第四話「放課後」
僕に【クズ】というアダナをつけた日から、五百瀬達はことあるごとに僕に絡むようになった。
五百瀬達のグループに僕が混ざったことで、最初こそ同級生達は奇異の目で遠巻きに様子をうかがっていたが、それもすぐになくなった。
それはつまり、僕が五百瀬達といるのが、暗黙のうちにただの日常的光景になったということでもあった。
意識的に関わり合いになろうとしていないのか、誰も僕のことなんかに興味を持っていないのか……いずれにしても、助けなんて期待はできそうになかった。
単純な暴力、使い走り、机や下駄箱なんかにゴミを入れられ荒らされる――五百瀬達のやることはそんな定番なことだったが、五百瀬はよくその様子を動画に撮っていた。
その動画は五百瀬の内輪で共有されている。僕も自分自身が弄ばれている様を、幾度となく見せつけられていた。
五百瀬の理屈では、僕は自分がいかに愚図であるかを客観的にみて分析する必要があるってことらしい。
僕自信が抜け出そうとしない限り、この関係は続いていく。
そして、五百瀬達が提示した脱け出す方法はただ一つ――僕が彼らの言うところの【クズ】でないと認めさせること。
けれど、それは無理と分かり切っていることだった。
一度、僕を鍛えるという名目で前田と一対一で喧嘩の真似事をさせられたことがあった。
どちらかが参ったと言うまで勝負は続くルール。もともと背も平均以下で身体も鍛えていない僕に勝ち目などはなく、前田は速攻で僕にのし掛かり、何も言えないように口を塞ぐ形で絞め技をかけてきた。
あまりにも苦しくて自分でも訳が分からずに抵抗した。その結果、僕の指の爪先が前田の頬をかすった。
本当に、ちょっと当たったくらいのもの。僕にも当てたという自覚はなく、傷つけるには程遠い、反撃とは言えない反撃。
でも、前田はめちゃくちゃにキれた。【クズ】である僕から攻撃を受けるなど、前田にとっては有り得ないことだったのだろう。奴の気の済むまで僕は殴られ続けた。
無理というのはそういうことだ。僕が少しでも反抗しようものなら、暴力でその意気地を丸ごと叩きつぶされる。もがけばもがくほど締め付けは強くなり、泥沼に陥るのは目に見えているのだった。
いったい、後どれだけ眠ればこの日々は終わるのか。
クラス替えがあるまでの一年間……あるいは、五百瀬達が飽きるまでか、高校生活ずっと……か。
廃遊園地に行ってこいと脅されたのは、ヘタレで度胸のない僕を鍛えるという名目の一つとしてあげられたものだった。
真夜中、たった一人で廃墟と化した遊園地へと赴き、証拠としてレポートつきの動画を撮ってくる。内容としてはそんなものだった。
安全なんて保証されてはいないし、当然これっぽっちも行きたくはなかった。でも、拒否権がないことも骨身に染みて分かっている。
虎石くんが僕達の間に入ってきたのは、そんなときだ。
『面白そうだな。俺も混ぜてくれよ』
虎石くんはその場で僕と一緒に廃遊園地に行くことを約束してくれて、五百瀬達もそれを了解した。
突然に僕を助けるように口を出してきた虎石くんにしても、それを許した五百瀬達にしても、どういう風の吹き回しだったのかは正直なところ今も分からない。ともかく、僕は虎石くんと廃遊園地を探索することに決まった。
けれど……いざ当日となり、僕は怖気づいた。虎石くんを裏切ったのだ。
*
風邪で欠席したという虎石くんは、その日の昼休みになってもやはり登校してこず、僕の一縷の望みは絶たれてしまったと言ってよかった。
そして――
「とりあえず土下座じゃね?」
表面上は一緒に弁当を食べようと誘われる形で五百瀬達に校舎裏に連れられた僕は、コンクリートの地面に両膝をついていた。
目の前で僕へ言い渡す罪状を相談し合っていた前田、田川、川上の結論として、まずは前田の意見が採用されたようだった。
「『僕は約束を破って虎石くんを見捨てました。最低の【クズ】でごめんなさい』」
その様子を見物しながら弁当を食べていた五百瀬が、視線を上げて口を挿む。何を言われたのか理解が追いつかない僕に、彼は諭すように続けて言った。
