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大望――2

 サムリンは身体の重さに驚いていた。

 降下艇(ドロップ・シップ)がその高度と速度を落としていくのに比例して、軌道上では身軽だった身体がだんだんと重くなっていく。船内ではその軌道速度によって打ち消されていた天体本来の重力作用が、今になって彼の身体を引っ張っているのだ。重力再順応訓練(リコンディショニング)を受けたとは言え、やはり天体重力を直に感じると疲れる。慣れるには少し時間がかかりそうだと、サムリンは思っていた。


『機長のパクストンです。当機はまもなく着陸致しますが、安全が確保されるまでむやみに立ち上がらないよう、お願い致します』


 機内放送の声が聞こえてきた。客席の小窓を覗くと、地表がだいぶ近づいたのが分かる。降下艇(ドロップ・シップ)が吐き出す猛烈なジェットによって、周囲に生い茂る草木も大きく揺さぶられていた。

 だが、それよりも気になるものが小窓からは見えていた。数百メートル先に建ち並ぶ数棟のプレハブチックな建物と、整備途中の様々な構造物。鬱蒼とした大自然の中に現れた人工物は、一見するとまだまだ街には見えない。だがそこはまさしくフロンティア計画の要――“アンビション”と名付けられた、人類初の系外植民地であった。

 機内にいる他の乗員も、地表が近づくにつれ小窓を頻りに覗いている。皆、この日を待ち望んでいたのだろう。

 それからしばらく、機体はゆっくりと降下し続けた。そして最後にほんの少しの衝撃がサムリンに伝わったかと思うと、少し遅れて機長の声が聞こえてきた。


『ご搭乗お疲れ様です。ただ今当機は着陸致しました。もうシートベルトは外していただいて構いません。外の準備が整い次第、後部ハッチを開きますので、乗員の皆様は降りる準備をお願い致します』


 サムリンはシートベルトを外して立ち上がった。大気圏突入時の緊張で身体は凝り、重力作用が全身にのしかかっている。快適な空の旅だったとはさすがに言い難い。しばらくは疲労感を感じるだろうが、機体を降りればそんな気持ちも忘れるだろうと考えながら、彼は自分の手持ち荷物を持って後部ハッチの前へと移動した。純然たる旅客機ではないこのレインジャー級では、キャビンアテンダントはもちろんのこと、わかりやすい案内ランプや豪華なタラップも存在しない。乗員用の搭乗口もあくまで母船から移動するために使うものであって、地上では貨物搬出口を兼ねている後部ハッチから降りるしかないのだ。

 サムリンを含めた執行員会とその他の乗員は、機内に詰め込まれた貨物コンテナの横でハッチが開かれるのを待っていた。

 2ヶ月近く待ち望んでいた地上が、すぐそこにある――そんな事を思っていると待ち時間は長く感じられたが、その時はついに訪れた。


『今、ハッチが開きます。危ないので動作中は足元のラインを超えないようにしてください』


 機長が言い終わると、重々しい後部ハッチが動き始めた。ハッチと機体の隙間が広がるにつれ、まだ唸りをあげているエンジン音が耳に入ってくる。と同時に、熱帯地域特有の全身に絡むような蒸暑い風が、ハッチの前で待つ乗員の間を吹き抜けていく。サムリンにとっては生まれ故郷の旧カンボジアを思い出させる、どこか懐かしい風だ。

 ハッチは10秒程度で下がりきった。機体の前には貨物搬出作業の為に待機している作業員たちが居るが、その中には数週間前から地表に降りて陣頭指揮を執っていた(ハン)技術主任の姿も見える。


