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『第18話 猫殺し』/2・アバターの捜査

 シェルマ・オレンダの家は魔導師連盟ウブ支部の近く。住宅街の中でも割と良いところにある一戸建てである。彼はウブでも名高い富豪オレンダ家の3男。主ワルド・オレンダがメイドに手をつけ生まれた子供のため、妻君の怒りを買い、一切の縁を切り、相続を放棄させてやっと許しを経た過程は「回る製粉所」で書いたとおりである。

 縁を切ると言っても、さすがに就職するまでは生活費の面倒を見ると妻に了承させたワルドは、彼が魔導師学校を卒業、衛士隊に就職するまでの学費、生活費全てを出しただけでなく、なんと家まで建てた。ワルドにとってできる限りの財産を彼に渡したいという思いがあったのだろう。1人暮らしには広すぎるとぼやく彼に対し「結婚して子供が3人ぐらい出来ればちょうど良くなる」と無理矢理説得させたのだ。

 最近になって友人のリドゥが同居して少しはマシになったものの、今でも彼はこの広さを持て余し、困っている。何しろ人の住まない家、使わない部屋というのはすごい勢いで寂れ、古ぼけるものだ。

 帰宅したオレンダは厨房に立ち簡単な食事を作る。さすがに猫と一緒に食事させてくれる店は少なく、自然と自炊や出来合いのおかずを買ってきての食事が多くなる。衛士の生活は不規則になりがちなので尚更だ。

 食事を終え、寝間着に着替えるオレンダの前に

「にゃあ」

 鳴きながらアバターは首輪をくわえ、彼の足にすり寄る。首輪には邪魔にならない程度の小さなポケットがついている。わかったとばかりに彼は首輪のポケットに金貨を入れるとアバターの首につけ、

「明日は休みだ。明後日の朝には戻れ」

 窓を開けると、出かけてきますとばかりにアバターは外に出て行った。

 魔導師とその使い魔は魔力によって繋がっている。感覚共鳴をしていないときでも、その影響でお互い何を考えているのかが何となくだがわかるのだ。オレンダはアバターが連続猫殺しを独自で調べようとしているのがわかった。


 外に出たアバターは路地を抜け通りに出る。ちょうど市内を循環する乗合馬車が通りかかると、軽く助走してその屋根に跳び乗った。それをたまたま目にした子供が「あの猫すげぇ」と驚いた。いくら猫の運動神経が良いとていっても、一気に馬車の屋根までは普通跳べない。

 屋根に乗ったアバターはそのまま馬車の行き先を見てじっとする。時間からこの馬車のルートは知っている。何度か人が乗り降りするのを見ながら10分弱乗っていただろうか。センメイ川を右手に見ながらアバターは馬車から跳び降りた。

 川辺に沿って歩いて行くと魚屋がある。海から運ばれてきた魚介類が並んでいる前を歩くと

「なんだこの猫!」

 若い店員がアバターに気がつき追い払おうとするのを主人らしき男が「待て待て」と制し

「お前か。今日は何だ?」

 中腰になって笑うと、アバターは並んだ魚のうち、大きな奴を触らないように手を向け「にゃん」と鳴くと、器用に首輪のポケットから金貨を取り出した。

 魚を1匹くわえて店を後にするアバターの姿に若い店員は唖然として

「あの猫、客なんですか?」

「ああ。たまにくるんだ」

「でも猫ですよ」

「代金を払う以上、猫だろうと客だ」

 笑いながら主人が金貨を見せた。

 魚をくわえたアバターは路地を抜け、1軒の廃屋に潜り込む。

 中にはたくさんの猫たちがいた。様々な色、種類、老猫も子猫もいる。皆、アバターとくわえた魚に視線を向ける。

 アバターは奥に進むと、半開きになった扉から小部屋に入り込む。汚れた毛布の上、毛の艶も失った痩せた茶トラの老猫が丸まっていた。その周囲には若いが子猫とは言えない猫たちがいる。アバターはその前に魚を置くと

