臆病な嘘つき少女と元女誑しの彼
「それじゃあ、一日にひとつだけあなたのことについて質問してもいい?」
愛しい彼と少しでも一緒に時を過ごしたくて、私は困ったように私を見る彼にそう言って笑った。
いつからだろうか。
彼の、見ているこちらが切なくなるような視線から目が離せなくなったのは。
決まった相手は居ないのに、いつも美しい女性達を侍らせ、女性の噂が絶えたことのない彼は、学園では誰もが知っているような有名な女誑しだった。その男の名をロストと呼ぶ。
そんな彼の女遊びがピタリと止み、今まで交代制でやっていた彼女制度がなくなったのは、この学園に転校生が来てから三ヶ月後の事だった。
その転校生は愛らしい出で立ちに、くるくるとよく変わる表情。そして裏表のない性格をしていた。その純粋さと無邪気さは貴族社会の厳しさと肉食系女子からのアピールに疲れきったお坊ちゃん達の心を癒した。そして、お坊ちゃん達はすぐに転校生の彼女に夢中になった。
そしてそれは、どんな美女も三日で口説き落としてしまうと言われていたロストも例外ではなかった。
だから、きっと、というか絶対に、彼が女遊びの類を辞めたのは彼女を一途に思う結果なのだろう。
だが、彼女は―――転校生は彼を選ぶことは無かった。
沢山の優良な男性の中から彼女が選んだのは、植物が好きな心優しい少年だった。
とてもお似合いの、カップルだった。
決して負の感情を感じさせない二人の組み合わせはどこか浮世離れしているようで、多くの人がそのカップルをを祝福し、歓迎した。
そして、そんな二人が結ばれる後押しをしたのが、他でもないロストだったのだ。
彼の彼女を見る目は確かに熱を孕んでいた。
それは勘違いなどではなく、確かに彼は彼女に燃えるような恋をしていたのだ。
それなのに、ロストは自分の願いが成就するよりも、自分の愛する彼女が愛する人の傍にいられることを望んだ。
自己を犠牲にしてまで彼女の幸せを願うのに、どうしても隠しきれない彼女への恋慕の気持ちを滲ませるその瞳に私は強く惹かれた。
そして、私はそんな彼に恋におちた。
「ねぇ、ロスト。今日の質問ね!あなたの好きな食べ物はなに?」
だから私は今日も彼に付き纏って、質問する。
彼がそれを望んでいないと知っていながらも。
「好きな食べ物は特にないかな。ミミは今日も元気だね」
底の見えない笑みを浮かべる彼に私は無邪気に笑う。
「え〜、好きな食べ物ないのかぁ。残念!それがね、私、元気だけが取り柄なんですって!この前、友達に言われたわ。失礼よね、私だってもっといい所あるのに!!」
分かりやすく頬を膨らませて怒ってみせると、ロストは小さい子供にするように私の頭を撫でた。
現在地は学園の中庭。
滅多に人が訪れることは無いし、場所自体人目に付きにくい所なので、私とロストが一緒にいるのに気づく人はほとんど居ないだろう。
私はいつもここで一人、昼食をとるロストに付き纏って無理やり会話の時間を作っている。
「そうだね、こんな状況にいる俺に気兼ねなく話しかけてくれるのは君くらいだよ。優しいね」
「もー、子供扱いしないでってば!でも、いいもんね。ふふん、ロストに褒められた〜」
敢えて彼が口にしたある言葉には触れずに、私はロストの言葉に破顔する。
「本当に君は天真爛漫というか、元気ハツラツというか·····」
苦笑しながら生暖かい眼差しを私に向けるロストになにか反論しようとした瞬間、チャイムがなった。
「あ、チャイム。教室に戻らないと。楽しい時間をありがとう、じゃあね」
「えー、もう時間?·····惜しいけど仕方ないよね。
明日も質問するね!また明日!!」
一度も振り返らない背中にブンブンと大きく手を振ると私は息をついた。
一方的に明日の約束を結ぶ私と、「じゃあね」と別れを告げる彼の差に思わず気分が沈む。
彼はこれまで一度も私に次を予感させるような言葉を使ったことがない。
分かってる。彼の気持ちが今も転校生の彼女にあるってことくらい。私の気持ちに一切答える気がないってことくらい。
それでも私は彼に会うことをやめられないのだ。
