見えてしまったもの
「少しだけ待ってて。このままだと不便もあるだろうから、人にも見えるようにするわ」
見えない妖精はそう言った。
淡い光の粒が、あたりからふわふわと舞い始めた。
最初は何の規則性もなかったその光が、川の水のように流れ出し、一点に集中するように集まった。
妖精は歌いだす。
澄んだ声が、森の中をこだました。
とても温かい声だった。
青かった草が根を伸ばし、花を咲かせた。
青い木々は、爽涼とした風にあおられ、ざわめきだす。
小川の流れに逆行して泳ぐ魚の群れが激しく、流れに抗う。
どこかに隠れている動物たちの鳴き声が聞こえてくる。
一瞬、静寂に包まれた。
やがて、一点に集まった光が人の形を作り出す。
集まった光はその形に吸収されるように内側へと消えていく。
光の中から一人の少女が現れた。
儀式を終えた妖精は、水面に足をつけるように、つま先からふわりと地面に着地する。
「ふぅ……お待たせ。今は歌の力を借りないとだけど……」
妖精は、ラズベリーの果実のような潤った赤い口唇を動かす。
「どうしたの?そんなに背中の方を見ちゃって」
「羽、虹みたいできれい」
「ああ、やっぱり羽までは今回も駄目だったかぁ……」
妖精は、背中についた埃を振り払うようにして、羽に触れた。
「綺麗な歌声だった」
私がそう言うと、妖精は優しく笑ってお腹を抑えた。
「それで、カインはどこにいるんだ?」
レインが聞いた。
見るからに、この近くに少年はいなかった。
「わかってるわ。ここじゃ話しづらいからとりあえず、下に降りましょう」
私たちは、下の広場へと降りた。
「今はね、ここにはすみれ、やまぶき、つゆくさにひいらぎ、四季折々の花が咲いているわ」
「これはあなたが咲かせたの?」
ナナシは不思議そうに、咲いていた花を見ていた。
「前に来た妖精が色んな花が見たいって言ってここに咲かせたの」
二人が会話している中、私は泉を見ていた。
足を浸からせた鳥が、群れを成していた。
「いいでしょ、ここ?」
妖精が前かがみになりながら聞いてきた。
「うん……。お腹、痛いの?」
小さな手で、腹部を力強く抑えている姿を見ていると聞かずにはいられなかった。
「……ああ、大丈夫よ。別に、痛いって訳じゃないのよ」
滝音が、妖精の声よりも大きくなった。
一羽の水鳥が、水中に姿を隠してしまった。
「それよりもさ、ここらへんを少し、案内しようか?」
妖精は提案した。
私は頷いた。
「じゃあ、女子会ということで……」
「いや俺も……」
妖精が指を鳴らすと、肩のレインが消えた。
「レインは?」
「大丈夫。彼はあの博識な女の子の肩に乗せたから」
妖精に案内され、花の香る場所へ来た。
「私の名前はルナ。妖精じゃないわ」
「私はシラ」
土から高い位置で咲く花を支える足は、華奢な緑色の細い枝だった。
「触ってみる?」
息吹のかかった花は今にも折れてしまいそうだった。
「でも、私が触っていいのかな?」
「いいわよ。でも、そっと、ね」
私は気になった紫色の花に触れた。
その花を見たことがある気がする。
そっと触れると、手に鱗粉が付着した。
そのすべすべとした手触りが懐かしく感じた。
ルナの案内が終わった。
私たちは、レインたちと合流した。
「本当にカインを無事に送ってくれるかしら?」
「そんなに心配なら俺たちじゃなく、自分で行ったらいいんじゃないか?」
「私は村の人に会ったら駄目なのよ……」
小さな石が泉の底へと転がり落ちていった。
カインの居場所をルナに案内してもらう。
「滝の裏に周るわよ」
泉のほとりを歩き、滝の裏側に着いた。
滝の水に隠れていた一本のトンネルがそこにあった。
「この先よ」
「滝の裏側に道があるなんて本でしか読めないようなファンタジーの世界みたいだ!」
ナナシが興奮し声を荒げていた。
「この先に彼がいるわ」
私たちは薄暗く、肌寒い洞窟を歩く。
