大望――1
現代的な文明社会は、ミニチュア化してコピーできるほど単純なものではない。産業や人、サービスといったそれぞれの要素は、複雑に絡み合った中で相互に作用しているからだ。真に現代的な社会を創るのであれば、この絡み合ったネットワークを紐解き、段階的に整備する必要がある。部品を集めただけでは機械が動かないように、現代的要素も適切に組み上げなければ、社会は機能しない。
――シリク・サムリン『社会開発の掟』
今日の運用管制室は珍しく忙しそうだと、ミーティングルームから見下ろすサムリンは思った。1か月前の低温睡眠解除後に行ったような総点検のように、今日の管制室はいつにも増して賑わっている。
普段なら管制室を覗いても人はほとんど居ない。理由は簡単で、16年間の無人運用に耐えられるよう高度な自動化が進んだこの船は、例え乗員の低温睡眠が解除されたとしてもこれまでと同じように基本的なシステムを維持できるからだ。だから航宙管制官も何か特別な運用が行われる時や基本システム以外を扱うときでなければ、わざわざここには来ない。
しかし今日は違う。各部署の管制官達はコンソールの前に張り付いたまま離れない。いつもは船の基本情報しか映されていないメインスクリーンも、今日は様々なデータに埋め尽くされている。
「いよいよ本番ね」
とヴァレンティン研究主任が言った。
「この1ヶ月、あなたにとってはだいぶ暇だったんじゃない?」
「まぁ――忙しかったといえば嘘になるな」
脳裏にこの1ヶ月の船内生活が浮かぶ。
豪華客船でもないこの船での生活は、確かに楽しいと言えるものではなかった。地表探査チームと支援スタッフ達は調査に忙しかったが、サムリンが関わる分野ではない。仕事は報告された資料を眺めるばかりで、気を紛らわす為の娯楽も船内では限られている。
地上が恋しい――そんな感情をサムリンはだいぶ前から感じていた。そしてその感情は、今日を境にしてさらに強くなりそうだった。本当の軌道降下、つまり開拓団が暮らす居住区の建設工事が、今日から始まろうとしていたからだ。
メインスクリーンには資材を運ぶ降下艇の予測降下軌道が表示されており、それはアルカディアのある1点で途切れている。そこは赤道を南北に跨ぐエラトス大陸の北側で、エラトス海と名付けらている海域の南側。この1ヶ月の間に調査が行われた5ヵ所の中で言えば、P4に該当する地域だ。
執行委員会が5ヶ所の中からこのポイントを選んだのは、もちろんきちんとした理由がある。
まず衛星の全球気候モデルから予測するに、P4の地域が比較的安定した気候であるからだ。気候学者によれば、地表の6割から7割が地球で言う熱帯気候もしくは乾燥気候に属するこの暑い星の気候は、端的に言えば激しい気候だ。赤道付近では気温が50℃を軽く上回り、広大な海面から発生する膨大な水蒸気はこの星に地球最大の嵐を凌ぐような超強力な熱帯低気圧を発生させる。
そんな中、赤道からは適度に離れており、ケッペン式気候区分で表すならば熱帯モンスーン気候に属するこの地域は、衛星全体で見れば比較的“安全”な地域なのだ。もちろん観測データが不足しているせいで確実な安全性を保障するほどではないが、それでも開拓地が嵐で壊滅する危険性が低いことは、開拓団にとって重要な要素だ。
他にも土壌の豊かさや農業開発へ向けた期待値の高さがP4は優秀だった。水捌けが悪いために湿地化が進んでいるP1やP2、もしくは乾期の乾燥が強すぎるP5に比べれば、年間を通じて充分な降雨と適度な河川の氾濫によって広大な氾濫原が維持されているP4は、土壌の栄養分が豊富で耕作をするのには非常に望ましい。歴史的にみて、食糧に悩み飢餓に苦しんだ社会は幾度となく衰退と暴力に見舞われる運命を辿ったが、これから開発する開拓地も充分な食糧生産を可能にしなければ、この先送られてくる開拓者達を満足して働かせることはできない。その点で、ナイル川沿岸のような素晴らしい氾濫原を持つP4の評価はとても高かった。
