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第4話 かわいい子ども

ささやかな朝食を食べながら、蝶々は自分のことをぽつぽつと話してくれた。

「祖父が狼でした。継いだ母はさほど狼の血は引き継がなかったんですが…、俺は隔世遺伝で狼の血を色濃く引き継いだんです。」

「そうだったんですね。スープのおかわりは?」

いただきます、と素直に頷く蝶々に紅夜は器にスープを注ぎ、手渡す。

「ありがとうございます。…どこまで、話しましたっけ。ええと…、ああ。そうだ、隔世遺伝。」

次に出る言葉を待っていると、蝶々は言い淀みしばしの沈黙の間が降りる。紅夜は急かすことなく、お茶を飲んで待つことにした。

「…あの、せっかくの食事がまずくなる話をしてもいいですか。」

「どうぞ。」

紅夜が、にこ、と微笑んでみせると、蝶々は幾分か安心したように小さな息を吐いた。

「神職の方は聞き上手ですね。じゃあ…。続き、なんですけど。祖父が狼だということは、母の世代では周知されることはなかったんですが、俺が狼の耳と尻尾を持って生まれてしまい血筋がバレてしまったんです。」

「可愛かったでしょうね。」

紅夜は生まれたばかりの蝶々を想像して、微笑ましい気持ちになる。蝶々は紅夜の感想に心底驚いたかのように目を丸くした。

「…本当に、そう思いますか?」

「? ええ。大きな耳に、ふさふさの尻尾なんて可愛らしいじゃないですか。」

「…。」

蝶々の金色の瞳から、一粒の涙が零れた。真珠のように丸くて、きらりと光を反射させて涙は頬を伝って顎から落ちた。

「大丈夫ですか?今、ティッシュを…、」

席を立ちかけた紅夜の手を蝶々は握って止めた。

「すみません、大丈夫です。大丈夫だから…そのまま聞いてください。」

「…はい。」

紅夜がおずおずと椅子に座り直しても、不安なのか蝶々は手を放してくれなかった。

「周囲の人たちが、紅夜みたいな人ばかりだったらどんなに良かっただろう。」

「…。」

「…母親は、俺を産み落としてすぐに死にました。俺を生んだから、殺されました。」

狼は悪魔の手先、邪悪でずる賢い生き物とされる風潮はあった。紅夜だって、ルー・ガルーの噂を聞いたときは恐怖を感じた。だけれど単なるおとぎ話ではなく実際に蝶々に出会い、話をすることによって印象は変わった。

