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『第15話 鏡の極意/4・バーバのもくろみ』

 ウブの南マナカ川沿い。安アパートが立ち並ぶ中、バーバは含み笑いを堪えながら歩いている。

「フェイリバースめ。やっと俺の存在に気がついたか」

 戻ってきたときすぐにで姿を現そうかとも思ったが、彼女が衛士であることを思いだし

「自力で俺にたどり着くまで待ってやろうか。いつまで経っても俺の所までたどり着けないようならあいつは無能だ」

 と何もしないことに決めた。わざわざ出向くことはしないが、無理に姿を隠すこともしない。出会ったとても、彼女が自分に気がつかないこともあり得る。

 先ほどバッタリ出会ったのは偶然である。だが、彼にもクインは一目でわかった。となりにジーヴェがいたのは意外だったが、あの逆三角顔は間違えようがない。

 向こうが自分のことに気がついたのに、わざわざ衛士の職務質問として話しかけてきたのが却っておかしかった。

 2人が腕を上げているのは解ったが、自分だってあの時とは違う。別れ際、小手調べのつもりで投げたナイフもあっさり叩き落とされたのも想定内だ。むしろあの程度で傷を負うようなら

「あの程度の奴と剣を合わせるなど馬鹿馬鹿しい」

 と笑ってそのままウブを去っていたかも知れない。

 彼は古びた壁にいくつも亀裂の入ったおんぼろアパートに入っていった。住民も入れ替わりが激しく、大家も「店賃さえちゃんと払ってくれれば、どんな奴だろうとかまわない」といちいち気にしない。部屋に死体が転がっていても、マナカ川に放り込んでから簡単に掃除をしてさっさと次の人に貸すぐらいだ。

 周囲の住人もほとんどここには近寄らない。

 そんなアパートの中を進み、一番奥の部屋をノックもせずに入る。

 中では数人の男達が上半身裸になって酒宴を開いていた。酒宴と言っても安酒と食い物が並ぶ汚れたテーブルを囲んで勝手に飲み食いしているだけだ。

「遅かったな。お目当ての女には会えたのか」

「ああ。やっと会えた。簡単な挨拶をしてきた」

 酒瓶を掴んではまるで水か紫茶のようにラッパ飲みする。

「他の連中は?」

「女を買いに行って戻らねえ」

 まずそうに酒を飲みながらバーバを見上げ

「お前の腕を見込んでいるからみんな黙っているが、もう限界だぞ。まったく、あんな目立つ殺し方しやがって。女なら殺すより犯すに限る。こっちも楽しめるし、相手も自分が辱められたことが公になるのを恐れて被害に遭ったことも黙ることが多い。

 それを真っ先に斬り殺しやがって」

 文句を言うこの男。いつもうつむき加減で相手を見上げるように睨み付けている。その顔がネズミのように見えるので仲間からはマウスフェイスと呼ばれている。本名はあったがいつの間にか忘れられた。本人も今は「マウスフェイス」で通している。

 マウスフェイスを中心とするこの男達。グループとなって街から街へ適当な店を見つけては襲い、金を奪ってはさっさと逃げだし別の町に行く。そしてそこで同じ事を繰り返す。これといった根城を持っていないため、衛士隊にとっては厄介な相手である。仲間も必要に応じて何人か声をかけ、事が済んだら分け前をやってさっさと別れる。あるいは分け前もやらずに口を塞ぐ。

 バーバはそんな彼らに声をかけられた。


 バーバも最初からクインに憎悪を向けていたわけではない。彼が初めて彼女を見たのは、彼女が道場の裏庭で洗濯をしている姿だった。聞くと空腹で倒れていたところをジュウザンが見つけ、家事をやることと引き換えに飯を食わせることにしたという。

「行き倒れ? いつの時代の話だ」

 呆れたものの、一生懸命家事をこなすクインの姿は微笑ましかった。手慣れているのか掃除洗濯も上手くこなすし、料理もなかなか美味かった。見よう見まねで剣の練習を始めたときも、ジュウザンが真面目に教え始めたときも彼の彼女を見る目は優しかった。半ば冗談で「あと7、8年したら嫁にしても良いかもな」と思うほどだった。

 弟子達の中で彼女に負けるものが現れても「クインが強いんじゃない。お前が弱いんだ」と笑っていた。

 彼女が気に入らない男達が集団で彼女を拉致し、暴行しようとしたときは、ジーヴェやジャック達と一緒に現場に踏み込み、男達を叩きのめしたぐらいだ。その時の全身痣だらけの裸で泣きじゃくるクインの姿は、彼にこうなるまでに助けられなかったことに、申し訳なく感じさせた。これは本当である。

