『第18話 猫殺し』/3・犯人
夜。住宅街の一角にあるウブでも豪邸の部類に入る3階建ての家。それを鉄柵越しにダクとアバターは並んで見ていた。
《ここのバカ息子でジャグレイってのがいる。薬草師を目指しているって話だが成績はポンコツ。猫が生まれて死ぬまでの間試験に挑みつつけ、全部落ちた。親もすっかり諦めたが本人は諦めてない。毎回落ちては周囲に当たり散らし、それを猫に向け始めた》
《そいつが猫殺しの犯人か》
《ああ。人間には秘密にしているが、猫にはバレバレだ……どうした?》
じっと屋敷を見ているアバターにダクが眉をひそめた。アバターの目に調査とは違う私情のようなものが感じ取れた。
《何でも無い。それより一応聞いておく、お前達で仇を討つ気はあるか》
《討ちたいが、そんなことをしたら人間達はこの辺の猫を皆殺しにするぞ。俺達は逃げられても、ここを離れたがらない奴もいる。人間だって猫に攻撃する奴ばかりじゃないしな。ま、人間が奴にどれだけの罰を与えることが出来るのか。見させてもらうぞ。その罰の重さで、これからを決めるさ》
後は知らんとばかりに壁から飛びおり、体の黒を闇夜に溶け込ませていく。
それを見送ると、アバターは鉄柵の隙間からするりと屋敷の敷地内に入り込んだ。いくらダク達が力説しても人間の法は猫の証言を証拠とは認めない。何かはっきりした証拠が欲しかった。それに、もうひとつ確かめたいことがあった。
庭を突っ切る途中、犬小屋が目に入った。しかし小屋は空っぽ。小屋の隅に打ち込まれた杭に結びつけられた細いロープの先には、泥で汚れた首輪があったが、それを締めていただろう犬の姿はない。首輪には黒ずんだ血の跡があった。
《犬もか……》
アバターは3階の半分開いた窓を見上げた。微かに漂ってくる匂いは彼の古い記憶を甦らせる。忘れられない、それでいて永遠に思い出したくない匂い。
《……これぐらいなら出来るか》
腰を少しかがめると一気に3階の開いた窓の庇に飛び移る。魔力によって身体能力を増幅された使い魔と言っても、魔導師であるオレンダから離れるにつれその力は弱まる。ここはオレンダの家から数ブロックしか離れていないのでこれだけの動きが出来る。
耳をそばだてると調子の外れた鼻歌が聞こえてくる。庇から身を乗り出して中をのぞくと、隣の窓際にある机に座り、1人の男が数枚の紙を手に笑顔を向けていた。
「よし。今回こそ合格できるぞ。やっはり猫をぶち殺すと調子が良い」
誰もいないと思っているからこそ平気で罪を認めたこの男。見たところ30過ぎ。背は高いが痩せぎすで髪も肌も艶がなく、機嫌が良くても隠しきれない卑屈そうな目。
ジャグレイである。今日行われた医学試験について自己採点し、これまでにない手ごたえを感じている。
その顔と声、匂いにアバターは顔をしかめた。
《やっぱりこいつか》
アバターにとって絶対忘れられない人間。5年前、弟を殺し、自分を半ば殺し使い魔として生まれ変わるきっかけを作った男。それがこのジャグレイだった。
《こいつ、まだ猫を傷つけていたのか》
それどころか被害のペースからしてかなり悪化している。殺されたのが人間なら問答無用で縛り首にされるだろう。だが、殺されたのは猫だ。オレンダ達衛士が悪いことをした人間を捕まえのが仕事だとはわかっている。だがその「悪いこと」の中に野良猫を殺すことは入っているのか。今回、衛士達に持ち込まれた猫殺しも被害にあったのが「人間に飼われていた猫」だったからだ。野良猫殺しをどこまで取り合ってくれるか。猫殺しじゃ力が入らない。そんな衛士の言葉を思い出した。
