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『第18話 猫殺し』/4・いらだつ夜

「何だってんだ! こんちきしょう!」

 ジャグレイの叫びと共に、分厚い参考書が窓を壊して外に投げ出された。

「なんで落ちるんだよ。今回は合格点のはずだぞ!」

 先ほど届いた薬草師の試験結果。今回も不合格。なまじ自己採点では合格点に届いていただけに彼の荒れ方は激しかった。

 わめき散らす彼に、両親も使用人も近づかないようにして別の部屋でじっとしている。この時の彼には何を言っても無駄だとよくわかっている。へたに刺激を与えず落ちつくのをじっと待つ。

 そこへちょうど玄関から来客を知らせる鐘が鳴った。やるべき事が出来たと両親と使用人が先を争うように駆けていく。

「ダーダ薬草園ですぅ。ご依頼の薬茶をお持ちしましたぁ」

 扉を開けると、糸のような細い目をして全身から脱力を促すようなオーラを纏った女性が立っていた。

「騒がしくてごめんなさいね」

 薬茶を入れた紙袋を受け取り、代金を払った母親に対し

「賑やかですねぇ。パーティですかぁ」

 場違いにもほどがある返事をするこの女性。ホワン・フワ・フーワである。

「それならば良かったんですけれど」

 早く出て行って欲しいとばかりにホワンを静かに家からだそうとしていると、かきむしったかのように髪と服を乱したジャグレイが階段を下りてきた。

 挨拶のつもりで軽く会釈したホワンを見たジャグレイの顔が引きつった。

「何をしに来た?! 俺を笑いに来たのか」

 突然睨み付けられ、ホワンは訳がわからずきょとんとした。自分のことですかとばかりに自分を指さすと

「そうだ。お前のことだ。ホワン・フワ・フーワ!」

 手にしていた分厚い参考書を彼女に投げつける。幸いにも彼女には当たらなかったが、玄関脇の花を生けた花瓶に命中、床に落ちて砕け散った花瓶の水が床を濡らす。

「ジャグレイ、何をするのです?!」

 母の制止も聞かず、彼はホワンを睨み付けながら階段を駆け下りてくる。母が慌ててホワンを外に出そうとすると、今度は彼女もその意図を理解して外に逃げ出した。

「待て!」

 母を突き飛ばし外に出たジャグレイは、正門に向かって走っていくホワンの姿を見た。お世辞にも早いとは言えない足で懸命に敷地を走っている。

 怒りの形相で彼は走り出し、ちょうど正門を出たところで彼女に追いついた。

「こいつ!」

 捕まえようとするジャグレイの腕を、横から太い別の腕が捕まえる。見ると衛士隊第3隊のギガ・バーン・イントルスの姿があった。

「ホワンに何をする」

「ギガちゃん?!」

 第3隊の衛士である頼れる幼なじみの登場に、ただでさえ力の抜けた彼女の顔がさらに安堵した。

「何があった?」

「わからないのぉ。わたしはただ注文の薬茶を届けただけだよぉ」

 イントルスの背中に隠れながら「どうして?」と言いたげにジャグレイを見る。同じようにイントルスも厳しい目を向けてくる。力神ゴーディスの信者でもあるイントルスの体は大きくがっしりとして、握られたメイスと合わせて威圧感も半端ではない。

