第3話 後半
この作品は、実在の国家・民族・組織・民族・思想・人物とは何の関係もありません
「……もう! 無理して起きるから余計に具合が悪くなるのよ! 統制官は大人しく寝てて!」
ウルズラがボクの口からぶちまけられた、テイター・チップスと炭酸飲料の入り混じった緑色の吐瀉物を片付けている間、ボクは有無を言わせずベッドに横になって寝させられていた。
逆らうと拘束具を持ち出されそうな勢いです。 ごめんなさい。 マジごめんなさい。
自分でも流石に吐くほどヤバくなるとは思いませんでした。
でも、これで今物凄く具合が悪くなっている原因が……より正確には、この子たちと話そうとすると急激に体調が悪化する原因は理解した。
考えてみれば、「人間型をして人間の顔をしている相手と直接対面して会話する」のは初めての行為だったんだから。
今まではソーシャルネットワークを介してしか人間と関わりあって来なかった。
遺伝子上の両親とでさえ、物理的に接触したことは無い。
物心ついたときにはソーシャルネットワーク上で互いに言葉を交わすだけの相手でしかなかった。
その後も、ずっと。 保母ドローンや、繁華街なんかにある店舗の接客用ドローン以外と現実世界で会話した相手はいない。
そういうのがボクたちの世代の、いや、両親やその前の世代から浸透し始めた人間同士の関わり方だから。
地球全土をネクサスが覆い、リアルタイムで地球の裏側の様子を知れるようになって、人類同士の距離は随分と近くなり国境なんてものも消え去った。
世界中の全ての人が知り合いで、どこに居てもいつでも会話できる。
ネットワークが人と人を繋げ、皆が融和と平和の名のもとに共存しあう。
それが汎人類協和思想圏であり、現代はとても幸福な時代なのだ、と教養プログラムは言っていた。
……でも、「いつでも会話できる」ってのは「相手のところに会いに行かなくてもいい」って事だったんだ。
必要なものは都市圏生活支援システムを使用してどこにでも配送されることもあいまって、人は自分の家から外に出ることを辞めた。
ボクの住んでいる、まるで無人の都市のような印象さえ受ける市街地構造体のように。
どれだけ歩いても、ボクはボク以外の人に出会うことは無い。
そんな生活を生まれてからずっと続けてきた。
そりゃあ、恐怖にもなるしストレスにもなるだろう、「人間(みたいな相手)と同じ空間で対面して話す」ことが。
何もかも初めてなんだもの。
「……とはいえ、まだ確定じゃないんだよな。 幾つかまだ可能性が残っている」
小さな声でボソリと独り言を呟くと、ベッドの側に立ってボクの様子を相変わらず心配そうに見つめるウーシーが「えっ?」と反応した。
確認の続きをしたい。 そのためには彼女かウルズラに話しかけなきゃいけないんだけど、またゲロを吐いてもボクの方がもたない。
なので、なんとか「体長を悪くしないようにしながら目の前の相手と会話する方法」を採らないといけない……。
ボクは少し考えて、目を瞑ることにした。
これなら、ウーシーの姿は見えない。 近くでウルズラがモップで床を磨いている水音が聞こえる。
とりあえず、これで行きましょう。
ボクは「人と会話」をしているのではない。 「音声で受け答えをするインターフェイス的な何か」と会話しているんだ。
そう思い込むことにする。 ……ちょっと強引だけど気休めにはなるかもしれない。
ボクは覚悟を決め、少し息を吸ってから言葉を口にした。
「ところで、統合作戦本部への通信が出来なくなったそうだね?」
さあ、どうだ。
とりあえず待つが、沈黙しか返ってこない。 ウルズラの掃除している音と気配も止まった。
……どうしたんですか? 薄目を開けてウーシーの様子を窺う。
すると、彼女はちょっと困った顔でボクの方を見ている。
そして戸惑い気味に口を開いた。
「あの……統制官、『じーえむ』ってなんでしょう?」
……そう来たのか。
「すまない、統合作戦本部のことだ」
「あ……はい。
常時接続しているはずの量子パケット通信が非接続状態を表示していて、こんな事は普通、こちら側の送受信機器が故障しているか、それともあちら側の故障もしくは通信封鎖状態で無い限りありえないのです。
跳躍航行の開始前は全く異常がありませんでしたから、普通こんな事は量子パケット通信で双方向認識ができないような距離にでも居ない限り……」
説明に意識の半分を傾けながら、もう半分で今の結果について考察する。
