世話焼き勇者と天然魔王の日常。
「──ついに、来た……最上階だっ!」
勇者は、聖剣を手に下げ大扉の前で気合いを入れ直していた。
この世界で唯一残った魔族、その中でも全てのステータスが生まれながらに高い魔王族の最後の生き残り。
夜の王とも呼ばれた、ヴァンパイアの姫がこの扉の先にいる。
思えば長い道のりだった。
自分には街にありふれた英雄譚の様に仲間はいなかったが、それでもこの聖剣に認められ王に託されてここまで来た。
長く続いた暗黒の時代も、ここで終わり。
いや、この手で終わらせるのだ。
街の人から貰ったマナ回復ポーションと治癒ポーションを飲み、己に筋力強化の魔法を掛けなおす。
身代わりの指飾りを一応新品に替え、準備が整ったのを確認した。
そして、荘厳な大扉に手を添え、一気に押し出す。
「──人々を苦しめた魔王、吸血姫ロールウェよ、覚悟!」
「……ついに来たか、若き勇者よ」
玉座には、黒のドレスに身を包んだ美しい吸血姫がいた。
手掛けに肘をのせて頬杖をつき、大袈裟に足を組んでいる。
そして、吸血鬼の代名詞とも言えるその牙に妖艶に舌を這わせながら俺を見ている。
オーラのように漂う風格、まさしく魔王のそれだった。
「今ここで、貴様を倒す!」
「くふふ、やってみせるがいい、孤独な勇者……!」
ゆっくりとロールウェが立ち上がり、玉座からこちらへと進み出てくる。
俺は、ロールウェに対抗するように聖剣の輝きを示しながら名乗りを上げた。
「我が名はハザン! 魔王を討ち取る者なり!」
そして、ロールウェも名乗りを上げる──
「我が名はロールウェ。魔国を統べる王にして、吸血鬼の姫にゃり!」
──盛大に噛みながら。
うん、聞き間違いだろう。
ロールウェの顔が真っ赤だが、ここは流してやるべきところだ。
そのままお互い一歩を踏み出し、
すてんっ。べちっ。
魔王ロールウェは、何もない所ですっ転んだ。
「……」
「……」
「……あー、その、段差でもあったか? 玉座だしな、少し高いところにあったりするよな」
「違うんじゃ……」
「え、どうしたよ」
「足がぁ……痺れたんじゃぁっ……」
今にも泣きそうな声を出し、地べたで涙目のまま震えるロールウェ。
もう一度言おう、ロールウェは魔族最強の魔王族、その最後の生き残りである。
風格なんて少しも感じなかった。
◆ ◆ ◆
最初こそ騙す罠かと思った俺も、本気で涙を浮かべている姿を見て流石に同情心がわいてきた。
すっ転んで地面に広がった黒髪は美しいが、その影から涙目が覗いていてはどうしようもない。
「あー、その、なんだ。痺れがとれたら教えてくれ、入り直すからさ」
「誰のせいで今苦しんどると思っとるんじゃっ! お主が我が城に入ってから、ずっとあの格好で待っておったのになかなか来んから痺れてもうたんじゃろが!」
「ええー、俺のせいかよ……」
というか、自分の城のクセに手下を信用する前にまず己の姿勢を整えとくのかよ。
しかも入城したタイミングを知ってるならこの部屋の前に来た瞬間もわかるだろうに……。
「久々の来客じゃぞ、もてなすように手下に言っておいたのじゃ。なのにバッタバッタと倒しおってからにぃ」
「さらっと心を読むな! ってか俺来客扱いかよ!? 勇者だぞ一応!」
城なのにやけに手下が少なくて、なぜかゴブリンまで正装をしてたのはそういう訳か。
まさか、道中のハイオークのやけに疲れたような唸り声はこの天然姫へのため息だったんじゃ……。
「まぁいい、とりあえず俺は出直すぞ。これじゃ討伐してもなんか後味悪い」
「待て、来客に何もせずみすみす帰す訳にもいかん。茶の用意でもさせるから少し待つが良い……討伐!?」
「お前勇者を何だと思ってんだよぉ!」
んー? と首を傾げ、本気でわかっていない様子のロールウェ。
俺が何をしに来たのか、未だに理解に至っていなかったりするのだろうか。
さすがにそれはあり得ないと思いたいが、今もなお床に這いつくばり、ようやく痺れがとれてきたのじゃー! とばた足をしては痺れて震えている姿を見るとあながちあり得るかもしれない。
