第1話 後半
この作品は、実在の国家・民族・組織・民族・思想・人物とは何の関係もありません
『……西暦2100年代には火星や木星に送り込んだドローンにより前進基地が建造され、2119年には採掘した資源がマスドライバーや惑星間航行艦によって地球圏まで送られることで人類の生活は大幅に向上しました。
全世界に配分しても余りある資源は人類が悩み続けた病根である貧困と格差を切除することに貢献し、残る問題は思想・文化・宗教や民族といった問題だけとなりました。
それもやがて資本主義の終焉と共に汎人類協和思想の土壌が生まれ始めたことで時間の問題となるように見えました……』
教養プログラムの音声解説と、視界の隅に表示される動画を適当に流しながら、ボクは座席に座って下から上へと流れていく景色を眺めていた。
居住区から繁華街区への移動は各階層に駅が設けられている垂直昇降車を使うことにしている。
無人送迎車を呼び出して30階層を1階層ずつゆっくり移動するのも悪くはないんだけど、あれは飽きる。
閉鎖循環系環境で生活する人間の心理学的影響から景観に配慮したとかなんとかいう緑樹公園区を隣接する車両通行路を走るのだけど、どこの公園区も同じ構造だから同じ景色ばかり見続けることになって、まるでずっと同じところを車が走ってるような感覚になって気持ち悪いし。
区画案内の番号標識が無かったら絶対迷うようなコピペ構造なのは居住区だけで充分です。
なんでここの市街区住人は誰も文句言わないのか、そこは不思議でならないけれど。
たぶん、滅多に外出なんかしないからだろうと思う。 ボク以外。
そんな事をぼんやり考えていると昇降車がゆっくりと減速し始める。
隣の市街地構造体の壁面が上に登っていくのを止めると昇降者は停車し、自動扉が開いた。
ボクは座席から立ち上がり繁華街区へとゆっくりと足を踏み出す。
開放感のあるホール上空間の天井からは採光窓から入る陽光が眩しく、立ち並ぶ店舗のショーウィンドウの前では空中投影型広告の中でアニメーションキャラクターが踊っている。
平日(土・日曜日とそれ以外の曜日を区分けする大昔の慣習だ)の午前中で天気もいいというのに歩いている人間は誰も居ない。
それはそうだろう。 だいたいのものは注文すれば1分ぐらいで配送されて手に入るのだから、自宅を出て自分の足で直接「買い物」という古い習慣を行う意味は無い。
居住区はそうした配送ドローンが行き交うことはあっても、人が歩いてるのは見たことが無い。
公園を散歩するのすら誰もしていないし、送迎車に乗っている時に誰かが乗っている送迎車とすれ違った記憶なんか無い。
この繁華街も、都市設計計画上で「人間の住む町に必要なインフラ」だという昔の観念が残留しているから……いえ、建造されたころはまだ、外出やショッピングを楽しむ老人世代が残っていたから設けられたのかもしれないけれど、今は誰も利用することのない無用の長物。
さもなきゃ、ボクみたいに昔の時代に興味があってやっているような「趣味」ぐらいでしかこの階層を訪れる人は居ないと思う。
「さて……そんな事より朝食だよ。
何にしようかな……「シャフィ・ブーセ」はちょっと甘ったるいし。
もみじば焼きは朝からじゃちょっと重い」
独り言を呟いて歩きながら、飲食店舗を一つ一つ見て回る。
どの店も客は入ってなくて、接客用のドローンが待機状態で鎮座し、誰かの入店を待ちわびている。
いくつかの店舗はボクも入った事は無い。 前に来客があったのは何年前のことなんだろう。
飲食店だけじゃなくブティックとか雑貨小物点とかも、外装の華やかさとは対照的に静かで、まるで死んでいるみたいな。
もっとも、ここが「生きている」光景なんか見たことはないのだけれど。
ボクがこの中の一つでも気まぐれに入店すれば、その時だけはお店と接客ドローンは生き返ってることになるのだろうか。
そして、ボクが去ればまた沈黙する。
それは動体センサーで人間を感知して点灯する床照明と、何が違うのか。
そう考えると、ここには「生きている」ものなんかやっぱり無い。
「いえ、違う……ここは、これで「生きている」んだ」
ボクは、ふと気付いてしまった。
繁華街はの投影広告は故障しているのを見たことが無いし、商品は常に新しい状態で陳列されている。