ウーシーは統合作戦本部をGMという呼び方をするのを理解できなかった。
というより、そんな知識は無いという感じだろうか。
Dead Frontシリーズではプレイヤーは「汎人類協和思想圏の武力執行部隊、もしくはそれに所属する軍人」でありGMはゲーム中では「統合作戦本部」という位置づけになっている。
ゲームシステム的には「プレイヤー支援用ドローン」であるこの子達は、ドローン兵器の一種であり、アバターボディに搭載されているというゲーム内設定だ。
だから、GMという「ネットワーク対戦ゲーム」としての用語であって「Dead Frontというゲーム作品内の用語でないもの」は知らない、わからない。
単に知らないだけってのも考えられるけれど、もしかしたらこの子たちはよりミリタリーシミュレーションとしての没入感を出すためにゲーム用語などのメタ情報には反応しないように設定されてるのかもしれない。
……では次。
僕自身がコンソールを呼び出してGMコールを試みよう。
何か不具合があったときやプレイヤーの申告に対応するべく、大抵のゲームでは運営スタッフの誰かが常時GMとしてゲーム全体を監視している。
これが単なる大幅アップデートだったら、GMに質問すれば答えが返ってくるはずだ。
擦り傷も、ウーシーたちの行動も、全部システムの改良で済む。
個人的には改悪じゃないかなって思う部分も無いではないけれど……。
目を開いて、自分の左手の袖口に付いているウェアラブル機器の何種類かのボタンを押し、コンソールを起動。
目の前にコンソール画面が表示された。 半透明で空中に浮いている以外は統制官席にある奴や、ランドウォリアーのコクピット席にあるものと大体同じだ。
そこにあるメニューの中から、GMコールを選択すべく指で上下になぞってスクロールさせる……どこだろう、見当たらない。
こんなに下の方じゃなかった筈だし……上の方には無いし……。
いいや、直接コマンド入力しちゃおう。
……リターンキーを押しても何も反応がなかった。
ミスタイプはしてない。 もう一度コマンド入力しても同じ。
GMを呼び出すことが出来ない。
GMを呼び出すことが出来ない。
大事なことなので二回言いました。
……アップデートがされたらGMコールの機能が削除されてましたって、これ不具合とか仕様変更ってレベルじゃないのだが。
問い合わせが多くてGMがパンクできず受け答えが出来ないんじゃなく、「只今GMを呼び出しています」とかの表示すら全く無いんだよ、これ。
機能そのものが削除された用にしか思えない。
そういえばよく見るとメニューにも幾つか、前はあったはずなのになくなっている項目が幾つかある。
ゲーム進行に関わるメニューやサブメニューはそのままだけど、ユーザーインターフェイス調整やコンフィグ機能の類がごっそり無い。
どうなってるんですかこれ?
理解できない事態に画面を見ながら唸っているボクを、ウーシーが見ている。
ボクが何をやってるのか、彼女はわかってないんだろうね。
モップとバケツを片付けに行っているウルズラも。
……よし、最後の手段す。
ログアウトしよう。
最初からこれをすればいいんじゃないか、という考えは今まで頭の隅に追いやって、直視しないようにしてきた。
なんとなく、凄い嫌な予感がしたからだ。
これが単なる予告の無いアップデートによる不具合だったとしたら、もしくはこのアップデートそのものが本来予定に無い、なんらかのアクシデントで行われたものだとしたら、一応辻褄はあう。
今夜のプレイは諦めて、寝よう。 それでいい。
朝までゲームやらない日がたまにはあってもいいよね。
はい、お疲れ様でした。 投稿用の動画はまた後でプレイしようっと。
そう決めて、ボクはログアウトを……だめだ、ログアウト機能もコンソールから消えてる。
ゲーム終われないじゃないか!
どうするの? コマンド入力で強制的にゲーム終了させる?
でもあれ覚醒した後頭痛がするから嫌なんだよね……じゃなくて!
「悪い予感が的中した……これ完全にアップデートによる仕様変更じゃすまされない状態になっているよ」
そう呟き、体を起こしたボクは頭を抱える。
きょとん、とするウーシー。 戻ってきたウルズラが、またボクに「ちょっと! 寝てなきゃダメじゃない!」と叫んだ。
もうさっきみたいな具合の悪さは無いけれど、さっきとは違う理由で吐きそうだ。
なんなんだろう、この状態。 夢? それとも現実に進行していること?