「もういい、とりあえず一旦立て。もしくは座れ。話はそれからだ」
「起こしてたもぉ」
「……」
落ち着け俺、冷静さが大切だ。
あうあう、と手をのばすロールウェの脇から手を入れ、肩を貸して立ち上がらせる。
そのまま玉座まで歩き、再び座らせた。
改めて見ると、明らかに玉座の大きさが合っていない。
正しく言えば、ロールウェが小さく、それを豪華な黒いドレスで誤魔化しているような感じだ。
「くふふ、ではお待たせじゃ。ほれ、魔手よ紅茶を持ってこい」
マジックハンドの手の部分を切り取って浮かべたような奇怪な両手が、抜群の連携でみるみる紅茶を淹れていく。
そして、程なく俺とロールウェの前に置かれた。
「あ、どうも」
ポルターガイストの様に椅子と机が動きだし、いつのまにか座らされていたとしてももう驚くものか。
魔王の本性を知ってからだと驚くものも驚けなくなる。
「おお、流石勇者じゃのう。その椅子、座ったものを呪う椅子でなぁ、誰も座りたがらんのじゃ」
「ひぎゃー!? 何に座らすんじゃこの魔王は!?」
「順応が早くて何よりじゃ~」
驚かないと言った二秒後に呪い椅子に驚かされた。
これを順応と呼べるのだろうか……?
この魔王を単純に討伐するだけなら、恐らく簡単だろう。
だが、それに俺は納得できなかった。
勇者として、何より男として納得できなかった。
だから、今思えばとてつもなくアホなことを言ってしまったのかもしれない。
「おい魔王」
「ロールウェじゃ」
「……ロールウェ、俺はお前を鍛える。俺が魔王らしくしてやるからな!」
「? どういうことじゃ?」
「ここで住み込んで魔王のなんたるか、を教えるつってんだよ! 今のお前討伐してもなんか惨めになりそうだし!」
◆ ◆ ◆
それからというもの。
養育係もいないまま育ったロールウェは、天然ドジな上にそもそも家事ができないと来ていた。
多少の戦闘経験はあるもののそこまで。
その辺がわかっていても、ボーンソルジャーでは戦闘指導のために剣を打ち合わせた瞬間に弾け飛んでしまうから不可能。
よって、というか必然的に、というか。
一日中訓練漬けの日々が開始された。
朝は抱き枕に顔を埋めてなかなか起きないロールウェを叩き起こし、指導をしながら朝御飯を作る。
お互いの作ったのを入れ換えて食べ、講評をし合うのだ。
「ハザンー、味が濃いのじゃ」
「いやそれかなり薄味だからな、俺だとそれ殆ど味しないからな」
「ハザンは料理が下手なんじゃのう」
「……」
そして、次は勉強。
なぜかそこは吸血鬼らしく書庫に籠っていたので、専門の学術書とかは暗記をしていた。
その代わり一般的な事を知らなかったので、それを教えていく。
「ここの大陸は……オートトレール?」
「違う、オートロール」
「オートロール、オートロール、オートミール……」
「そりゃ料理名だ」
頭を抱えながら、午前いっぱいを勉強に充てた。
そして、その後はもちろん昼食。
当然指導をしながら作る。
「ええと、何分じゃ?」
「先に見とけ! 八分だよ!」
「八分、八分……ぎゃー!? 吹き零れたのじゃー!?」
そして午後は魔法と体術の訓練。
俺が教えているのはもはや本末転倒だが、もうここまで来たらなんかどうでもよくなってくる。
無自覚なパワー押しに負けないように自然にいるのはとても大変だった。
久々に筋肉痛に悩まされた。
そして、晩御飯を作り……と、ロールウェと謎の生活をしていた。
──そして、気がつけば、初めて城に来てから三年の時が経っていた。
◆ ◆ ◆
城のテラスの椅子にそれぞれ腰掛け、紅茶を飲みながら月を眺める。
緩く、静かなこの時は嫌いではなかった。
「……俺がここに来てから三年か」
「もう完全に城の住人じゃのう」
「改めて言っとくが、俺はあくまで勇者だからな。どっかの天然ドジ吸血鬼のために城にいるんだからな」
「うるさいのじゃ。紅茶を血に替えるぞ、ハザン」