 ジャグレイは彼を目の前にするだけでたじろぎ、後ずさる。

「衛士様、どうかお許しください」ジャグレイの母が慌てて駆けつけた「息子は試験に落ちて気が立っているだけでございます。決してその人が憎いわけではございません」

 イントルスが「その通りか」と言いたげにジャグレイを見ると、彼は忌々しそうに舌打ちをして屋敷へと戻って行く。

 これ以上追求する必要はないと判断したイントルスは、ホワンを連れて屋敷から離れていく。そこへルーラとクインが駆けつけてきた。

「どうしたんですか? いきなり見張り部屋飛びだして」

「わからん。ホワンが奴に追われて逃げ出してきただけだ」

「何があったの?」

 何度聞かれても、ホワンにとっては「わかんない」としか答えようがない。

「これにかこつけてあいつ逮捕しようか?」

「あの程度では無理だ。必要以上の追求は却って警戒させるだけだ」

 話している間も、ホワンはずっとイントルスの制服の裾を握ったままだ。それに気がついたクインは

「見張りは私たちで続けるから、イントルスはホワンさんを送っていって。落ち着いたら事情も聞いて」

「いや、薬草園までならホワン1人で」

「送って行きなさい。この唐変木。夜道を女性1人で歩かせる気?!」

 怒りのオーラを携えながら微笑むクインに、さすがにイントルスも「わかった」と彼女と並んで歩き出すと、ホワンは嬉しそうに彼の腕にしがみついた。

「慣れた道だろう。怖がることはない」

 しがみつくホワンに呆れた顔を向けるイントルスにクインも呆れ

「まったく。あそこまで鈍いとわざとやっているんじゃないかって思うわよ」

 改めてジャグレイと屋敷を見上げるルーラとクイン。月明かりの中、窓の庇を渡っていくアバターの姿が見えた。


「くそ。あの女。衛士隊と繋がっていたのか」

 ジャグレイは苛立ち、分厚い参考書をベッドに叩きつけた。ホワンは彼を知らなかったが、彼は彼女をよく知っている。10年以上も前、薬草師の試験会場でたまたま彼女の隣の席になった。糸目のように目が細く、緩んだ表情。軽く開いた口、当時のホワンは今以上に周知に脱力させる顔をしていた。ましてや当時、女性の受験者は今よりずっと少なかった。

(何だこの女は? これが試験に挑むものの顔か?! 試験を侮っているのか? いやいや、それとも試験の空気を知るため、不合格を承知で受けるという奴か)

 ジャグレイもそれ以上のことは感じず。試験開始まで少しでも知識を頭に入れようとボロボロになった参考書を開いた。

 その時の試験は、ただでさえ難関と言われる薬草師資格試験の中でも特に難しいと言われ「今回は合格者無しじゃないか」と関係者たちで噂になっていたらしい。実際、ジャグレイも問題を前にどう答えて良いのかわからなかった。何となく答えはわかる気がするのだが、いざペンを手にそれを文章にしようとすると、どう書いたら良いかわからない。単純に記憶力が頼りの問題は何とか埋めても、そこから先がわからない。

 焦るばかりの中、彼の耳に滑るような心地よいリズムが隣から聞こえてくる。へたに視線をずらすと疑われる。彼はそっと視線を向け驚いた。

 細く糸のようなホワンの目が見開き、黒飴のような瞳が試験用紙に向けられ、休むことなく用紙に答えを書き込んでいく。普通、試験の答えを書くときはこれでいいのかと自問自答しながら書き進むため、ペンの動きは動いたり止まったりが激しく入れかわる。ところが彼女のペンは全く動じることなく、ずっと同じペースで書き続けている。そのため筆記音のリズムが崩れない。まるで優れた音楽家の独演会のようだ。

 愕然とする彼の耳に残り時間を告げる監視員の声が届いた。慌てて自分の答案に向き直った彼だが、先ほど以上にペンが進まない。答えが何かどころか、問題の内容すら整理がつかず混乱した。気ばかり焦ってペンは動かず、試験終了の合図が聞こえたとき、彼の答案は半分どころか1/4も埋まっていなかった。

 監視員の前で退室する中、彼はちらとホワンの答案を見た。きれいな読みやすい字で埋められたそれは、むしろ神聖さすら感じられた。

 当然ながら彼は不合格となり、ホワンは合格した。彼女は当時15才。最年少合格者であり、当時の市長が祝福に彼女を訪れたほどだった。それが彼のプライドを傷つけた。彼女が彼よりずっと年上だったら、何度も試験に挑んだ末の合格だったら納得もしただろう。

「15才の女が始めての試験で合格だと。そんな馬鹿なことがあってたまるか。何か裏があるに違いない」

 だが訴えようにも「何か証拠があるのか?」と問われれば黙るしかない。決めつけなのは彼自身よくわかっている。

 それがたった今、彼の中で合点がいった。

「あいつ衛士との人脈を利用したんだ。予め問題を手に入れたか、学会に手を回して合格させたか」

 無茶苦茶である。当時、イントルスはまだ衛士でなかったし、学会にしても実力のないものを合格させてとんだミスをやらかされたら責任問題だ。しかし、ジャグレイにとってそんなことはどうでも良かった。ホワンが不正によって合格したということを受け入れられるかだ。彼の頭の中ではすっかり彼女は不正合格者となっていたが、それを証明できるかとなると、その方法が思い浮かばなかった。

 頭をかきむしった彼は部屋の隅に無造作に投げ出した大きな麻袋を手にした。こんな時、彼が心を落ち着かせる対処法だ。

 袋を開けると、中にあるものを取り出す。トラバサミと呼ばれる動物用の罠。大型のものは野生の熊や魔獣を仕留めるのに利用されるが、彼が取り出したのはもっと小型。せいぜい猪や野犬、鹿などを捕獲、退治するために使われるものだ。手入れをろくにしていないのか、刃の部分には血の跡があり、猫の毛がついていた。そして無数の釘を打ち込んだ細身の棍棒。

