第五話「呼び出し」
高校から程近くにあるファーストフード店内では、学校帰りに寄り道をする学生たちで賑わう頃合いとなっていた。
店内の一角にある四人掛けの席には、楠を放置して下校した五百瀬達も陣取っていた。騒がしさに負けない声量で、前田が五百瀬に話しかける。
「んにしても、ほっといて良かったのかよ。またビビって何もしなかったらどうすんだ?」
「それならそれで、あいつが余計に追い込まれるだけの話だから別にいいさ。時間が経てば経つほど、不利になるのはあいつだよ」
「は、そんときはもっとキツめに締めても良いんだよなぁ」
話題になっている『あいつ』とは、もちろん今日の昼休みに虎石の件で追い詰めた楠のことだ。
昼休みにやるべきことを伝えはしたが、あえて監視や強要をせずに、行動自体は楠の意志に任せてある。相手を直にいたぶることに悦びを求めている前田にとってはやや消化不良だったが、その点に関して五百瀬は慎重だった。
より確実に追い詰めるためには、やり過ぎてはいけない。暴力だけに頼った場合、まずやる側に刺激が足りなくなる。そうして麻痺した感覚で更なる刺激を求めて暴力に過激さが増していけば、やられる側に限界がきてしまうからだ。
それでは長く保たないし、取り返しのつかないことにでもなれば隠蔽するのも面倒になる。
別に五百瀬は楠の命を重んじているわけではなかった。彼がいてもいなくても変わらない、どうでもいいヤツだという評価は前田達と同じくするところである。
そう、『どうでもいいヤツ』だからこそだ。そんな奴のことで今後の人生に秘密を抱えるような真似はしたくない。
殺すのなら、肉体ではなく心の方だ。
いかに罪を犯さずに、相手を思い通りに動かせるか。
計画を練り、駒を用意、利用して、実行に移す。
支配欲の強い五百瀬にとって、これは今後社会に出たときにでも使えるノウハウを構築するためのシミュレーション――あくまでもそういう『ゲーム』なのだった。
そして、ゲームは一人でやっていても面白くない。対戦相手がいた方がより楽しめる。
「――と、きたか」
スマホから鳴る通知音を聞いた五百瀬がズボンのポケットに片手を突っ込む。取り出したスマホのロックを解除した彼は、即座に届いたメッセージを確認して笑みを深めた。
「んだよ。誰からだ?」
表情を変える悪友を見て眉をひそめる前田を、五百瀬は笑んだまま視線を上げて見返した。
「ああ、トラからだ。これから楠と連絡をとるそうだよ」
*
結月さんと入れ替わる形で職員室を訪ねた僕だったけれど、結果だけ言えばたいした成果は得られなかった。
学校に残っても進展は望めず、どうしようもなくなった僕はとぼとぼと夕暮れの帰路につきながら、その時のことを思い返していた。
『なんだ楠、お前もか?』
先生と話はできたものの、探りを入れるための会話の導入など思いつかなかった僕は、「虎石くんが風邪というのは本当ですか?」と馬鹿正直に質問してしまっていた。
どことなく先生はうんざりとした顔だったように思う。『お前もか』と逆に訊ねられて一瞬疑問を感じはしたけれど、僕は職員室独特の空気に緊張していたため、訊ね返す余裕はなかった。
『親御さんが風邪だと言っているのだから、何を疑う必要がある。それともお前、何か訊ねないといけない事情でもあるのか?』
懐疑的な眼差しを向けられては会話を続けられそうもなく、追及を避けるため「心配だったので……」とお茶を濁すくらいが関の山だった。僕は早々に内心で白旗を揚げて「すいませんでした」と謝って立ち去ろうとした。
