星と約束
汽車は雪山の麓に止まっていた。
「寝れたか?」
レインは夜の真っ白な雪景色を見ていた。
その横でナナシは眠っていた。
「うん、よく寝れたよ。ここは?」
見渡す限り、白一色で何もなかった。
「山だな……。その麓だ」
「窓、開けてみてもいい?」
「ああ」
窓を開けると、白い雪玉が入ってくる。
ふぅっと吐く息が白い。
蒼白い月が、積もった雪を凍らせているようだった。
かなり冷え込んできた。
ナナシがまだ寝ているから、私は窓を閉めた。
閉めた窓に吐息がかかると、白く曇った。
手で拭くと、水滴が指に残り、曇りが晴れた。
半透明な私の瞳が、車内の光に照らされていた。
また息を吹きかけると、白く曇って、自分は見えなくなった。
昔、雪の季節になると、私はそうして遊んでいたのを思い出した。
「ん……随分と早起きだね、ってもう夜かぁ……。うう。さむい」
ナナシが目を覚ますと、眠たそうな瞳で私の髪を見ていた。
「シラちゃん。髪の毛、梳かしてあげようか?」
「でも、私の髪、長いよ」
「いいのいいの。その方がやりがいがあるもの。ホラ。そこ座って」
まだ眠たそうなナナシは片手にヘアブラシを持ってきた。
されるがままに髪を梳かしてもらっていた。
「前からやってみたかったのよね。大丈夫。適当にやるから。勿論、ここで言う適当はいい加減って意味じゃなくて、適切って意味だから安心してね」
「うん、ありがとう。ナナシ」
ヘアブラシが髪を流れていく。
頭皮を撫でられているみたいで、気持ちよかった。
「ほんと、シラちゃんの髪は綺麗だね。きっと、親からも大切に育てられたんだろうね」
「うん。大切に育てられてたよ」
「そっか。それが聞けてよかったよ」
目を閉じると、母親に髪を梳かしてもらっているような気がした。
「何か、辛いことはない?」
ナナシがヘアブラシを優しく当てる。
「うん。もう大丈夫。ナナシ、ありがとう」
ナナシは見守るように微笑んだ。
「はい。完成」
「気持ちよかった。ありがとう」
「いつでも甘えて良いからね」
ヘアブラシを終えると、ナナシはそれを荷物入れにしまった。
「さて、これで私たちも外に出れるね」
「ブーツならそこにあるぞ」
レインは手前の席の横を指した。
そこには、二足ずつの長靴が置いてあった。
「おお。流石だね」
「靴だと、雪が染みて寒いからな」
よく覚えている。
雪の染みた靴で走るのは冷たかった。
外に出ると、氷のような月がうっすらと見えた。
肌に吹きつける風が冷たい。
粉のような雪の上を歩く。
熱くもないのに、耳や頬あたりが真っ赤になった。
ジンジンする。
痛い。
だけど懐かしい。
「あっ。ナナシ」
後方で、ナナシが雪の中に顔をうずめていた。
ナナシは、真っ白にまぶされていた。
急いで振り払う。
「ご、ごごめん……。わわ私は大丈夫」
どうにも大丈夫そうではなかった。
「レイン、あとどのくらい?」
私は肌に染みる痛みをよく覚えている。
だから、ナナシが心配になった。
「知らん。ただ、降りたら北へ真っすぐ進むらしい」
見上げる夜空は、凍ったように動かない星空でいっぱいだった。
ナナシには、私の上着を一枚羽織らせた。
それでも、身体を震わせていた。
「き、君たちはよ、よく……そ、そんな平然、としてられるね?」
「うん。だって私もレインも、寒い所にいたから平気だよ」
やがて、雪の大地に、柔らかなガス灯の光が見えた。
「あそこか……」
レインも身体に雪が溶けて、重たくなっていた。
ほっ、とつくため息は真っ白だった。
「もうちょっとだよ、ナナシ」
「……」
最早、返事をすることなく、小刻みに頷くだけだった。
歩くこと数分。
ガス灯の村に辿り着いた。
暖の取れるところを探していると、早速、外を歩いていた村の人が私たちに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
私とレインは返事をしたが、ナナシは青い唇を震わせているだけだった。
「そちらのお連れの方が耐えられそうにありませんね……。今日は夜ですし、よろしければ家に来ますか?」
親切な村人が私たちを家に入れてくれた。
家には鍵をしない。
ここの村じゃこっちが常識らしいが、落ち着かない気がした。
ガチャっ……
「ミオ。帰ったわよ」
村人は上の部屋に向かって言った。
「……」
だが、全く返事がなかった。
私たちを案内してくれた村人の姿がよく見えた。
白髪で、高身長の筋肉質な女の人だった。
鍵を必要としない理由がわかった。
私たちは自己紹介を終えると、部屋の中へ入らせてもらった。
リビングには、壁を向いた望遠鏡が置いてあった。
「私はミオの母、ロザリオよ。それで、さっき返事をしてくれなかったのが、ミオよ……。普段は人懐っこくていい子なんだけどね……」
何か事情がありそうだった。
「今から温かい飲み物を用意するからそこで待っててね」
ロザリオはティーポットにお湯と茶葉を入れて用意している。
ナナシは暖炉の目の前で猫のようにただうずくまり、手を暖めていた。
レインはその横で、乾かすために干されていた。
レインを除いて、私たちは机を取り囲んで座った。
目の前には香り立つお茶が出されていた。
「本当に、今日はありがとうございます」
ナナシが深々と頭を下げた。
「いいのよ。困ったときはお互い助け合わないと生きていけないもの!」
ロザリオはたくましい笑顔を向けた。
ナナシとロザリオが話している隙間で、宙ぶらりんになっているレインを見た。
外を見ると、雪が窓にぶつかっていた。
温かいお茶を眺める。
お礼、何かできないだろうか。
考えているうちに、ナナシはお茶を飲み終え、暖炉の前に手を伸ばしていた。
今、机には私とロザリオの二人だった。
「ミオに何かあったの?」
私は聞いた。
レインが逆さになりながら、私たちをみていた。
「……」
ロザリオは俯き、ティーカップの底をなぞっていた。
やがて、壁を向いた望遠鏡をみながら言った。
「おじいちゃんが、亡くなったの……」
飲み終えたティーカップは次第に冷えていく。
窓には、厳しい冷気のかかった風が打ち付けていた。
「本当なら、あの望遠鏡で一緒に星空をみる約束をしてたんだけど……」
ロザリオは目尻を下げて言う。
だが、口元は笑う向きとは反対方向に落ちていく。
目の下が黒かった。
あの、たくましい笑顔は、改めて無理をしているのかもしれないと思った。
冷たい雪が身体に染みる感覚がした。
私は、壁に向かった望遠鏡を眺めていた。
ミオとおじいちゃんの約束。
二人で空を見るはずだった望遠鏡。
私が二人の約束を果たすことはできるだろうか。
レインは、何も言わない。
ただ、見守るように私を見ていた。