 だが、そんな気持ちはその後のクインの変貌で一変する。顔つき目つきが変わり男達を打ちのめすばかりか、倒れた男達に容赦なく追い打ちをかけ憎悪の目を向ける。

 初めのうちこそ「あんな目に会わされたのだから男を憎むのも仕方がない」と思っていた。そのせいだろうか、ある日の手合わせで彼女に不覚を取った。初めて彼女に負けた。

 その時のクインの目。あからさまに彼を馬鹿にするような目をしながら鼻で笑う姿に、バーバの同情心は一瞬で霧散した。

 可愛さ余って憎さ百倍。これがバーバの気持ちを表す素直な言葉だった。彼と同じ思いの男は何人もいた。彼らはクインを助けたことを後悔し、あのままほっといて思いっきり犯されれば良かったんだと愚痴り合った。

 クインに変化が現れたのはそれから10日ほど経ってからだ。彼女が周りの男達を褒め始めた。が、その褒め方が無理やり過ぎた。やって当然のことを無理に褒め、大したことのない行為に感謝される。やられた方は馬鹿にされたように感じた。

 しかし、少しずつ彼女の褒め方にぎこちなさがなくなり始めると、褒められた男はまんざらでもなくなる。少しずつ「クインも反省したんだろう」「ジュウザン先生からキツく叱られたらしい」「あんな目に会わされたら、一時的にでも心が荒むよな」と彼女への嫌悪感を薄めていった。

 ただ、バーバの気持ちは変わらなかった。自分に勝ったときの彼女の目、あれ以来、本当に自分でもそう簡単に勝てなくなった彼女の実力が変えさせなかった。

(叩きのめしてやる)

 そう思ったが、すでにクインは彼と互角以上の腕になっていた。なかなか勝てない。勝てても圧倒的なものではない。しかも彼女は「うわー、負けた。やっぱりバーバは強いわ」と微笑んでくる。その度に彼はむしろ馬鹿にされた、わざと負けて勝ちを譲ってきたと感じた。

 決定的だったのは彼女の家事を手伝って「あんたのいい男レベルが上がった」と言われたとき。

(何だ、この女。いつからお前は男を計れるほど偉くなった? いい男かどうかはお前に判断されて決まるのか? 何様のつもりだ!)

 いつの間にか、バーバにとってクインを叩きのめすことが剣の目標の1つになっていた。

 だがその焦りが彼の成長の歯止めになったのだろうか。彼の剣は上達しなくなった。

 それに対しクインの剣の腕は着日に上がり、道場でも彼女に勝てる者はほとんどいなくなった。本来の明るさを取り戻した彼女は道場での人気も上がり始めた。

 そんな中、ジュウザンは引退を決めた。後継者がジャックとなるのは彼も納得したが、四方剣に自分ではなくクインが選ばれ、極意も彼女には伝授されるのに自分にはされないのは我慢できなかった。

 バーバは激怒しジュウザンの下に押しかけたものの彼の意見を覆すことは出来なかった。

 その時彼は言われた。

「剣の腕ならお前とクインはほぼ同じ。だが、極意を伝授するしないを分けたのは心の問題だ。

 お前も知っての通り、クインは男達に襲われ危うく辱めを受けるところじゃった。あの時、クインは男達の妬み、暴力、男の醜いところを嫌というほど見せつけられた。あの後、クインの剣がただひたすら男達をぶちのめす方向に行ったのはそのせいじゃろう。そこで儂はクインに男の良いところを見るようちょっとした課題を出した。

 儂もこれほどうまくいくとは思わなかった。もう良いと言っても止めずに続けている。あの良い男レベルが上がったというやつじゃ。

 かつて嫌悪した男という生き物と並んで、時には抜かれることも楽しむ。負けても私に勝つなんてすごいと笑って褒める。難しいことをあいつは平気でやるようになった。

 これなんじゃ。下のものに追い抜かれるのを喜ぶ心。それがお前に欠けている。

 お前は自分より格下と決めつけた相手が力をつけ、自分と肩を並べ、追い抜くことを素直に認められるか。お前は自分はクインより強いと思っているだけでなく、あいつは俺より格下、弱いと心の中に据え付けている。だからあいつが自分と肩を並べることを嫌悪する。あれこれ理由をつけてクインを自分より下に置こうとする。クインと同格に扱われるだけでも侮辱と感じる。

 昔から言うじゃろう。弟子の務めは師を越えること。言い方を変えれば師は、自分以上の存在を作るために弟子を取る。師弟とは言えなくても、道場で剣を学ぶ者ならば、周りが自分より強くなったとき、祝福できなくても悪くは言わぬ、素直にそれを認める心が必要だ。

 それが出来ないお前には、とても極意を伝授することは出来ぬし、伝授しようにもお前にはその意味がわからんだろう。

 お前が孤高の剣士ならばそれをせんでも良い。だが、孤高の剣士ならば今回の一件など気にせんよ」


 極意伝授の日、クインにやられたバーバは翌日にはそのことが既にジュウザン道場の弟子たちに広まっているのを知った。彼の動向が気になっ弟子の1人がこっそり彼を見張り、クインにやられたところを見ていたのだ。