しかし、先生はまだ何か言い足りないのか、僕を呼び止めて小言を始めたのだった。
『楠、いい機会だから言っておく。先生はお前の性格そのもの……個性を否定するつもりはないんだがなぁ……もう少しクラスに溶け込む努力をした方がいいと思うぞ』
出し抜けにそう言われて、僕は返事ができなかった。僕の顔を見てどう思ったのか、先生は更に続けて言った。
『近頃は五百瀬が気を回しているようだが、お前自身も頑張らないとな」
それを聞かされた僕は、今度こそ本当に言葉を失っていた。
どうやら先生の中で僕と五百瀬達の関係は、クラスに馴染めない内向的な性格の同級生に気を回して構っているグループというものになっているらしい――いつの間にか、五百瀬がそういう風に吹聴していたのだ。
『話は終わりだ。気をつけて帰れよ』
そうして、ただの一言も反論できないまま、僕はただただ突き放された思いのまま職員室を後にして今に至る。
五百瀬の立ち回りが上手いのは今に始まったことじゃないし、先生に何か特別な期待をしていたわけでもない。
それでも、絶望的な気分に拍車がかかったのは事実だった。
たとえ僕が五百瀬達から受けた仕打ちを訴えたところで、何が信用され、都合のいいように解釈されるのかは大体想像がつく。
人は自分の信じたい意見を積極的に信じるもの……どこかで聞いたような気がする知った風な言葉。五百瀬が先生に対して作り上げている筋書きは、そんなものなのだろう。
――とりわけ、虎石と行くはずだった楠の責任は大きい。
――お前も人殺しだなんて、言われたくはないだろ。
「…………ッ」
想像するのは最悪の未来。このままだと、本当に僕の――いや、僕だけの責任にされかねない。
こうなったら、五百瀬に言われた通りにするしかないのか。
それとも、何もしないか。
後者の可能性が頭を過ぎった瞬間、後ろ暗さに気分が猛烈に重くなる。
これじゃあ、五百瀬の言った通りじゃないか……。
クズ――
違う……僕はクズじゃない。悪いのは五百瀬達だ。本当に責任をとらないといけないのはあいつらだ。
だいたい、あいつらは虎石くんのことなんて心配せずに、僕を脅す良い口実になったくらいにしか思っちゃいないんだ。あいつらの方がクズだ。
だから僕はクズじゃない。絶対にクズじゃない。
奥歯を噛み締めて、どん詰まりの思考をぐるぐると頭の中で煮え滾らせているうちに、とうとう家に着いてしまった。
住宅街の一角にある、とりたてて特徴のない普通の家だ。今日は母さんがパートの日だから、まだ家には誰もいない。
玄関の鍵を開けて靴を脱ぎ、シンと薄暗い階段をあがって自分の部屋へと進む。
勉強机と、ベッドと、本棚しかない、狭いけれど僕だけの空間。僕しかいない場所。
そのドアを閉めた瞬間、張り詰めていた空気が切れた。
「あああああああああああああああああああああああああああッ!!」
肩に下げていた鞄を力任せに机に向けて投げつける。鞄は机の上に置かれていたペン立てにぶつかり、派手な音をあげてペン立てをひっくり返して中身を散乱させた。
やり場のない激憤に駆られて、握り締めた拳で衝動的に何度も机を叩く。怒りの熱はまったく収まりはしなかったけれど、拳の痛みで行為を中断する。
じわりと赤く熱を帯びる拳がまた、神経を逆撫でする。どうして僕だけがこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!!