「そういやロールウェは吸血鬼だったな」
城生活が始まって一年ほどした辺りの頃、ロールウェが夜中に血走った目で襲ってきたことがあった。
俺はその一年の間、ロールウェが吸血鬼だということを忘れるくらいに毎日動いていたせいで咄嗟にその手に聖剣を呼び出して構えたのだが、どうにも様子がおかしかったのでとりあえず話を聞いてみる。
俺の肩を掴み、必死な声で、
「血……血がほしいんじゃ……もうしばらく飲んで無いんじゃぁ……」
と言うのだ。
その頃にはとっくにロールウェが危険な魔王ではないことを知っていたのだが、本性である吸血鬼が表に出るとこうなるのか、と思いながら自分の指先を斬る。
そして滲みでた血を飲ませてやった。
それ以来、味をしめたロールウェは俺に血を求めるようになった。
頻度は二日に一回くらいなのだが、一度吸われると貧血で立てなくなる。
そして、それを知ってからというもの、あまりからかいすぎると貧血で倒れるまで吸われるようになってしまった。
今も、わざとらしくロールウェもと言った俺に対して頬を膨らませている。
……そして、最近気がついたのだが。
不意に、ロールウェに対してドキッとすることが、ある。
元からかなりの美少女で、本人いわく殆ど手入れのしていない黒髪は今も青白い月明かりを反射して輝いていて……
そういう姿を見ると、思わず頬が熱くなるのを感じる。
風に靡く黒い髪を押さえる姿に、目を奪われて──
「ハザン?」
「……」
「ハザン? どうしたのじゃ?」
「……」
「おーい、ハザンー!」
「はっ!?」
……おいおい俺、見惚れてる場合じゃないだろ。
無視されたと思い込んだロールウェがまた頬を膨らませて、それもまた……。
「は、ハザン。お主に聞きたい事があるのじゃ」
「おう」
「ずーっと前から、気になってる事なのじゃ」
「おう」
「そ、その、ぷろぽーずとやらはいつしてくれるのじゃ?」
「おう…………は?」
今こいつはなんと言ったのだろう。
プロポーズ? 誰が? 俺が? 魔王に?
「いや何の話だよ! いつから俺とお前はそんな関係になったわけ!?」
「お主が言うたじゃろ? ここに住み込んで、教えてやると。てっきり花嫁修業だと思っておったんが……違うのか?」
俺は頭をガックシと落とした。
確かに、思い返してみれば、家事洗濯に手取り足取り勉強、ロールウェからしてみればお遊び感覚になっているであろう戦闘訓練……。
忘れていた、こいつはド天然なんだった。
そんな勘違いも……こいつに限って言えば、あり得なくもない。
俺が肩を落としている間にも、ロールウェは声を続ける。
「それに、吸血鬼はよっぽどの渇きを覚えん限り見境なく血を求めたりなんぞせん。個人によって違うが、ある程度認めた相手からしか吸血はせんよ。その、特に女の吸血鬼の方から二度以上求めるのはそういう意味なんじゃ……お主は知っておると思ってたんじゃが」
「吸血鬼の求愛方法なんて知らねぇよ……でも、じゃなきゃ幼少期はどーすんだって話か……」
「そういうことじゃ。かれこれ吸血をハザンに受け入れて貰ってから二年。……待ちくたびれたのじゃ」
つまり、ロールウェからしてみれば、城に来た勇者とかいう客人にいきなり告白をされた。
そして、自分も一年がたった辺りで何かしら想うようになり、吸血してみたら抵抗されない、と。
恋仲になってから二年、いい加減待ちくたびれて今に至る、と……。
「妾の力も魔法も、全て平気な振りまでしてくれたお主に惚れたのじゃ。そして、お主を意識してからというもの、この気持ちが止められそうにないんじゃ……」
ゆっくりと、ロールウェが身を乗り出してくる。
ああもう、面倒くさい。
意識してなかった……いや、意識してない振りをしていた。
でも、いつのまにか大きくなっていた気持ちはもはや暴れだしそうになっている。
でも、言葉で答えるのはなんとも気恥ずかしいから。
そっと、その唇に己のを重ねた。
ロールウェ視点も書いてみようかと考えていたり。