現実って言っても、いまはDead Front 7のゲームプレイ中なわけで、普段生活している現実とは違うんだけど……ええい、ややこしい。
大昔のSFには、仮想現実の世界と現実の世界の区別が付かなくなった人の話とかが出てくるのを唐突に脈絡もなく思い出した。
あまりに精巧な仮想現実は、現実と区別が付かないから今自分がどっちにいるのかわからないってやつ。
そんなに脈絡がないことでもないですか。 今の状況はなんとなくそれに近いものがある。
とりあえず、今が起きている状態なのか眠っている夢なのか確認する方法がまだある。
ボクは、視界内で都市圏生活システムを起動してみた。
視界の端っこで、ローディングサークルがぐるぐると回っている。
それはしばらく回り続けたあと、「接続を確立できません」という表示に切り替わった。
……はい、確定しました! ここは現実です。
何でかというと、このシステムは「ゲームを起動してログインしている時」には起動しないからだ。
起動しないっていうか、一旦ゲームが中断されて、視界がブラックアウトして、意識が覚醒状態に戻って現実のボクの部屋に光景が切り替わってから都市圏生活システムが起動する、というのが本来の手順のはずだった。
ところが、今なったのは「ゲームをしているはずの状態のまま都市圏生活システムの起動が試行された」だ。
絶対起こらないし、起こるはずがない異常動作なのだ。
どうせだからソーシャルネットワークへの接続も試してみる。
こちらも、ローディング画面のあと接続エラーが表示される。 というかローディング画面なんて初めて見たよ。
だってこっちは常時ネクサス《ネットワーク》に接続してるから、見る機会があるとすれば初回起動……ボクが生まれてすぐにネクサスの接続処置を受けたときぐらいしか表示されるはずがないんだもの。
つまるところ、ここは地球上ですらない事になる。 地球どころか太陽系内の人類の進出領域のどこでもない。
全世界を覆ってるはずの情報通信ネットワーク、ネクサスに繋がらない、孤立してるってことはそういうことだ。
どうしよう。 変な笑いが込み上げてきて、口元を押さえた。
ゲームが現実化するなんて非科学的なこと起こるわけがない。
これだけ科学技術が発展し、全人類がその恩恵を受けて、あらゆる問題や悩みからは解放された時代……まあ、ボクはそれを享受しつつ、「人と会いたい」とかいうふざけた悩み抱えていたわけですけど。
いざ人間っぽい存在と対面したら気分悪くなって吐くくせに、何を言ってるんだかね。
でも、でもだよ? もし万が一そのような状態になっていたとしたら……。
笑いの引っ込んだボクは、こちらを見つめているウーシーとウルズラを見た。
二人は、ずっとボクのことを「統制官」と呼んでいた。
つまり、目の前にいる彼女達はゲーム用語がわからず、ゲーム内設定の知識に準拠した認識を持っているなら、ボクをゲームプレイヤーではなく本物の軍組織の「統制官」だと認識していることになる。
彼女達だけじゃなく、ブリッジに居たシュフティやウルリーケ、ロザリンドもきっとそうだろう。
でも、それは凄く大きな問題を抱えることになる。 ボクはDead Front 7の一プレイヤーであって、本物の汎人類協和思想圏政府の統制官、軍人じゃない。
この惑星間航行艦「ラインの黄金」号は、軍艦であり、汎人類協和思想圏政府の軍事施設でもある。
一民間人が許可なく軍の施設内にいるって重大な違法行為だよ……もしボクがただの民間人だってことが発覚したら、非常に不味いことになる、と思う。
最悪銃殺とか処刑とか……考えただけで背筋に悪寒が走った。
とりあえず誤魔化すためにできるだけ統制官っぽく振舞おう。 何時まで彼女達を騙しおおせるのかはわからないけれど……。
可能な限りボロは出さないようにしないといけない。
とはいえ、所詮趣味の範疇でしかそういう事を知らない僕は限界があるのも自覚している……どこかでメッキが剥がれるのは予想できる。
誰か、その辺詳しくて、それでいてボクに指導してくれる人が居ればなあ……教養プログラムは歴史系統ばかりで、本格的な軍事知識のは持ってないし……と、考えたところで、ふとボクは思いついた。
補佐官だ。 補佐官のロザリンドとツィルベルタは元々統制官に助言をしたり作戦立案のサポートをしたりする役割だ。
あの二人の側に居れば、「統制官をさりげなく補佐」してくれるだろう。
いや、してくれるといいな。
「そういえばロザリンドはどこに?」
ボクは、出しっぱなしだったコンソールを閉じるとウーシーとウルズラに尋ねる。
一刻も早く彼女達の側に居て、離れないようにしないといけない。
最悪の場合、二人に真実を打ち明けて、お願いしてなんとか助けてもらおう。
ロザリンドの方は優しそうだったし。 ……少しは希望的観測を抱いてもいいよね。
というか現実逃避したい。 夢ならはやく覚めてほしい。