「呪われた子。悪魔の子。俺を生んだ母は魔女に違いないと、そう言われて火あぶりにされたそうです。」

「そのお話は、誰が?」

「父です。父は俺を連れて逃げてくれた。そして、真実を隠さずに教えてくれたんです。」


ー…お前は自らの正体を隠して、生きていくことになる。中途半端な存在のお前は人にも、狼にも愛されることはないだろう。


父親は学者だった。

森の中で食べられる植物、火の起こし方。人に会ったときの処世術。安全な水の飲み方など生きる術を教えてくれた。純銀の弾丸をくれたのも父だ。


ー…人を傷つけたら、死になさい。そのときはお父さんも一緒に死んでやるから。


そう言ってくれた父も二年前に死んだ。以来、ずっと蝶々は一人だったと紅夜に話してくれた。

「話してくださり、ありがとうございました。…つらかったですね。」

ぎゅっと強弱をつけて、その荒れた気持ちを落ち着かせるように紅夜は蝶々の手を握った。

「紅夜にはもう、俺の正体を知られているから。だから…、話したんです。本当に、すみませんでした。」

改めて、蝶々は深く頭を下げる。紅夜は謝罪を受け取ったという意味で、その頭を優しく撫でた。

「大丈夫です。さして、私にあなたは害を与えていない。だから…どうか、あなたを殺せと言わないでください。」

お返しします、と銃弾のネックレスを蝶々の手に握らせた。「…すみません。」

「もう謝らないでください。この話は終わりにしましょう。」

「…はい…、あの。食事を終えたら、俺は出て行きます。ありがとうございました。」

蝶々の言葉に紅夜は、うーん、と首を捻る。

「行く宛はあるのですか?」

「いいえ?宛も、伝も、何もありません。ただ流れるだけです。」

一息吐いたかのようにふと呼気を漏らし、目を伏せて蝶々は笑う。

なんて。なんて哀しい、生き物なのだろうと思う。ルー・ガルー…、狼男は。

だからだろうか、紅夜は自然と言葉を紡いでいた。

「ここで一緒に暮らしませんか?」

蝶々は顔を上げる。

「部屋に空きはありますし、教会でのお手伝いをしてくれる方を探していたんです。」

「いや、でも。」

紅夜が胸を張って答えても、蝶々はまだ躊躇しているようだった。

「大丈夫です。私の親戚だと村人に説明すれば、納得してくれます。実はそれぐらいの信頼は村人と築けているんですよ?」

「…ははっ。それは、頼もしいです。」

蝶々は笑う。その瞳に涙がにじんでいたのは、気付かないふりをした。

「…何でもします。よろしく、お願いします。」

そう言って、蝶々は再び頭を下げるのだった。


紅夜は教会の前の庭で子どもたちと戯れる蝶々を見守っていた。

最初こそ、互いにどう接すればいいかわからずに遠目で観察しているだけだったが、いつの間にか蝶々と子どもたちは歩み寄って遊ぶようになっていた。

「蝶ちゃーん、テントウ虫を見つけたよ!」

「本当だ。七星テントウだね。」

子どもたちの頭を撫でる蝶々は穏やかで、やわらかく笑む。蝶々の大きな手のひらは子ども心にも気持ちが良いのだろう。撫でられた子どもは照れくさそうに笑っていた。

特に蝶々に懐いたのは、サチという女の子だ。サチは長身の蝶々の足にしがみつくようにしてじゃれる。

「蝶ちゃん、蝶ちゃん。」

「何、サチ。」

蝶々が猫背になってサチの顔を覗き込むと、彼女は嬉しそうに頬を赤くしてはにかむのだ。

「どんぐり、あげるね。一等良いやつだよ。」

「へえ。見せて。」

もらったどんぐりを蝶々は眩しそうに太陽にかざしてまじまじと見る。そして大きく頷いた。

「丸々としていて、色つやもよくて、とても良いどんぐりだね。ありがとう。」

「うん!」

蝶々は思いがけず褒め上手だった。どんぐりを褒められたサチはそれを見つけ、人に与えたという誇りに満ちた表情になる。

相手が大人だろうと、子どもだろうと関係なく賛辞の言葉を惜しまない。紅夜の父親から教わった処世術かはわからないが、それは人とのコミュニケショーンを円滑にする潤滑油だった。

「こんにちは、シスター。蝶々さんも。これ、家の庭で採れたビワなんだけど、よかったら食べて。」

最初こそ困惑と驚愕が入り交じった表情をした者も、今では村人は蝶々が紅夜の親戚という言葉を信じ、受け入れてくれた。

「ありがとうございます。いつもすみません。」

紅夜は受け取ったビワを一つ手に取り、口に運ぶ。さく、と果肉が割れ、あっさりとした甘みが口に広がる。

「紅夜、俺にも。」

「サチも食べたい!」

サチを肩車した蝶々が、紅夜の元へと来る。紅夜は皮をむいて、ビワを二人に差し出した。

「ありがとー、シスター!」

「はい、どうぞ。ええと、紅夜にも。」

「ん。」

サチが後ろに落ちないように足を支えているために、蝶々は両手が使えない。紅夜の手から蝶々は直接、親鳥から給餌された小鳥のようにビワを食む。

「美味しい。」

「でしょう。」

紅夜が指に残った果汁を舐める。その様子を見ていた村の女性は、ふふふ。と意味ありげに笑った。

「? 何か?」

「あ、ごめんなさいねえ。何か、新婚さんみたいだと思って。」

仲が良いのね、と言葉を紡がれ、紅夜は無性に恥ずかしくなって顔を伏せた。ちらりと蝶々を横目に見ると、彼は意味がよく理解できていないのか小首を傾げていた。


夜のお祈りを終えて、自由時間という余暇。

蝶々はよく祭壇のある教会で聖書を読んでいた。蝶々が教会や、神に恐怖を抱かないのは幼いころからの父親による教育の賜物だ。

蝶々曰く、信心深い父から聖書の内容はよく聞いていたが聖書自体には縁が無かったという。その話を聞いて紅夜が、自分の使い古した聖書で良ければ、と蝶々に与えたのだ。

「蝶々さん。飽きませんか?」

ぎ、と重い扉を開けて、教会の蝶々に声をかける。

「…。」

返事はなく、どうやらよっぽど読むことに熱中しているらしい。紅夜は苦笑して、町長が座る長椅子の反対側に腰掛ける。気が付くまで待ってみようかとも思ったが、止めなければ一晩中、聖書を読んでいるだろう。

「蝶々さん?…蝶々さん。」

「…。」

「蝶々。」

呼び捨てたのは、ちょっとしたいたずらのつもりだった。どうせ気が付かないだろうと、高をくくっていたのに。

蝶々は、紅夜が呼び捨てをした名前に反応した。

「…え?」

「…!」

蝶々の金色の瞳が、紅夜を捉える。邪気の無い視線が絡み合い、紅夜は言葉を失った。

「紅夜。いたのか。」

ぱた、と聖書を閉じて、蝶々は紅夜と向き直る。

「何か用?」

「え?…いいえ、用ってほどじゃないよ。ただ、熱心に聖書を読んでいるなって思って。」

邪魔してごめん、と言葉を結ぶ。

「全然、邪魔じゃないよ。こっちこそごめん。気付かなくて。」

「ううん。聖書はおもしろい?」

蝶々は愛しそうに、聖書の表紙をなでた。

「興味深いよ。」

「そう。よかった。」

二人はしばらく、祭壇に掲げられている十字架を見つめていた。窓には前には引かなかったカーテンが掛かっている。月光を遮るためだ。

蝶々は月光、特に満月の光にはあらがえないという。二人が出会った日も、満月だった。

「…紅夜。」

「何?」

「俺が渡した弾丸は、持っている。」

紅夜と暮らしを供にすることを決めた日、蝶々は紅夜の手のひらに再び純銀の弾丸のネックレスを握らせた。

「うん。ここにあるよ。」

紅夜は自らの胸元を押さえるようにして答える。

「見せて。確認させて。」

「いいよ。」

ローブの留め具を外そうとすると、蝶々の手が遮った。

「俺が。」

蝶々は長い指を使って、ローブの胸元を見るために留め具を一つずつ外していく。まるで焦らされているように、ゆっくりとした手つきだった。

「…っ、」

やがて露わにされる紅夜の胸元。わずかに覗いた肌の上に、弾丸はあった。ちり、と金属のチェーンがこすれ合う音が響く。蝶々が弾丸に触れた。

「…うん。ちゃんとあるね。いい?紅夜、これは肌身離さずに持っていて。」

そう言うと、蝶々は弾丸に口付ける。蝶々が鼻の先、すぐそばにいる。

約束したのだ。

村人を襲うことがあれば、今度こそ殺してくれ、と。

紅夜は重荷になるとおもったので口にはしなかったが、そのときは自らも死のうと思った。


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