彼が元通りに、正しい場所に収まるまでは。
元々私は、ロストのような学園の中心人物に自ら話しかけに行くようなキャラではない。
事実、転校生の彼女が植物好きな彼と結ばれるまで、私はロストはおろか、その周りのキラキラとした友人たちにも一度も話しかけたことはなかった。
というか寧ろ、私はどちらかと言うとロストの様な人種が嫌いだった。
幼い頃から、浮気性の母と束縛の激しい父がよく色恋のことで喧嘩をするのを見ていた為、この歳にして既にそういうことに嫌気がさしていた。だからロストのような女誑しを愚かだと思っていたし、馬鹿らしいと心の底から思っていた。
その、はずだったのに。
私は見てしまったのだ。廊下でふと目を向けた先で、彼女を見つめるロストを。
真っ直ぐで濁りのない彼女への彼の愛を。
誰かを一途に思い続ける彼を、その姿勢を、私は心の底から美しいと思った。
そして、あの瞳が自分に向けられたらどんなに幸せだろう、と思ってしまった。
きっとその瞬間から、私はもうロストの虜なのだろう。
「ロストー!今日の質問はね、好きな動物について!」
「好きな動物?猫、かな」
今日も今日とて愛想笑いを貼り付けるロストに気付かないふりをして私は「猫かぁ」と頷いてみる。
「私も猫は好き!可愛いもの。うちでも動物飼えたらいいのになぁ」
無理だろうけど。
心の中で密かに呟きながらはぁ、とため息をついた。
家で動物を飼いたいのは本心だ。殺伐とした日々に何か癒しが欲しいと最近、切実に思い始めている。
ただ我が家は現在、離婚するかしないかで大もめしているのでそんなこと言い出せる空気じゃないのだけれど。
いっそ、一人暮らしでも始めた方が心の平穏は訪れる気がするけれど、お金が無いんだよなあ·····。
割と本気でそんなことを考えていると、珍しくロストから「あのさ」と話しかけてきた。
それに対して私が満面の笑みを浮かべて「なに?」と返すと、ロストは私の目を見てしっかりと言った。
「もう俺に話しかけない方がいい」と。
「なんでそんな酷いこと言うの!!ロストは私の事そんなに嫌いなの?!」
突然の拒絶にショックを隠しきれない、というように目を見開くとロストは少しだけ視線を泳がせた。
「そうじゃなくてさ、君の耳にだって届いてるだろ?俺の噂」
私は自嘲するロストに何も返答しないで、不思議そうに首を傾げる。まるで、何も知らない無知の子のように。
ロストの表情が訝しげに変わったところでタイミングよくチャイムがなった。
いつもは忌まわしいチャイムだけど、今日は少し助かったかも。
私はホッとした雰囲気が外に出ないようニコニコ笑って「やっぱり、ロストといると時間が過ぎるのが早いな」なんて言ってみる。
ロストはそんな私にまだなにかを言いたそうにしていたけど、結局何も言わないまま口を閉じた。
「·····じゃあ、教室戻るね。ばいばい」
「うん、また明日ねー!」
いつも通り、一度も後ろを振り返らない背中に大きく手を振ると私は木にもたれかかった。
女誑しだった彼が、学園中の女子が虜になった彼が、どうしてうるさく面倒で馬鹿っぽい私の相手をしてまで中庭で一人、昼食を食べているのか。
その理由にも、やはり転校生の少女が関係している。
先程、私はロストはあのカップルが成就する為の後押しをしたと言った。それは確かだ。
ただ、ロストの場合はそれが原因で学園中から遠巻きにされている。
ロストは転校生の少女に思いを寄せながらも、少女の恋愛相談にも乗っていた。
少女からしてみたら経験豊富そうなロストに相談するのが一番だと思ったんだろうけど、彼からしてみたら酷なことだっただろう。
好きな少女が自分ではない誰かに惹かれている様子を本人の口から聞かなければならないのだから。
それでもロストは親身に彼女の相談にのり、彼と彼女が結ばれる手伝いをした。
だが、彼と彼女はなかなか結ばれない。
理由は、彼も彼女もえらく奥手だったから。
何かきっかけでもないと一向に変化する予兆のない二人を見たロストは考えた。