だが実はアペイダース大陸にあるP3も、同じように豊かな土壌を持っていた。実際、執行委員会の最終候補はP3とP4であり、特にP3はその緯度の高さから考えてP4よりもはるかに熱帯低気圧に襲われる危険性が低い地域であると考えられていた。気候も温暖湿潤気候であるから、単に快適で穏やかな生活を送るためであれば、何の迷いもなく執行委員会はP3を開拓地として選んだであろう。
だが現実はそうはならなかった。
判断を分けた要素は“地下資源”だった。それはフロンティア計画で要請されている“産業化された”系外入植地、経済的に“有益な”系外植民地の実現に不可欠な要素であり、特にP4はとある資源について、P3に対し決定的に勝っていたのだ。
ハイパースペクトルセンサーによる軌道上からの地下資源探査の結果は、P3もP4もその周辺地域において、銅、鉄、金、アルミニウムといった普遍的金属の量や採掘コストに決定的な大差はない。執行委員会にとってはこれらの資源をいかに容易に、いかに近場で入手できるのかが、特に設備や機材が整っていない開拓初期においてはその後の開発スピードを左右する要素であるとして重視していたため、ここまでの結果を踏まえれば気候がより穏やかであるP3が選ばれるはずであった。
にも関わらずP4が選ばれたのは、ここである希少な鉱物資源が大量に発見されたからである。
アンオブタナイト――ケイローン計画で発見されたそれは、地球の産業界が知るや否や熱望し、今ではフロンティア計画を推進する主要な原動力にもなっているほど重要な鉱物だ。希土類元素と重金属が入り混じったこの鉱物は、地球では発見されていない非常に希少な鉱物であるが、産業界がこれを熱望している理由はそれだけではない。彼らが欲する理由は、アルカディアの平均気温下で超伝導性を発揮するその特殊な性質にある。
この室温超伝導性は核融合炉や量子コンピューターへの利用が考えられ、究極的にはエネルギー問題の解決や宇宙文明への飛躍をもたらすとまで言われている。後者はまだまだ夢物語だが、それでも産業開発局によればアンオブタナイトが市場に流通した場合、低くても1kgあたり2000万ドル、高ければ1kgあたり4000万ドルで取引されると予測されているほど現実的な需要は高い。
実際、フロンティア計画にはアンオブタナイトの採掘と地球への輸出も任務として含まれている。そのため各開拓地は地球側が絞り込んだ時点で、アンオブタナイト鉱床が存在すると思われるスペクトル反射を観測した地域が選ばれていた。その中でもP4が選ばれたのは、ひとえにその埋蔵量や鉱物密度の評価が高く、充分に採算がとれる事業が展開できると判断されたからだった。
P4こそが最適である――執行委員会のその判断は、こういった多面的な要素から生まれたのであった。
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「さて、そろそろ始めるか」
サムリンは振り返って、自分の席に座った。
「では各部署より、現在までの進行状況を報告してくれ。まずは主任運用監督官から頼む」
「分かりました」
コロリョフが答えた。
「現在、先遣隊の降下へ向けた最終軌道調整を実行中です。およそ30分後には衛星大気圏へ再突入するでしょう。その後、地表に到達した先遣隊は後続の受け入れ準備へと作業を移行します。具体的には着陸予定地点一帯の安全確認と障害物の除去です。この作業が終了次第、他の降下艇も本船から切り離され地表へ向けて降下を開始します」
「順調ということか。コロニストシリーズはどうなっている?」
「そちらも正常に運用されています。到着後のフルチェックから現在まで、致命的な問題は見つかっていません。2隻とも我々の手によって完全なコントロール下にあります」
実はこの時にアルカディアの周回軌道にいる船は、彼らのいるフロンティア号だけではなかった。最初にフロンティア号がアルカディアに到着してから少し遅れて、2隻の船が追い付いてきていたのだ。
それぞれコロニスト1、コロニスト2と名付けられ、総称してコロニストシリーズと呼ばれているこれらの船は、基本的な構造こそフロンティア号と同じであるものの、抱える荷物に大きな違いがあった。
