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軌道降下――4

 当初の予定通り、軌道降下2日目からは本格的な調査活動が始まった。

 とはいってもその規模は大したものではない。今現在アルカディアの地表にいるのはたった9人のみだ。ヴァレンティン研究主任によれば、今回の調査活動は開拓候補地一帯の地質や水質、生態系のサンプリングが目的であり、エリア全体のマクロ的な調査は軌道上からの観測で済むため、この人数でも十分であるそうだ。

 この9人の調査隊はさらに3つのチームに分かれることになる。まず2つは遠征チームとして、指定されたエリア内の各ポイントで必要なサンプルを採取し、残りの1つは支援チームとして、拠点で待機して遠征チームをサポートすることになっていた。

 朝にヴァレンティン研究主任からその日の任務(ミッション)を受け取ったP1調査隊は、規定通りこの3つのチームに分かれて調査を開始した。遠征チームが装備を整えて汎用探査車両(ローバー)に乗り込んだ頃には、この世界を照らすリギル・ケンタウルスは既に地平線からはるかに高い位置にまで昇っており、原住生物達は人類の軌道降下など全く気にも留めず、いつも通りの活発な活動を始めていた。

 ウォレス隊長が率いるアルファチームは、任務(ミッション)通り拠点の東側でのサンプル採取を目指して、ローバーで運転を続けていた。最終目標は、拠点から約1.5㎞のところを流れている河川の水質と周辺の生態系の調査だったが、目的地までの道のりは楽なものではなかった。

 彼らの居るP1は、熱帯性の湿地帯と密林地帯が混ざり合った地域だ。エラトス大陸の大部分に広がっているような、地表が見えないほどに鬱蒼とした密林地帯とは違い、この周辺にはローバーの運転が可能な草原が多く存在していた。開拓候補地として選ばれたのもこれが理由だったが、しかしそれでも全く森林が存在しないという訳ではなかった。

 調査隊にとっては、そのまばらに存在する森林が大きな障害だった。地球の熱帯雨林と同じような環境のこの密林は、ローバーの進入を頑なに拒絶していた。しかもこの密林は、経路が変わって流入が絶たれた河川跡や雨期に形成される沼などの影響を受けて、点々とではなく迷路のようなまだら模様状に形成されているため、遠くへ行くには、途中で壁となる密林を迂回しながら草原を伝っていかなければならないのだ。

 そういう訳で、アルファチームも目的地への旅は簡単ではなかった。幸い、地域一帯は軌道上から観測済みであるため、この天然の迷路に迷うようなことはなかったが、それでもこの遠回りをただローバーに乗り続けるだけで過ごすのはもったいないとして、ヴァレンティン研究主任は寄り道として途中で森林の調査をアルファチームに命じていた。

 20分ほどローバーを運転したところで、アルファチームは指定された調査ポイントに辿り着いた。

 ウォレス隊長と植物学者のケーリー、そして警備担当者であるナカタの計3人は、ローバーを森の横に止めて、森林に入るべく降りてきた。本当ならばこのローバーに待機要員を置きたかったが、アルファチームには誰かを置いていくような余裕はなかった――だいぶ昔から、こういったチームは3人1組で行動するのが最適だということが分かってる。それに、ローバーの強度は人間よりもはるかに強いため、多少原住生物に悪戯(・・)されようとも問題は無いはずだった。


「よし、ここからは今までよりも注意して進もう」


 ウォレス隊長は、初めてのアルカディアであるケーリーとナカタに顔を向けた。


「気を張り詰めすぎることはないが、好奇心で注意力が散漫にならないように気を付けるんだ。ここは地球とは勝手が違う。怪我して傷口が露出すれば、それだけで地球よりも死ぬ確率は高まるからね」


 実際、18世紀の古典SFで地球に侵略した火星人が地球の微生物に免疫を持たないために敗れたように、異なる生態系の中に人間が晒されれば人間の免疫系は無力だ、という懸念はケイローン計画前から数多く指摘されていた。