それならそのきっかけを自分が作ればいい、と。
それからロストはすぐに行動に移った。
相談に乗り始めてからは控えていた彼女へのアピールを再開し、彼の焦りを引き出そうとした。
さらに周囲にも彼女への気持ちをアピールして自分の存在を印象づけた。
それでも中々煮え切らない態度をとる彼にロストは大胆な行動を起こした。
それが、公衆の面前で転校生である彼女に無理矢理キスをするというものだった。
女誑しであるロストは去るもの追わず主義であり、自ら女性に無体を働く行為はしたことがなかった。
ロストの周りにいた女性達もそんな紳士な態度のロストに惹かれて一緒にいたのだろう。
そんな彼らしからぬ行動に周囲は驚いた。
そして、さらに驚いたのが少女の本命が別にいるということだ。
そこで周囲の目は一転、厳しいものへと変わった。
いくらイケメンだろうと、恋愛小説の中では許せる行動でも現実となるとそうはいかない。なにせ、思いが通じあってないのだから。
そして、その一連の流れを見ていた植物好きな彼がようやく動いた。普段は温和でマイペースな彼も好きな人が目の前でそんなことをされて黙っていられるようなタチじゃなかったのだろう。彼はロストを殴った。
それからしばらくしてからだ。彼と彼女が皆に祝福されるカップルになったのは。
だから今のロストは学園内では非常に居心地が悪いと思う。
皆、明確な悪意は表に出さないけどきっと心の中では彼に何らかの負の感情を持っているだろうから。
でも、私は知っている。
ロストは本当はキスなんてしていないってことを。
一連の出来事があったのは食堂でのことだった。
その際、ロストは壁際に少女を追い込んでキスをしようとした。だから多くの生徒からはキスをしたように見えたのだろうが、ちょうど壁際の近くで昼食を食べていた私からははっきりと見えてしまった。
唇と唇が触れる直前で故意的にロストが動きを止めたところが。
その直後に少年がロストを引き剥がした為、少女からしても彼がわざと止めたとは思っていないだろう。
そう、ロストはどこまで行っても彼女の幸せの為に自己を犠牲にするのだ。
きっと今、転校生の彼女の中でのロストの評価は最悪だろう。
まさか彼がわざと嫌われ役を買ったとは思いもしていないはずだ。
ロストはそれについて否定も反論もしなかった。
ただ、謝罪もしなかった。
心優しい彼女の事だ。ロストが謝罪してしまえば、その件は水に流して今まで通り仲良くしてくれるだろうに、彼はまるで自分の罪を背負うと言わんばかりに無言を貫いた。
だから益々ロストは孤立していく。
「ロストー!今日の質問ね!ロストの好きなことは?」
「好きなことか。身体を動かすことかな。汗を流すのは気持ちが良いだろ?」
「うわぁ、健康的なのね。私の好きなことは食べることよ!食べてると幸せになるし!!」
私の答えに彼はくすくすと笑った。
「むっ、馬鹿にしてるでしょ!」
「してないよ、ミミらしいって思っただけ」
むくれる私を宥めるように優しく笑った彼に私は簡単に機嫌をよくする。
と、その時チャイムがなった。
「あーあ。いつも時間が来るのがはやすぎる!」
ため息をつくと、彼は苦笑した。
「ミミはいつも元気だね」
「違うわ!ロストと会ってるからよ!」
「それは嬉しいな。さぁ、もう時間だし教室に帰ろう、じゃあね」
「ええ、またあした!」
大きく手を振って彼を見送ると、私も髪を解きながら自分の教室へと向かった。
「貴方のことが好きです」
私が初めてロストに話しかけた時に言った言葉だ。
彼は告白され慣れているだろうに大きく目を見開いて私を見ていた。まさか、今この時期に自分が告白されると思わなかったのだろう。
が、それも一瞬のことで次の瞬間には申し訳なさそうに「ごめん」とお断りの言葉を頂いた。
予想通りすぎて若干、泣けた。
けれど、話は終わりだとばかりに背を向けるロストを追いかけた私は「もっとあなたのことを知りたいの!」と無理矢理彼を引き留めた。
困惑気味のロストに私は言った。
「それじゃあ、一日にひとつだけあなたのことについて質問してもいい?」と。
