世界が終わった後で
世界が終わった。
その理由が戦争だと言う事以外、一般市民たる私にはわからないが、一週間と待たず世界は崩壊したのだ。
廃墟の山と、やむ事のない灰の雪。太陽は雲に隠れ久しい。
世界に初めて立った者を神と言うなら、私はそうなのかもしれない。少なくとも、この辺りに生命が存在するとは思えなかった。
私は地に転がるガラクタを蹴った。静寂の中に品のない騒音が響き、消える。何も起こりはしなかったかのように。
私が何故生きていられるかというと、それも分からない。
さまよう過程で幾つもの死体を見たが、死因は圧死だったり、餓死だったり。病死だったり衰弱死だったり、よく分からなかったり既に骨になっていたりしていた。
おそらく、私は現在の環境に適応出来た数少ない人間なのだろう。私はずっとそうして来たように、一歩一歩歩き続ける。
私は何も人間のまま生きているのではない。
何も食べず生きているし、不眠不休で歩いているし、自分の性別も知らないし、怪我をしても血が出ない。
人間ではなくなったのかもしれないが、私以外人間はいないようなので私は私で問題ない。他が存在しないのだから、私以外の名称は蛇足である。
しかし、このまま世界が停滞を続けるとどうなるのだろうか。
やがて廃墟は瓦礫に、瓦礫は小石に砂粒に、そしてやがて塵と化す。そうして人類の栄華も科学の結晶も時間が消化してしまうだろう。
数百年数千年、あるいは数万年で太陽は顔を出すか、それまでに地球にぶつかるか。
生命はまた太陽から始まり、単細胞生物が進化して多細胞生物へ、多細胞生物が進化して微生物へ、微生物が原始生物へ、原始生物が水棲生物、水棲生物が陸上生物、陸上生物がやがて知的生命体へ、のし上がる。
しかし、もしすぐに人類に次ぐナニカが生まれたら、世界はまた科学を生み、破滅を待つだけになるのだろうか。
私のような存在がそのナニカになるか、またはナニカに科学を伝えれば。
世界は結局崩壊するのか。
私は最近発見したモノに問いかけた。奇跡的にまだ動いている科学の遺産。それはいわゆるスーパーコンピュータと言われるもので、世界崩壊以前に『ラプラス』と名付けられていた。最先端技術を投入し、ほぼ無限に近いパターンと可能性を考慮し未来を予測する事が出来る機械だ。
『科学ハ世界ヲ滅ボスカ?』
その問いかけに『ラプラス』は答えた。
『科学ニ罪ハ無ク、人間ハ人間故ニ滅ブ』
私は失笑した後、『ラプラス』を破壊した。
私は最後の人間としてそうしなければ、ならなかった。あるいは私は人間として最後にそうしなければ、ならなかった。
私はまだ歩き続けている。
廃墟と瓦礫と、砂と灰の中を、永遠に。
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