《フリッチィ》

 その名に老猫は静かに目を開けた。

《兄さん》

《元気か。土産だ》

《私はいいわ。お前達でお食べ》

 フリッチィの言葉に、周りの猫たちが一斉に魚に飛びつき奪い合うように食べ始めた。

《お前、ちゃんと食べているのか?》

《私はもう寿命。兄さんはいつも元気ね》

 アバターを見るその目は、全てを悟り死を受け入れる時を待つ静けさがあった。フリッチィはアバターの妹である。


 アバターが生まれたのはセンメイ川近くの空き家だった。父も母も野良で、お世辞にも良いとは言えない毛並みだった。父は黒猫、母は虎猫。4匹弟妹の長男だった。とは言っても、親は彼らが自分で餌をとることを覚えると以後世話をすることは無く、翌年にはまた子供を作っていた。今となってはアバターは自分の弟妹が何匹いるのかもわからない。彼にとって弟妹と呼べるものは一緒に生まれた3匹だけだ。弟の1匹は食べ物を探して入り込んだ船が出港、そのまま行方知れずだ。人間達の話では、行き先の船着き場で逃げ出しそれっきりだという。 

 もう1匹の弟はやはり食べ物を求めて人間の家に入り込んだところ、家主に見つかり何度も殴りつけられ殺された。アバターは彼を助けようとしたが力及ばず、弟同様ボコボコにされたところを、その様子を遠巻きに見ていた人間に救われた。その人間がオレンダである。

 オレンダに助けられたアバターは、声も上げられず、全身の痛みと薄れ行く意識の中、自分も死ぬのだと悟った。

 しかし彼は死ななかった。毛布にくるまっているかのような暖かさに目を開けると、自分は奇妙な紋様の描かれた円の中心に横たわっていることに気がついた。体の痛みは無く、あれほどボロボロだった体はすっかり元通りになっていた。戸惑いながら顔をあげると、力を使い果たし、衰弱したオレンダの顔が合った。もちろん、その時点では彼の名を知らなかったが。

「よかった……成功だ。君は今から僕の使い魔だ。名前はアバター」

 いきなりそんなことを言われてアバターはたまらず逃げ出したが、そこは窓もない部屋で扉も閉ざされている。逃げ場を求めて駆け回り、ついに彼は扉に体当たりした。普通ならば扉に激突して床に這いつくばるところだろう。ところがアバターの体当たりを受けて扉が吹っ飛び、彼は部屋の外に逃げ出した。通路を駆け抜け外に出、通りを走った。信じられないスピードだった。上に飛べば3階の庇に着地し、前に飛べば馬車や人を跳び越え大通りの反対側まで行った。自分でも訳がわからなかった。そしてある程度進んだとき、いきなり体から力が抜けた。疲れがまとめてのしかかってきた。

 何が何だかわからないまま地面にへばっているアバターの頭に

《アバター、僕から遠くに離れたらダメだ。まだ慣れていない君の体では力が入らなくなる》

 いきなりオレンダの声が届いた。

《すぐ迎えに行くからじっとしていて》

 その声からは悪意は感じられなかった。それから数分後に迷うことなく駆けつけたオレンダによって、アバターは改めて保護された。

 魔導師連盟ウブ支部に連れてこられたアバターは、そこで改めて事情を聞かされた。

 人間に滅多打ちにされ、治癒魔導を使っても助けることは出来なくなった彼を、オレンダは魔力を用いて心をつなげたこと。これによってアバターはオレンダの使い魔となった。

 使い魔とは魔導師が自分の心をつなげた生き物のこと。常に魔導師の魔力を備えた魔導師の分身であり別個体。これによってアバターは命の絶望から這い上がった。それだけではない。アバターは魔力により通常の猫には及びもつかない身体能力を得た。

 だが、その代償としてアバターは死ぬまでオレンダと共にいなければならなくなった。使い魔の命は主たる魔導師の魔力によって維持されているようなもの。魔導師が死ねば魔力は途切れ、使い魔は数日のうちに老化、衰弱死する。そして使い魔の死は魔導師に影響を与え、死ぬとまでは行かなくても短ければ100日、長ければ死ぬまで鬱状態になるという。魔導師にとって使い魔を持つというのは大きなデメリットを背負うことでもある。

 自分の残りの生はこのオレンダという魔導師と共にある。嫌でもそれを受け入れるしかない。そもそもこの魔導師がいなければ自分は死んでいた。

 アバターが真っ先に心配したのは妹フリッチィの事だった。魔導師と使い魔はおぼれげながら相手の思いを感じ取れる。オレンダに許され、彼が妹の元に戻ったものの、アバターはもう猫として彼女のそばにいることは出来ない。彼は弟の死と自分に起こったこと、そして、これまでのように彼女を助けることは出来ないことを説明した。


