意味
「な、なに……してるの?」
青ざめた顔で、見てわかることをわざわざ聞いてきた。
「て、ふき……汚れるから、取り出した」
「違うわよッ!」
どうしてこの少女がうろたえるのかわからない。望み通りにしてるのに。
ぷつりと刺さった刃が痛い。
トクトクと生暖かい血が溢れてくる。
生きている証拠だ。
「どうして自分を刺すのよ?本当に死にたいの……?」
少女は血の気などすっかりと抜け落ちていた。
一瞬、ナイフはこの少女の血を吸ったのではないかと錯覚させる。
「消えろ、って言われたから……」
答えはいたって明確だった。
私の回答を聞き、少女は口をあんぐりと開けたまま固まる。
やがて事態の整理がついたのか動き出した。
「……ちょっとこっちに来なさい。」
あれだけ嫌がっていた少女の部屋に半ば強引に連れ込まれた。
「なんであんなことしたの……?」
慣れた手つきで布を切り取り、私の傷口に巻き付けながら少女は問う。
「言われた、から……」
本能がそうしろと告げた。命令に従え、と。ただ、それだけだった。
「ヘンなの……」
「変……?」
「えぇ、そうよ、おかしいわ。本当にどうかしてる。こんなことが理由で死のうとするなんて……。でも……」
そういうと少女は体をもじもじさせ、肩まで垂れた金色の髪をいじりながら言う。
「その……でも、私も謝るわ。さっきはひどいこと言って……その、ごめんなさい……」
少女が謝る理由がよくわからなかった。ただ、命令しただけなのに、どうしてこんな顔でうつむいているのだろうか。
やはり、私は世間でいうと『へん』なのだろうか。
「いいよ。あなたは悪い子じゃないから」
「優しくはないのね……」
少女は卑屈っぽく、濁らせた顔で嗤った。
「じゃあ、どうして部屋に入れてくれたの?」
一人がいいはずなのに私を部屋へ入れてくれた。これは優しいというのではないだろうか。
「それは……。最初は、その、おばあちゃんじゃない声がして侵入者だって思って、それで……その」
この少女は人との会話に慣れていなさそうだった。
私には何が要点か全く分からない。
自分を卑下している言葉だけはやけに饒舌だと思った。
あったのだろうか。過去に、自分が嫌になることが。人を信じられなくなったことが。
「手当て、丁寧……」
何重にも巻き付けた布は、少しも巻き崩れていない。
「こんなの、いい加減にやってるだけよ……。それに、どんだけ丁寧にやったって……」
「……死ぬときは死ぬもの」
ぽつりと吐き捨てた。誰もいない地面に向かって。嘆くように。
「……そうだね、何となくわかる」
「やっぱり、あなた、変わり者ね」
「……そう?」
さっきから私の何を見て、この少女は判断しているのだろうか。
「えぇ、なんだか少しだけ……、その……私に似てる気がするの」
「あなたも変なの?」
「うん、たぶん変わり者。だから分かったの、あなたとは仲良くできそう」
この少女が『仲良くできそう』と発言したことに対して、私の返す言葉は、きっとこうだ。
「そう。ありがとう」
さっき、レインに教えてもらった。いいことを言われたり、されたりした時に使うらしい。
「何よ?ありがとうって……」
「違うの?」
一体、なんて言う言葉を返せばいいのだろうか。
「うん。少し違うわ。こういうときは、私と仲良くなりたければ『私も仲良くなれそうね』とか、仲良くなりたくないんだったら『あっそう』くらいに流すだけで十分よ……。まあ、ありがとうでもいいけどさ……」
なるほど……。どうやらこういった場合には『ありがとう』って言うのが最適解では無いらしいが、これでもいいらしい。
難しいものだ。
少女は私を見つめている。
「馬鹿じゃないの……。本当に、こんな私のために命使おうとするなんて……」
少女は小さな手で私の背中へ倒れ掛かってきた。