「それだけだから!ねっ?いいでしょう?」と半ば押きる形でお願いすると、彼は諦めたようで「質問だけなら」とため息交じりに了承してくれた。
それからは、こうして中庭に押しかけてはロストに質問する日々だ。
それから二ヶ月の時が経って、最近ようやく少しずつではあるものの、ロストの評価が回復してきた。
理由は、ロストの想い人である少女がロストにはキスされていないと周りに話し始めたからだ。
少女もロストがそんなことをするわけが無いと心の底では思っていたらしく、今まであったことを整理していく中でロストが自ら嫌われ役を買ったという結論にたどり着いたのだ。
それでも、ロストは未だに一人、中庭で食事をとる。
でもそれが終わるのも時間の問題だろう。
そして私も、もう潮時だ。
「ねぇ、ロスト!将来の夢ってある?」
ロストは私の質問に少し悩んでから答える。
「ない、わけではないけどあんまり決まってないな」
「そっかぁ。将来の夢って漠然としてるものね」
「そういう君は?」
「へ?」
初めてのロストからの質問に私は驚いて素で固まってしまった。
「君の将来の夢は?」
フリーズしてしまった頭で何とかロストの質問に答えなければと、考える。
「私、は、幸せな家族かな」
「幸せな家族·····?」
不思議そうな声でオウム返しをするロストにしまった、と私は焦る。
これじゃあまるで、私が訳ありの構ってちゃんみたいじゃないか!
私は慌てて、「やっぱりケーキ屋さんかな!」と特に思ってもないことを言って訂正する。
すると、ロストはクスクスと笑って「君らしいね」と私の頭を撫でた。
「あー!また子供扱いしてるな!!」
「してないよ」
そう言いながら笑い続けるロストにむくれていると、チャイムがなった。
「あ、じゃあ教室に帰るね」
「うん!今日も楽しかったよ!!」
いつも通り、去ってゆく背中に大きく手を振る。
でも、いつもと違って今日は「またね」も「明日ね」も言わなかった。
だって、彼に会うことはもう無いから。
ロストに会いに行かなくなって一ヶ月程経った。
話で聞いた限りでは、今のロストは以前の評価とは打って変わって、学園中からあの二人のキューピットとして認識されているらしい。
そう、正しい場所に収まったのだ。
本来ロストが居るべき場所に。
私自身は、ロストの情報を耳に入れないようにしている為、現状は詳しく知らないけど。
「ねえ、ミスティ、やっぱり私言った方がいいと思うの·····」
「何を?」
チラリと横目で見ると、麗しい少女―――リリィは「もうっ」とほっぺたを膨らませた。
私と違って、この子は素でこういう仕草をしてしまうから愛らしい。
「ロストのことよ!本当はあなたから教えてもらった、って伝えましょ?」
「嫌よ。大体私の前でその人の話はしないでって言ってるでしょ?もうお菓子あげないよ」
「え、えっ?!そ、それは困るけど·····!!」
狼狽え始めてしまったリリィに私は微笑みを漏らしながら、一つ、小さなお菓子をあげる。
「じゃあ、お願いだからもう何もしないで、言わないで」
目を見て、いつもより強い口調で口止めをする。
リリィは小さな声ではあるものの「わかった」と頷いてくれた。
目の前のこの可愛らしい少女、リリィ。
実はこの子こそが、話題の中心にいる転校生の少女だ。
なぜ私とこの子がこんなにも仲良く会話しているのか、それを詳しく語るにはかなり長い時間がかかるので細かいことは端折るが、私はある日、ロストについての評価を正す為にこの子を呼び出した。
そしてそこで説明した。
ロストの彼女に対する恋心については私が勝手に語っていいことではないのでそこは避けたけれど、あとはありのままに何故紳士なロストが突然あんな行動をしたのか、ということを懇々と話した。
全てを話し終えた時、リリィは今までのロストの不可解ともいえる言動に納得したらしく、顔面蒼白になりながらも「ロストに謝らないと」と呟いた。
それから、リリィはすぐに行動した。