「復唱だよ。本当に悪いって思ってるなら、それくらいできるだろ?」
ぐ、と鳩尾のあたりが重く締め付けられて言葉に詰まる。
「そりゃいいな、悪いことをしたら謝る。当然のことだよなぁ?」
「早く言えよ、【クズ】」
「黙ってれば終わると思ってんじゃねえぞ!」
僕を見下ろして罵倒する前田の手が、僕の後頭部に伸びる。髪をつかまれた僕は、力任せに額をコンクリートの地面に擦りつけられていた。
「さっさと言えよ! 【クズ】でごめんなさいってな!」
「い……ッ! 痛い! 痛い!」
「は、ちゃんと喋れるんじゃねえかよ。都合の良いときだけ口開いてんじゃねえぞ!」
怒鳴られながらも、僕には謝罪を強要される意味がまるで分からなかった。
百歩譲って謝るとしても、それは虎石くんに対してのはずなのに。どうして五百瀬達に、惨めったらしく謝らないといけないのか。
征服感に酔ったギラついた目で暴力を振るう前田。田川と川上は前田を煽り、暴力が更に過激なものになるようはやし立てようとしている。
こうなったこいつらは、もう僕が何を言ったところで止まらない。僕が痛みに泣き叫べばうるさいと怒鳴られ、我慢して黙っていても何とか言えと罵られる。僕がどんな行動をとったところで、こいつらは納得しない――詰んでいるのだ。
でも……それは、まだいい。ただの暴力には堪えられる。
肉体の痛みは回復する。額が切れて、手の皮もすりむけているけれど、時間が経てば身体の傷は治るのだから。
本当に怖い奴は、前田達の行為をいまもその後ろで静観している五百瀬の方だ。
いまは五百瀬も前田の暴力を止めようとはしていないけれど、その目はしっかりと止めるべきタイミングを見定めるように細められているのだ。
「……前田、その辺でやめとこう。あんまり目立つ傷はつけない方がいい」
ほら……きた。
「あぁ? 加減はしてるっての。だいたい、こんなヤツが怪我してようが誰も見てやしねえよ」
前田は暴力的な笑みを浮かべて言い返しはしたが、それ以上のことはせずに大人しく僕を解放した。
僕の肉体が根をあげてしまう寸前に引き上げられる暴力。そのギリギリで一番よいタイミングを五百瀬はいつも探っているのだ。
「楠、謝罪はもういいよ。けど、これからどうすべきかくらいは考えられるよな」
「どう……って?」
「おいおい、少しは脳みそを働かせてくれよ。決まってるだろ。虎石が本当に風邪なのか確かめるんだ」
「でも……先生は風邪だって……」
「お前の言いたいことは分かるよ。虎石がただ風邪をひいて寝込んで連絡がとれないってだけなら、ただ待っていればいいわけだからな。わざわざ先生の言うことを疑ってまで確かめる必要性は低い……。でもな、今の俺たちが考えるべきは最悪の状況なんだ」
膝をついたままの僕の前で五百瀬が屈み、目線を合わせて少し顔を近づけてくる。
「仮にだ。朝にもちょっと言ったが、虎石が遊園地から戻っていなくて無事じゃなかったとする。だとするとどうだ? 事情を知っている俺たちの責任ってことになりかねないだろう」
落ち着いた声で、なだめすかして諭すように話す五百瀬の台詞は、痛めつけられた僕の心に容易く吸い込まれて重みを増していった。
「とりわけ、虎石と行くはずだった楠の責任は大きい。お前も人殺しだなんて、言われたくはないだろ」
「ひっ……人殺し……!? なんで!」
「落ち着けって。言葉のアヤだよ。流石に俺もそこまでのことになっているとは思ってない。けど、最悪を想定するっていうのはそういうことだぜ。だからな、早いとこ楠も安心したいだろ? 虎石が無事だって確認できれば、何の問題もないんだからな」
「だからって、そんな……僕にどうしろって……」
動揺からつい口走ってしまった言葉を、僕は即座に後悔する。それを待っていたとばかりに、五百瀬の目が細められたからだ。
「簡単さ。楠のスマホは家にあるんだったな。なら、まず家に帰ったら虎石から連絡がないか確認するんだ。それがなければ、今度は虎石の家に行ってみること。本当に風邪ならいるはずだしな。それでもし、虎石が家にいなかったりしたら――」