何年も人が訪れなくても、埃を被っているものは一つもないし、管理され続けている。
人間が来ていない時だって、インフラは点検され、商品は配送され、ドローンは整備され、不要なものは交換され廃棄されて、完璧に維持されて循環しているから。
ずっと昔から全てを自動でやってくれるドローンが状態を維持してきたし、明日も明後日もその次以降も、ずっとずっと繁華街区は繁華街区として機能し続けていく。
ボクは時々訪れて、紛れ込むだけの存在でしかないし、居ても居なくてもここで働いているドローンたちには何も影響しない。
階層の端から端まで歩いても、生きているものに出会うことはない広大な繁華街は、それで一つの巨大な生き物と同じなんだ。
そんな巨大な空間にボク一人しか居ないってのを考え始めたら、急に背中がゾワゾワして、ここに立ってホールの天井を見上げているのが気持ち悪く思えてくる。
「これじゃまるで……繁華街区は人間のために作られた場所なのに、まるで人間がここに居てはいけないみたいだ」
多分人が居ても居なくても、この構造体の住民が丸ごとほかの構造体に移住しても、変わらず繁華街は機能し続けるんだろう。
もうここは人間のための場所じゃなくなっている。
人間が、とっくの昔にこういう場所を必要としなくなった時から……。
そう思うと、どこかのお店に入って腰を落ち着けよう、自動扉が開いたらドローンが「いらっしゃいませ」って合成音声で話しかけてくるから、適当にカフェイン飲料でも注文して……っていう気分ですら無くなってしまっていた。
ボクは最後にもう一度、人間の誰も居ない巨大なホールを見渡してから、垂直昇降車の駅に向かって歩き始めた。
『……が制圧・掃討されたことで一切の非協和的な思想勢力が根絶され、2143年に終結宣言が行われた一連の動乱時代を、今日では汎人類協和思想圏戦争と呼びます。
今年はその戦勝および汎人類協和思想圏の樹立55周年となって……』
いい加減聞くのも面倒になってきた教養プログラムをそこで停止させ、ボクは上層の解放公園区のベンチに寝転んだ。
透明なドーム越しに、隣接構造体のオフィス区画が見える。
オフィスって言っても、そこで労働をしている人間は一人も居なくて、だいたいは会社や官公庁に在籍はしているものの在宅勤務。
働くって言っても趣味で作りたいものを作って公共に提供しているだけ。 クリエイター業が殆どで。
だいたいの実務はドローンがやっている。 人間はやらなくてもいい嫌な仕事はしなくていい。
新しいものを作って公開し、楽しませあうのが人間の営み。
「Dead Front 7」を運営しているゲーム会社のオフィスもあそこにある。
そして、外壁に堂々と飾り立てられている汎人類協和思想圏の「国旗」は、無数の分かれた枝を持つ大樹のシンボルマークであり、枝の数は当初協和思想圏に賛同した17の国と民族を表している。
そして、その周りを円状に取り囲んでいるラテン語の文章……おおまかな意味を意訳すると、こう。
話し合いで仲良くできないカルトどもは死ねよ
……ボクが生まれる前に始まって終わった汎人類協和思想圏戦争では、この日本も人口が半分になるくらいの激しい被害を受けたと言われている。
でも、戦後復興で急速に発展した東京府の人口だけで5千万人という密度を誇る大都市だ。
あまりに人口が多いものだから、住民は巨大な市街地構造体に住んでいる。
資本主義という大昔のシステムは消え去って、人々は好きな物品を好きな時に好きなだけ享受することが出来る。
貨幣とかいう古代の遺物は今は一部の人にとっての美術品や収集品でしかなくなってる。
ただし、食料品や衣類、家電製品なんかをドローンは「製造」する事はできるけれど、「設計・創作」する事はできない。
ゲームなんかもそうだし、コミックやノベル、映画、音楽、芸術なんかもそう。 それらは人間が作るしかない。
今は個人で何でも作れるツールに溢れている時代だし、作りたい人間が趣味の範疇で製作して、ネクサス上に登録されたソーシャルネットワークで公開し共有する。
個人製作のものだけじゃなく、そうした創作業で高い評価を受ける人たちが有志で集まって「会社」を立ち上げることもある。
ボクが熱中しているゲーム、「Dead Front 7」もその一つ。
