってるか。各地で魔女狩りが行われていること。』

『…? いいえ。』

月夜はクスクスと嘲笑する。

『父上と母上は、お前が火炙りにされないように出家という配慮をしてくださったんだ。感謝しろよ。』

この家から魔女裁判を受ける者が出るだなんて不名誉だからな、と月夜は言葉を紡ぐ。

『お前が悪魔の子って呼ばれる由縁を教えてやるよ。』


紅夜から自身の過去を聞かされて、蝶々たちは言葉を失った。

「そんなのひどいよ…っ。」

過去の紅夜を思い、アリスはほろほろと涙を零す。

「家族なのに、どうして痛いことするの。紅夜がかわいそう。」

「ありがとう、アリスさん。」

そう言って、紅夜はアリスの肩を抱いた。

「でもね、家族だから私を必要としてくれたんじゃないかって思うの。」

胸がちくりと針で刺されたように痛む中、その想いだけが紅夜を今まで支えてくれていた。

黙って聞いていたルイスが立ち上がる。

「…僕、月夜が来ないように外で見張ってる。」

「私も行く!」

そう言って、ルイスとアリスはばたばたと外へと駆けていった。

双子を見送って、紅夜と蝶々は二人残された。空いた紅夜の隣に、蝶々は腰掛ける。大人二人分の体重で、古いソファは小さく軋んだ。

「二人で話すの、何だか久しいね。紅夜?」

「…。」

蝶々の優しい声色が、紅夜の鼓膜に柔く響く。ずっと堪えていた涙が目の奥から熱くこみ上げて、鼻がツンと痛くなった。

「…私は、本当は…神職についてはいけないんです。」

「それは、何故?」

穢れているから、と紅夜は呟く。

「過去の話には、続きがあるんです。」


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