軌道降下――2
P1調査隊の隊長であるチャールズ・ウォレスは、降下艇のコックピットにある補助席に座っていた。左側の窓からは、眼下に広がる深緑色の大森林地帯が良く見える。地球のそれとよく似ているからなのか、それとも2度目のアルカディアへの旅だからなのかは分からなかったが、その景色には強い既視感を感じていた。
この日は軌道降下1日目。だが彼が低温睡眠を解除されたのは、今から5日前のことだった。
目覚めてすぐに、彼はヴァレンティン研究主任から開拓候補地P1の調査隊長を依頼された。もちろん、断る理由はなかった。生物地理学者として第1次ケイローン計画に参加して以来、この星は彼の人生の全てだったからだ。
もはや地球には存在しない、永遠に広がる未知の大自然。生物地理学者として、そんな環境に魅力を感じないはずもなく、彼は当然のようにフロンティア計画に志願した。一時は研究主任候補にもなったが、どういう役職を得るかどうかは、彼にとっては大事では無かった。重要なのは、この星の自然を理解することであり、それができる立場なら何でも良かったのだ。だからP1の調査隊長という仕事は、彼にとっては願ってもないものだった。
(38年ぶりのアルカディアか)
だがウォレス自身は、それほどの長い年月が経っているという実感は全くなかった。何しろ、ケイローン計画の帰路と今回のアルカディアへの旅路、合わせて約32年間は、記憶の残らない低温睡眠状態だったからだ。彼にとっては、この星は6年前に訪れた場所にしか感じない。
「しかし、すごいですね。何と言うか、本当は地球なんじゃないかと錯覚しそうで……」
降下艇を操縦するパクストン操縦士が、外の景色を眺めながらウォレスに話し掛けてきた。彼はウォレスとは違い、アルカディアには初めて訪れた人物だ。
「私が最初にこの星に訪れた時、同じことを思ったよ」
アルカディアの地表を撮影した写真のほぼすべては、地球と言われればほとんどの人が信じてしまうほど、似たような景色をしている。これは、アルカディアの森林や草原を撮影した場合でも、例外では無い。
生命が溢れる地球を宇宙から眺めると、人類の手によって地球が死の淵に立たされているという状態であっても、そこに見える“色”は昔からほとんど変わらない。つまり、広大な海の青色や、多様な形をした雲の白色、大地の茶色、そしてもう1つ、命の色とも言える色――植物の緑色が必ず存在している。
だが、他の天体に目を向けてみるとどうだろうか。人類が暮らす主要天体である月や火星を眺めても、そこには自然が作り出した大地の色は見えるが、命の色である緑色は一切見えない。もちろん、実際には火星の地殻の奥深くには、かつて火星が抱えていた生態系の生き残りであると考えられる古細菌に近い生物種が存在しているが、少なくとも地表にその生物が生み出す色は現れない。
ある心理学者は、こういった地球の視覚的な特殊性のために、宇宙から地球を眺める機会を得た人は、緑色のイメージと地球のイメージが結びついている場合が多いとも主張している。
「でもね、よく目を凝らして見ると、確かにここは地球とは違う世界だということを、少しずつ感じるようになる。種の記憶というか……やっぱり地球に生まれた生き物として、この世界のこの景色はどこか地球とは違うな、って言うことに気付くものだよ」
「そういうものですか?」パクストン操縦士の顔が、少し困惑した表情に変化した。「今の自分には、ここはまだ地球の熱帯雨林のようにしか見えませんね」
「あのー、そのことで1つ質問なんですが」パクストン操縦士の隣に座るマーティン副操縦士も、会話に参加してきた。「どうしてこの星の森は、こんなにも地球の森と似ているんですか? 全く違う見た目になっている方が、その、普通じゃないですか?」
当然の疑問だった。地球とは全く違う起源と進化を遂げてきたはずのアルカディアの生態系が、見た目が似通るほど地球と同形態の生態系を築いている。だが宇宙の規模から考えれば、全く別形態である可能性の方が圧倒的に高いはずだ。
「その疑問は、正直言ってかなり難解な疑問だよ」ウォレス隊長は残念そうに答えた。「実際のところ私達研究者も、その謎に対する確かな答えはまだ見つけられていないんだ」
「あー、そりゃあそうですよね。まだ数回しか訪れていないのに分かる方が驚きですね」
「まぁね。ただし、いくつか仮説は存在しているよ」
「お、そうなんですか?」