 結局、アルカディアの大気を吸った途端に血を吹いて倒れるようなことはなかったが、それでも数万年にわたって病原体と生存競争を繰り広げて獲得した後天免疫が意味をなさないアルカディアでは、人間は病原体に対してかなり脆弱であった。ケイローン計画では合わせて3人が原因不明の病によって重症化している。


「分かってますよ。その話は昨日散々聞きましたから」


 ナカタが答えた。ケーリーも口には出さなかったが、大きく頷いていた。


「そうだったね。よし、それじゃあ行こう」


 3人は装備を再確認すると、森へと入って行った。

 鬱蒼とした密林は空を覆う高木の葉のせいで暗く、わずかに差し込む光を頼りに、地表ではつる植物や低層な草木がしのぎを削って生存競争を繰り広げていた。草木の根や小枝のせいで、移動性も非常に悪い。

 周囲では虫や動物の鳴き声が響き渡り、ここが純粋な大自然の世界だということを改めて3人は実感していた。少し注意すれば、地面や草木には大小様々な虫や、時折空を横切る鳥も見ることができる。


「随分と賑やかな森ですねー。全く静かになる気配がないですよ」


 ナカタが周りを見渡しながら呟いた。四方八方から、大小様々な鳴き声が聞こえてくる。


「原生林だからね」ウォレスが答えた。「おそらく朝と夕方はもっとうるさいはずだよ。この時間じゃあ、暑いから休んでいる動物や夜行性で寝ている動物も多いだろうからね」


「へー。それにしても、一体どういう動物が鳴いているんですか?」


「おそらく虫や鳥、後は小動物の類だろうね。ほら、あそこにも!」


 ウォレスが木の上を指差した。5m先の木の枝に、体長が20㎝から30㎝ほどで緑色の羽を持つ鳥のような動物がいる。特徴的な見た目をしている訳ではないが、甲高い声でピーピーと鳴いていた。


「地球の鳥と同じような生態の動物だよ。ケイローン計画で解剖した記録があるが、地球の鳥とほとんど同じような構造をしていたそうだ。我々はああいった生物グループを有翼綱と呼んでいる」


「あの鳥は……まるでインコみたいな見た目ですね。ちなみにその有翼綱ってグループは一杯いるんですか?」


「おそらくね。正確な数はほとんど分からないけど、ケイローン計画でもいろいろな種類を発見している。飛行する生物は、この星でもかなり数は多いだろう。森が多いから暮らしやすいのだろうね」


「森林はこの星の一般的な地形ですから」ケーリーが言った。「地表の森林比率は地球よりもはるかに高いんですよ。陸はまさしく植物王国です」


 彼女の言う通り、地表はまさに植物の王国だった。

 リギル・ケンタウルスがもたらす黄色い太陽光線と、衛星表面の約90%を覆う広大な海洋がその大きな要因だ。北アメリカ大陸程度の面積しかないこの星の地表も、そんな温暖湿潤な気候のおかげで植物が繁栄するのに最適な環境になっている。

 当然長い歴史の中で植物は多様に進化し、ケイローン計画では地球のシダ植物、裸子植物、被子植物と同様の植物を数多く発見していた。もはやその多様性は地球も凌駕しているという予測もあるほどだ。


「アルカディアの生態系は地球の中生代に相当しているとよく言われますが、植物に関して言えば、その進化の度合いは中生代を遥かに凌駕しているかもしれません。少なくとも被子植物は同じ時期の地球よりもはるかに進化していますよ。現代の地球と同様の複雑さを持つ植物種がケイローン計画で見つかってますから」


「中生代に相当しているというのは、あくまでこの衛星の気候とケイローン計画で発見した動物種の生態を地球の地質年代に当てはめた場合の目安だからね。まだまだこの星の生態系は解明されていない。いずれ認識も変わるだろうさ」