その小さな手が震えていた。
「心配……させないでよ」
これが彼女の本来の姿なのだろうか。
目尻に溢れる光の雫が零れ落ちた。
次々と零れ落ちる。静かに、頬を伝いながら。
そうだとするなら、きっと私と違って、普通の人だ。感情を理解し、何に苦しみ、何故涙を流すのかを知れる、普通の女の子だ。
「あなたは……」
「あなたじゃない」
鼻声で言った。
「私はフレンダ。あなたは?」
そう尋ねたフレンダは、何か吹っ切れた感じの明るい声色だった。
「私は……その……わからない」
フレンダは怪訝そうに見つめる。
「親は?」
「覚えてない」
「出身も?」
「多分、覚えてない」
なんだか寒い土地に住んでいた気がするが、はっきりとは言えなかった。
「記憶喪失?」
「わからない……」
うっすらと何かを覚えている気もする。
「ううん……」
フレンダは腕を組み悩む。
「あなた、好きな色は?」
いきなりフレンダが尋ねた。
「白……」
私はさっき、目の前に広がっていた都市の色を答えた。
フレンダは頷いた。私には何故頷いたか分からない。
「うん。合格よ。じゃあ、『シラ』あなたをこれから『シラ』と命名します」
そう自信ありげに安直な名前をつけてくれた。でも、なんだか気に入った。
それ程までに、他人から名前を与えてもらえたことに興味があった。
「でね、シラ。私さ」
鼻をすすり上げ、麦が揺れるような小さな声でフレンダは言った。
「私ね、今度あの山へ行こうと考えてるの」
フレンダは、大きく屹立する山を指さす。
「あの山はね、私のお気に入りなの。蛍が居て、奇麗な景色で……。何よりも、村の人が来ない」
フレンダは言った。
「人が嫌いなの?」
フレンダと私はしばらく無言で向き合っていた。
「……そうね。私、さっきシラに酷いことを言ってしまったから話すわ」
観念するようにフレンダは零した。
「私のお父さんね、私が小さい頃に死んだの。私は悲しかった。だけど、村の人たちは違った……。すぐに後継ぎは誰かとか、どうやって引き継ぐか、とかそんな話ばっかり。誰も悲しんでなかった……」
フレンダは、大きく深呼吸した。
育った麦が枯れてしまうような悲しい声で語る。
「このまま外に出ても私は村の人たちから煙たがれるだけ……」
どうして変わりもしない過去について語るのか。なぜ私に話して、どうして話したのか分からない。本当に分からなかった。
「それで、おばあちゃんにも迷惑かけてッ……全部っ……全部私の……せいなのッ……!ごめんなさい……ごめんなさいッ……」
口唇から血が出るほどまでに噛みしめても、もう涙は止まらなかった。涙と一緒に懺悔がひたすら零れる。
感情の爆発したフレンダは、長年もの罪悪感の蓄積や、悔恨といったものを吐き出すように激しく泣く。よく泣く子だ。
「ねえ、シラ」
「何?」
「あのね、私……、あの山の何処かにある花を見つけて、おばあちゃんを助けたいんだ」
「助ける?」
「おばあちゃん、身体がどんどん動かなくなる病気なの……。さっきも身体、悪そうにしてたでしょ?だからその治療に必要な花を採らなきゃいけないの」
ナイトおばさんはそんな事を話していただろうか。私の記憶には無い。
「どうして私に言うの?」
フレンダに聞くと黙ってしまった。フレンダも分かっていないのだろうか。
「……それは」
何やら躊躇っているみたいだ。
「シラが、初めての……友だと思ったからよ」
またしてもフレンダは顔を紅潮させている。
顔というのはここまで色がころころ変わるのは知らなかった。
「……とも、だち?」
知らない。友だちなんて。
「さっきは最低な言葉を言っちゃったけど……。本当にごめんなさい。私も、友だちっていうのがどういうのか何となくしか分からないけど、こうやって一緒に話せる人を友だちって呼ぶんじゃないかな」
「一緒に話せる人……」
