夜光
読みやすさ向上のため、一部添削等を行いました。
内容に大きな変更はございません。
「……夢?」
頬を伝う水滴が零れ落ちた。
外は穏やかな朝だった。
窓の隙間からは暖かな光が程よく差し込んでいる。
「そうだった……」
私はフレンダの家に泊めてもらっていた。
「早いねえ。おはよう」
ナイトおばあさんは朝食の用意を進めていた。
「……」
「おはようございます。って言えばいい」
私は、レインの言われたとおりにして椅子へ腰かけ、窓から景色を眺めた。
「どうした。なんか変な夢でも見たか?」
「うん……。少し変な夢を見た」
「そうか」
「何の話をしてるんだい?」
ナイトおばあさんが、出来上がったばかりのいい香りのスープと、程よく焦げたパンを持ってきた。
「ああ、コイツ昨日風呂入ってないって言ってた」
私はレインのひげをブイ字に伸ばした。
「痛い、痛い。悪かった、悪かったって。冗談だ。おばさん冗談だ」
ナイトおばあさんは私たちを見て柔和にほほ笑んだ。
「食べ終えたら、ごちそうさまって言うんだ」
「ごちそうさま」
私はお皿をキッチンへ持って行った。
「はあいよ、洗いモンもしとくから持ってきてね」
「ありがとうございます」
「礼はいいよ……。どうせもう、動けるのは長くないんだからね……」
よく見ると、手が震えていた。
言われたらすぐに分かるのに、言われるまで全く気にも留めていなかった。
「もう行くわ」
フレンダの部屋へ行くと開口一番に言われた。
「手が震えてた。これくらい軽いお皿を持ってただけなのに……」
フレンダは私に朝食の入った青磁のお皿を手渡す。
「ほんとだ。軽い……」
「だから、少しでも急がないと……」
私には、少しでも急ぎたいと思う気持ちが何となくわかる。
「話は聞いたぞ」
私のフードの隙間からレインが顔を出した。
「あれ、レイン……?」
「レインッ!?」
どうやら二人は知り合いらしい。
「ああ。久しぶりだな。引きこもり」
「誰が引きこもりよッ!」
「悪いが話は聞こえてたから聞かせて貰った」
どこまでよ、とフレンダの質問にラインが答える。
「どこまでもだよ。どういった会話で、この先どういった展開になるか分かるくらいには聞こえていた。まあ、安心しな。おばさんには聞こえてなかったみたいだから」
おばさんには聞こえてなかった、という部分を聞いて、フレンダはほっとした。
「山に入ってどうせ数日は帰ってこれないだろ?隠れて行ってもその配慮が余計におばさんを不安にさせるだろ」
「……そ、れは……」
「そこで提案だ。俺も連れてけ。そうしたらおばさんは安心して送り出せる。お前も安心して山に入れる」
「どうしてレインも来るのよ?てか、どうしてそこまでしてくれるのよ?」
レインは私の方を見てから言った。
「俺はそいつの案内人だからな」
フレンダは訝し気な表情で、納得していなかった。
「レインがいれば大丈夫だよ……。レインは優しいから」
レインは驚いたのか、私の方を見ただけで言葉を発さなかった。
「分かったわ……。シラが言うのなら」
レインも着いて行くことになった。
「ところで、どんな花なの?」
朝食の残りを食べるフレンダの横で私が聞いた。フレンダは口に入ったパンを牛乳で一気に流した。
「それはね、ずばり、夜にしか咲かない花よ」
「うん。それだけ?」
「い、いえっ。流石に違うわよ!正確には夜にしか区別できないの。なんでかって言うと、本にはこう書いてた。『その花は楽園に咲き、夜に輝く』ってな感じでね」
「夜になると光るから、わかるってこと?」
「ええ。多分ね。一応山奥にあるってあったけど、そこらへんに生えてるかもしれないし、夜に出ようと思うの」
フレンダと話しているうちに、空が夕焼け色に染まり出してゆく。
「……そろそろ、ね」
フレンダは、窓から覗く大きな山を見据えた。
「改めてだけど、無理に来なくてもいいのよ?」
「大丈夫」
「お前ひとりだと心配だしな」
「何よ、それ」
ぷいっと逸らしたフレンダの顔は夕焼けに隠れて見えなかった。