そんなことを考えていたせいか、ジャグレイが満足げな顔をこちらに向けたときの反応が遅れた。身を隠すより前に、彼と目が合った。
「猫?!」
彼が立ち上がり武器になりそうなものを探し始めた。いつものアバターならここでさっさと逃げていただろう。だがこの時、アバターは「にゃあ」と鳴くと、隣の窓の庇を足場に部屋の中に飛び込んだ。
「こ、こいつ!」
ジャグレイが手近な本をつかんで投げつけるが、アバターの素早い動きにはかすりもしない。
アバターが隙を見て彼に飛びかかり、爪でむき出しの腕をひっかいた。痛みと血が流れ出す傷にジャグレイが半狂乱になって手近のものをつかんでは片っ端からアバターに投げつける。が、アバターの素早い動きに、それらはひとつも当たらない。
《軽くひっかいただけなのに大げさな奴だ。明日にはきれいに治っているぞ》
騒ぎを聞きつけて彼の両親がやってきた。ドアを叩き、返事を待たずに開けた隙間からアバターがするりと廊下に駆け出る。
わめき散らすジャグレイとそれをなだめようとする両親を背に、アバターは階段を駆け下りた。途中、台所で見つけたソーセージをくわえると、鍵のかかっていない窓を体当たりで開けて外に逃げ出した。
このソーセージはダクへの情報料となった。
× × ×
「ジャグレイ・ホスタル……こいつが一連の猫殺しの犯人ってわけ?」
「アバターが猫たちから聞き出しました。間違いないでしょう」
ウブ衛士隊本部。会議室に集まった第3隊の面々はオレンダから報告を受けていた。
「しかし、猫たちがそう言ってますからじゃあ逮捕は出来ない。証拠にならないからな」
メルダーの言葉に一同はその通りと顔を縦に振る。
「しかしターゲットがハッキリした分、捜査はしやすくなります。やつは猫殺しがすっかり習慣になっている。動きに注意すれば、今度こそ現場を押さえることが出来ます」
力のこもったオレンダの言葉にルーラも強く頷く。
「けれど現場を押さえるってことは、少なくとも後1匹は被害に遭わなければならないわよ」
スノーレの口ぶりは申し訳なさそうだ。
「猫を傷つけたならまだしも、傷つけようとしているだけなら注意したり止めることは出来ても逮捕は難しいわ」
「それだけじゃないですよ。そこまでしてうまく現場を押さえたとしても逮捕、有罪に出来るかですね」
スラッシュの言葉は、皆の乗り切れない心情を説明していた。
今ひとつ力の入らないこの会議をアバターは隅で悟ったように聞いている。
「例え有罪に出来なくても、衛士に目をつけられたと知ればこれ以上の猫殺しはためらうでしょう。それだけでも意味はあります」
「猫を殺してもたいした罪にならないと、却って堂々とするようになるかもしれない。見くびられた力は実力以上に低く見られるものだ」
イントルスの言葉に言葉を詰まらせるオレンダを見て、アバターが立ち上がる。テーブルに飛び乗り、オレンダの前に行くと第3隊の面々に向かって力強く鳴いた。
一同を見つめるアバターの瞳は、彼らに衛士としての心構えを説いているようにも見えた。
「被害者たちから呆れられたら衛士も終わりだ」
メルダーが立ち上がり
「スノーレ、スラッシュ、ルーラ。交代でジャグレイを見張れ。他は裏付け調査。猫殺しの時期にジャグレイ周辺で何か起こったか調べろ。奴が猫を殺したくなるようなきっかけがあったはずだ。それがわかれば、次に奴が猫を襲うタイミングがある程度つかめる。オレンダ、この件に関してはお前さんとアバターの協力が不可欠だ。ユーバリ隊長には私から話しておくからしばらくこっちの事件に協力してくれ」
「わかりました」
「にゃあ」
オレンダとアバターがそろって返事した。




