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軌道降下――1

しかし勘違いしてはいけません。確かにこの星の環境は地球のそれと驚くほど似ていますが、一見すると何の変哲もない動植物も、時として私達の脅威となり得ます。忘れてはならないのは、我々はこの星にとって部外者であり、常識が通じるような世界ではないということです。

――ライラ・ヴァレンティン『アルカディアの環境生物学』

 基幹要員(コアスタッフ)が目覚めて、4日が経った。

 この日、サムリンは自身の執務室でB5サイズほどの情報端末(タブレット)を、かれこれ数時間ほど眺めていた。画面に映っているものは、前日にヴァレンティン研究主任から受け取った、開拓候補地の事前調査の計画書だ。計画の概要が、難解な専門用語を織り交ぜつつ画面いっぱいに広がっている。

 情報端末(タブレット)では無く、コンタクトレンズに拡張現実(AR)を映し出して読むことも出来たが、現実空間と一体化して表示されるよりも、はっきりとした背景がある情報端末(タブレット)の方が、文章を読むのには適している。それに彼自身、拡張現実(AR)よりも()()()な液晶表示が好きだった。スクロールや拡大(ピンチアウト)縮小(ピンチイン)の時に、指先に確かな感触があるか無いかというのは――ほんの些細な違いであるが――彼にとっては大事なのだ。

 しばらく画面を眺め続けていたサムリンだったが、だんだんと強くなってきた空腹感と相まって、流石に集中力が切れてきた。何か飲み物でも飲もうと思い、ふと部屋を見渡したが、部屋で飲めるものは水しかないということを、すぐに思い出した。

 コーヒーや紅茶、その他一般的な嗜好用の飲み物が欲しければ、船内の食堂に行って貰うしかない。食べ物も同様だ。船の全長に比べればはるかに小さい重力モジュール内では、各部屋にキッチンを付けられるほど余裕はない以上、食堂に飲食物が集約されるのは仕方なかった。

 しかし、食堂で何か貰いたいほどの気持ちでもなかった彼は、部屋を出たりはしなかった。仕方なく洗面台に行き、水をコップに汲んでその場で飲み干す。

 実際のところ、この水も厳密には飲料用ではないが、少なくとも飲んでお腹を壊したりすることはない。そういう点で言えば、シンガポール大学に通っていた頃に暮らしていた、市街の外れにある老朽化したアパートよりかは断然マシだ。

 しかし部屋の広さについては、あのアパートと大して変わらないのではないかと、当初から感じていた。ベッドや机、収納、トイレといった、生活する上で必要な基本要素だけが用意されている部屋の内装も、綺麗だということを除けば、あのアパートを思い出させるには充分だ。一等船室という区分も、その実態の前では何のフォローにもならない。

 唯一の救いは、この部屋は仮の生活拠点だということだろう。衛星上に居住区が建設されれば、生活の拠点もそちらに移ることになるから、サムリンがここで暮らすのはそれほど長い期間ではない。もちろん地上に降りたところで広い部屋で暮らせる訳でもないが、宇宙船という閉鎖的な環境よりかは、精神的に余裕が生まれる。だからそれまでは、我慢するしかなかった。

 水を飲んだ後、彼は情報端末(タブレット)を置いた机に再び座ったが、ちょうどその時、部屋のインターホンの音が彼の耳に入ってきた。同時に情報端末(タブレット)の画面には、来客の知らせを表示する通知が現れた。

 もうこんな時間だったのか――集中していたせいで気付かなかったが、画面右上の時刻表示を見ると、時間は既に昼近くになっていた。更に言えば、今朝ヴァレンティンに自室に来るように言った時間でもあった。

 通知を確認すると、来客者はやはりヴァレンティンだと書いてある。顔認証システムに開拓団の全員が登録しているおかげで、誰がインターホンを鳴らそうとも、通知に名前を表示してくれるのだ。


「今開けるよ」


 部屋のスライドドアがどれほど音を遮るのかは知らなかったが、サムリンはそう言ってロックを解除し、ドアを開けた。顔を向けると、そこには白衣姿のヴァレンティン研究主任が立っていた。


