【書評】風のないエデン
「風のないエデン」は、2020年に初版が刊行された長編小説だ。出版から早二十年以上も経過し、なおかつそれほど有名な作品でもないが、私の心の中では今なお不朽の名作として存在し続けている。
物語の内容はいたってシンプルである。自然豊かな片田舎を舞台に、単調な毎日に飽き飽きしている主人公の少女「中島楓」と、この土地を開発しようとやってきた資産家の息子「神谷健」がある日出会うところから始まる。
最初は反発しあう二人だったが、その内に、健は楓の田舎暮らしに対する鬱屈とした感情、そして楓は健の冷徹な父親への反発心を知ることになる。それから彼女たちは互いに惹かれ合うようになり、最終的にある「計画」を実行する。それはこの「風のないエデン」に一陣の烈風をもたらすことになる…。
当時高校生だった私が書店でこの作品を読んだ時、背筋に電流が走るほどの衝撃を覚えた。ストーリーやプロット自体はありきたりなものだったが、それを補って余りあるほどの表現力の豊かさと緻密な描写力。少し立ち読みしただけで、私はそれをレジに持っていくことにためらいはなかった。
終盤、二人は文字通り「吹き曝し」になった村の真ん中で呆然と立ちすくむ。そこで健が口にした言葉が私の胸に突き刺さった。
「お前さ、前言ってただろ?平和で、のどかで、揉め事もなくて、だからこそ『風』を感じることができない、この村のことが大嫌いだったって。なあ、今のこの村の状況を見てどう思うよ?遮るものがなくなって、守られていたことを知った気分は。」
失って初めて、そこが楽園であったことを知る。そして楽園が失われてもなお、人間は生きていかなければならない。この作品のテーマを端的かつ的確に表現したセリフだ。
その後私は偶然「風のないエデン」を執筆した蘗丁子という人へのインタビューを雑誌で発見した。外見は伏せられていたので分からなかったが、インタビューでの語り口からも、聡明な人物であることは読み取れた。
その記事で蘗先生はあることを口走っていた。
「実はね、この作品には原典があるんです。確かこれを書く二年くらい前かな。あるサイトで『存在しない小説を推薦している人』が居てね。簡単なあらすじも書き連ねてあったんだが、まあそこそこ面白い小説になるんじゃないかなって思ったんですよ。それで書いたのがこの『風のないエデン』だったんです。」
なるほど不思議な話もあるものだ。私は感心した。
皆さんにも是非この作品を読んで頂きたい。とても二十年以上前に書かれたとは思えない、繊細で、かつ起伏に富んだ非常に面白い作品だと私は太鼓判を押す。所々に見える懐かしさを感じる表現(確かこの年には東京オリンピックも開かれていたはず)に胸を弾ませるのも、この小説の楽しみ方の一つとして存在するのではなかろうか。
もちろんこれもフィクションです。実在の人物、作品等とは(ry。
というか蘗先生それ盗作なんじゃ…?