ハードミリタリーシミュレーションを謳うだけあって、このゲームにでてくる兵器は2190年代以降の実在の兵器とその運用にかなり忠実に、リアルに性能を反映して製作されている。
惑星間航行艦で地球や火星の衛星軌道上から降下揚陸船による強襲揚陸作戦を指揮することから始まり、航空機による制空確保、ランドウォリアーで戦線に楔を打ち込んで、戦闘車両や歩兵を投入し、地域を占領する一連の流れを、統制指揮官あるいは一パイロットとして仮想現実体験できる、割とポピュラーでオーソドックスなスタイルの作品だった。
とはいえ、最新作である7が発売されてから6年が経過するというのに公式からの続編のアナウンスは無く、他者の新作タイトルに押されつつもある。
廃人プレイヤーの引退と別ゲームへの移住も加速しているし、何時かは過疎化してしまうんだろう。
ふと、視界の端の時刻表示を見ると11時52分を指し示していた。
「そろそろお昼……やっぱ何か食べておかないとダメかな」
ベンチから起き上がり、ボクは視界の中でネクサスの総合アプリケーションを立ち上げて、都市圏生活支援システムを呼び出す。
テイター・チップスとメロンフレーバー・ソーダの注文を完了して1分もしないうちに、配送ドローンが到着した。
あ、間違えてテイター・チップスを「一袋」じゃなく「一箱」頼んでしまっていた。 12袋も要らないよ……。
生活支援システムの面倒なところは注文をミスっても返品が聞かないことだ。
まあ、要らないなら廃棄すればいいだけのことだし。
袋を開けて中身の薄くスライスしたテイターを摘み、口に入れる。
適度な塩味と数種類の旨み成分による合成添加物が深い味わいを生み出して、とても美味しい。
高品質の植物油はしつこくなく、揚げたテイターのサクっとした触感を楽しんだ。
その時ちょうど、視界の端でソーシャルネットワークからの通知が表示される。
次のテイターを口に放り込みながらそれを開いて拡大表示させた。
『YUKARIさんの動画評価順位が11124位から12168位にランクダウンしました』
……せっかく好物のテイター・チップスで少し元気が湧いてきたと思ったのに。
ボクは、「Dead Front 7」のプレイ動画を編集してソーシャルネットワーク上で公開している動画投稿者の一人だ。
ゲームのプレイ動画や実況配信は割と簡単に出来る行為なので、やってる人は多い。
ボクの場合はボク自身のプレイを魅せるわけではなく、ボクが戦術ロジックを組んだAIたちの動きを見せるのがメインとなっている。
そして、ソーシャルネットワーク上で評価を受けるには、動画投稿は割と安易に高評価を得やすいものの一つ。
今の時代は人類は労働から解放され、何もしなくても生きていける理想社会だと言われている。
それは事実で、物は溢れかえるほど有り余っていて、人類は数世紀かかっても使い切れないくらいの資源備蓄を保有している。
戦争も貧困も無くなり、人類は一つの思想と社会体制のもとで平和に暮らしている。
そんな世界で人間は何に情熱を傾けるかというと、趣味と娯楽ということになる。
とはいえ、皆引き篭もって自分の趣味に熱中していれば満足かというとそうでもなくて、誰かに自分のことを見てもらいたい、褒めてもらいたいっていう欲求はどうしても出る。
加えて、さっきも言ったようにドローンには創造的な行為はできないので、あらゆる創作物は人間自身が行う事になる。
そうしてソーシャルネットワークで公開したものの評価と順位が、この社会でのステータスであり地位。
出来る限り多くの人に賞賛されるようなものを作り上げた人間が、世界で一番偉いっていう単純な階級構造。
別に偉いといっても凄い権力が得られるわけじゃないし、偉くないからって権利が制限されるわけでもなく、協和思想の名のもとに全ての人類は平等なんだけど……。
でも、やっぱり評価の下の方の人間というのは、一段下に見られてしまうものなのだ。
中にはそうした創作業に本当に全く興味が無くて、何も作ってない人とか、誰かの作ったものを享受するだけって人も居るけど、当然その人たちの地位は低い。
それでどうなるってわけじゃないんだけど、ソーシャルネットワークの中で「そういう風に見られる」というのは気分良くは無いでしょ?