間違った認識を解くために自ら、ロストについての評判を正し、植物好きな彼と共にロストに謝罪しに行ったりもしたらしい。
私がやたらこの件について詳しかったのはそのせいだ。
何故かロストのことについて話したあと、リリィに懐かれた私はその後も彼とリリィ、それにロストのことについてよく相談に乗っていた。
だから植物好きな彼ともたまに話したりする。
が、私はもうロストの評判が元に戻った以上はロストに会うことはない。
誰でもない、自分にそう誓ったから。
私がロストに質問できるのはロストの評判が元に戻るまで。
それ以降は何があっても自ら話しかけに行かない、と。
元々、私はこんな騒動がなければロストの視界に入るような容姿や性格をしていないし、なによりも私はロストのことが好きではあるけど、ロストとどうこうなる気はなかったから、最初っからそう決めていた。
元に戻った今となってはロストも、ああそんな面倒臭いやつも居たなくらいにしか思ってないだろう。
第一、うっかりロストの目に入ることがあっても多分ロストは私に気づかないと思う。
何故なら、ロストと会う時の私と普段の私とは何もかもが違うからだ。
まず、私は普段あんな馬鹿っぽい話し方はしない。
あと、ロストと話す時は常にポニーテールにしていたけれど、普段の私はいつも髪をおろしている。
食べることが好きなのは事実だけど、あそこまで食いしん坊キャラでもない。
それに、私はロストに自分の名前は「ミミ」だと言っていたけれど、本当の名前は「ミスティ」だ。
どれもこれも彼に下手に警戒心を持たせないためと、元の生活に戻った時に後腐れないようにする為だ。
「さぁ、もうこの話は終わり!リリィはこの後デートでしょ?髪の毛、綺麗に編み込んであげる」
「え!!本当に?!やった〜!」
両手をガッツポーズにして喜ぶリリィに私はクスクスと笑いながら、彼女の絹のような髪を手に取る。
「ねぇ、ミスティ」
髪を編み込んでいると、リリィが少しトーンを落として話しかけてきた。
「んー?」
「あのさ、今ミスティのお家どんな感じなの?」
「どんな感じって?」
「その、あの·····」
口篭るリリィを見て、大体なにを聞きたいのかわかったので私は「どうもしないよ」と答えた。
「何も変わらない。相変わらず離婚するかしないかで揉めてるし、ものを投げつけあってる。私はそれに巻き込まれないように部屋にこもってるし」
家の散らかり具合と両親のヒステリックを思い出してため息をついていると、リリィが少し身動ぎした。
「ねぇ、ミスティ。しばらくうちにくる?」
「·····へ?」
「だ、だってさ、ミスティの腕にある痣、増えてるじゃない!
これ、ものが当たったからでしょ?失礼だとは思うけど、ミスティをそんな所に居させたくないよ·····」
若干、涙声になってしまった友人の頭を優しく撫でながら私は微笑んだ。
この子は本当に優しい。天使なのかな?
「ありがとう、でもそれは出来ないな」
「ど、どうしてっ?」
「んー、あのまま私があの家から出ていったらあの人達そのまま殺し合いでも始めちゃいそうだから、かな。特に父さんの方が」
「でも·····」
「じゃあ、本当にやばそうだったら頼らせてもらうね。それでもいい?」
なでる手を止めずにリリィに問いかけると彼女は何度も頷いてくれた。
それから彼氏さんに可愛い友人を預けると、私は帰宅する為に下駄箱へと向かった。
·····この痣、隠せてた気がしたんだけど、バレてたかぁ。
靴を履きながら、痣だらけになってしまった腕を見る。
家に帰ったら新しい隠し方考えなくちゃ。家、帰りたくないけど。
はぁ、と溜息をついて顔を上げる。
そして、目が合ってしまった。
私の想い人、ロストと。
私は咄嗟に目をそらす。
やばい、やばいやばい。早くここから去ろう。
私は早々に結論づけるとロストに背を向ける。
分かってる、私を見つけたところでロストは多分私のことが誰かわからないし、万が一分かったとしても追いかけてくるはずはないと。
分かってる。分かってるけど、分かっててもこっちからしてみたら、ちょっと気まずいんだよ!
