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第三話「始まり」

 K高等学校一年一組、出席番号十一番、楠信司くすのきしんじ

 少し人見知りで話すことが苦手。自分のことを過大評価できるような性格じゃない僕は、これといって得意なこともなく、平凡で目立たない存在だと思っている。

 うじうじ、もごもご。内向的な性格だという自覚はある。

 それが原因で、中学の頃も多少の()()()を受けてきたこともあった。

 ろくな中学生活ではなかったと今でも思う。でも、それはもう過去の話だ。

 この先一生忘れることはないのかもしれないけれど、もう終わったことだと……運が悪かったのだと割り切っている。

 だから卒業をして、窮屈な中学の檻から解放されて、高校では少しはましな生活が送れるものだと思っていた。

 高校にもなれば中学でバカ騒ぎしていたような奴らも分別のつく大人になって、くだらないイジリなんてなくなるだろう、とか。

 人間関係をまっさらにして……友達もできるかな、とか――淡い期待を抱いたりもした。


 ……まあ、実際のところ、現実はそう上手くはいかなかったわけだけど。


 それでも、最初のうちは良かった。特別仲の良い友達はできなかったけれど、誰とも波風を立てずに、目立たずにひっそりと教室の片隅にでも居場所があれば……それだけで満足できていた。


 何故、僕がクラスで今のような位置づけに立たされているのか。

 始まりはたぶん、四月も終わろうかという日のことだ。

 クラスに馴染み始めた同級生達がいくつかのグループを作るようになり、教室はゴールデンウィークを目前にして浮かれるような空気で満ちあふれていた。

 僕はといえば日陰者らしくどこのグループにも属さず、ぼんやりとそんな同級生達の様子を何ともなしに傍観しているだけだったけれど、このときの僕は、ある女子の姿を目で追うようになっていたのだ。


 彼女の名前は、結月美晴ゆづきみはる


 なんというか、清楚を絵に描いたような女の子なのだ。整った顔立ちは、クラスの中でも一番綺麗なんじゃないだろうかと思っている。

 肩にかかるくらいまで伸ばされたストレートの黒髪。無闇にスカートを短くしたりもしておらず、こぶりな唇を控えめに綻ばせる様子なんてのは、とても可愛くてたまらない。

 一目惚れ――なんて僕みたいなのが言うにはおこがましい。でも、言い表しがたい気持ちを僕は結月さんに抱いていた。


「なんだ楠。お前も結月狙いなのか?」

「え……!? あ、虎石……くん」


 ぼんやりとし過ぎていて近付く気配に気付かずに、唐突に肩を叩かれて慌てふためく。


「気持ちは分からんでもないが、結月は難易度高めだぜ」

「い、いや……そんなんじゃ、ないよ」

「へえ、あんだけ見ていた癖によく言うねえ」


 振り向く僕に屈託のない笑顔を見せてきたのは、虎石くんだった。

 虎石正也とらいしまさや。明らかにクラスに馴染めていないような僕にでも、分け隔てなく話してくれるクラスの中心的存在ムードメーカーだ。

 中学の頃からサッカー部に所属していたらしく、いわゆるスポーツ万能のイケメンタイプ。けど、サッカー自体は中学で飽きたとかで、部活に所属するかどうかはまだ決めてないと本人は言っていた。


「……み、見てない。本当に、全然、見てないから」

「お、結月がこっち見たぞ」

「――――えっ」


 虎石くんに言われて顔を向けると、同じく丁度こちらに振り返った結月さんと目が合った。きっと虎石くんの声はよく通るから、結月さんは自分の名前が聞こえでもしたのだろう。


「……ぁ」


 僕の顔を見た結月さんが、くすっと笑った。たちまちに僕の顔は熱くなり、即座に俯いてしまう。


「ふ~ん……なるほど。ま、このクラスに限らず結月に目をつけてる野郎はいるだろうし、本気マジならぐずぐずしてる暇はないかもな」

「だ、だから」


 言い返そうとする僕の話をまるで耳に入れる様子もなく、虎石くんは僕の肩をバシバシと叩くと別の話で盛り上がっているグループの方へと行ってしまった。結月さんも話していた女子のグループの輪に戻り、もう僕の方は見向きもしていない。