 それが今から5年前のことだ。

 同い年の猫たちは老いると言うほどではないが体調が思わしくなくなってくるのに対し、一向に衰えが感じられない自分は使い魔が猫であって猫でないことを思い知る。

 使い魔という立場が気に入らないわけではない。最初は周りが人間ばかりであることに居心地の悪さを感じたが直に慣れた。オレンダが彼を使い魔と言うより仕事の相棒として接してくれたのが大きかった。

 ただ、仕事として偵察や侵入の際、頭の中に彼が割り込んでくるのが嫌だった。オレンダは感覚共鳴と呼んでおり、自分の見聞きしたものがそのまま彼に伝わるらしい。今はかなり慣れたが、それでも出来ればやって欲しくない。

 仕事が無ければかなり自由にさせてくれる。力のつながりを極力下げることで、彼から離れた活動も可能になった。彼から遠くなるほど運動能力が落ち、離れすぎると歩くことすら苦痛なほどになるが仕方がない。おかげでこうして時々妹に会いに来られる。土産を買いに金もくれる。

 フリッチィの子供達が土産の魚を平らげ、満腹になって眠っているのを静かに見ながら

《今日、来たのはお前達に会うためだけじゃ無い。ダクに用があってきた》

《あの人に?》

 ダクというのはフリッチィの夫であり、この辺りを仕切っているボス猫である。

《ヒモ付きが俺に何の用だ》

 全身漆黒の猫が入った来た。猫としてはかなり大きい。右の耳が半分千切れるように無くなっている。かつてボスの座を争ったときの傷である。他にも毛で見えないが全身に無数の傷が残っている。どちらかというと童顔気味のアバターとは対照的だ。

《あんたも知っているはずだ。最近、ウブで猫がむごたらしい殺され方をしている》

《最近じゃないさ。人間に猫が殺されるなんて毎日のように起きている。猫でなくなったお前にはそれが見えないだろうがな。それとも、お前の弟も人間に殺されたことすら忘れたか》

《忘れてないさ。だが、人間だって猫を殺すような奴ばかりじゃ無い》

《そうさ。猫を殺す奴か、殺すのを見ても止めない奴だ》

《あいにく、俺は人間談義をするために来たんじゃない。悪いが茶茶はしばらく止めてくれ。話が進まない》

 それからアバターは最近の猫殺しについて説明した。

《人間の衛士もさすがに黙っていられなくなったが、力を入れて犯人捜しをするかは怪しいもんだ。こっちで犯人を見つけて人間達に教えてやらないと》

《教えてやったところで人間がそいつを罰するのか? これからはこんなことはするなと口で言って終わりじゃ無いのか》

《やってみなければわからない。知っていることだけ教えてくれ》

 そこへ

《何だこいつは。さっきから聞いてりゃボスに対して生意気な口の利き方を》

 まだ若い白猫が前に出た。白猫と言っても毛は汚れ、見た目は灰猫だ。

《ボス、ちょいとこいつシメて良いですか》

《止めとけ。こいつは人間のヒモ付きだ。お前が100匹いたって勝てる相手じゃねえよ》

《ヒモ付き?》

《俺も詳しいことはわからねえ。だが、こいつは魔導師の魔力をもらって生きている。人間から離れられねえかわりに、猫の限界を超えた力を手に入れているのさ》

《くだらねえ。要は人間のおこぼれで生きているって事じゃねえか》

 灰猫がいきなり猫パンチを繰り出した。が、それはアバターにたやすく払われる。

《な?!》

 むかっとして激しく猫パンチを繰り出す灰猫。だが、その全てはアバターに右前足に簡単に払われる。

《少し黙っていてくれ》

 アバターの軽い猫パンチを受け、灰猫が文字通り吹っ飛んだ。部屋の反対側まで吹っ飛び、白目を剥いて気絶する。

《おい。俺の部下に手荒なことはするな》

《だったらこうなる前に止めろよ》

 周囲の猫たちはダクとアバターの様子を不安と好奇心を交えて眺めている。


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