なら、レインも、ナイトおばあさんも友だちという事なのだろうか。違う気がする。またレインに聞いておこう。
「私は明日から山に行くから、おばあちゃんに言っておいてよ。どうせ数日は帰れないし」
「……私も着いて行く」
「へ?」
「ひとりは、寂しい」
ひとりになったら後悔する。
取り返しがつかなかったら後悔する。
初めて思い出した感情で、最も深い感情だった。
「……そうっ。まあ、考えておくわ。とりあえず今日はもう遅いわ。許可はもらってるのでしょ?私はもう寝るわ。空いてる隣の部屋でも使いなよ」
フレンダはぷいっと顔を隠すと部屋の奥へ行ってしまった。
「分かった。じゃあ、明日」
「うん、お休み……。シラ」
フレンダの部屋をそっと閉め、下の階に降りた。
「今日はフレンダの隣の部屋使えってよ……」
「分かった」
レインは相変わらず一歩も動かずに言った。
「そうだ、おばさんも疲れてたらしくてな。もう寝てる。だからお前も風呂入るなり自由にして寝とけ」
「レインは?」
「俺は、此処にいる。そのうち寝るさ。お前もさっさと寝ろ」
レインは赤い火の粉が飛び交う暖かい薪を見つめながら言った。
「分かった。その前に。友だちって何?」
「……急だな。仲良くなった人のことだ」
「じゃあ私、フレンダと仲良くなったってこと?」
「一緒に居て居心地がいいと思われたんだろ。子どもの友だちの感覚は大人よりも正確だ。フレンダがそう言うならお前とフレンダは疑いなく友だちで間違いない」
黒光りするレインの瞳はゆらめく暖炉の炎が写っていた。
「分かった」
相手がそう思ったなら多分、成立するということらしい。
なら、レインは?
レインは大人だからだろうか。
友だちとは呼べない気がした。
「あと、それと……上の話、聞こえてた。山に行くなら俺も着いて行く」
「分かった。じゃあね」
「……ああ、お休み」
レインが静かに言った。その声は何処か懐かしそうで、やっぱり懐かしい感じがした。
シャワーを使い終えた。身体をそれで洗えるとは何となく覚えていたが、それなりに苦戦した。
泊めてもらう真っ暗な部屋を探り探りで進み、カーテンを開けた。
大きな窓が姿を現し、外の真ん丸で大きな月が良く見える。蒼白い月の光が窓から差し込む。
ここがフレンダのお父さんの部屋だ。
窓を開けると心地よい風が肌を撫でる。
傍の古びた声で鳴く椅子に腰かける。
綺麗な机に手を置く。
ナイトおばあさんが毎日欠かさず掃除をしているのだろうか。
だが、机の上に置いてあった手紙とそこの下にあった本だけは埃が被ったままだった。
本が気になって勝手に開けてみた。そこには、父と娘の日記が記され、写真も一緒に挟まれていた。
だけど文字が全く分からないので直ぐに閉じた。
代わりに夜のどこか切ないような自然を見つめる。
彼女のお父さんもこうしていたのだろうか。
フレンダの父を想像して真似してみようとしたけど、やっぱりできなかった。
「きれい……」
ただ、自分の感情がそう言っている。
辺りに広がる水田が月に照らされ、うっすらと白銀色に輝いている。風に揺らされ、穂波が流れる。たしかに、そこから聞こえてくるのに、その音を鳴らす虫は見当たらない。耳を澄ませば小川がちょろちょろと流れる繊細な音も聞き取れる。
そして、何よりも雰囲気のある屹立した、山がよく見える。
少し、肌寒くなってきたから窓をそっと閉ざした。
満天の星空が子守をしているみたいだった。
深い眠りに落ちた……。
不思議な夢を見ている……。
間違いなく夢だ。私が物語を客観的に見ている自覚がある。
その光景は、日干し煉瓦の旧都市を一望できる時計塔の上から始まった。
どうして?
雪の降る寒い季節だった。頭は寒さと疲労のせいか、かなり鈍っている。
もう一度、問いかけてみた。
どうして?私じゃないの……?
