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2016年/短編まとめ

生ける屍が何を求めるのか

作者: 文崎 美生

MIO(ミオ)ちゃん、MIOちゃん」


柔らかな声が聞こえた。

ぼんやりとした意識では、その声の主が誰なのか思い出せずに、視線だけを左右に動かす。

振り返れば、無表情の見慣れた顔があった。


「帰るよ。MIOちゃん」


ほんの少し、声に咎めるような色が混ざる。

帰るって、何処に。

声も出せない私は、そのままぼんやりと、見慣れた無表情を見ていたが、相手痺れを切らしたように私の腕を取る。


そこで「あれ?」と思う。

何で目の前の彼女は、私に触れることが出来るのだろうか。

しっかりと握り締められた腕を見て、違和感を感じながら首を捻る。


「……ねぇ」


声が出た。


「何?」


足を止めて振り返った彼女は、やはり無表情で長い前髪の隙間から黒目を覗かせる。

光のない黒目は、人によっては死んだ魚のようだと言うけれど、私はとても綺麗だと思う。

だって彼女は生きているし、光のない黒目でも、硝子玉のように透き通っていて、どんなものでも濁りなく歪みなく反射してくれる。


だからこそ、その黒目に映る、私自身を見て、変だなぁと思ってしまうのだ。


「私、死んでるよね?」


思ったことを、考えたことを、そのまま口に出しただけなのに、眼の前の彼女は無表情を崩す。

ぐしゃりと歪んだ顔に、私はやはり変だなぁと思ってしまった。




***




「コタール症候群……って何ですか?」


首を傾ければ、白衣を着た先生は今説明するから、とでも言いたげに目を細めた。

ノンフレームの眼鏡が蛍光灯の光に当たり、キラリと光るのが見える。


「自分がこの世にいないと思ってしまう病だよ」


「……?私、ここにいますよ」


背もたれのない回転椅子に座りながら、私は髪を揺らして首を傾げた。

しかし、先生の顔は強ばった状態で変わらず、私の顔をじっと見て首を振った。


「君、さっき自分で言ったこと覚えてる?」


白髪が混ざり始めた髪を掻きながら、先生が問い掛けるので、傾げていた首を戻して頷く。

「何か、自分から腐臭っぽいような。生臭い匂いがした気がして……内臓系の病気かなと思って」と、目に掛からない程度に切り揃えた前髪を弄る。


そうして、そんな私を見て先生は、カルテの上にボールペンを転がし、それだよ、と言うのだ。

何がそれなのか、私には分からない。


「その君の感じる匂いは、私には感じられない。もっと言えば、その匂いは君にしか感じることが出来ず、そもそもそんな匂いはしないんだよ」


膝の上で手を組んだ先生は、背中を丸めてそう言った。

だって匂いしますよ、なんて言えずに、前髪の奥で眉を潜めた私は、鼻を静かに上下する。


ほんの少し、気にしなければ気付かないような匂いだ。

スーパーの鮮魚コーナーで感じるような、あの生臭い匂い。

確かに感じるそれが、本当は存在しないのだろうか。

その場合には脳やら鼻やらが異常をきたしているのでは、と先生を見ても首を横に振る。


「これは別名だと歩く死体症候群と呼ばれていまして、もしかしたらそちらの方が有名かも知れませんが。今はその匂いだけでも、そのうち本当に自分が死んでいるのではと思うようになります。もっと言えば、自分には脳がないだとか、神経がなくなっているだとか……」


先生の言葉が右から左へ抜けていく。

歩く死体症候群、膝の上に揃えて置いていた手の平を見て、強く握ってみる。

あれ、私、生きてるよね。




***




確かに感じる腕の温もりに、生きてるんだ、なんて他人事のように思ってしまった。

思い出した病院での出来事。

だからと言っても、思い出したところで何も変わらずに、この手が離されればきっと私は、また歩く死体に逆戻りしてしまう。


日に日にぼんやりすることが増えてしまい、生きているのか死んでいるのか分からなくなる。

いや、もっと言えば、死んでいると信じ込む時間の方が長くなっている。

ぐしゃりと顔を歪めた彼女を見れば、困ったように笑っている私が映り込み、あぁ、生きてるんだって。

彼女の手に触れてみた。


「……帰ろっか」


今だけまともに戻った思考で、ゆらりと彼女の指に、私の指を絡めてみた。

温かくて柔らかい、女の子の手の平だ。

今度は私が彼女を引っ張るように歩き出し、何となく先程までいた場所を振り返る。


薄暗い墓地に並んだ墓石達が私を呼び寄せるのは、いつになるだろうか。

今度は、今度こそ、あの下に、私も。

絡んだ指を外すことなく、出来たら彼女も連れて、冷たい土に還ってみよう。

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