軌道降下――3
軌道降下2日目。枕元で鳴り響く目覚ましの音で、ウォレスは深い眠りから目を覚ました。
昨日は皆大変な重労働をした。低温睡眠を終えてから初めて降下艇で地上に降り立ち、運んできたユニットモジュールを設置。電力、通信、生命維持といったメインシステムを整え、その他の消耗品を完成した拠点に運び込んだ。いくら降下前に重力再順応訓練を行ったとはいえ、船内の低重力環境で数日間過ごせば、0.75Gというアルカディアの重力下でもこういった労働は身体に負担となる。おかげで、ウォレスを含めたほとんどの者は、普段よりもぐっすりと眠れたようだった。
そんな、昼まで寝ていたいような朝を迎えた中で、最も早くベッドから脱出したのは、今回の調査チームの中で最年少であった植物学者のケーリーだった。彼女は手早くベッドから這い出て、大きくあくびをすると、ウォレスに近寄った。
「さぁ、新天地の朝ですよ。起きてください。隊長が起きないとみんな起きないですよ?」
「分かってるよ……今起きる……」
喉元まで出かかった“もう少し寝かせてくれ”という言葉を堪えながら、ウォレスはゆっくりとベッドから這い出てきた。低温睡眠中も含めた単純年齢では98歳、それらを除いた補正年齢でも52歳のウォレスにとって、もう朝は楽ではない。他の者も、ケーリーに促されて次々と起き上がり、朝食をとるべくメインルームへと向かっていった。
メインルームには、食糧棚とキッチンの他に通信コンソールや作業テーブルが置かれている。食事や科学研究以外の作業、そして自由時間は基本的にここで過ごすことになっている。大きな窓も配置されており、外の景色を眺めることも可能だ。
「みなさん、何を食べますか?」
ケーリーは一足先にキッチンへと向かい、棚にあるフリーズドライ食品を物色し始めた。窓から入りこむリギル・ケンタウルスの眩しい光のおかげで、電灯を点けなくとも物色できる。
「スクランブルエッグを取ってくれないか?」
副隊長のアースキンが、ケーリーに言った。そして振り返り、後ろにいるウォレスにも声を掛けた。
「隊長は何食べますか?」
「私も同じもので良いよ」
「だって。スクランブルエッグを2つとってくれ」
ケーリーは棚からスクランブルエッグを2つ手に取り、アースキンに渡した。あとはパックから中身を出して、スチームレンジで温めれば、地球から4.4光年離れた場所でもスクランブルエッグが食べられるという訳だ。
一方でウォレスは、キッチンの戸棚には向かわず、その先にある通信コンソールに向かった。軌道上にいるフロンティア号からのメッセージを受け取るためだ。席に座り、キーを軽くたたくと、コンソールのモニターは交信準備状態に入った。そして数秒すると、鮮明な映像が映し出された。
『おはよう、ウォレス博士。時間通りに起きられたのね』
画面の向こうには、マグカップを手に持つヴァレンティン研究主任がいた。どうやら、彼女も朝食の時間のようだ。
「ケーリーに叩き起こされたよ。だが、君の許可があれば私はもっと寝ていられる」
「そしたら僕の追加睡眠の許可も下さいね」
アースキンが、出来上がったスクランブルエッグをウォレスのそばに置いて言い放った。彼はそのまま後ろのテーブル席に座り、窓から外を眺めながら朝食を食べ始めた。
『スクランブルエッグ? 残念、スクランブルエッグを食べようとしている人間には、二度寝は許可できない決まりになっているのよ』
「残念だなぁ」
ウォレスはそう言いながら、目の前にあるスクランブルエッグを口に運んだ。
「仕方がない、寝れないのなら仕事をするよ。それで、今日は何をすればいい?」
『今日は近場をいろいろと調べてもらうわ。アルファチームは東側、ブラボーチームは西側を担当。詳細はテキストで送ったから、それを参照して』
ウォレスは送られてきたテキストデータを指でタッチし、通信画面にかぶらないように表示させた。
「お、河川の調査は私達アルファチームの担当か。楽しみだなぁ」
『水辺には原住生物もたくさんいるはずよ。注意して行動するように』
「もちろん分かってるよ。それで、他に何か伝えておきたいことはあるかい?」
『そうね。今日は少し天気が不安だわ。午前中はおそらく晴れが続くでしょうけれど、午後にはもしかしたら突発的な雨があるかもしれないわ』
「仕方ない。P1は今、雨期だからね」
『えぇ。こちらでも観測は続けるけれど、そちらも目視で天候の変化には注意するようにして。必要であれば、隊長権限ですぐに拠点に戻るように。急激な河川の水位上昇もあり得るわ』
「分かってるよ。何よりも大事なのは人命、だろう?」
『そうよ。それじゃあまた1時間後に連絡するわ。隠れて二度寝なんかダメよ? ケーリーに報告させるから。フロンティア、アウト』
そう言って、通信画面は暗くなった。ウォレスは後ろを振り返り、既にテーブルで朝食を食べているケーリーに向かって言った。
「今の聞こえてたかい?」
「何のことです?」
ケーリーは笑顔で答えた。