「悪いね、部屋に呼びつけてしまって。昨日君からもらった計画書の内容について、いくつか聞きたいことがあって」


「構わないわ。ただ、お腹が空いてるから、早めに終わらせてちょうだい」


「努力するよ。とりあえず、適当に座ってくれ」


 サムリンは彼女を部屋に招き入れると、壁際にある来客用のソファに座るよう促した。彼自身も、机の椅子から立ち上がり、彼女に向かい合うようにソファに座り直した。


「まぁこういうことは君の専門だからな。計画の内容について口を出すわけでは無いんだが――」


「管理委員会に報告するからでしょう?」


 にやついた顔で、彼女が言った。


「分かってるじゃないか。その通りだよ。正直私には少し難解でね。よく分からないまま報告すると向こうも満足しないだろうから、こうして君を呼んで、説明して貰おうと思った訳だ」


 サムリンは、自らの職務を頭の片隅で思い出していた。新天地の先駆者という夢のような仕事だが、ただアルカディアの開拓だけに集中すれば良いわけでは無い。彼には、地球への報告という重要な職務もあるのだ。

 そもそも彼の代表という立場は、彼の職位を端的に示す肩書の1つに過ぎない。正確に言えば、彼はフロンティア計画の最高執行責任者(COO)であり、それは同時にフロンティア計画執行委員会の委員長、そして開拓団全権代表を意味することにもなる。ヴァレンティンの研究主任という肩書も、最高研究責任者(CRO)という職位故のものだ。

 だがフロンティア計画内において彼らが最高の立場にあるかと言えば、そうでは無い。執行委員会はあくまで惑星アルカディアにおける開拓事業の執行機関に過ぎず、その業務は地球のフロンティア計画管理委員会により監督される。

 この管理委員会は、状況に応じてフロンティア計画の内容を見直し、毎期の計画予算を策定し、それに基づいて各開拓団の人選や機材の確保、恒星間航行船の建造を進めて、第1次から第18次までの全開拓団が滞りなくアルカディアで開拓事業を行えるように準備を整えることが仕事だ。

 そのためサムリンら執行委員会は、管理委員会に対して開拓状況を事細かく報告しなければならず、その報告によってはアルカディア開拓のタイムスケジュールや優先事項などが変更される場合もある。

 しかしこの管理委員会も、その影響力は強いものの最高意思決定機関では無い。フロンティア計画における最高機関は、地球連合事務総長及び全加盟国と、国際的な研究機関や企業などの協賛団体によって構成される国際フロンティア計画会議だ。当然フロンティア計画の全ての事項は、この会議が最終的な決定権を握っていることになる。

 計画自体は地球連合(UE)の主導の下進められたため、位置付けは地球連合総会の補助機関であるものの、加盟各国や非政府組織も参加する会議であるために、そこに渦巻く思惑や思考も千差万別だ。現状はフロンティア計画の必要性と内容に対し会議構成員の大多数が全面的に賛成し協力しているものの、この先もそんな状況が続くかどうかは分からない。アルカディア開拓の進捗のみならず、地球の政治的経済的情勢や自然環境の変化によっては、フロンティア計画の更なる推進もあり得る一方で、計画の縮小の可能性も存在する。

 現地に送られた開拓団にとっては、何であれ計画の混乱は命の存続に関わる問題だ。しかも4.4光年という距離は、開拓団と地球との間に想像しがたい時間的な分断をも作り出す。仮に想定外の事態で困窮したとしても、それに対する地球側のアクションが返ってくるのは、20年以上経ってからだ。

 だからこそサムリンを中心とする執行委員会は、開拓の進捗をきちんと把握し、その上で正しい将来予測を立てなければならない。管理委員会への報告も、そういったことを考慮して詳細に行わなければ、地球側で想定外の波紋を呼ぶことになるかもしれない。情報の不足で混乱が生じるという事例は、歴史上数え切れないほど発生しているのだ。

 サムリンが管理委員会への報告に気を使うのもそれが理由だった。


「それで、私は何について答えれば良いのかしら?」


 そう言いながら、彼女はおもむろにウェアラブルデバイスを操作し始めた。サムリンとは違い、彼女は拡張現実(AR)の方が好みらしい。


「今回の調査形式について話を聞きたい。以前話を聞いた時は、確か往復方式で検討していたと思うのだが」


 サムリンは、目覚めた直後に彼女から聞いた構想と、今回の計画書の内容が違うということを、ずっと気にしていた。

 というのも当初、彼女は今回の調査を、調査隊を地表に下ろして日中の間に調査を遂行し、日が沈む前に再び降下艇(ドロップ・シップ)で軌道上に戻ってくるという、いわゆる往復方式で行うことを念頭に考えていた。

