物語
「んん〜!」
「なんだ、そこにいたのか」
本と本の間から足が生えてきた。
「助けなくていいの?」
「そのうち出てくるだろ」
その足は、雪をかき分けるようにじたばたと動いていた。
やがて、そこから一人の少女が出てくる。
「ごめんね。寝てたら埋もれてしまってね」
寝ぐせで跳ねた髪の毛をいじりながらあくびをしていた。
そこらへんに落ちていた眼鏡をかけ、よろよろと起き上がる。
「久しいね、レイン。それと?」
私よりも少し年上に見えた。
寝ぐせを梳かしながら、興味深そうに私を直視してやってくる。
「ふんふん、その子が今回の子だね。うん!なかなか良い成長を遂げてるね!」
少女は、まるで小さい時から私を見ているかのように話す。
「……どこかで会ったことある?」
私はこの子に会った記憶などない。
少女は更に近づいた。
顔が目の前まで来た。
「へぇ、記憶がないのかな?でも大丈夫!私はアナタに会ったことないよ、シラちゃん!あ、私はナナシね」
「ち、近い」
「あ、ああ!ごめんね。この眼鏡さ、度があってないみたいでね。やっぱあんまり変わらないし外すかな」
ナナシは眼鏡を足元に放り投げた。
「変わってないな……」
「そういうレインは少し変わったね」
「そうか?」
「そうだとも、目を見ればわかるよ」
「俺の目は変わらないけどな」
「あはは、冗談だよ、言ってみただけさ」
はあ、とレインはため息をつく。
「ターミナルに向かうんだったかな?」
「ああ」
ナナシはさっきまで埋もれていた本の山に飛び込んだ。
しばらく潜った後、一冊の本を捉えて出てきた。
「あったあった。君たちがターミナルに行くには……」
机の上に広げた本をパラパラとめくり、やがてあるページで手を止める。
「ここだね、えーっと。あそこの森林に行くみたいだね。今分かるのはそこくらいだけど、後は把握できてるのかい?」
レインとナナシは、仕事の会議を開いているようだった。
「ああ、今から調べるつもりだ。それより、お前も元気そうで良かったよ」
「あっはは。そんなに気を遣わなくていいのに」
ナナシは座っていた椅子から立ち上がる。
「まぁ、折角ここまで立ち寄ってくれたんだ。歩いて暑かっただろう?冷えたお茶でも飲んでいきなよ」
「悪いな」
「ありがとうございます」
「いいよ。だって私もここ暫くはずっと一人で寂しかったんだ!話相手に飢えていたんだ」
ナナシがグラスにお茶を注ぐ。
「どう、シラちゃん?お茶は美味しいかな?」
「うん。美味しい」
持ち上げたグラスの先からは水滴が流れ星のように輝いて落ちた。
滴る水は、床まで伸びた蔓が吸収した。
「シラちゃんはどこから来たのかな?」
「覚えてないけど、ここに来たときは白い街だった」
「昔のことを思い出せないのかな?」
そう聞かれて一瞬心臓がキュッとした。
それでも、私はキュッとした心臓を押し戻す。
話したくない、で終わらせたくないと思った。
「……昔のことは、はっきり思い出せない。だけど、私が罪を犯したのは覚えてる」
レインは話が聞こえていないふりをするように本のページをめくる。
「へぇ……罪、ね」
「ナナシはどこから来たの?」
今度は私が聞いた。
ナナシは飲もうとしていたお茶を机に戻した。
「お茶、飲みながらで大丈夫」
「えっ?ああ、うん。大丈夫だよ、これはマナーとかそういうのを気にしてたんじゃなくてただ私の気持ちだから……」
どうやら、こうしてナナシがお茶を飲まずに話すには訳があるらしい。
「私はね、年中寒くて汚い路地裏から来たんだよ」
「……」
私と一緒だ。