私たちはナイトおばあさんに一通りの説明をし、レインが着いてきてくれる事を決定打に納得してもらえた。
「じゃあ、行くわよ!シラ。レイン!」
外に出た。
夕暮れに少し黒く沈んだ太陽は、不気味な冒険の始まりを告げるようだった。
実りと朽ちた生命の香りが鼻を刺激する。
改めて山の麓に来て見てみると、大きく感じる。
「たしか、この山は伝記に書いてる霊峰山と比べるとうんと小さいらしいわ。諸説あるらしいけど標高三千七百メートルもあったらしいわ」
山の峰を呆れるように見上げながら、しみじみと語る。
「……れいほうざん?」
「山の名前だな」
「知らないの?ってか、すごいも何も、この山でも千メートルあるかないかくらいだよ!」
フレンダがこんなにも大きな反応を示すのだから、きっとすごいのだろう。
「じゃあ、霊峰山はきっと、凄かったんだろうね」
「絶対そうよ!」
興奮気味に、目をキラキラさせるフレンダは年相応の人間だと思った。
「コホン、ごめん、取り乱しちゃった。これから険しい道なのに……」
フレンダは軽く咳払いした。
「じゃあ、気を取り直して。行こう。一緒に!」
栗でも降ってきそうな山道に入った途端、あたりは急激に暗くなった。
夕日を遮る深い木々が立ち並び、うねり伸びる暗い陰が魔物のようだ。
露を帯びた小さな花や雑草が足元を滑らせ、少しでも気を緩めると転がってしまいそうだった。
「こんな所で見つかったら一番良いんだけどね……。一応、二人も目を凝らしてね!」
「人遣い荒いんだよ……」
「それ、レインが言うの?」
レインは何の承諾もなく私の肩の上に乗っていた。
「いいんだよ……。俺は監視専門だ」
フレンダは慣れ切った足取りで、山道をすいすいと歩いていく。
「お前は登ることに集中しておけ」
「でも……私は」
「登山初心者が周囲に集中しながら歩くと危険だ」
俺がしっかりと見ておく、とレインは念押しした。
「……うん、分かった」
「ここを登ったらきれいな景色が見れるよ。きっとシラも気に入ると思うの!」
フレンダは嬉々と話す。
「それは楽しみ……」
私は呟いた。
自分の不要な感情を消し去るように。
「どんと期待してください!」
山に入ってからずっと、滑りそうな傾斜を地面とにらめっこしながら登っていた。
ようやく少し余裕が出てきて、足元ばかりではなく、森林全体を見渡せるようになってきた。
苔むした大樹が静かにたたずんでいる。
足元には、名も分からない小さな花々がちらほらと咲いている。
私は深い山の中に興味を感じる余裕ができていた。
しばらくして、少し明るくなってきた。
「……どうだ?」
レインが突然聞いてきた。
「どうって?」
「……いや、それよりも調子はどうだ?」
「慣れて来たけど?」
「そうか」
どうして話しかけてきたのだろうか。
深く密集していた樹木が離れ離れになってきた。
その代わりに薄く、細い木々が繊細に佇んでいる。
「もうすぐ着くわ!」
フレンダは登りながらあたりを見渡している。
「この子たちも見えてきたし」
「この子……たち?」
山の峰を知らせる生き物でも住んでいるのだろうか。
「ええ、そうよ」
小さな淡い光がぽつぽつと見えた。
小さな昆虫たちの声がした。
真ん丸な蒼白い月の下で、虫たちによる森の密かな祭りが始まっていた。
私たちも、そのパーティーに招待されていた。
「きれい」
「でしょ?でも、まだだよ。私がシラに見せたいところは」
傾斜が段々緩くなってきた。
「もう少しよ!」
フレンダは待ちきれなくなって少し足を速める。
「あとちょっと……」
「さあ、あと一歩……」
少し進むにつれて、フレンダが語り掛ける。
その言葉に導かれ、その場所を見てみたくて待ち遠しく感じていた。
その時は突然来た。
「さあ、着いたわ」
フレンダはつぶやいた。
金色の髪から覗く瞳は物憂げそうだった。
山頂だった。
月が近く感じられ、普段より夜が明るい気がする。
奥へは、山の形に添って比較的平坦な道が続き、それに沿って小川が流れていた。
ゆらゆらと銀色に反射した月の光が反射していた。
夜風が吹けば、あたりのススキが揺蕩い、切なげな影を伸ばす。
