『第15話 鏡の極意/5・極意』
「確定は出来ませんが、おそらくマウスフェイス一味でしょう」
東衛士隊本部。第3隊の部屋でクインはモルス・セルヴェイの持ってきた事件記録の束を手に取った。
「ウブの他にもあちこちの街で同じような強盗を繰り返しています。ただ」
「ただ?」
「襲った店は女主人に限りません。むしろ金のありそうな店を狙っています。他にも乗合馬車や、移動中の自由商人など」
「特にターゲットにこだわりはないと」
メルダーが確認するように聞いた。
部屋にはクインとメルダー隊長の他、ヌーボルト・ギメイが残っている。他の面子は街の巡回に出て留守だ。
うなずくセルヴェイにギメイが疑わしげに
「だったらどうして同じ奴らの仕業だって解るんだ?」
「目撃者や生存者の証言、そして手口の癖ですね。クインさんの言うバーバという男の外見も考慮して」
「女主人の店を襲い始めたのはウブに来てからか。心当たりはあるか?」
「……私への当てつけかもね」
「他の街では気にしていなかったけれど、ウブに来てからクインさんの存在を意識し始めた」
セルヴェイの言葉にクインが珍しく困ったように唇を尖らせる。
そこへ扉がノックされ
「フェイリバースはおりますか」
ジーヴェが入ってきた。彼の顔を見てメルダーが
「これは珍しいお方だ」
「私用公用半々です。バーバ達の隠れ家を見つけました」
クインが軽く手を打ち
「さすが早いわね。すぐに踏み込むの?」
立ち上がりかけるのをジーヴェは止め
「いや。奴らは次の店に狙いをつけている。襲う当日、仲間と一緒に店に集まったところを一気に捕まえる。1人も逃がさん」
「何のことだ?」
「今まで話していたマウスフェイス一味のことです」
メルダーに連続女主人の店強盗殺人事件を説明し
「そいつらの次に狙う店は東の管轄でして。だから私の方が助っ人として参加する許可をニンダス隊長にもらいにいくところです」
メルダーに対し一礼する。
「私も助っ人に行くわ。一緒にあの薄頭に許可もらいに行きましょう」
「それと、俺がここに来た理由はもうひとつ。お前への伝言だ」
クインを見つめ
「先生から良しとの許可が出た」
それを受けてクインの顔が引き締まった。
月の明るい夜だった。
ウブの東南東、第4繁華街の一角にある3階建ての建物。1階がファウロ・ベーカリーというパン屋になっている。ここはファウロとリムルの夫婦が2人でやっている店で、その味は上々との評判だ。夫婦と言ってもファウロは婿養子。登録上はファウロの店だが、事実上リムルがここの主人と言って良い。2階が夫婦の居住区、3階が衛士隊の女子寮となっており、クイン、ルーラ、スノーレが住んでいる。
仕事を終えて帰ってきたクインが上がり、夜勤のスノーレが出て行く。ルーラは遅番で既に出勤している。戻ってくるのは夜遅くだ。
夜の8時を告げる鐘が聞こえてくる。
「ありがとうございました」
リムルがその日最後の客が去ると扉の札を「営業時間外」に変える。これから売れ残ったパンの整理、調理器具の洗浄。売れたパンと売上金が合っているかのチェックなどを行う。それらが終わり店の灯りが完全に消えるまで1時間はかかる。
繁華街と言っても中心部ではない。この時間には店のほとんどが閉め始め、通りは閑散となる。
ファウロ・ベーカリーの1区画ほど離れた建物の陰。1人の男が身を潜めていた。街灯の陰に潜みながら、ファウロ・ベーカリーから買ってきたパンを口にしている。先ほど出てきた客だ。
後ろからもう1人の男が近づき
「どうだ?」
「パン屋にしちゃあ、儲かっている感じだ。もっとも、パン屋の売上なんざたかが知れているが」
袋を差し出すと、相手も中からパンを取り出しかぶりつく。
「そう言うな。売上は明日まとめて教会に持っていくからな。今夜は10日分の売上があるはずだ」
この世界には銀行がない。8大神と呼ばれる中で交流神サークラーの教会が同じような役割を担っており、商売人はまとまった金をそこへ預けている。
「マウスフェイスたちは?」
「小1時間ほどで来る。上の女衛士は?」
「1人いるだけだ。そいつはバーバが引き受けることになっている」
2人そろって不満顔になる。2人ともバーバが好きではなかった。確かに腕は立つし、今まで助けてもらったことも多いが、自分たちに向ける馬鹿にしたような目がどうしても好きになれなかった。
腕の立つ仲間がもう2人ほどいれば、バーバを背中から斬りつけてやるのに。そんな気持ちだった。