だから、ボクも実はボクの作ったものを公開することにそれほど興味は無いんだけど、「何となく見下されるのが嫌だから」でゲーム動画を投稿し続けている。
上がるときは一気に数百ぐらい順位が上がる。
落ちるときは千~二千とか下がる。
できるだけ下の方に沈んで行かないように適度にもがいてる。
ただ、不思議なのことに、特に何か作って投稿してなくても評価が高い人というのも居る。
ネットワーク上で起こったニュースに関するコメントを取り上げられたり、別の人が作ったものに関してコメントをしたり、様々な人と交流をする事で評価が上がる。
一体どういう手法でそういうやり方が上手くいってるのか、ボクには全然さっぱりわかりません。
ボクなんか下手に自分の投稿動画についたコメントに返事すると、なぜかそれで評価が下がる始末だよ。
なので、ボクはソーシャルネットワーク上でもゲーム内でも誰かに何かを言い返すのは辞めた。
原色の緑色に着色され、不思議なフルーティで甘い香りの添加されたそれのどこが「メロン」なのかわからない炭酸飲料で口を潤し、ボクは再びベンチに寝転がった。
おなかの上で両手を重ね、目を閉じる。
小さい頃からの習慣で、これをボクに教えたのは遺伝子上の両親だった。
……思えばこの父と母どちらとも、ネクサスを通した会話やソーシャルネットワークでのやり取りしかしたことなかったな。
子供の頃は色んなことをボクにドローン保母と教養プログラムを通じて身につけさせた割りに、ある日突然関わってくるのを辞めて、こっちからの呼びかけにも返答しなくなった両親。
いつしか、両親もお互いにソーシャルネットワークで接触することがなくなっていったようだった。
あれは何だったんだろう。 ボクをこの世に生み出して、もう自分たちの役割は果たしたからと自分たちそれぞれの趣味を優先することに戻ったのか。
じゃあ何で、ボクという子供を製作しようと思ったんだろうか。
何かの気まぐれに作ってみた、それだけの話なのかもしれない。 途中まで継続したけど、何かで情熱が冷めて飽きる。
そういう人、結構居るから。 自分がその飽きた作品と考えるとちょっと悲しくなってくるけど。
でも、両親に教えられた習慣や、教養プログラムで昔の歴史や文化・習慣を知ることは今も継続している。
なぜ続けているのかはボク自身よくわからない。
……そう言えば、大昔はネクサス越しにソーシャルネットワークを介するんじゃなく人と人が直接対面してコミュニケーションを取っていたって教養プログラムは言っていた。
ボクが市街地を歩いても誰とも出会わないけれど、昔は出歩くとその場で挨拶を交わして、会話が始まったって。
ボクはそれに憧れる部分があるから、誰も居ない市街地構造体を歩き回って居るのかもしれない。
ボクはおもむろに目を開き、体を起こしてベンチから立ち上がった。
そして公園の端の方に行き、透明なドームの壁面に手を付いて眼下の光景を見つめる。
視界を埋め尽くして林立する市街地構造体。
底の方は薄暗くてよく見えず、そこにある本当の地表と大昔の東京の旧市街区が今はどうなっているのかはわからない。
「この巨大な都市に5千万人も住んでいるのに、誰とも出会わない……本当に、皆ここに居るのかな?
ネクサスで対話しているだけで、実際は皆遠い別の所に居て、居住区はボクの部屋以外全部空っぽで、誰も住んでいなかったとしても、同じじゃないか……」
ボクの呟きはボク以外の誰にも聞こえない。
誰かにボクの言葉を聞いて欲しい。 拒絶や批判の反応じゃなく、賛同や同意が欲しい。
もし両親に今直接会って、ネクサス越しじゃなく物理的に対面したら、なんと言おう?