今、抗っていた。逃げられない運命から誰かと一緒に。誰かは思い出せない。顔を確認しようとしても、首元までしか見えず、首から上はノイズのように雑に黒く染まっている。
「もう……いい……だろ、行け……」
男は今にも消え入りそうな声だった。
「いや、だよ……」
ひとりの女の子が泣いていた。寒さと、こみ上げる感情に顔を赤く染めている。
「いいか……?俺、が……あっちから出る。その隙に……」
男は聞いていない。聞こえてない。
男の穴の開いた腹には臓器が二つくらい詰め込めそうだった。
男の背後には真っ白な雪化粧を被る摩天楼都市が覗いている。ちょうどガス灯が灯りだす。
女の子と男は今、時計塔の上にいた。
塔の鉄格子から冷たい風が吹き、その向こうでは武装した人間が白い大地を踏み荒らしている。
「いやだ……。いやだっ」
赤子のようにぐずることしかできない。
男は笑って見せた。世界一下手で初めての笑顔を女の子に見せたらしい。口元が緩んでるように見えたが、それを笑顔だと認識するのには時間を要した。
「ここが気づかれるのも……時間の問題だ……」
着々と決して望んでいない終わりに近づいている。
男の口からは痰の混じったような嫌な咳がこぼれる。
ひゅうひゅうと吐く白い息は、腹部から抜けた風なのか、呼吸なのか分からないくらいに弱弱しい。
頭がびりびりする。寒さで肌の感覚が鈍ってくる。
「俺はあっちに行く……。そしたら、お前は見えただろ?あの大きな時計がある所まで……走れ」
「どうしてっ……どうして別れちゃうの?一緒に行こうよ……」
「そしたら……俺の知り合いが待ってる……俺の、最後の命令だ……。そこに、無事にたどり着け……」
どうして一緒に行けないのか。空いた腹の穴のせい?
走るのに最も大事なものが片方だけなくなっていたせい?
最早、なぜ生きているのか理解ができない。だが、男の信念もまた、理解の範疇を越していた。
「私を……庇ったせいで……、ごめんなさい……ごめんなさい」
泣きながら、幾度となく懺悔を繰り返す。まるで、神に祈るように。
女の子にとって今、目の前に居る男は神にも等しかった。自らが崇拝する神を、自らの手で殺めたのだ。許される道理がない。自分を許せるわけない。そんな強い意思が伝わったのだろうか。ようやく男は女の子の話を聞いた。そして、返事をした。ようやく会話が成り立った。最後の会話が。
「……謝んな……。最後くらい……ありがとうって、聞きたい……。最後は……生きた、お前の……笑顔を見たい……。それとも……嫌か……?」
首を大きく横に振る。ただ、黙って男の吐き出す最後の言葉を一言一句逃さないよう、忘れないように聞く。
なのに、男が一言ひとこと発するたびに、あれだけ聞いてきた男の声を思い出せなくなってしまう。言葉と思い出が涙と一緒に流れ落ちてしまう。
螺旋階段には男の血痕が痛々しく残っている。
「……ありがとっ……。私に。私にっ……生きる意味をくれてっ!」
ぽろぽろと涙を流す女の子は、世界一下手な笑顔を向けた。
すると、苦悶に揺らぐ男の表情が一瞬、ノイズ越しでも分かるくらいに満足げに、苦悶すら忘れてしまうくらいに安堵していたように感じた。
「ふっ……。もう、行け……。案外、出したら途中で止まる方が難しい……。だから、走れ」
女の子は涙をぬぐった。もう、彼の前で彼を哀れむような姿は見せない。ただ、彼の前では、『ありがとう』と笑顔を守った。
でも、これ以上一緒に居たら駄目だ……。
だから、約束を守るためにも、彼の、最後の命令を私が実行するためにも……。
……走る。それだけだ。
彼を置いて、階段を下り、外に出た。
ガス灯の柔らかな光を受け、はだれの降りしきる地は雪の妖精に包まれたように煌めく。
ただ、細い雪をかき分ける勢いで走る。
後ろから罵声が聞こえても、魔法に包まれたみたいにくぐもって殆ど聞こえない。
溢れる涙で視界を凍らせないように、歯を食いしばって走り抜けた。
……目が覚めた。