マーティン副操縦士は興味を持ったようだ。声の調子は、明らかにウォレス隊長に話の続きを要求していた。
「1番有力な説は、収斂進化説というものだ」
「しゅうれんしんか……?」
「そうだな、例えば地球にいるサメとイルカを思い出して欲しい。見たことあるかい?」
マーティン副操縦士は、子供の頃に行った水族館の思い出を呼び起こしていた。鮮明ではないが、確かにその時に2種類とも見た記憶がある。
「姿形を思い出した? それじゃあ、その2種類の動物の姿形を比較してみよう。どうだろうか? 両者とも、似たような見た目をしているはずだろう?」
「んー……言われてみれば、確かにそうですね」
典型的な海洋生物が持つ流線形の身体、泳ぐための尾びれや胸びれ、もしくは上部が暗く下部が白い配色。確かに記憶の中の2種類の生物の姿形は、非常に似たような姿をしている。
「しかし、実際にはこの2種類の動物は全く違う生き物だ。サメはいわゆる魚類に属する種だが、イルカの方は哺乳綱に属する種だ。卵生、胎生という点で異なるから、交雑なんてことは絶対にないし、そもそもイルカの方はもともと陸上動物だったものが進化してああなった。つまり両者は、全く違う進化の道を辿ってきた生き物なんだよ」
「おぉ本当だ。それじゃあ、どうしてこの2種類は同じような姿形に?」
「簡潔に言えばこの姿が、比較的大型の動物が水中で最も効率的に生き抜くための姿だからだよ。配色は水中の保護色の基本だし、流線形の身体やひれの存在は水中を高速で遊泳するのに最適だ」
「つまりサメとイルカは、同じような目的のために進化した結果、同じような姿になったということですか?」
「そうだ。これが収斂進化だ」
全く異なる種類の生物が、同じ環境で生きていくにつれ、その環境に最適な形で適応していき、やがては姿形が似通う。言い方を変えれば、ある生態的地位で生活するためには、一定の決まった生態を持つことが要求されるというのが、収斂進化の考え方だ。
「これはサメとイルカだけに言えることじゃない。昆虫の翅と鳥の翼なんかも、その代表例だろう」
「なるほど……ということは、その収斂進化という現象が地球とアルカディアの植物にも起きているということですか?」
「勘がいいね、その通りだよ」
ウォレス隊長はこの収斂進化という現象と、地球とアルカディアの植物の進化について話し始めた。
「より多くのエネルギーを確保し、より多く繁殖する。陸上に生息する非移動性の生物――一般的に植物と呼ばれる生物形態が求める進化の形質はこの条件に合致していなければならない。そこで地球の植物種の祖先は、普遍的なエネルギーである日光を利用して光合成を始めた。そしてそれらが陸上に上がった後は、光合成のために葉を形成し、より多く葉を付けるために強い茎を形成し、強い茎はやがて木質へと進化した。繁殖の面で言えば、種子の形成により乾燥した地域に進出できるようになったし、花もそれに役立っている。
では、このアルカディアではどうだろうか? このアルカディアに生まれた植物種の祖先はどういう進化をすれば、エネルギーの確保と繁殖ができるだろうか? おそらく答えは限られている。つまり、結局この星でも普遍的なエネルギーは恒星の光であり、光合成こそ最も効率的な方法だった。そして光合成のためには表面積が必要であるから、葉のようなものが形成されれば生存競争に有利だった。そして葉をより多く形成するために茎を持てば、それもまた有利な要素となる」
「結局、植物が取れる進化の道はそれしかなかったということですか?」
「これしかないわけでは無いだろうけど、少なくともアルカディアの環境では、地球の植物と似たように進化することが生存する上で有利だったことは間違いない。これが収斂進化説さ」
「確かに、説得力がありますね」
事実、地球とアルカディアの植物の生態が非常に似ている問題に対する、説得力のある仮説は限られていた。他には、地球とアルカディアの生態系は、太古の昔に異星人によって人為的に作られたものとするオカルト的な説、もしくは神が作ったのだから姿形が似ていてもおかしくないとする宗教的な説もあったが、どちらも科学的な根拠には欠けていた。
「でもですよ、ウォレス隊長」マーティン副操縦士は1つ疑問が思い浮かんだようだった。「その説が正しいとすれば、アルカディアには地球にいる動物と似たような生き物がいっぱい居ることになりませんか? だってこの星は気温とか大気組成とか重力とか、諸々が地球にすごく似ているんですから、動物が暮らす環境も地球と似ているんじゃ……」