もう言わなくても分かるだろうと、五百瀬の目が語る。
「お前があの遊園地まで虎石を探しに、今度こそ行くしかないな」
「ま、待ってよ……なにも、そこまでする必要が……あるの? もし、もしも虎石くんが家にいなかったとしても……それだと……」
一方的に突きつけられる要求の数々に必死で頭を回しながら、僕はしどろもどろに言葉を繋ぐ。そもそも、虎石くんが風邪だというのは親御さんが連絡してきたはずなのだ。それをわざわざ僕が確かめに行く必要はないじゃないか。
最悪を想定なんて言っているけれど、五百瀬の言っていることは矛盾だらけだ。僕はそう思ったのだが、そんな考えされも見透かしたように五百瀬は口元を歪めて一蹴する。
「案外、人は簡単に嘘をつくもんだよ。虎石の家庭事情までは知らないけど、親が家に帰らない息子のことを学校に隠したかったのかもしれないし……。可能性を考えればキリがない。だから、自分の目で確かめる必要があるんだ」
「【クズ】が余計な頭使ってんじゃねえよ。言われた通りにやれや」
前田に丸めた背中を蹴られたが、僕の頭は真っ白で反応できなかった。反論できない僕に念押しするように、五百瀬は更に言葉を重ねていく。
「それから、教師や警察――大人には頼らない方がいい。このまま虎石が帰ってこなかったら、お前は人殺しになってしまうんだからな。今はまだ何も言わない方がいい。いいな? 虎石の無事が確かめられれば、それが一番なんだ。誰にも余計なことは何も言うなよ」
そうして、悪夢のような昼休みは終わった。
放課後、てっきり監視されるものだと思っていたが、五百瀬達は僕に絡むことなく教室を出る際に意味ありげな視線を寄越しただけで下校していった。
これから僕のするべきことは、一刻も早く家に帰ってスマホを確認することのはずだった。
でも、僕はすぐに動かなかった。教室に誰もいなくなるまで自分の席で悩み続けた結果、最後の悪あがきをするように校門ではなく職員室の前まで足を運んでいた。
先生から、虎石くんが休んでいる理由が本当に風邪なのかを確かめたかったのだ。
虎石くん本人からの連絡ではない以上、五百瀬の言う通り意味のない行為なのかもしれない。決断を遅らせるだけの無駄なことだとしても、そうせずにはいられなかったのだ。
「…………」
ただ、いざ職員室のドアを前にして、僕は廊下を行ったり来たりと繰り返していた。どう言って先生から虎石くんのことを聞き出すか、まるで考えていなかったのである。
いきなり訊ねても答えてくれるだろうか。逆に変に思われて、余計なボロを出して逆に追及されるのではないか。
そんな嫌な未来ばかりを想像してしまい、最後の踏ん切りがつかずにいる。かといって、こんな気持ちを引き摺ったまま、家に帰りたくはない。
「――ありがとうございました。失礼します」
と、僕がぐずぐずしていると職員室の中から女生徒の声が聞こえた。
ガラリとドアが引き開けられて、すぐ近くにいた僕は慌てて飛び退くようにして距離を取る。
「ぇ……」
「……楠くん?」
なんと、中から出てきた生徒は結月さんだった。下校する前に寄っていたのだろうか、学校指定の鞄を肩に下げている。
彼女はドアの真ん前に立っていた僕の姿に驚いた様子だったが、僕の方の驚きはそれ以上だった。開いた口が塞がらず、さぞ間抜けな顔をしていたことだろう。
「えっと、楠くんも職員室に用事?」
思わぬ事態に遭遇して何も考えられず棒立ちになる僕よりも、結月さんの方が立ち直りが早かった。緊張して呂律も回らず、ただバカみたいに頷くしかできない僕に結月さんは微かに唇を苦笑に緩めると廊下に出て、職員室の中に向けて一礼する。
「私はもう行くから……。用があるならどうぞ。それじゃ、さよなら」
「あ……うん。さ、さよなら……」
結月さんは場所を譲り、僕に対しても軽く会釈して手を振ってくれた。
期せずして職員室を訪ねる背中を押される形になったわけだけれど、ゆるやかに黒髪をなびかせながら夕陽が射し込む廊下を歩く彼女の後ろ姿を、僕は見えなくなるまでじっと見つめていた。