ずっと付き纏っていたのに、ある日突然なんの謝罪もなく消えたんだから。
不自然にならないレベルで早歩きをしてその場から逃げる。
と、誰かにその手を取られた。
大きな、少し骨ばった手。
私はぎこちなく、後ろに振り返った。
「えっと、なんの、用でしょうか」
どうしようもなく泣きそうになりながら私はつっかえつっかえ、問いかけた。目の前の男―――ロストに。
「君はミミ、だろ?」
「·····え?」
「前まで俺と昼休みによく話してた」
「人違いです」
「は?」
そんな訳ない、と眉を顰めるロストに私は生徒手帳を見せた。
「私の名前はミスティです。それに、貴方とは話したことはありません。あの、私急いでるので失礼します」
「あ、ああ。·····ごめん」
呆然としたロストに私は頭を下げてその場から去った。
あ、危なかった。
·····まさか追いかけてくるとは思わなかった。
一言くらい謝罪しろよ、みたいな事かな。
だったら一度、ミミの姿で謝りに行った方がいいのかな。でも、今行っても他の女生徒に凄い睨まれそうだしな。
·····無駄なことは考えないようにしよう。
私は頭を振ると、黙々と道を歩いた。
それから何事もなく過ごしていたある日、両親がやっと離婚した。
話し合いの結果、私は母方の家で暮らすことになった。
が、そんなこと今はどうでもいい。
大事なのはそこではない。
やっと!離婚したのだ!両親が!!
「おめでとう、と言ってもいいのかな?」
植物好きな彼―――トラントが笑顔で私に聞いてくる。
「ええ!もちろんよ!!こんなに幸せなことってないわ」
満面の笑みで答えると、何故かトラントが横にいたリリィに目隠しをされた。
「み、見ちゃダメだよ。トラントくん!今の笑顔見たらミスティのこと好きになっちゃう!」
「なにを馬鹿な事言ってるのよ、リリィは。それよりも、リリィは祝ってくれないの?」
「え、えぇ!もちろん祝うよ!!おめでとう!!良かったね!」
勢いよく突っ込んできて抱きつくリリィに私は「ありがとう」と笑みを零す。
「本当に·····、良かった。だって、ミスティの傷どんどん増えていくのよ·····。私、私どうしようって·····」
じわじわとその大きな瞳に涙を浮かべる彼女に私は慌てて「ごめんって」と謝る。
「みんなに心配かけたくなくて。ごめんね、ありがとう」
「うぅぅ、良かったよぉ·····」
暫くはぐすぐすと鼻を啜っていた彼女だったけど、トラントと私の両方から慰められ落ち着いたようで、ゆっくりと顔を上げた。
「·····あのね、ミスティ」
真面目な顔で私を見るリリィに私は首を傾げる。
「なぁに?」
「あの、その、ね·····」
なかなか話を切り出さないリリィにもどかしさを感じていると、隣にいたトラントがクスリと笑い、リリィの代わりに用件を言った。
「実は、ミスティに会わせたい人がいるんだ」
「·····会わせたい人?」
誰だ?と不思議に思っていると、「もう呼んでるんだ」とトラントが笑う。
「入ってきていいよ」
トラントの呼びかけに、物陰から出てきたのは―――ロストだった。
「·····え?」
固まる私にトラントはニコリと笑った。
「それじゃあ僕達はデートがあるから」
「は?え、ちょ、ちょっと待って」
「ごめんね、ミスティ·····」
しゅんとしているリリィを私はキッと睨む。
「リリィ〜、約束破ったの?」
「だ、だってぇ」
泣きべそをかくリリィに威圧を続けていると、「俺が頼んだんだ」とロストが言った。
「渋る彼女達に俺が頼んだんだよ。だから彼女達は悪くない」
そう言うロストの瞳は、確かにあの時と変わらぬ熱を孕んでいて私は美しいと思いながらも痛む胸に蓋をする。
それより、ロストは今この状況を見て辛くないのかな?