 ウォレス隊長を先頭に、ケーリーとナカタは列になって密林をしばらく進んで行った。それほど変わらない光景が続いていたが、10分ほど歩いたところで彼らは開けた場所に出た。老木が倒れて、空を覆っていた葉が無くなったようだ。暗い密林では意外にも雑草に乏しい地面も、少しでも光が差し込むようになれば競うように草木が生えてくる。


「よし、ここら辺でサンプリングしよう。ナカタは監視を頼む」


「オーケーです」


 ウォレスとケーリーは背負っていたリュックを降ろして、中からサンプリング用の容器を取り出した。これから行うのは土壌と植物の調査だ。


「ケーリー、植物種のサンプリングは君に一任するよ。私は土壌を担当する」


「分かりました」


 ウォレスはすぐ近くの草木が薄い場所に移動し、しゃがみ込んだ。若い草木を少し引き抜き、地面を露出させる。土の層は見えず、代わりに枯葉が完全に地面を覆っていた。よく見れば1㎝にも満たない小さな虫が枯葉の上をせわしなく歩いているのが分かる。枯葉をどかすとすぐ下には赤茶色の土があった。枯葉の層は薄く、どれも虫食い状態だ。

 土壌の見た目は、完全に地球の熱帯雨林と同じラトソルだった。おそらくは地球のシロアリと同じ役割を担う生物が、枯葉が栄養に変わる前に分解してしまうのだろう。

 露出した土壌を掘り出し、容器に入れた。そしてさらに深く掘り、また容器に入れた。これをいくらか繰り返せば、その土壌の層位が分かる。地層のように年代調査に使えるわけでは無いが、その土地の降水量や生態系の構造を調べるには有効な手段だ。

 しかし見た目通りにこの森の土壌がラトソルだとすれば、少なくともこの土地が耕作に向いていないことは分かる。養分が流れてしまっている痩せた土地だからだ。密林を焼けば土壌が改良され耕作地として使えるが、草原地帯の土壌も同じように痩せているのであれば、ここが開拓地になる可能性は低い。

 いくつか土壌サンプルを採取し、簡易レポートを音声ログで記録した。今回の調査はこれでいいだろう。ウォレスは立ち上がり、ケーリーに呼び掛けた。


「こっちは終わったよ。そっちはどうだい?」


「もうすぐ終わります。ただ、面白そうなものがありまして……」


 ケーリーが楽しそうな顔でウォレスを見た。何か見つけたのだろうか。ケーリーが観察している植物を見るべく、彼女に近づいた。


「見てください、これ。葉の先に、丸い小さい物が付いているので、1つ取って中を割って見てみたのですが……」


 促されて、彼女が割った小さい物体を覗いた。中身の詰まった、豆のような見た目をしている。


「葉には胞子嚢のような構造があるのでシダ系の植物種だと思うのですが、葉の先に付いていたこれは、種子のようにも見えます。おそらく、シダ種子植物ではないでしょうか?」


「おぉ凄い! 生きる化石じゃないか!」


 地球では古生代から中生代にかけて繁栄した、種子植物の祖先と言われるシダ種子類と思われる植物種がそこにはあった。ケイローン計画でも数種類しか見つけられていない貴重な種だ。この星でシダ種子類がどれほど生息しているのかはわからないが、それでも現代の地球上に存在しない構造を持つこれらの植物種は、非常に高い研究価値があった。


「これは貴重です。もっとサンプルを収集して拠点に持ち帰りましょう」


「そうだな。私も手伝おう」


 2人は協力して、そのシダ種子類と思われる植物種のサンプルを採取した。種子のような物体だけでなく、葉や茎、根に至るまでいくつも採取した。カメラでも細かく撮影し、音声ログも詳細に記録した。


「さて、これぐらいで良いでしょう。これで私もサンプリングは終わりました」


「分かった。そしたらローバーに戻ろう。次は川辺に行かないとね」


 そう言って、2人はサンプル容器をリュックに詰めて背負った。ナカタは最初と同じように周囲を警戒しながら周りの草木を興味深そうに眺めていたが、終わったことに気が付いて戻ってきた。

 3人は再び列になり、通ってきた道を引き返してローバーへと向かった。

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