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第3話 純銀の弾丸

「…。」

紅夜は蝶々の髪の毛を撫でるように梳いてみる。毛質は固くて、一本一本が太い。茶色に染めているという髪の毛の生え際は、銀色に輝いていた。

蝶々の肩が震える。彼は一糸まとわぬ姿だったので寒かろうと思った。紅夜は手を伸ばして祭壇を彩っていたテーブルクロスを引っ張り、蝶々の肌を覆うようにかけてやる。

「…、ん、ぅ。」

その刺激を受けて蝶々は唸るように声を絞り出した。

「蝶々さん、あの…。」

「…。」

ぼんやりとした金色の瞳の焦点が、徐々に紅夜の姿に合う。しばらく互いに無言で見つめ合っていると、蝶々が紅夜の膝から上半身を起こした。あらわになる筋肉に紅夜は頬を染めて、目をそらす。

「紅夜。」

蝶々が紅夜の手を取って、目を合わせるように首を傾げた。そして、言葉を紡ぐ。

「銃は持ってる?」

「護身用のものなら…、何故?」

問いの答えに頷いた蝶々は、自らの首にかかっているネックレスを軽やかな音を立て外して紅夜の手に握らせる。

「?」

「純銀の弾丸だ。これで、俺を撃ち殺せ。」

ネックレスのトップには鈍く銀に光る、弾丸があった。

「頭部は初心者には狙いにくいから、心臓。胴体を狙え。」

ここだよ、と蝶々は紅夜の手を緩く取り、自らの胸に押し当てた。手のひらからは規則正しい、穏やかな心臓の鼓動が伝わってくる。

「…温かい…。」


「シスター?朝のお祈りの時間ですが?」


不意に二人だけの空間を裂いたのは、村人の声だった。時間になっても教会の扉に鍵が掛かっていて、不審に思ったのだろう。

「あ…、」

「役所に差し出すのも良い。きっと残酷に殺してくれる。」

蝶々は立ち上がり、声を張ろうと息を吸い込んだ。紅夜は何も考えずに行動に出ていた。

「ここに、ぐ…っ、」

蝶々の口元を手のひらで覆い、声を遮る。代わりに紅夜が大きな声で村人に応えた。

「すみません!すぐに開けるので、お待ちください!」

「ああ、よかった。いらっしゃるのですね。失礼しました、待ってます。」

紅夜の声を聞いて村人が安心したように返事をした。紅夜はすかさず立ち上がる。

「蝶々さん、こちらへ。」

紅夜は蝶々の手を引いて、居住区まで駆けていく。そして浴室まで来ると、蝶々の背中を押した。

「いいですか、蝶々さん。浴室なら鍵がかけられる。私が帰ってきて、浴室の扉を三回ノックするまで開けてはダメですよ。」

「…。」

蝶々は目を丸くしていた。

「返事!」

「…はい。」


「シスターがお寝坊だなんて、珍しいですね。」

村のご婦人方が朗らかに笑いながら、紅夜の姿を認めて話しかける。

「おはようございます。すみません、昨日は少し夜更かしをしてしまって。」

「あら。そうなの?うふふ、シスターにもそんなところがあって安心したわ。」

紅夜は黒いローブの上、胸に光る十字架のネックレスを触れるようにして首を傾げて見せた。

「私も人間ですから、だらしのないところはありますよ。でも、夜更かしはほどほどにしないといけませんね。」

「シスター、銀色の毛が付いてるよ?」

ご婦人についてきた子どもに指摘されて、紅夜は内心で焦る。

「…昨日、傷ついた犬を拾いまして。その子の毛かな?」

「犬がいるの!?見たい、見たい!」

「怪我が治ったら、ね。」

ええー、と唇を尖らせる子どもの頭を撫でる。ご婦人も苦笑した。

「こら、シスターを困らせないのよ。」

村人との世間話を切り上げて、紅夜はいない神父の代わりに祭壇に立つ。そしていつも通り、聖書を開くのだった。


女の子がパイプオルガンで奏でる賛美歌の旋律が教会に響き渡り、朝のお祈りを終える。

最後の村人を見送ってから、紅夜は踵を返して居住区の浴室へと急ぎ戻った。


昨夜のことは村人たちには勘付かれていない。大丈夫、誰も彼のことをまだ気付いていないはずだ。

彼ー…、蝶々は寂しい瞳をした男だと思う。最初は感情すら感じられないと思っていたが、どうやらその感情を蝶々は殺していることに気が付いたのだ。