「ようこそアルカディアへ! お待ちしてましたよ!」


 サムリンを先頭にして、執行委員会はタラップを降りて(ハン)の元へと歩み寄った。エンジン音のせいで、(ハン)の大声は掻き消されそうだ。


「暑いでしょう?! 皆さん、体調は大丈夫ですか?!」


「久しぶりの重力で身体が重いよ!」


 と、答えるサムリン。


「君こそ、元気だったか?!」


「私はこの通り、ピンピンしてますよ! さぁどうぞこちらへ! 本部までご案内します!」


 そう言うと、(ハン)は歩き始めた。作業員達は既に貨物の搬出準備に取り掛かっている。執行委員会は彼らの邪魔にならぬよう、急いで(ハン)の後を追いかけた。


「それで、工事はどうなっている?」


 離着陸場から居住区への道を歩きながら、サムリンは(ハン)に話し掛けた。


「まったく順調ですよ。乾期のおかげですな。心配していた天気による工事の遅れはありません」


「それは良い知らせだ」


 (ハン)が、前方に見える本部棟を指差す。


「既に本部の外側(ガワ)の工事は終わってます。内装は完全じゃありませんが、まぁ私達が仕事する分には問題ありません」


「インフラ整備はどうなっている?」


「そうですな……あそこに太陽光パネルが見えるでしょう?」


 今度は本部棟の横を指差した。恒星の光を反射して輝く数十枚のパネルがそこには見える。


「電力供給はあれで賄っています。必要枚数は設置済みで、かなりの発電量を確保してますから当分は凌げるでしょうな。とはいえ、この先もあれをずっと使うのはリスキーですからね。いずれは他の発電手段も考えるべきでしょう」


「うん。ここなら風力や水力、地熱なんかも確保できるかもしれないしな」


「そうですね。後は水道については、付近の川から水を汲み上げて、パイプでこっちまで送ってます。生活用水には地球から持ってきた水処理装置を通して対処してますが、いずれは水処理プラントや用水路の建設が必要になるでしょう。ちなみに下水も専用の浄化装置に通してから川に戻してます。こちらも今後の人口増に対処するには専用の施設が必要ですよ」


「ゴミはどうだ?」


「ゴミ処理は少々複雑でしてね。基本的には焼却炉で燃やして、残った灰は付近に集積しています。生ゴミについても、今は生態学的リスクを考えて乾燥式処理機に通してから燃やすようにしています。ただし焼却炉は非常に簡易的なものでしてね……それほど高温じゃないので大気汚染を起こしちまうんですよ。リサイクルシステムも構築されていないので、今後産業廃棄物が増えれば現状の体制では到底処理できないでしょうな」


「早急に整備する必要があるということか」


「えぇ。1200人が暮らすだけでも、ゴミは相当な量になりますから。ましてや産業施設を建設するとなれば更に処理が困難なゴミは増えますぞ」


「分かった。これはまた後日考えよう」


「えぇ。そうしましょう」


「それで、インフラ以外では何かあるか?」


「そうですね……さっきの離着陸場は、見ての通りまだ最低限です。地面を舗装して、仮の貨物置き場を作って、降下艇(ドロップ・シップ)の整備が一通りできるようにしてるだけですから。将来的には降下艇(ドロップ・シップ)の格納庫を建てる予定です。後は——」


「ねぇ、(ハン)


 声を掛けてきたのは、ヴァレンティン研究主任だった。


環境再現施設(ビバリウム)はどうなっているの?」


「あぁそれですか。外壁工事に時間が掛かっているので、まだ完成ではありませんよ。こいつが終わらないと中の環境システムなんか到底弄れませんから、もうしばらく待ってください」


「案外進んでいないのね。残念だわ」


 あからさまな顔をして、ヴァレンティンは肩をすくめた。


環境再現施設(ビバリウム)というのは――」


 とサムリン。


「確か屋内農場のことだったか?」


「えぇ。機能的にはそうとも言えるわ。農作物の大規模栽培が屋外で可能になるまでの間は、環境再現施設(ビバリウム)が食糧生産と研究を担うことになるの」


 生態バランスを慎重に管理し、衛星本来の生態系と隔絶されているこのバイオシェルターは、一種の温室と言える。天井から取り込まれる恒星の光を除けば、室内の湿度や温度、土壌の栄養素等は全てモニタリングされ、必要に応じて調整される。地球系の作物を最適環境で栽培するには不可欠な施設だ。