それは、有人か否かの違いだ。人員輸送を主目的とするフロンティアシリーズに対して、コロニストシリーズは貨物輸送を担当していた。特に開拓地建設に必要な資材の大部分や、初期探査以後に必要となる降下艇の燃料は全てこのコロニストシリーズにあるが、代わりに乗員は1人も居ない。そのためアルカディアまでの航宙こそは自動で行えるものの、その後はフロンティア号から指令を出さなければ船の運用はできない仕組みになっていた。
「なお、コロニスト1は現在降下殻への貨物移送作業を実行中です。こちらも地表の受け入れ準備が整い次第、母船から切り離され地表へと投下されます」
コロニストシリーズが抱える貨物は、特別な事態がない限りフロンティアシリーズには移送されない。大抵はフロンティア号の降下艇がコロニストシリーズにドッキングして貨物を積み込みそのまま降下するか、もしくは今回のように降下殻と呼ばれる軌道降下専用の容器に入れられて地表へと落とされる。
この降下殻は再使用できないというデメリットがあるが、降下艇よりも多くの貨物を積むことができる。そのため規格化されたコンテナに収まらない大型の貨物を降ろす時や、1度に大量の資材を降ろしたい場合にこの降下殻が使われることになっていた。
「約7時間後には本日予定されている貨物の積み下ろしが終了する予定です」
「ありがとう、コロリョフ。引き続き貨物の積み下ろし作業を頼む」
コロリョフは軽く頷いた。
「では次に潘技術主任。居住区の工事について説明をお願いしたい」
そう言ってサムリンは1人の男を見た。彼の名は藩少杰。フロンティア計画における最高技術責任者として建築や土木の分野を統括する立場だ。優秀な技術者ではあるが、その性格は少し変わっていると評されている。
「では私から――これからの工事は、主に3つのステップに分かれます。まず1つ目は作業環境の構築で、この1週間の工事はこのステップにあたりますな。こいつをやらなければ現地に作業員を滞在させられませんから、何としても終わらせなきゃいけません。まぁ作業自体はそれほど複雑じゃありませんから、終わらないってことはないはずですけど。で、無事これが終わると今度は本部と離着陸場の建設に移ります。本部ってのはつまり我々の仕事場ですね。このステップはもっと時間が掛かるもので、およそ2〜3週間を予定してます。まぁ50人以上が下で暮らせるようにするわけなんで、これぐらいの時間が掛かるのは仕方ないんですよ。ただベッドを用意すりゃいい訳でもありませんし」
「あぁ分かってるよ。生活空間とインフラの整備は時間が掛かるものさ。しかし、長い場合は今日から更に1ヶ月とは……」
「仕方ありませんよ。今は起こせる人数にも限りがありますからね。むしろこの少ない作業員数で第2ステップまでを1ヶ月近くで完成させられることを褒めていただきたいくらいだ」
「その点は良くやってくれていると思っているさ。それで藩。続きは?」
「おっと、これは失礼……えー、つまり本部と離着陸場の準備には、それなりの時間が掛かるってことですな。だがこの工事が終わったら、我々は本格的に地表での活動が行えるようになります。第3ステップはここからで、例えば採掘場の開発だったり、農地の整備だったり、とにかくフロンティア計画に沿った開拓地の拡充と2年後に向けた整備は全てこのステップに入ります」
「ということは――」とヴァレンティン研究主任。「私達が地表に降りるのは、第2ステップが完了次第ということかしら?」
「えぇそうですとも。皆さん早く船を降りたいでしょうが、もう少し我慢してください」
「1ヶ月か……」
「仕方ないわね。待つしかないわ」
「まぁ私はその前に下に降りて陣頭指揮を執っていますがね。なにせまだ寝ている人間が多いんで、監督責任者がほとんどいないんですよ。もちろんこの先ずっと私が――」
「分かったよ。説明をありがとう。私からは特に要請することはないから、そのまま工事を進めてくれ。細かい事項は君に一任するが、工事の延期だけは勘弁してくれよ」
「是非ともお任せ下さい」
その後、会議は2時間近く続いたのであった。