だって今、リリィとトラントは二人並んでデートに行く、なんて言っているのだ。
これが辛くないはずがない。
だから気まずい気持ちはあるものの、あまり二人のことを引き止めるのもどうかと思って私は「わかった」と二人に伝えた。
「取り敢えず、事情は後で聞くけど二人ともこの後出かけるんでしょう?行ってきていいよ」
「ミ、ミスティ·····」
控えめに私の名前を呼ぶリリィに私は安心させるように笑いかけた。
「大丈夫、もう怒ってないから。行ってきな」
「う、うん。ごめんね!行ってくるね!」
「いってきます、あとは二人でごゆっくり」
少し心配そうに私を見るリリィとまるで親戚のおじさんのようなことを言うトラントを送り出して私はロストに向き直る。
何故ロストがここに来たのか大方の見当はついている。
「その、もう分かってるんですよね?」
取り敢えず、確認をと思って問いかけるとロストは黙って頷いた。
「この前、お会いした時に嘘をついて申し訳ありませんでした。私がミミです。とは言っても、ミミは偽名で本当の名前はミスティと言います」
話す声が震える。
「·····今まで付き纏っていたのに謝罪もしないで申し訳ありませんでした。あと、偽名を使っていたことも」
私が頭を下げてもしばらくの間、ロストは何も言わなかった。
「君の」
ロストが発した声に私は顔を上げた。
さっきまで熱を孕んでいた瞳に代わりに浮かぶ感情は、·····これは怒り?
「君の素はそっちなの?」
「えっと、はい。一応、普段はこんな喋り方です」
「敬語やめて」
「あ、はい。·····じゃなくて、うん」
いつもよりぶっきらぼうな彼の言い方に私は少し緊張する。
「どうして俺から逃げたの?」
「逃げたっていうか·····、め、迷惑かなと思って?」
疑問形に疑問形で返す私。
やっちまった·····、と一人青ざめているとロストが「迷惑?」と呟く。
「俺は一度もそんなこと言ったことも思ったこともない」
「いや、でも楽しそうにしてなかったし」
「俺は俺なりに楽しんでたんだけど」
·····何も言えない。
でも、それならなんでこの人わざわざ私に会いに来たの?
···そもそも本当に私に会いに来たんだよね?
もう、色々と訳が分からない。
「俺のことは今でも好き?」
「は?」
「今でも、俺のこと好き?」
思わず聞き返すと、ロストはもう一度同じ質問をしてきた。
今でも好きかって?
·····そんなの好きに決まってるじゃないか。
あんなに綺麗で真っ直ぐな愛の形を見たのは初めてだった。
あんなに熱くて、切なくて、美しい瞳を見たのは初めてだった。
貴方の愛の形に惚れたんだ。
関わらなくなって、この目で貴方を見ることがなくなった今でもどうしようもなく、貴方に惹かれてる。
でも、今更言えるわけが無い。
だって、今のロストはきっと皆の知るような、女性みんなに優しくするあのロストなんだろうから。
もうあの時、一人で中庭にいたロストじゃない。
今更、もう一度想いを伝えるなんて·····。
そんな怖いことできるわけが無い。
私はどうしようもなく臆病で卑怯なのだ。
「答えて」
俯いて考えていたからか、いつの間に近くに来ていたロストに気づかなかった。
初めての距離感に私は焦る。
「え、ちょっと待ってください」
「敬語やめてって言ったよね?」
距離を置こうと手で押しても、大きな体はビクともしない。
それどころか彼は私の顎をすくって、私と強制的に目を合わせた。
その瞳に先程あった怒りはなく、代わりにあるのはリリィに向けていたような、どんな宝石さえ霞む程綺麗で身を焦がすほどの熱―――。
「好き」
気づいた時には既に口から出ていた。
それ以外、何も言えないほどに貴方のことが好き。
「良かった、嫌われたかと思った」
綺麗に心底嬉しそうに微笑むロストに私は心の底で閉じ込めていた想いが溢れだす。
「嫌いに、なれるわけ、ないっ·····!」
訳も分からないまま、ボロボロと突然溢れ出す涙を拭う。
すると、涙を拭う手を優しく包み込まれた。
「俺も、ミスティのことが好きだよ。世界中で一番」
「·····な、何言ってるんですかぁ」
言われたことが意味がわからなさすぎて、返した答えは情けないものになってしまった。