ファウロ・ベーカリーからはカーテン越しに灯りが見える。見上げると女子寮部分の3階も灯りが付いていた。
他の家々の明かりが消えていき、街の灯りより月明かりの方が明るくなった頃、全身黒ずくめのマウスフェイスたちがやってきた。全部で10人以上、バーバもいる。パン屋の襲撃には大げさすぎる数だ。
「上の衛士は俺が引き受ける」
「まかせた。俺達は店を襲う。売上をかき集めたらさっさとずらかるぞ」
マウスフェイスの言葉に皆が頷く。
周囲に人がいないのを見て取ると、数人が街頭に走り、よじ登ると素早く灯りを消していく。月明かりはあれど、周囲一帯の暗さが増した。
バーバがかまわず裏に回ると、3階へと通じる階段を静かに上がりながらフードを取り素顔をさらす。
3階に上がり寮への入り口の扉の前に立つ。扉の隙間から灯りが漏れている。
バーバは薄笑いしながら扉を無造作に開けた。
「女性の家に入るのにノックもしないの?」
家具などが綺麗に片付けられ、大きな広間と化した廊下と居間。その奥の方にクインがサーベル片手に立っていた。その隣には布を被せられた大きな品と、それを挟むようにジュウザンも立っていた。脇にはスノーレが控えている。
「気づいていたか」
「お前という奴は」ジュウザンも呆れたように「クインと勝負がしたかったら儂に言え。お膳立てぐらいしてやったぞ」
「勝負か」
苦笑いを浮かべるバーバに対し
「俺より女を選んだ男がよく言う」
「お前ではなくクインに極意を伝えたのがそんなに気に入らなかったか」
「それ以外に何の理由がある!?」
忘れかけていたことが、再び思い出され吹き出てくる。彼のギラつく目からクインはそれを感じ取った。
「やはり言葉ではダメか」
ジュウザンが仕方がないというように頭を掻き
「よし。ならば今、ここでお前に極意を伝えよう。お前に受け切れればだがな。どうだ受けるか? 受けねばこれまで。クイン、勝負してやれ」
師の言葉にクインは「はい」と頷いた。
「どうだ」
バーバはクインとジュウザン、そして2人の間に置かれた布を被せられた品を見る。どうも置き方が不自然なので、これが極意に関係するらしいと言うのは彼にも解る。
「良いでしょう」さすがに彼の口調も少し丁寧になる。「先生が言う剣の極意。お伝え願おう」
「極意伝授は簡単じゃ。こいつを朝が来るまでひたすら見つめ続ける。それだけじゃ。目をそらすことも、場を立つことも許さん。水を飲むのも大小便もここでこいつを見つめ続けながらしろ」
バーバが鼻で笑うのを
「エースもジャックもクインもジーヴェも、みんなこれをやり遂げた。では行くぞ」
スノーレが静かに魔玉の杖を掲げると、先端の魔玉が光り始める。灯魔導。照明魔導とも呼ばれる灯りを作る魔導である。魔玉は魔導発動時に光るが、灯火魔導は持続性が特徴で1度発動すれば長くて数時間、朝まで光り続ける。魔導としては基本中の基本で、魔導師ならば誰でも出来る。
目に優しい、淡い光りを放ち続ける魔玉をかざしながらスノーレはバーバの少し手前の横、壁際に移動した。部屋全体がずっと明るく、それでいてバーバの目の邪魔にならないように。
「それでは良いな。朝が来るまでひたすら見つめ続けろ。朝まで誰にも邪魔はさせんから安心しろ」
言うとジュウザンは被せてあった布を取り払う。
現れたのは大きな鏡だった。クインよりもひとまわり大きく、バーバを全身映すにも十分すぎる大きさの鏡。これだけで一財産と言えるシロモノである。
バーバは見た。鏡に映る自分自身の姿を。
「目をそらすな」
ジュウザンが言った。
「剣の極意は己を知ること。己を見つめ、良きところも悪しきところも、誇れるところも恥ずかしきところも全てを見据え、受け止める。見よ、これがお前だ。ひたすら己を見つめ続けろ」
この世界、人によっては生涯において数えるほどしか鏡を見ない人も多い。自分がどんな顔、姿をしているのか知らないまま生きている。
バーバも最後に鏡を見たのは何年も前だ。それも理髪店で用意された肩から上が何とか写る程度の鏡である。それもずっと見続けたりはしない。道場を出てから、髪や髭は自分で切った。そのせいで髭はともかく髪がぐしゃぐしゃだが気にしていない。
鏡に映っている人間が自分であることにバーバは一瞬気がつかなかった。自分が思い描いていた自分と鏡に映っている人間とが、同じだと解らなかった。何より、映っている人間の「目」が気に入らなかった。