 屋外栽培の不確実性――未知の土壌微生物や環境的要因による生育不良等の問題がある程度解決されるまで、もしくは原住植物の中から作物として利用可能な種が見つかるまで、この環境再現施設(ビバリウム)は宇宙船が運んできた大量の長期保存食品と共に開拓者達の胃袋を満足させることになる。


環境再現施設(ビバリウム)については、1号棟の完成後も機能の拡充と施設の増築を進めていく予定です。電力消費量と生産コストは屋外栽培に比べてべらぼうに高いですが、今は経済性なんか問題じゃありませんからな。新鮮な作物を頂けるのなら喜んで建てましょう」


「品種によるけれど、最初に環境再現施設(ビバリウム)から充分な収穫ができるのは稼働開始から2ヶ月経ってからよ。野菜はもちろん、根菜やフルーツ、もしくは穀物類の他、製薬用の非食用植物も栽培可能だけれど、リソースは限られているから何を栽培するかは慎重に決めないとね」


 それからもしばらくは、(ハン)による工事状況の説明が歩きながら続けられた。離着陸の際の安全と開拓地の今後の拡大を見越してか、2地点間の距離は想像以上に離れていた。いずれは移動手段もできるのだろうが、今は自らの足に頼るしかない。残念なことに本部と離着陸場を結ぶ道はまだ舗装されておらず、積み下ろされた貨物を運搬する車両によって踏み固められ露出した地表だけが、ここを道だと教えてくれている。

 そして歩き始めて10分が経とうとした頃、彼らはやっと本部棟の前へと到着した。


「さぁ、どうぞ中へ。お部屋にご案内しますよ」


 3階建てのシンプルな外観を持つ本部棟。その中には職場となる研究所や会議室だけでなく、食堂やリラクゼーションルーム、そして個人スペースなど、あらゆる生活環境が詰まっている。現在地表で活動している人員は全てこの本部棟で暮らしており、そういう意味ではまさしく小さな街だ。

 サムリンらは(ハン)に案内され、建物の中へと入った。各個人の居住空間と執務室を兼ねる居住エリアは建物の奥にある。途中で食堂やリラクゼーションルーム、その他様々な施設を案内されながらも、一行はすぐに居住エリアにたどり着いた。


「どこが誰の部屋かは、ネームプレートを見てください。では皆さんお疲れでしょうから、ここで休憩時間を入れましょうか。また後で、さっきの会議室に集合でよろしいですかな?」


 そう言って(ハン)はサムリンの顔を見た。


「あぁそうしよう。再突入と重力で、もうくたくただよ」


 こうして、執行委員会のメンバー達はそれぞれの部屋へと入っていった。サムリンも自室の扉を開け、中へと入る。一見すると部屋の構造は宇宙船の船室と似ているが、トイレや簡易キッチンなどの個人用設備はこちらの方が充実しているため、いくらかは快適な生活が送れそうだと彼は思った。そして直後、彼はあることに気付いた。船内の自室にはなかった窓が、この部屋にはついているのだ。

 サムリンは適当なところに荷物を置くと、その窓へと近づいた。カーテンで遮られている先にどんな景色が見えるのか、サムリンはとても気になっていたのだ。これから毎日見ることになる景色が普通であってほしくはない――そう思いながら、サムリンはカーテンを掴み、一気に開けた。


「これは…………」


 初めての光景に、思わず声が出た。

 そこにあったのは、青空の中に浮かび上がる第3惑星リュカオーン。色は軌道上から見た時よりも明らかに薄いが、決して空の青色とは混ざらない別の青色でその姿を輝かせている。

 どうやら離着陸場から見ると本部棟とは正反対の方向にリュカオーンが浮かんでいたため、ここまで気付かなかったようだ。しかしもう、その姿をすっかり忘れることはできない。今にも落ちてきそうなほどの迫力で、それは空に浮かんでいる。

 あぁ、本当にアルカディアに来たのか――そんな感情を強く抱きながら、サムリンはしばらくの間、窓の前でただ立ち尽くしていた。

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