『第16話 紫茶のおいしいレストラン』/2・忘れていた男
夜の猫足亭。最後の客が満足げに出て行くのを見送ると、ウェイトレスであるペリアは扉の札を「お休み中」にひっくり返す。
扉を閉めると静かに大きく息をつきエプロンを外す。ウェイトレスから解放される儀式みたいなものだ。
店では主人であり料理人のタセが簡単な賄いを用意していた。これからは料理人とウェイトレスではなく、この店の主人夫婦の時間だ。
「例の小麦を使ってみた」
タセがパンやパスタを使った料理をいくつか並べる。今まで小麦粉を買っていたオレンダ製粉所が100年祭の騒ぎで壊滅状態となったため、そこから仕入れていた店の多くは急遽新しい仕入れ先を探さなくてはならなかった。オレンダ製粉所はウブの小麦粉の半分以上を担っていただけにどこも大慌て。当然、他の製粉所や商社はここぞとばかりに営業を仕掛けてくる。猫足亭も例外ではなく、小麦粉の備蓄があるうちに次の仕入れ先を決めなければならない。例の小麦というのは、別のところから仕入れた小麦粉のことだ。
2人が食べながらあれこれ感想を言い合っていると、入り口が開き、帽子を目深にかぶった男が1人入ってきた。
「すみません。今日はもう」
言いかけたタセの表情が固まった。ペリアも引きつった。2人とも帽子をあげた鼻の大きな男の顔に見覚えがあった。
「随分探したぜ、おふたりさん」
「ヒッコリー……」
「覚えていたか。だったら俺が何のために来たか想像はつくな」
店内を見回し
「小さいが良い店じゃないか。もらうぞ、晩飯を食いそびれていたんだ」
ヒッコリーがテーブルの料理を手にし、隣のテーブルについて食べ始める。
「お前らの料理は久しぶりだ。また腕を上げたようだな。あの金のおかげか」
2人が真っ青になって固まるのを楽しみながらヒッコリーは皿の料理を平らげていく。
「言っておくが俺を始末しようったって無駄だぜ。俺が1人でウブに来たと思うな」
「ボスも一緒なんですか?」
「ああ。牢を早く出るため模範囚として良い子ちゃんにしていたストレスがたまっていてな。温和なボスもちょいとばかり目つきが悪くなった。今、気を悪くするとどんな目に会わされるかわからねえぜ」
「要件は?」
「決まっているだろう。お前達が預かっていたものを返してもらうためさ。10年前、サグラの町で俺達がブリトニー商会を襲って手に入れた300万ディル。まさか手をつけちゃいねえだろうな。この店の開店資金に化けてたりはしねえよな」
ペリア達の体が一瞬痙攣するように震えたのを、彼は見逃さなかった。
「でも、その内の10万ディルは俺達の取り分のはずです。それは使ってもいいとボスが」
「そうだったな。ボスはお優しい。今までずっと金の番人をしていた苦労も入れて、お前達の取り分は15万ディルに引き上げてくれるとよ。
で、残りの285万ディルはどこにある。本来それが置いてあるはずの隠れ家が今は別の建物になっちまった。しかたなくお前達が金を別の場所に移したってのはわかるが……」
ヒックリーはぐっと身を乗り出し
「そのことをボスに報告しなかったのはどういうことだ。別の国に移ったんだ。報告しなけりゃ、金を持って逃げたと思われても文句は言えねえぜ」
「忙しかったんです。俺達も逃げるだけじゃなく、どこかに腰を落ち着けなきゃならない。確かに、この店は俺達の取り分を資金にして開いたものです。店を安定させるのに必死で、連絡がおろそかになったのは謝ります」
「へぇ」
あざ笑うように店内を見回し
「この店をたった10万ディルでねぇ。格安だなぁ。ま、いいさ。それで残りは」
「ここにはありません。すぐにここに出せと言われても」
震えながら、言葉を選ぶようにペリアが口を動かす姿を、ヒッコリーは楽しんでいるようだった。
「確かにな。10日後、店が閉まった後にまた来る。今度はボスもつれてな。その時までに285万ディルきっかり用意しておけ。用意できなかったり、逃げだそうとしたらどうなるか。わかるよな」
「わかりました」
縮こまる2人を楽しげに見下ろすヒッコリーは、獲物を弄ぶ狩人のようだった。
「俺から1つ忠告しておく。次に店を出すときは、紫茶を安物にするんだな」
脇にあった紫茶を自分でカップに注ぎ飲み干す。
「お前は昔から紫茶にこだわりがあったからな。ボス達に入れる紫茶はウッジ産の1級。お前達が店を出すならきっと紫茶もこだわるだろうってボスが言うからそっちからたぐってみれば……大当たりだ」
残った紫茶を、彼は肩をすくませるペリアの頭に注ぐようにかけていく。
店内にヒッコリーの笑い声が木霊した。
笑い声を残してヒッコリーが出て行った後、2人だけになった店の空気は重かった。