「えっと……ブリーフィングルームに向かいました」
「現在のこの艦の状態を、各担当班長に説明して、同時に現状の報告を確認するって言ってたわよ」
……もしかしたら、ちょうどいいかもしれない。 それに間に合えば、だけど。
「わかった。 ボクもブリーフィングルームに顔を出す。 二人ともご苦労。 通常任務に戻っていい……戻れ」
「えっ……統制官、お体のほうはもういいのですか!?」
「まだ無理しなくてもいいのよ? さっき吐いちゃったくらいなんだし、もう少し休んでても……」
そう言ってベッドから起き上がろうとするボクを二人が慌てて引きとめようとする。
もう平気だ、と言ってボクは彼女達の手を振り払い、医務室の扉の方へゆっくり歩く。
というか、もう具合が悪いとか人と対面して話すのがどうとか言ってられない。
あまりに事態の異常さがボクの頭の理解の範疇を超えていて、色んな感覚が麻痺りそうなんだ。
とにかく今は、行動しなくちゃ。
ここがどうやらゲームの中じゃなく現実らしいと判ったところで何一つ解決して無いし、未だ問題だらけなのだから。
ボクが混乱して倒れて寝ている間にも何か別のことが進行しているかもしれないし、それで事態がこれ以上悪くなる前に。
…という訳でブリーフィングルームに足を踏み入れた瞬間、室内の全員から注目を受けた。
メインスクリーンの脇に立っているのはロザリンド。
席には、アデルグントやアーデルハイト、ヴィクトリアなどの戦闘班員や、ディートフリーダたちのような後方要員がいる。
めいめいに何人かで固まっているようだけど、それぞれのグループの距離は開いている。
フリドガルトなんかは壁際で一人で腕組みして立っているし。
……ロスヴァイセの足元にある円筒形の容器はなんだろう。
ヤバい。 大量の「人」の視線にさらされて、また具合が悪くなりそうだ。
嘔吐感を抑え、足を一歩前に出す。
たまたま目があったロザリンドがハッとした顔をして、次の瞬間、叫んだ。
「きをつけ! 統制官に対し! 敬礼っ!」
その号令と共に、全員が直立不動の姿勢から一糸乱れぬ動作で右手を左胸に当てる汎人類協和政府制式の敬礼動作をする。
数秒ボクの思考が沈黙したのち、ボクも同様に敬礼を返した。
そして、ボクが敬礼を解くと、ロザリンドの「なおれっ!」の号令で全員が同じように敬礼を解く。
上位の階級が敬礼を返し終えてからじゃないと、敬礼やめちゃダメなんだよね、確か。
そのままボクは、なるべく「偉い人」風な威厳を……自分では出せているつもりで、空いている席に向かった。
やっぱり全員の注目を浴び、視線が突き刺さっているのを感じる。
どうみても皆、ボクのことを「統制官」だと認識しているようだ。
ゆっくりと、席に腰掛ける。 同時に皆も……ロザリンド以外、席に着く。
「お隣、失礼します」
やや低い作ったようなハスキー声が隣からかかる。
さっき見たときは後ろの方の壁際に一人で居たフリドガルトがボクの隣に来て座った。
すると、室内になんかピリピリした空気が漂い始めた。
アデルグントは歯噛みしているし、その隣のゲルリンデは穏やかな表情をしつつ も何故だか殺気のような凄みがある。
アーデルハイトはニッコリ笑っているけど、目が笑ってない。 その隣でヴォルフグントとエレンブルクがそれぞれ青い顔と、汗を流している。
ヴィクトリアをはじめとする四人はこめかみの血管を浮き上がらせているし、ワナワナと肩を震わせてもいる。
ロスヴァイセが般若のような表情をして握って居たスプーンをへし折り、ラインフリーダは対照的に能面のような表情だがなんかかえって怖い。
ディートフリーダ、マルフリーダ、エデルトルートの三人がペキペキと指を鳴らしてストレッチを始めている。
ロザリンドは顔は普通だけど、足で床をトントンと苛立ち気味に小突いていた。
そして全員の敵意のようなものは、ボクの隣のフリドガルトに注がれているのはわかりました。
そのフリデガルトは、席に深く腰掛けて背もたれに体重を預け、腕組みをしたまま瞑目し平然としている。
一体何。 何をやったのフリデガルト。 皆機嫌悪いみたいだよ?
何か凄く失礼なことを彼女はしたんだろうか。 ボクの隣に座っただけだよね。
なんだかよくわからないけれど室内の空気が異常なことになっているので、おそらく中断させていただろう話を再開させてあげるべく、何か言う前にコホン、と咳払いをする。
すると、途端に雰囲気が正常に戻った。 …まあいいや。
「……それで、どこまで話していた?」
「あ、はい、統制官。 ……統制官が来られたので、改めて最初から説明をいたします」
我に戻ったロザリンドが手元のコンソールを操作し始め、メインスクリーンの画面が切り替わり始めた。
思えば結構昔からあるんですよね、ゲームの世界から出られないとか自分が今居るのがゲームなのか現実なのかわからないってSF
もはや古典の域に入り始めるのだろうかそういうジャンルも