部屋の中のあらゆるものに当たり散らしてメチャクチャにしてやりたかったが、どうせ最後に片付けるのは僕になる。ほんの少しだけ冷静になった僕の目に、床に転がるスマホが映った。
通用しなかったけれど、五百瀬達に忘れたと言ったのは真っ赤な嘘で、昨夜から電源をオフにして机の上に放置していたのだ。今の八つ当たりに巻き込まれて落ちたのだろう。
「…………」
のろのろとスマホを拾い上げた僕は、覚悟を決めて電源をいれた。
案の定と言うべきか、昨日の深夜からLINEには五百瀬達からの怒濤のメッセージが届いていた。その全てが逃げ出した僕を罵倒するものであるに違いない。
とてもではないが、いちいち全部を確認してはいられない。胸がむかむかと気持ち悪く、目眩を起こしそうになってベッドに座り込む。
確認するのは五百瀬達のグループではない。僕は廃遊園地に行くと約束したその日、虎石くんと連絡先を交換しあって作った二人だけのグループを見た。
メッセージは数件入っている。でも、これは昨日送られたものだろう……。
『楠、まだ来れないのか?』
現れない僕に対する虎石くんからの催促のメッセージを見て、僕にはそんな資格はないのかもしれないけれど、改めて罪悪感を覚えた。
確かな状況は分からないけれど、『俺一人で行ってくるから気にするなよ』という一文を最後に連絡は途切れていた。
察するに、虎石くんは一人で遊園地の中に入ったのだろう。
そして、風邪だとは知らされているけれど、彼の姿をはっきりと誰も見ておらず、直接連絡も取れていない。
……行くしかないのか。
もう僕が安心するためには、虎石くんの姿を直接確かめるしかない。そう思ったのだが、僕はこのとき重要なことに気が付いた。
頭を抱えたくなるほど間抜けな話だ。虎石くんとは教室でたまに話しかけられる程度の間柄でしかない僕は、彼の家も住所も知らないんだった。
職員室に立ち寄ったせいで、今日はもう遅い。また明日にして、五百瀬に訊くか……そんな先送りに対する言い訳が浮かんでくる。
いや、でも……たぶん、五百瀬は試しているような気がする。用意周到なあいつが、虎石くんの家に行けと言いながら、僕がその場所を知らないことを見逃しているとは思えなかった。
放課後、僕を監視していないのはそういう理由もあるのか? 僕を弄んで、どう動くのか観察しているのか?
スマホを持つ指先に力がこもる。自分の部屋。自分だけの空間にいるはずなのに、どこからか見られているような気分だった。
ずるずるとこのまま悩んでいては本当に日が沈んでしまう。けど、僕は自分で決断するのを躊躇い、俯いたまま時間が過ぎるのに身を任せることしかできずにいた。
スマホから通知音が鳴ったのは、そんなときだった。
『お、既読がついたみたいだな。見るのが遅いぞ、楠』
「え……」
反射的に開いたメッセージの送り主を見て、僕は目を見開く。
『返事がないようだが、今時間はあるか?』
『虎石くんなの?』
指先を震わせながら、僕はメッセージを打った。すると、すぐに返信がやってくる。
『ああ、そうだよ』
『ちょっと考えがあって、昨日から家には帰ってないんだ。それで学校にも行けなかった』
『色々と心配をかけてはいるんだろうが、悪かったな』
あまりの安堵に涙腺が緩みかける。早速僕は虎石くんへ疑問を投げかけていた。
『じゃあ、今どこにいるの?』
『それなんだか、実はまだ遊園地にいる。このことは五百瀬たちにも言ってない』
『え……どういうこと?』
『その辺は直に会って話したいんだが、逆にはめてやろうと思ってね。なあ、楠もあいつらを痛い目にあわしてやりたくないか?』
その虎石くんからの問い掛けに、僕はどう返事をすればよいか分からず指を止める。
五百瀬達を? 痛い目に?
きな臭い提案に、虎石くんが無事だったことに対する安堵感が急に薄らいでくる。彼は何を言おうとしているんだ。
『今夜の、そうだな……0時頃に会えるか? 来てくれるなら、例の廃遊園地の噴水前で待っている』
『この会話は五百瀬に見られたら困るからな。判断は任せるが、どっちを選ぶにしろ削除しておいてくれ』
『それじゃあな。今度は裏切らないでくれるって期待してるぜ』
戸惑う僕を余所に、虎石くんからのメッセージはそこで終わった。
詳細は何も教えてはくれず、一方的に告げられただけ。彼が何をしようとしているのか、とてもではないが現段階で僕には理解できるはずもなかった。
けれど、待っていると言われて……裏切ってしまった僕に、機会を与えてくれたように思えた。
いずれにせよ、虎石くんの無事な姿を確認する以外に、僕がとれる行動はない。
もう、僕に残された退路なんてなかったのだった。