 散々大口を叩いたくせに彼女に一刀で倒された。それも立ったまま意識を斬られるという格の違いを見せつけられる形で。負けたことも悔しかったが、それ以上にそのことを周囲に笑われることが我慢できなかった。

 そして彼はウブから逃げるように出て行った。

 剣は立つが金がない。プライドはあるが人脈はない。当然のように彼は犯罪に手を染めた。最初はただの通りすがりの女を斬った。金もなく腹も減った彼と通り過ぎる際、女が自分を笑ったように感じたからだ。斬られた女のバッグからこぼれ落ちた金袋を彼はとっさに拾って逃げた。その晩、彼は久しぶりに美味いものを腹いっぱい食った。

 最初は衛士達の目を気にしていた彼だが、次第に大胆になっていった。衛士達とすれ違っても誰も彼を捕まえようとはしなかった。さすがに数人殺すと衛士達がうろつき回り始めたが、そうなればちょいと別の町に行くだけだ。

 彼の標的は女ばかりだった。男を避けたのではない。裕福そうな、人生に成功しているような女を見ると腹が立つのだ。そして、そんな女達を斬るとき、彼は彼女たちとクインを重ねていた。

 自分を馬鹿にする奴を痛い目にあわせ、金が手に入り誰も俺を捕まえられない。バーバはこの生き方が気に入った。気に入らないことがあるとすれば

「あの女……クイン・フェイリバース」

 極意伝授の後に負けたのは単なる油断だと思ってはいるが、彼女の剣は侮れない。もしももう一度彼女に挑んでまた負けたら。そう考えると、つい足がウブから遠ざかった。

 マウスフェイスたちと出会ったのはそんな時だ。お互い同類の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。当たり前のようにバーバはマウスフェイスの手伝いをするようになった。彼の剣は評価され、いままでは敬遠していた店も標的となった。

 そんな中、マウスフェイスは次の仕事場にウブを選んだ。最初はためらいを見せたバーバだったが、長い間の成功続きに彼は大胆になっていた。

「ただ適当な店を襲うだけじゃつまらない。あの女に一泡吹かせてやる」

 彼はマウスフェイスたちに襲う店に条件をつけた。女主人の店。その代わり彼は自分の取り分を今までの半分で良いと言った。

 そしてただ襲うだけじゃない。彼は女主人達を問答無用で斬った。殺すならたっぷりその身体を楽しんでからという仲間達は文句を言ったが、彼は剣で黙らせた。

「さあクイン、出てこい。お前が守るべきこの街の女どもの屍を前に、自分がとことん無能であることを知るがいい」

 さすがに2、3件襲ったらウブから逃げだそうと考えていたマウスフェイスたちも露骨に不満を漏らし始めた。バーバもさすがに1件目で目をつけられるとは思わなかったが、2件、3件と襲っても彼女が探索に現れないのに苛立ち、仲間から不満も向けられるのも手伝ってわざと現場周辺をうろついた。少しでも早くケリをつけるために。

 そしてついにクインと出会ったのだ。


「次の襲う店は決まった」

 バーバの言葉にマウスフェイスたちは露骨に嫌な顔を見せた。

「どうした?」

「さっきの言葉を聞いていなかったのか。これ以上、ここにいるのはまずい。さっさと別の町に行くべきだ」

 バーバを囲む男達が、皆マウスフェイスと同じ顔をして見せた。

「おまけに何だ今までの店はよ。あんたがこの街の出だというので期待したら、どこもしけた店ばかり。もっと金の唸っている店はないのか」

「さっき次に襲う店と言ったが、どこなんだ?」

 手近なテーブルから酒瓶を取り、ラッパ飲みしてからバーバは

「ファウロ・ベーカリーというパン屋だ」

 途端皆が不満げに噴き出した。

「パン屋だぁ。冗談じゃねえ。小銭はたんまりあるだろうが、金額にすればショボいもんだ」

「ただのパン屋じゃない。店のある建物の上の階は、衛士隊の女子寮だ」

「冗談は止めろ。そんなところを襲ってみろ。衛士隊が他の事件をほったらかしにして俺達を狙ってくるぞ」

「これが終わったらその足でウブを出る。この店に限っては、俺は分け前はいらん」

 その言葉にマウスフェイスは怪訝そうに

「そこまでしてなんでその店を襲いたがる。てめえの都合で俺達を巻き込むんじゃねえぞ」

「その女子寮にいる女衛士に個人的恨みがあるだけだ。これが終わったら、俺はもうお前らの仕事に口は出さない。用心棒に徹してやるよ」

 マウスフェイスたちは

「ちょっと待て。皆と話す」

 隣の部屋に移り、しばし話し合っていたが

「良いだろう。その店を襲ってやる。いつにする?」

 これが彼らの判断だった。

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