「綺麗なところ……」
私には、それが分かった。この景色を見た瞬間、きれいがなんなのか分かった。思い出した。
「でしょ。ここはね誰も来ないから好き。それとね、実は、ここ、お父さんのお気に入りの所だったの。小さい頃はよく連れてきてくれたんだ……」
フレンダは、零れ落ちないように星を見上げながらささやいた。
「……私さ、お父さんのお葬式で村の人が悲しんでなかったのを見てさ、少し羨ましいとも思ったんだ……」
「羨ましい?」
「うん。深く悲しまない事がね。だけどさ、結局、それも辛くて……」
「辛い?」
「今度は寂しかったんだ……。やっぱり、一人は辛いんだよ。でもね、一人じゃないと、居なくなった時に悲しくなる」
「……フレンダは人だね」
良く分からない。
論理的でなければ矛盾ばかり。だけど、それが人間だと思った。
「ふふ。何それ……」
夜空の月は昨日、見たものよりも欠けている。欠けていてたとしても凛として美しい。
「結局、私は一人にはなれないね」
「大丈夫……。今は、私がいる」
「まあ、俺もな」
「ありがとう。2人とも」
フレンダは笑った。
私はフレンダと隣り合わせでススキのなびく道を歩く。
「本では、この先に崖を渡れる橋があって、渡った山奥のどこかに花があるんだってさ」
「どこかって……山の広さ考えたら見つからないだろ」
「ま、私は運いい方だしどうにかなるでしょ」
フレンダは自信満々だった。
「ところでさ、私、もっとシラのこと知りたいんだ」
「どうして?」
私の声は小川の流れる音にかき消されてしまいそうだった。
「だって、仲良くなりたいから」
フレンダの声ははっきりとしている。
「……」
フレンダには私を知って欲しいと思う反面で、これ以上知られたくないとも感じていた。
私はどうされたいのだろう。
「それにさ、なんだか、シラ。とっても悲しそうに見えるんだもの」
私は悲しそうに見えるのだろうか。
「ねえレイン」
「わからないな……」
「ううん。今の私にはわかるよ。だから、シラの悲しみも、私が少しでも癒したいの……。私じゃ力不足かもしれないけど」
フレンダと目を合わせることが怖くて、目を見れなかった。
「あっ、ごめんなさい。無理に話させようとして」
「ううん……」
「フレンダ。ありがとな。コイツ、恥ずかしがりでな」
「レイン……。あなたシラの保護者みたいね」
「赤子と変わらないからな。こいつは」
私の肩の上でレインが言った。
「降りる?」
「残念だったな。ナイトおばさんにお前らを頼まれてるから、ここで降ろすという選択は出来ないんだよ」
「……」
やられたと思った。
そんな私たちのやり取りにフレンダが笑った。
一体、これの何が可笑しいのだろうか。
道を進んでいくと、先ほどまでの穏やかな景色とは打って変わり、目の前は深い崖が迫っていた。
その奈落の底で水が流れている。
崖を繋ぐ橋はかなりの年季が入っていて、いつ縄が千切れてもおかしくなさそうだ。
フレンダは何を疑うこともなく平然とその橋を渡りだす。
「怖いけど絶景だね!」
フレンダは楽しそうに軽やかに軽快なステップで橋を渡る。
どうして、こんなところに橋がかかっているのだろうか。
不思議だった。
ギシギシと縄が引っ張られる音がする。
ミシミシと板がきしむ音がする。
細いロープの糸が奈落の底へ落ちる。
ピンと張っていた橋は、私たちが進むと緩やかに湾曲する。
「昔、この橋を作って私の住む村へ移住した人たちがいたらしいわ。何百年も前にね。凄いと思わない?それが今もこうして残って、私たちの命も続いて……。傍から見れば変な橋だけどね」
「そうだね」
橋を渡り切り、反対岸につく。
その先は深い森になっていた。
「そろそろあの橋も崩れ落ちそうね。でも、こんな危なっかしい橋が、私たちの生活の元となったんだから、やっぱり、命って脆くて崩れやすいんだなって思うわ」
「……」
命が脆くて崩れやすい。よく知っている。
「さあ、次は森の中ね。行きましょう」
私たちは再び進み出す。
暗闇を進んでいると、やがて、一寸の柔らかな光が見えてきた。