「君が中庭に来なくなって、気が狂うかと思うくらい恋しかった。俺、ミスティが来なくなってからもずっと君のことを中庭で待ってたんだよ」
「う、嘘·····」
「嘘じゃない。ねぇ、もう一度言って?俺のこと、好き?」
「す、好き·····」
消え入りそうな私の言葉さえも彼の耳には届いたようでそれはそれは嬉しそうに微笑んでくれた。
そして、彼は私を抱きしめた。
「ああ、良かった。やっと、やっとこうして抱きしめられる。ずっと、こうしたかった」
いきなりの行動にぴしり、彼の腕の中で固まる私の耳元で彼が「好きだよ」と囁いた。
「ちょっ、なっ、はぁ?!」
私の顔は今、きっと熟れてる林檎にも勝る赤さだろう。
「やっと会えたと思ったのに、他人のような態度を取られて、そそくさと逃げられて·····、あの時俺がどれだけ絶望したか」
「ちょ、ちょっと待ってください!でも私、本当は貴方と中庭で話してる時みたいな性格じゃなくて·····!」
「うん。だから?」
「だ、だから·····?!いや、その、だから貴方が好きになったのは私じゃなくて」
「確かにミスティだよ」
否定の言葉をやんわりと遮られて、代わりに胸焼けしそうな程に甘い笑みを向けられた。
「君がどんな態度をとろうと、君の本質は何も変わらない。僕が好きになったのは、紛れもない君自身だよ」
思わず口を開けたまま固まってしまった。
だって、私、本当にこういうのに慣れてなくて·····。
「ねえ、もう俺から離れないでね。俺、ミスティがいなくなったら今度こそ狂ってしまう」
「待ってください、ちょっと一旦落ち着かせてくだ」
「敬語」
「落ち着かせて」
「やーだ」
私の願いも虚しく、ロストは益々私を強く抱きしめる。
「待って·····。貴方こんなキャラでしたっけ?」
「俺、好きな人はデレデレに甘やかしたいタイプなの」
「す、好きな人」
改めて口に出されて私の思考が止まった。
·····やっぱり、私にその言葉を言うのはすごい違和感あるんだけど。
「あの、だって、リリィは?」
「うん?それを君が聞く?酷なこと言わせるなぁ」
眉を下げて笑った彼は私の髪を撫でながら話し出す。
「確かに好きだったよ。でも、俺は略奪は絶対にしない主義なの。それに、彼女以上にミスティのことを好きになっちゃったんだ。仕方ないだろう?」
なにか反論しないと、と私の中の謎の反抗心が荒ぶる中「それよりも」とロストが少し声を固くした。
「俺は他の男が、俺より親しげに君を名前で呼んでいることが許せない」
「は?」
「トラントは君のことをミスティと呼んでいるだろ。君も親しげにトラントと話していた。正直、嫉妬でおかしくなりそうだった」
「いやいや、だってトラントはリリィのボーイフレンドですし」
「でも君はまだ再会してから俺の名前を呼んでくれてないじゃないか」
「は?」
「名前、呼んで?」
また、耳元で囁かれた。その瞬間、私は自分の顔に血が上るのを感じた。
「お願い。俺の名前をまた呼んで」
乞うような声に我慢出来なくなって私はぎゅっと目を瞑った。
「ロスト」
「うん、ミスティ。好きだよ」
そう言いながら彼はまた私の顎をすくい、顔を上げさせる。
彼の瞳はトロリと蕩けるような不思議な色合いをしていた。
「ねえ、ミスティ。キスしてもいい?」
咄嗟に無理です、と言おうとしたのにあんな瞳で見られてしまったら、何も言えなくなる。
私が「あ、う」なんて呻いている間にロストの綺麗な顔が近づいてきた。
「無言は肯定と見なす」
低い声の呟きが聞こえてきた瞬間、私の唇に柔らかいものが触れた。
あっという間の出来事に動けずにいると、またロストが近づいてくる。
ええっ?!と慌てて逃げようとしたのに、腰と頭をしっかりと引き寄せられ、動けない。
そうしているうちにまた唇が触れる。
突然のことに顔を真っ赤にして呆然としていることしか出来ない。
「はっ、我慢できなくなりそう」
うっすらと頬を紅くしたロストがそんな私を見て微笑んだ。
「やっと手に入れた、俺の最愛」
その言葉に、その瞳に私は捕らわれて、また惹かれる。
彼の全てが、私を掴んで離さない。
多分、ロスト視点も書きます。
·····書きたい、です。
そしてきっと彼はかなりヤンデル系男子。