「あなた、どうするの」
「どうするって、ボスが許すはずがない。何とか逃げるしかない」
「逃げるってどこへ? それに、あいつ、どうせどこかで私たちを見張っているわ」
タセの震えは止まらない。
「とにかく頭を下げまくって、この店をボス達の新しいアジトとして差し出せば」
「嫌です。せっかく常連も出来て落ち着いてきたのに。それに」
自分の身を抱きしめながらタセはペリアを見つめる。言いたいことはわかっている。差し出すのはこの店だけでは済まない。きっとタセは一味のおもちゃとしてその体を散々弄ばれることになるだろう。それぐらいのことをされても仕方のないことだ。
ペリアとタセの夫婦は、元はアグラン・モネストという男が束ねる盗賊一味だった。それも直接盗賊として盗みに参加することはない。アジトの番人のような存在で留守番専門、この世界では寝茶番と呼ばれている。寝たり茶を飲んでくつろぐ場所の番人と言うことだ。
一味としては一番の下っ端で分け前は少ないが、2人は満足していた。他人の家に忍び込み、金を奪い、見つかったらそいつを殺して逃げる。そんな仕事は恐ろしくて出来なかった。仕事から戻った仲間達の服に血がついているのを見ると体が震えた。
モネストも2人のそんな性格を知って無理は言わなかった。仲間の愚痴から彼らを守った。
「仕事の後の酒も良いが、お前の入れる紫茶も悪くねえ」
そう言って彼らが高い紫茶を仕入れるのも認めてくれた。彼らにとってモネストは良いボスだった。
だがそれも8年前に終わった。モネスト一味はアクティブ国サグラの町でブリトニー商会を襲い、警備員2人を殺害の上、300万ディルの現金を強奪した。だが、アジトに戻ってすぐ衛士隊の手が入り、モネストを含む8人が逮捕された。だが、衛士隊がいくら探しても奪われた300万ディルは見つからなかった。
衛士隊の突入に気がついたモネストが、時間を稼いでいる間にペリアたちに金を持たせ、抜け穴から逃がしたのだ。
逃げた2人も、決してこのまま金を自分のものにしようと考えていたわけでは無い。しかし、仲間とアジトを失った2人が衛士隊から逃げ続けるのは簡単では無かった。幸いにも自分たちは顔は知られていない。サグラを離れ、適当な町で料理人とその妻として腰を落ち着けモネスト達の出所を待つというのが2人が最初に考えていたものだった。手持ちの金は少なかったが、自分たちの取り分20万ディルだけならば手をつけてもかまわないとモネストは言った。
だが仲間の誰かが口を割ったのか、2人の似顔絵が衛士隊達に出回った。2人は慌ててさらに遠くの町に逃げ、ついに国境を越え、ウブまでやってきた。疲れ果てた2人はここに腰を落ち着けることにしたが、問題は金だった。すでに2人は自分ちの取り分を超える金に手をつけていた。モネスト達が出所するまでにその分金を稼がなければならないが、逃亡の疲れから2人はそれをする気力を失っていた。
ここまで逃げればモネスト達も自分たちを見つけることは出来ないだろう。全てを捨ててやり直そう。すでにモネストに対する忠誠心もほとんど消えた2人は残った金で家を購入改装し、猫足亭というレストランを開いた。表通りから外れた小さな店なのは、自分たちは逃亡者という思いが残っていたからか。
モネストから重宝されていたほどにペリアの料理人としての腕は確かだった。最初は客も少なかったが、ひょいとした弾みで訪れた客の多くが彼の料理、そして食後に出される美味い紫茶に引かれて常連となった。大繁盛とまではいかないが、夫婦2人が暮らして行くには十分な収入が得られた。
そして月日が流れ、2人はすっかり今の生活、幸せに慣れた。そしてモネスト達のことを忘れた。
そんな時、ヒッコリーが姿を現した。
「私は逃げるのは嫌よ。あんな毎日ビクビクして、こそこそあちこちの町をさまよいながら生きるなんてもう嫌」
「俺だって嫌だ。ここは俺の店だ」
店内を見回す。最初ここは小さな雑貨店だった。それ買い取りレストランに改造したのだ。内装も全部2人で決めた。愛着がある。
「何か良い方法はないのかい? 盗賊に狙われているって衛士隊に助けてもらおうか?」
「馬鹿を言うな。衛士隊だって一日中ここを見張っているわけにはいかない。それにヒッコリー達が捕まって俺達のことを話したらどうする。俺たちも一緒に監獄行きだ」
「じゃあどうするのよ」
「何とか今ある分だけ金を出して、残りは時間をかけて返す。それを認めてもらうしかない。今俺達が用意できそうな金は」
目を閉じ、自分たちが10日後までに用意できる金を頭の中で計算する。
「せいぜい10万ディルだな」
2人はため息をついた。285万ディルに対して10万ディル。とても説得できそうにない。