「良いところに気付いたね。君の言う通りだ。この星には確かに地球の動物と似ている動物が居る。もちろん全てではないけどね」
「すごい! そんなことがあり得るんですね!」
マーティン副操縦士は明らかに興奮していた。それも当然だろう。地球から遥か離れた星に地球にいる動物と似た生き物がいると聞けば、好奇心旺盛な人間は誰もが興奮するはずだ。
「ただし少し特殊でね。現代に生きる動物と似ている訳じゃない」
「どう言うことですか?」
「アルカディアの生態系は、実は地球のジュラ紀から白亜紀に似ているんだ」
「ジュラ紀……恐竜が居た時代ですか!?」
約2億年前から始まり、約1億5千年前まで続いたジュラ紀。そしてその後約6千万年前まで続いた白亜紀。中生代の中期から終わりにかけてのこの時代、そのほとんどの期間において地球の平均気温は高く、酸素量も豊富で、動植物は大型化する傾向にあった。そしてその中でも特に繁栄を極めた動物、それが恐竜を中心とする爬虫綱だ。
「その通りさ。魚竜や翼竜、恐竜といった大型の爬虫綱がもっとも繁栄したあの時代だ。アルカディアでも同じように、爬虫綱と同じような生態の生物種――我々は主獣綱と分類している生物種が多く生息していることが分かっている。生態は様々だが、その中には本物の恐竜のような動物も確認されているよ」
「信じられない……!」
「実際に見れば君も驚くだろう。地球じゃあ恐竜はCGでしか見れない架空の存在だが、この星じゃあ、それなりに似た動物が実際にいるんだ」
人類の卓越した遺伝子操作でも生み出せなかった恐竜が、この星で似たような形で自然に誕生している。その事実を知って、マーティン副操縦士は目を少年のように輝かせていた。
「アルカディアは……本当に奇跡の星ですね。地球と同じ歴史を辿っているだなんて、偶然で言い表すのがもったいないほどの奇跡ですよ!」
「おっと、それは勘違いだ。この星の生物は確かに地球と似たような進化を辿っているけれど、決して同じ歴史を辿っている訳じゃないよ。例えばこの星では、既に地球の鳥に相当する有翼綱なる生物種が高度に進化しているけれど、地球の中生代ではまだ鳥は原始的な種類しかいなかった。他にも、地球の動物よりもはるかに高い社会性を持つ動物種が多いという報告もある。後は……」
「お二人さん、科学談議に花を咲かせるのはいいんですけど、そろそろ着陸しますよ」
パクストン操縦士はお構いなしに話に割り込んできた。どうやら降下艇が、着陸ポイントのすぐ近くにまで来たようだ。
「ほらマーティン。仕事に戻れ。君がシステムチェックをしてくれなきゃ、こっちは機体を下せないぞ」
「面白い話だったのに……分かりましたよ」
マーティン副操縦士はしぶしぶ仕事へと意識を切り替えた。機体は徐々に速度を落としていき、垂直離着陸の形態へと移行し始めた。
眼下に広がっていた大森林は徐々に近づいていき、これまでマクロ的にしか見えなかった木々が、少しずつ詳しく見分けが付くようになっていった。見ると、森林地帯には所々に草原がある。今回の着陸ポイントはその草原地帯だ。場所はP1のエリアを流れる大きな河川から約1㎞離れた地点で、周辺には湿地も点在している。
「ウォレス隊長」パクストン操縦士が呼び掛けた。「下を見てください。この機体に驚いた動物達が逃げ散っていきますよ」
ウォレスは、操縦士2人の後ろにある補助席に座りシートベルトを締めていたが、左の窓に向かって身を乗り出した。前では、マーティン副操縦士が計器類を注視しながらも、好奇心を抑えられないのか、外の動物達を興味深そうにチラチラと見ているのが分かる。
機体から地面に向けて勢いよく噴出されるジェットが草原を激しく波打たせ、沼の水面には大きな波紋が生まれている。たまたまこの場所にいた動物達は轟音とともに空から降りてくる、謎の高温の空気を勢いよく噴出する物体に驚き、本能的に散っていく。今、最後のケイローン計画からおよそ33年ぶりに人工物がこの星に降り立とうとしていた。
「後5m」
マーティン副操縦士が、カウントダウンのように地表までの高さを読み上げ始めた。
「後3m……2m……1m……接地!」
機体はほとんど揺れることなく着陸した。降下艇の不整地用着陸脚が、上手く衝撃を吸収してくれたようだ。
パクストン操縦士は接地確認とともに通信を入れた。
「運用管制室、こちらP1調査隊。ただいま着陸完了した」