 このような方式であれば、調査隊は夜間に衛星上に滞在する必要が無いため、数日を要する調査日程のために、一時滞在用の拠点設備を惑星上に下ろす必要がなくなるし、夜間の滞在リスク――活動的な原住生物による襲撃や突発的な天候の変化といったものを一切なくすことも出来る。そもそも夜間は、調査活動を行うのにはあまりにも暗すぎるため、調査隊はサンプルを用いた簡単な科学実験しか行うことがない。夜間に衛星上に滞在することは、調査活動上は何らメリットのないことなのだ。


「夜間滞在はあまりしたくなかったから、最初は往復方式を考えていたのよ。でも、軌道降下はそんなに甘いものでは無いわ。コロリョフ主任運用監督官(メインフライト)にこの話をしたら、いろいろと問題点を指摘してくれたの」


 コロリョフ曰く、この往復方式には宇宙船運用及び軌道力学上の大きな問題点があった。

 まず、燃料消費があまりにも多かった。フロンティア計画においては、大気圏再突入の出来ない汎用宇宙船フロンティアシリーズに代わり、降下艇(ドロップ・シップ)であるレインジャー級単段式宇宙往還機(SSTO)が軌道上と地表を結ぶ主要な手段になるが、フロンティア号が搭載している降下艇(ドロップ・シップ)用の燃料は、軌道上と地表を50回前後往復出来る分しかない。しかし、開拓候補地の5箇所で往復方式を行えば、約5日は掛かると予想される調査活動のために、計25回も降下艇(ドロップ・シップ)で往復することになってしまう。

 また、調査活動は日が昇っている間しか実施できないが、往復形式の場合は、軌道上でアンドッキングしてから着陸するまでと、調査隊収容後に離陸して軌道上でドッキングするまでの過程も日中に行わなければならないため、その分1回に費やせる調査の時間は短くなってしまう。そうなれば、調査日数の増加、そして降下艇(ドロップ・シップ)運用回数の増加に繋がるという点も、コロリョフは指摘していた。


「結局、往復方式はあまりにも燃費が悪かったから、この案は却下したのよ」


「そうだったのか。しかし滞在方式にも問題点はあるだろう? それにはどう対応する?」


「現地での滞在には、ユニットタイプの簡易研究拠点を設置して対処するわ。あれなら、降下艇(ドロップ・シップ)の貨物室に入れられる」


 サムリンは、計画書の装備品の項目を選んで、彼女が言うユニットモジュールを探した。元々は軌道降下後、居住区から遠く離れた地域で長期間に渡り生態系を調査する際に使用するもので、今回はその機能を存分に活用するようだ。


「夜間のリスクについては、拠点の外壁を怪力で食い破られない限り、中で寝ている隊員が原住生物に襲われる心配はない。悪天候も同じように大丈夫だけれど、事前に暴風や暴雨の予想が出れば、調査を中止して軌道上に帰還するわ」


「ということは、滞在時のデメリットについては対応済みということか」


「えぇ。コロリョフ主任運用監督官(メインフライト)の指摘も、滞在方式なら初日の降下と最終日の帰還で済むから、燃料消費は単純計算で5分の1よ」


「それは素晴らしい。貴重な燃料をそんなに節約できるとはな」


「そうね。コロリョフ主任運用監督官(メインフライト)も、それなら許容できると言っていたわ」


 サムリンが当初抱いていた疑問は完璧に解消した。往復方式から滞在方式への変更については、もはや何も聞くことはなかった。


「ありがとう。今までの説明で、報告書に書く最大の悩みどころは解決したよ」


「良かったわ。他に何か聞きたいことはある?」


「いくつかあるが……すまない、お腹が空いてしまった。良かったら、食堂で話の続きをしないか?」


「良いわね。ちょうど私もお腹が空いていたし、この時間なら食堂も空いているはずよ」


 2人は意気投合して、食堂へと向かった。

 アルカディアまで残り3日。船から見える目的地は、まだ砂粒ほど小さいものだったが、開拓団は着実に旅の終着点へと近づきつつあった。

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