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フロンティア計画――3

 結局のところ、それは不幸な偶然の連鎖が生んだ悲劇だった。誰かが仕組んだ訳でも、望んだ訳でもない。まるで運命に導かれるように、世界は、望まぬ未来へと進んでいったのだ。

 第3次世界大戦――単に“大戦”とも称される戦争が勃発したのは、世界人口が95億人を突破した2045年のことだった。

 北アメリカ、アジア、ヨーロッパでは、核や衛星兵器が名だたる大都市を瓦礫に変え、その他の地域でも、民族対立や国境紛争、内戦、ジェノサイドといったあらゆる政治的経済的混乱が広がっていった。

 国際社会のシステムは機能不全に陥り、これまで対処できたはずの飢餓や感染症も、多くの人間を死に至らしめた。

 結果、2045年から2060年の間だけで、約30億人以上が寿命以外の原因で死んだと言われている。

 だがこの時世界は、まだ気付いていなかった。大戦が世界にどんな痛手を与えたのか、人類が本当に失ったものとは果たして何だったのか、ということに――――




 2059年、大戦の反省と紛争の平和的解決、そして人類の恒久的繁栄を目的に、国連を発展的に解消する形で地球連合(UE)が誕生した。依然として世界各地には紛争や混乱が残っていたが、それでも世界はやっと平和と復興へと舵を切り、再び国際協力の時代が始まった。

 環境生物機関(EEO)のもとに“気候変動及び生態系に関する評価プログラム”――通称、EPCCEと呼ばれる学術的組織が出来たのも、この国際協力の流れの1つであった。

 EPCCEは戦前に行われていた気候変動とその影響に関する評価活動を引き継ぎ、大戦後の国際環境政策に対する科学的裏付けを提供するべく誕生した。

 だが誕生から5年後の2066年、EPCCEが発表した最初の評価報告書は、衝撃の事実を世界に突きつけることになった。


「大戦前に締結された国際連合の気候変動枠組み条約下では、効果的な地球温暖化対策を実現することができず、大戦直前の観測では1986年~2005年の平均気温と比較して約1.8℃の上昇を記録していた。今回の調査でも、平均気温は約2.1℃の上昇を観測しており、依然として温暖化は進行していることが判明した。しかし問題はこれだけではない。2045年以降、大戦によって放射性降下物(死の灰)を中心とする汚染物質が大量の粉塵となって大気中に舞い上がり、広範囲にわたる環境汚染を引き起こしていたことが、今回の調査で新たに判明した。結果として、世界各地では気候変動と環境汚染による既存の生態系の急速な崩壊が発生しており、2045年までに存在したと考えられる全生物種の内、約28%は2065年時点で既に絶滅したと推測される。仮に今後も気候変動と環境汚染が続くようであれば、22世紀末までには更に40〜50%程度の生物種が絶滅すると予想されるが、この事態は生物学的にも地質学的にも大量絶滅と言えるものであり、人類がこれまで過ごしてきた地球環境が死を迎えることを意味している」――EPCCE第1次評価報告書


 それはまさしく、地球の余命宣言であった。人類は30億人の命だけではなく、自らの“ゆりかご”すら壊してしまったということに、この時初めて気付いたのであった。

 地球連合(UE)は選択を迫られていた。我々は子孫のために何をするべきか。

 そこで選んだ道は、宇宙であった。つまり地球の外へ、ゆりかごの外の世界へ生存圏を広げ、人類という種の未来を紡ぐことに、地球連合(UE)は可能性を賭けた。

 とはいえそれは地球を捨てるという意味では無い。大戦で大きく減ったとはいえ、当時の地球人口は60億を超えていた。あっさりと地球を捨てるという選択は到底出来るはずがない。

 つまり目標は、およそ100年後に訪れる地球の死を何とかして遅らせながら、一方で地球外で人類の生存圏を建設し、徐々に人類の生活の場を地球から宇宙へと移動させ、ゆくゆくは地球環境に過度な負担を与えない程度にまで人類を地球外へと移住させる――

 “ファイナルフロンティア開発目標”と呼ばれる、宇宙開発に関する長期的基本方針が2074年に宣言されたのは、こういった事情によるものだった。

 具体的には、月面や火星を中心とする太陽系各天体への入植および外宇宙探査が挙げられた。そしてこれらの宇宙開発を主導するために、地球連合(UE)の執行機関として、新たに宇宙開発機関(SDO)が創設された。

 これにより、以後の人類の宇宙開発は地球連合(UE)の下で急速に進められることになった。そしてアルカディアへの挑戦の歴史も、このファイナルフロンティア宣言が進められる中で始まることになる。

 始まりは2095年のことだった。この年、外宇宙探査の一環として、50光年以内の近傍恒星系における生命居住可能天体(ハビタブルプラネット)の探査が目的の“ブルーマーブル計画”が開始された。