それとも、それすらも返信が返ってこないだけなのだろうか。
……考えても仕方がない。 これはただの逃避だから。
ソーシャルネットワーク上で評価を得られない負け犬が、そうじゃない別の方法だったら違った結果を得られるかもって無根拠に期待して現実から逃げているだけなんだ。
午後の太陽が雲に翳り始め、日差しが少し弱くなった。
帰ろう。 今朝の録画分を編集して投稿しなきゃならないし、今夜に参加する作戦の準備もしないといけない。
ボクは公園を後にし、居住区階層へ向かうべく垂直昇降車の駅の方向に歩き始めた。
ログインを完了し、ブラックアウトしていた視界が次第に鮮明になってくる。
ここはボクの同盟<ローレライ>の本拠である母艦、惑星間航行艦「ラインの黄金」号の艦橋。
その統制指揮官隻にボクは座っていた。
艦橋内の各クルー席にはボクの部下であるAIのウルズラ、ウーシー、シュフティ、ウルリーケ……いずれもあどけなく可愛らしい少女のアバターボディを持ったドローンが配置されている。
もちろん、この子たちもアデルグントやゲルリンデ同様、設定された状況を除いて自発的に会話する機能は持っていない。
惑星間航行艦の運用にクルーが必要だからドローンを配置させているだけ。
さて、今回のゲームモード「コンクエスト」における作戦は地球における、反協和思想圏政府勢力の拠点の掃討であると統合作戦本部からは事前の説明を受けている。
ブルー陣営参加プレイヤーおよび同盟は衛星軌道上に集結し、そこから降下する手順を取る。
現在の惑星間航行艦の位置は月の裏側なので、まずは地球の衛星軌道上に移動させる必要がある。
作戦開始前までに間に合ってればそれでいいのだけれど、余裕があるに越したことはないしいい位置取りを他所の同盟に取られてても困るから、跳躍航行して時間短縮しておこう。
メインスクリーン上の表示を見ながら手元のコンソールで航路を設定っ……と。
「よし、ではこれより本艦は跳躍航行を開始する! 総員、備えよ!」
カウントが開始される。
5。
4。
3。
スクリーンにノイズがチラっと走る。
2。
うん? なんだろう、と思う間もなく、カウントは進んで1。
0。
跳躍航行開始……!?
普段なら星の光がぎゅーっと長く引き伸ばされてからスクリーンの画面全体が歪んで、そのすぐ後には跳躍航行が完了し指定した座標に到着しているはずなのに、それが戻らない。
あれ、バグった……? いや、フリーズ? そんなわけはないだろう。
いくつもの名作を手がけてきた「Dead Front 7」の開発スタッフが、動作処理のフラグ管理をミスるとかそんな初歩的なバグを潰し漏らして残しておくなんて、ありえないし。
困惑していると、しだいにスクリーンの画面表示がゆっくり戻り始め、やがて正常な状態に戻った。
跳躍航行完了。 ほらね、何でもなかったじゃないか。
予定通りに地球の衛星軌道上へ……と、ふとボクはそこで妙な違和感を覚え、スクリーンを見つめた。
スクリーンに表示されている、眼下の青い惑星……その大陸の形はどこか変だった。
そして、違和感の原因はもう一つあった。
クルー席に座っていたウーシーが、勝手に立ち上がったのだ。
ボクはそんな命令や支持は出していない。
さらに信じられないことに、ウーシーがこちらを振り返って困惑に満ちた表情を浮かべた。
「と……統制官……座標が……跳躍航行に失敗しました! ここ、地球じゃありません!」
その叫び声と同時に、他の三人のドローン……ウルズラ、シュフティ、ウルリーケもボクの方を振り返って驚きや困惑の表情を見せた。
そしてそれ以上に、ボクが困惑していた。
ラテン語の文、Dialogus est quod ducit ad pacem(対話こそが平和に繋がる)はぐーぐる翻訳なのでかなり適当です
人は何故、はるか未来の都市の様子とか社会とか考えるとディストピアにしたがるのでしょう
私もその一人です