理解してしまえば、途端に瞳の色の変化に敏感になってしまう。紅夜には聡いところがあり、そういう長所が村人に若くして認められた理由だろう。


「…。」

浴室の扉の前に立った紅夜は、ふう、と一回小さな溜息を吐くようにして自らの気持ちを落ち着ける。そしてノックを三回、蝶々に入室の許可を求めた。

「蝶々さん?私です、紅夜です。扉を開けていただけますか。」

紅夜の静かな声に比例するように、扉がゆっくりと開く。あれほど念を押したのに、蝶々は鍵をかけなかったらしい

「ただいま、戻りました。」

「…。」

蝶々は困ったように、所在なさげに突っ立っていた。

「…おかえり。紅夜。」

しばらくの間を超えて、そう呟くのだった。蝶々の声を聞いて、紅夜は何も無かったかのように笑む。

「蝶々さん、お腹が空きませんか。朝食にしましょう。」

そう言って昨夜のように蝶々の手を引こうとして、今度こそ本当に拒絶された。引こうとした手が背中の後ろに隠されてしまう。

「ダメですよ。忘れたわけではないでしょう。」

「何をですか?」

「昨夜のことですよ。」

紅夜は昨夜の蝶々の姿を思い出す。

「怖いでしょう?俺のことが。」

いつの間にか距離を詰められて、紅夜の背中に扉が当たる。背の高い蝶々に追い詰められて、紅夜は隠されるようだった。

「…っ、」

「さっき銃弾を渡しましたよね。銃は持ってきたんですか?」

紅夜が無言で首を横に振ると、蝶々は大げさに溜息を吐いて見せた。

「ちゃんと殺さないと…、ダメですよ?」

蝶々は紅夜の顎に手を添えて、顔を上げると困惑する紅夜に荒々しい口付けをした。

「ぅ…、っ、」

唇を噛まれ、歯列をなぞられて驚いた刹那に口腔内に蝶々の侵入を許してしまう。

「ん…っ、んンぅ…!」

呼吸を飲み込むような激しさを以て、口の柔肌が蕩け合うようにして互いの唾液が混ざり合っていく。

脳が酸素を求めて苦しさから紅夜の目尻に涙が浮かび、蝶々の胸を拳で叩いて抗議するも彼が絶対に放してくれなかった。やがて紅夜は腰が砕けて、ずるずると背中に感じる扉に添って膝を折ってしまう。ようやっと解放されたとき、紅夜はもう息も絶え絶えだった。

紅夜はとろりと溶けたように蝶々を見上げる。

「ほらね?殺さないと、悪い狼男。…あなた方の言う、ルー・ガルーに頭の上から、足の爪先まで喰われてしまいますよ。」

「蝶々さんは…、ルー・ガルーなんですか?」

「…そこからですか。」

座り込む紅夜と目を合わすように、蝶々も膝を折った。

「いいですか、紅夜。あなた、俺が狼から人間に戻ったところを見ましたよね。」

「はい。」

紅夜はこくりと頷く。

「その狼に、喰われかけたんですよ。」

「…甘噛みは、されました…けど。」

「甘噛みだろうと何だろうと、あなたを襲ったのは間違いない。ならば、あなたは俺を恐れ、殺さなければならない。他に被害が及ぶ前に。」

蝶々の表情が歪んでいた。その顔は自らを嫌悪し、罰してほしいと言っているようだった。

「蝶々さん…、」

「殺す気になれましたか。」

「いいえ。」

紅夜は凜とした態度で、首を横に振る。

「何故…っ、」

「私は神に仕えるシスターです。罪を許すのが、仕事なんです。」

「…!」

紅夜は蝶々に手を伸ばして、抱きしめた。

「襲われるのは確かに困りますけど、でも、私はそんな顔をするあなたを罰することができない。」

生まれてきたことを罪に思い、生きていることを害とみなし、死することを良しとする。そんな生き方をしてほしくないのだ。

蝶々の背中が、大きく震える。

「…バカですか。」

「ひどいな。まあ…、でも。今はそれでいいです。」

そんなことよりも、と紅夜は言葉を紡ぐ。

「朝食にしましょうよ。私、お腹が空きました。」

笑い声を含みながら提案すると、蝶々は苦笑するようにやっと笑った。

「俺も、腹が減っています。」

蝶々が先に立ち上がり、今度は彼から手を差し伸べてくれた。


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