 地球軌道上には最新の宇宙望遠鏡が打ち上げられ、近隣の恒星系に有望な天体が存在しないか、探査を開始した。

 この計画により、それまで見つかっていなかった多くの系外天体が発見されたが、その中でも特に研究者の目を引いたのは、2108年に発見された1つの系外“衛星”だった。

 当時は系外天体の標準的な命名規則に従って“ケンタウルス座アルファ星Ad1”という名前を付けられたこの衛星は、発見直後から大きな関心を集めていた。

 その理由は、系外衛星を発見すること自体が系外惑星の発見に比べて非常に難しいという面もあったが、それ以上にこの時発見された天体は、地球から約4.4光年の距離にあり、衛星の質量や直径がおそらく地球の0.5倍から1倍程度で、しかも衛星の主星である第3惑星の公転軌道が、恒星であるアルファ星A(リギル・ケンタウルス)生命居住可能領域(ハビタブルゾーン)内であったからだ。その物理的特徴から考えるに衛星とはいえ生命が存在し得る可能性は高く、その距離を考えても、人類にとっては大きな意味を持つ発見であった。

 だが驚くべき発見はこれだけではなかった。初発見から4年後、宇宙開発機関(SDO)はトランジット法による観測を続けたことで衛星大気を解析することに成功したのだ。

 トランジット法とは、天体の恒星面通過を利用する観測方法であるが、この恒星面通過という現象は、天体の大気成分を観測するのにも用いることができる。恒星面を天体が通過する時、恒星が放った光のごく一部が天体の大気層を通過することでスペクトルが変化するため、大気層を通過した光を観測し解析することができれば、天体を近距離から観測せずとも間接的に大気成分を調べることができるからだ。

 このようにして解析されたアルカディアの大気には、酸素や炭素、二酸化炭素、水蒸気が含まれていた。これらは生命の存在の基盤となる化学的成分であるが――しかし成分だけで見れば、これらが系外天体で発見されるというのは特に珍しいことではなかった。

 史上初めて大気を観測できた系外惑星オシリスでも同様の成分は観測されていたし、他の系外惑星でも同じような成分の観測を成功した例はいくつもあった。だから、本来ならば天体の大気に生命の存在に必要な化学的成分が発見されたとしても、それが即ち生命存在の可能性に結びつくわけでは無いが――しかしケンタウルス座アルファ星Ad1は訳が違った。

 初発見時に判明しているように、衛星の質量や直径、主星の公転半径といった物理的性質は生命維持に最適であるのに加えて、大気の化学成分までもが生命維持に最適であることが分かったからだ。そしてこの2つの発見が意味することは、衛星には生命が存在できる、もしくは存在している可能性が非常に高いということであった。

 当然、世界はこの発見に沸き立ち、最初の発見からたった数年で、ケンタウルス座アルファ星Ad1は外宇宙の中で最も注目される天体となった。天文学者達がこの惑星によりふさわしい名称として、“アルカディア(理想郷)”という名を与えたのもこの時である。

 それからしばらくは地球からの観測によりアルカディアの調査が進められ、衛星の軌道要素なども判明したが、しかし観測には限界があった。地球から望遠鏡を向けているだけでは衛星表面の画像撮影や生命が存在するか否かの確認は不可能であるからだ。

 よって更なる観測のためには、どうしても衛星アルカディアに直接出向く――つまり恒星間航行を行う必要があったが、そんなことは当時の航宙技術では到底できなかった。

 だが世界中の研究者達はアルカディアの更なる観測を諦めることはできなかった。なぜなら4.4光年という距離は確かに人類にとってはあまりにも遠い距離であったが、一方で、絶対に不可能と言えるような距離でも無かったからだ。もしかしたら行けるかもしれない――そんなことを考えさせるような距離であったから、本格的に恒星間航行の可能性を研究する者が現れ始めるのも、その研究に対する投資が行われるのも、当然のことではあった。

 加えて当時は、宇宙開発機関(SDO)による内惑星系の開拓が本格化し、宇宙という名のフロンティアに対する人々の熱意が高まっていた時期でもあった。人類にとって宇宙開発は明白なる運命である――そういった考えが世界に広がり始めていたのだ。

 結果として2116年、宇宙開発機関(SDO)はケンタウルス座アルファ星Ad1の直接観測を、そしてそのために必要な恒星間航行技術の確立を目的とした“アルカディア計画”の開始を決定した。20世紀のダイダロス計画、21世紀のスターショット計画に次ぐ、恒星間航行の実現に向けた新たな研究の始まりである。

 もちろん、当時の技術力からすれば恒星間航行は簡単なことではなかった。年単位で連続運用可能な星間エンジンや軽量かつ強力な構造体、そして高性能な自律航宙システムとそれを支える人工知能といった様々な技術的課題、さらには航宙に必要な船体を建造するための資材や、燃料の重水素やヘリウム3の確保といった経済的課題も乗り越えなければ、4.4光年の旅を完遂することはできない。ゆえに、アルカディア計画には莫大な予算と人的資源が投入され、世界中の研究機関や企業の協力の下、計画はゆっくりと、しかし着実に進んでいった。