「そこでね、色々あったんだ。だから私はここにいるの。ここで幸せに生きてる。ちゃんと勉強ができて、ご飯が食べられて、服が着られるから」
ナナシは噛みしめるようにして言った。
何となくだが、ナナシの気持ちが分かる気がした。
「さて、雑談はこれくらいにしようかな。シラちゃんはレインの仕事が終わるまでは適当にしていていいよ。勿論ここで言う適当はいい加減って意味であって、決して、適切ってわけじゃないから安心してね」
「分かった」
「あったぞ……」
机に座っていたレインが一冊の本を開けていた。
「レイン、いっつも仕事がはやいね」
「……まだ一冊目だし、お前に言われても嬉しくない」
「はは、素直な褒め言葉として受け取っとくよ」
ナナシはレインの方へ向かって行った。
私は本棚に積み上げられた本を眺めていた。
すると、ナナシがやってきた。
「お取込み中、失礼。私の仕事、終わったから来ちゃった。何か探してる?」
「ううん。気になった本を見てた」
「そっかそっか。いいね!良かったら読もうか?」
「うん」
表紙が気になった本を手当たり次第に手に取り、ナナシに翻訳してもらっていた。
私は本にのめり込んでいた。
私とは全く違う人を知れる面白さがあった。
何度も繰り返すうちに次第に空は夕焼けに染まり、柔らかなガス電気が灯った。
「うん、そろそろレインも仕事が終わりそうだからあと一冊だけだよ。だから適当に選びなよ?勿論ここで言う適当は適切って意味であって、決していい加減って意味じゃないから注意してね」
私は最後の一冊をナナシに読み上げてもらう。
ナナシが丁寧に、感情を込めて読んでくれる本は、絵や文字からだけでは伝わらない思いまで伝わってくるようだった。
ナナシは最後の一冊を読み終えた。
「シラちゃん。何か感想とかあるかな?」
咄嗟に言われ、何か答えようとするけど、何も思いつかなかった。
「どんな些細なことでもいいんだよ」
私は何も答えられなかった。
「うんうん、感想って難しいよね。ならさ、今まで読んできた本ってどんな内容だった?」
「……本の人たち、みんな幸せそうで、悲しそうだった」
「うんうん!それが感想の一部だよ!シラちゃん!それで、どうして幸せそうだと感じたのかな?もしくは悲しく感じたのかな?」
ナナシはパタリと本を閉じると私を見つめた。
その赤い瞳は穏やかだった。
「なんだか、その、みんな笑って、泣いてたから……」
「うんうん」
「あと、文字でも『幸せ』『悲しい』って、いっぱい出てきたから」
「そうだったね。因みにシラちゃんにとっての幸せってどんなこと?」
ナナシは間を置かずに続けた。
「私の幸せは、さっきも言ったけど、ご飯を食べられて、服を着られて、学べることが、私にとっての幸せ。私にとっては、絢爛豪華な生活を送ることや他人と張り合うことじゃない」
ナナシはゆっくりと話した。
「本の登場人物は、みんな幸せそうになる所が違ったよね」
「うん」
「幸せっていうのは、笑顔になることや満たされることでは、みんな一緒。けれど、その感じ方は人それぞれ。意外と普遍的に見えて、普遍的じゃないんだよ。だから、シラちゃんはシラちゃんの幸せを探せばいいんだよ」
私にとっての幸せ。
私にはまだ、分からない。
それを求めていいのかも、分からない。
ただ、本は面白いと分かった。
ナナシは私の出した本を一通りまとめて、机に重ねて置いた。
対面に座ると、一拍の間をおいて、私に聞いた。
「シラちゃんはこの世界のこと、知ってる?」
鉢に咲いたムシトリナデシコの花びらが一枚、真っさらな紙の上に落ちた。
まるで、物語が始まったみたいに。
「やっぱり知らないんだね……。この世界はね、生前の未練の世界なんだよ」