 彼は笑みを浮かべてそれらを袋に戻し、部屋を出て行った。


 極限なまでに気持ちが荒れたとき、生き物を殺すとスッキリするのに気がついたのは、ホワンが合格したあの試験の少し後だった。あんな緊張感のない年下の女の子に負けたと思った彼は今まで以上に荒れ、家族や使用人に当たり散らし、使用人の1人に大怪我をさせた。何とか治療費と口止め料をはずんで事なきを得たが、たまらずに当時の使用人が全員辞めてしまったほどだ。

 そんなある夜、街を徘徊した彼は空腹を覚え、人気のない公園で腹を満たしていた。そこへ1匹の子猫がやってきた。いつもこうして食べ物を得ているのだろう。その子猫は彼の前で期待した目で小さく鳴いた。

 ジャグレイは食べていた屋台飯を少し猫の前に置いた。そして嬉しそうにそれを食べ始める子猫の前に立つと、思いっきり蹴り飛ばした。食べ物を前に油断していたのか、子猫はそれをまともに食らい近くの木に叩きつけられる。そこへ駆け寄ったジャグレイの第2撃が来た。

 子猫の死骸を川に放り捨て、帰路につく彼の心はとても爽やかだった。自分の澱んだ心を猫の体に叩き込み、死骸と一緒に捨てたような気分だった。

 そ以来、彼はイライラが募ると猫を殺して憂さを晴らすようになった。ときどき家に入り込んでは食べ物をねだったり盗んでいく野良猫などは格好のターゲットだった。とは言ってもそれは1年に1度か2度だった。

 何年前だったか忘れたが、1匹の野良猫が家に迷い込んだ。食べ物が欲しかったのか哀れっぽく鳴く姿に、彼の母は残り物をあげた。それを美味しそうに食べる姿に彼はむかついた。たまらずその猫を蹴飛ばし、辞書を叩きつけ、更に蹴飛ばした。母がたまらず止めようとしたが無視した。弱り切った猫を助けようとするが如く、別の猫、虎猫が飛び込んできて彼に爪を向けた。腹が立ってそいつも痛めつけた。庭に蹴飛ばし、2匹そろって何度も踏みつける姿を門越しに野次馬達が見て声を上げた。荒ぶるままそいつらに食ってかかっている隙に、1人の男が勝手に敷地内に駆け込み、まだ息のあった虎猫を抱えて走り去った。最初の猫は既に死んでいた。

 ちょっとした騒ぎになったが、相手が野良猫だったせいもあり、衛士から「あまりむごいことをするな」との注意で済んだ。虎猫の方はどうなったのか知らないし、興味もなかった。それよりも野良猫を何匹殺そうと、衛士にはちょっと顔をしかめて注意される程度で済むという自室の方が彼を勇気づけた。猫殺しがバレても注意だけで終わりだ。牢に入れられることはない。

 それから彼の猫殺しのペースが上がった。しかし、罪にならなくても周囲の目は冷たくなった。猫を殺すことを楽しんでいると思われると「危ない奴」「関わりたくない」と皆に引かれた。それは少し堪えた。

 両親も同じだったのか、3年ほどウブを離れ、有名な薬草師の学校に通わされたが、そこでも芽は出ず、試験に不合格が続いた。家に戻ってからも勉強を続け、今もって合格できない。さすがに両親も別の道を選べと言い始めたが、こうなったら意地である。合格に対する熱意ばかりが強くなり、その分、不合格のいらだちも大きくなった。

 そのいらだちを彼は最初、家で飼っていた犬に向けたが、犬の死骸を前に泣きじゃくる母の姿に「やっぱり犬はだめだ。猫がいい」と思った。

 試験が近づくにつれイライラは大きくなった。そこへ輪を掛けたのが先日の100年祭である。皆が賑やかに楽しげな祭りは彼の苛立ちを大きくした。祭りの賑やかさも彼には騒音でしか無かった。猫を殺そうと外に出ても祭りに浮かれる人達があちこちにいてなかなか機会が訪れない。祭りで1番楽しかったのが、魔導飛行船トゥワード号が炎上、墜落するのを見たときだった。製粉所に墜落、瓦礫の山となった跡地を見たときは猫を殺したのと同じぐらい爽快だった。

 祭りが終わり、夜はいつもの静けさが戻った。彼は猫殺しを再開したが、猫たちも用心深くなったのか餌を用意してもなかなか寄ってこない。そこでこの前は人に慣れている飼い猫を狙ったところ、飼い主が騒ぎ立てたことが耳に入った。

「くそっ、面倒くせぇ」

 彼の不満は、頭の中で猫をいたぶることで少し解消される。しかし、完全に解消するには、それを実行しなければならない。


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