 実を結んだのは、2141年のことだった。この年、3機目の系外天体探査機である“アルカディア3”が、念願であるアルカディアの接近観測に成功した。探査機はアルカディアの詳細な大気組成や温度分布、磁気圏等、地球からの観測では得られない多くの物理的特徴に関する観測、そして衛星表面の写真撮影に成功したのだ。

 2145年にこの情報を受け取った地球は、歓喜に沸いた。系外衛星の観測という偉業を成し遂げ、しかも探査機が撮影した写真には、広大な海洋と雲、そして緑に覆われた大陸を抱えた1つの衛星が写っていたからだ。それはまさしく第2の地球と言えるような美しい天体であり、そこに生命が存在していること、そして人類の生存が可能であることは、写真を見るに明白であった。

 その後も系外天体探査機を用いた接近観測は何度も行われ、最終的にアルカディア計画で送り出された12機の探査機の内、9機が観測に成功した。そしてそこから分かったことは、アルカディアは生命居住可能天体(ハビタブルプラネット)である、というまぎれもない事実であった。

 無論、この事実が判明したことにより、アルカディアへ人類を送ろうという声は、世界中から上がった。

 9回の片道恒星間航行を成功させたことは、地球連合(UE)に大きな技術的成果を残し、世界も、かつて新大陸の発見に沸いたヨーロッパの如く、この新天地に大きな可能性を見出した。

 そこで2150年という節目の年、地球連合(UE)はこれまでの宇宙開発計画の大枠であったファイナルフロンティア開発目標を大幅に改定し、さらに広域的かつ大規模な宇宙開発を目標とする第2次ファイナルフロンティア開発目標を策定した。“太陽系外への生存圏の拡大の模索”という非常に挑戦的な目標が掲げられ、この文言を実現するための手段としてアルカディアの有人探査を目的とする“ケイローン計画”が開始されたのは、こういった経緯があったからだ。

 当然ながら、アルカディア計画と比べてさらに確実で安全な恒星間航行技術や効率的で長期運用が可能な生命維持装置、低温睡眠装置の開発という極めて高度な技術的課題に世界は向き合うことになり、計画に投入された予算と資源はアルカディア計画すらも小さく見えてしまうほどのものであった。

 しかし、というよりもむしろそれほどの予算と資源が投入されたことにより、到底不可能と思われていた有人恒星間航行は、数年で現実的な構想へと変貌し、更にその数年後には船の建造が始まることになった。

 そして2158年、史上初の恒星間有人宇宙船である“ケイローン”がアルカディアへ向けて出発し、以後1年ごとに系外天体探査船がアルカディアへ向けて旅立っていった。

 それから15年後の2172年。偉大なる宇宙船ケイローン号はついにアルカディアの周回軌道に到着し、同年9月14日には、第1次アルカディア調査隊が、史上初めて系外天体に降り立った者として、また同時に火星、エンケラドゥスに次ぐ史上3例目の地球外生命体の発見者として、人類の偉大なる歴史に名を残すことになった。

 その後も1ヶ月に渡って探査が行われ、地球では見たこともないような数々の不思議な動植物を発見したり、地質調査では希少金属を含む豊富な鉱物資源が天体に存在することも突き止めた。残る4回の有人探査でも多くの発見を記録したことにより、総合すれば、計5回行われた有人探査で得られたもっとも有益な情報は、アルカディアにおいて人類は居住可能であるという紛れもない事実であった。

 もはやアルカディアは夢の土地でもなければ、虚空の宇宙に隔てられた到達し得ない世界でもない。少し手を伸ばせば到達し得る究極の新天地であるということに、遂に人類は気付いた。

 こうして2181年、遂に“フロンティア計画”が始まった。アルカディア計画とケイローン計画で行われた恒星間航行の実績と天体探査の成果、そして延命と言えるような必死の環境保護活動にもかかわらず、依然として大量絶滅が進行する地球に暮らす人類の未来のため、地球連合(UE)はついに系外天体への進出を決定したのだ。

 2年ごとに開拓団を送り出し、計18回の入植事業を経て約2万人をアルカディアに定住させるべく、人員輸送を担当する恒星間連絡船“フロンティア”シリーズと物資輸送を担当する無人貨物往復機“コロニスト”シリーズの建造が地球、月、火星で始まった。途中、地球と火星の間で勃発した惑星間戦争により工期が遅れるという事態にも見舞われたが、それでもなんとか計画は進行し、2188年からはケイローンをはじめとする5隻の探査船が帰還したことで各種サンプルの本格的な研究も始まり、アルカディアでの入植事業に対する科学界や経済界の期待はさらに膨らんだ。

 そして22世紀の終わりも近い2194年、第1次開拓団を乗せた宇宙船“フロンティア”はついに第2衛星アルカディアへ向けて出発する。それは人類の新たな歴史の始まりであった。

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