つららのような石が天井や、地面などあちこちに生えていた。
「鍾乳洞かぁ、たしか本だと、昔ブラジルとかいう国では鍾乳石が十二メートルも……」
ナナシの興奮は冷め止まなず、その声がひたすらこだましていた。
「そうそう、レインに聞きたいことがあったんだ」
ナナシは私の肩の上にいたレインに手招きする。
「ごめんね、シラちゃん。ちょっとレインを借りていい?」
「うん」
「レイン。鍾乳石ってたしか五十から百年かけて一センチだっけ?」
「そんなの知らん」
私はルナと隣り合わせで歩く。
「ねえ、シラ」
真っ暗なのに、後方の二人の声が良く聞こえてきて、その顔も想像が出来た。
「迷ってる?」
ルナのその声は、そこまで大きくなかった。
だけど、その言葉は無数に暗闇でこだまし、私の耳元に刺さった。
まるで、声が何重にも重なって、同じ問いかけを何度も投げかけてくるようだった。
「……」
黙っていると、私は、真っ暗な闇に消えるようだった。
「いいのよ。言いたくなかったら」
「……うん。迷ってる」
消えかけていた私の声がした。
「だって、私は、失いたくないから」
初めて自分の声をまともに聞いた気がする。
私はこんなことを思っていたのか、と客観的に知った。
「そう……。失いたくない、ね」
水滴が一滴、滴り落ちた。
ちょうど、私とルナの間に落ちて、弾ける。
弾けた水滴が私の足に付着した。
「でも、レインたちなら……」
妙に湿っぽい空気が肌にまとわりつく。
さっき、足に付着した水滴は、靴下の中に入り込んで、私の足を冷やしていた。
普段なら気にもならない水滴が気になってしまって、話せなかった。
「後で、ゆっくり聞かせて」
「うん」
外の光は思っていたよりも眩しかった。
自分の姿がはっきりと見える代わりに、自分の声ははっきりと聞こえなくなった。
「さ、着いたわ。カイン、お待たせ」
肌焼けした岩壁が取り囲む円形の広間だった。
そこに、小さな男の子がいた。
ふかふかの葉っぱの上で気持ちよさそうに寝ていた。
ナナシは眠っていたカインに視線を送った。
「この子がカイン?」
「そうだよ……。私が間違えてこっちの世界に連れてきちゃったんだ」
ルナはカインの元へ駆け寄った。
「カイン」
「はぁ~い……」
まだ眠り足りないよ、と言わんばかりに力の籠っていない声のカインが起きた。
「あとちょっと……」
「駄目よ。起きなさい」
しぶしぶ、カインは起き上がった。
そして、私たちを見た。
「お前の親が心配してたぞ」
レインが言った。
「えっ、そうだったの?」
「うん、そうなんだ。だから、お家に帰ろうね」
ナナシがニコニコと言うと、カインは犬のように唸った。
「いやだっ!」
「でも、お母さん心配してるよ?」
「僕、このお姉ちゃんキライ」
「え?」
「だって、面白くなさそうだもん」
「……」
ナナシは笑顔のまま、口角を引きつらせている。
「まて、ナナシ」
何かを察したレインがナナシを引き留めようとする。
「ナナシ、俺が乗っ」
もう遅かった。
「捕まえれるもんなら捕まえてみなよ?」
まんまと挑発に乗らされたナナシは、カインの逃げる洞窟の方へと逆走していった。
ここには、私とルナしかいなかった。
「その、ごめんね、お騒がせして。あの子、ここ数日は私一人で見ていたから、遊びたがってて」
ルナは申し訳なさそうだった。
「まあ、考えてても仕方ないわね。とりあえず座りましょ。気持ちいわよ」
「うん、ありがとう」
私は、岩壁の真上に生えた新緑を眺めていた。
静かな空間で、ルナが口を開けた。
「シラ。あなたに会った時に見えちゃったわ……。あなたの隠したいこと」
風が吹き、はるか上の新緑たちがざわめく。
洞窟の奥は真っ暗で、戻った先は見えなかった。
パキッ……。
どこかの小枝が折れた。
「でね、単刀直入に言うわ。私も人を殺した。あなたの何十倍も、何百倍も……」
ルナのお腹を掴む手は震えていた。