 胸の高鳴りだけが置き去りにされている。まるで、幻みたいに思えた一瞬だった。


 それは振り返れば些細なことで、何気ない日常の一部でしかなかった。

 でも……やっぱり、これが始まりだったのだと、思う。

 息を潜めて目立たないよう隠れていたのに、ほんの少しでも頭を出してしまったことで目をつけられる。

 たぶんこれは、そういうことなのだ。



「根暗が、調子にのってんじゃねーぞ」


 虎石くんに話しかけられた翌日の昼休み。トイレに行った僕は、そこで後を追うようにして現れた前田に絡まれていた。

 ことのきの僕は何の前触れも無く訪れたその出来事にどうすることもできず、ただ流されるままに追い詰められるばかりだった。


「お前まだ友達ダチの一人もできてねーんだろ。カワイソーだからオレらのグループに入れてやる。ありがたく思えよ」

「な……なん、で」


 前田のあとから現れたのは、彼に負けず劣らずニヤニヤと野良犬のような笑いを浮かべる不良二人……たしか、田川と川上。

 そして、僕を逃さないように取り囲む三人の輪を一歩退いたところから、五百瀬くんが僕を観察するような目で見ていた。

 前田達のように見るからに不良、というのとは違う。もしかしたら彼も、前田達に無理矢理付き合わされて付いてきている被害者なのでは……と、最初は思ったりもした。


「くくっ」

「…………!?」


 そんな仲間意識めいた感情を顔に出していたのかもしれない。でも、僕と目を合わせた五百瀬くんの憐れむような苦笑を見て、決してそうではないのだと思い知らされた。

 彼の笑みには、明らかに僕を嘲るような感情が含まれていたのだ。

 中学の頃にも散々ぶつけられてきたものと同類の視線に、僕の背筋は完全に凍り付いていた。

 確信があった。彼は僕のことを、その辺の道ばたに転がっている石ころみたいに思っている。放っておいてくれれば良いのに、わざわざ蹴っ飛ばすためだけに近寄ってくる。そうして、退屈凌ぎの玩具にするのだ。

 ああ、またなのか。

 また僕は、この手の奴らに目をつけられてしまったのか。


「楠、だったよな?」

「え……」

「キミの名前だよ。俺は五百瀬っていうんだけど。同じクラスだし、わかるよな?」

「う、うん……」

「そうか、よかった」


 前田たちに目配せをして輪の中に入ってきた五百瀬が、僕の前に立ち塞がる。


「脅かすような形になってしまって悪いな。難しい話じゃないんだ。俺たちは、キミと友達になりたいんだよ」

「そーそー。そんなにビビるなって」

「ダセーよな」

「ははははっ」


 前田達に肩を押された僕は、トイレの奥へと追い込まれるように後ずさる。解放された窓からは生温い風が吹き込んでいて、校庭の喧噪がやけに明るく聞こえていた。


「こう言っちゃなんだけど、楠は一人でいることが多いだろ。こいつらは見ての通りバカだから、もう一人くらい話の通じる遊び相手を入れたいと思っていたんだ」

「おいおい、バカはねーだろ」

「お前のことだよ、バーカ」

「こいつ()っつってんだろ。オレら全員のことだろうがよー」


 小馬鹿にしたような五百瀬の発言にも関わらず、前田達は楽しそうにふざけ合っている。その光景をどこか信じられないような思いで見ていると、五百瀬は肩を竦めて口端に刻む苦笑を深めた。


「な? そんなわけで、いいか?」

「い、いいかって……」

「俺たちの友達になってくれってこと」

「…………」

「黙りを決め込むつもりなら、勝手に解釈させてもらうぜ? よし、今日から楠は俺たちの仲間だ」


 そう言って目の前に差し出された五百瀬の右手を、僕は立ち尽くしたまま見つめていた。

 この場を穏便に済まそうとするかのように差し出されているけれど、この手は決して取ってはいけないものだってことは、僕にだってわかる。

 でも、たぶん、きっと、この手を取らないとこの場からは逃げられず、もっと酷いことになりかねないって予感もあった。

 だって、要求を拒否したという事実は、こいつらの中で僕を責めてもいいという()()()()()になってしまう。

 それは、餌を与えるに等しいことなのだ。絶対にやっちゃいけないことなのだ。


「それじゃ、早速だけど仲間にはアダナの一つくらいつけてやらないとな。その方が親しみも湧くってもんだ」


 結局、手を取らざるを得なかった僕に対して満足そうに頷いた五百瀬は、思いついたようにそんなことを言い出した。


「クスノキの頭をとって、【クズ】ってのはどうだ?」

「え……そ、そんな!」


 口を横に引き延ばした嗜虐的な笑い。弓なりに細められた目は気持ちが悪くなるほど恐ろしい。


「おいおい、そりゃ酷くねえか」

「いくらなんでもなあ。でも、ま……」

「ああ、いいんじゃねーの」

「決まり――だな」


 僕の声などまるで聞いてはいない。前田達は五百瀬の提案をからかいながらも、完全に否定はしなかった。

 そうして、理不尽に僕のアダナが決まるや、彼らの僕を見る目つきが変わった。

 【クズ】という烙印をおされたことで、人としての地位も剥奪される。そう扱っても良いのだと、あたかも五百瀬が前田達に免罪符を与えたかのような空気が生み出されてしまっていた。


「さて、そろそろ昼休みも終わりだな。話もまとまったところで、教室に戻ろうぜ」


 五百瀬達に護送されるように、僕はトイレから連れ出される。

 その教室へと戻る廊下の途中で、ふと五百瀬が肩に手を回して「ところで」と話しかけてきた。


「楠ってさ、同じクラスの結月のことが好きなんだろ」

「……っ!?」

「目立たないようにしているつもりでも、お前が見ているのはバレバレなんだよなぁ」


 次に五百瀬が何を言い出すのか予想もできなかった。いったい何が彼らの僕に対する攻撃材料になるのかも分からず、下手に口を開くこともできやしなかった。


「そう怯えるなって。協力してやるよ。楠は自分でも根暗だってわかってるだろ。だったら、俺たちを見返してみろよ。そういうゲームをしようじゃないか。お前が立派に【クズ】を返上できたら、結月もお前へ少しは目を向けてくれるかもしれないぜ」

「……ゲ、ゲーム? どういう……」

「いまに分かるさ」


 五百瀬の言葉通り、その日の放課後からゲームは始まることになる。

 僕にとっては出口のない……クリア不可能の詰んでいるとしか言えない状況の、地獄の始まりだった――

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