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開けた閉塞風

汽車は白の都市を超え、今度は緑の大地へ踏みかかる。

「どうして、記憶も、感情も思い出せないの?」

 レインの黙る間を吹き抜ける風が冷たく感じた。

「一つは言える。ここへ来る前のお前は感情を欲しがってた」

「……ッ!」

 レインの言葉をなぞろうとした瞬間、身体から崩れ落ちてしまいそうな頭痛がした。

 私の過去の一部に触れた気がした。

 そこに写った私は、返り血で真っ赤に染まっていたように見えた。

「今はまだ考えるな。きっと、心がその負担に耐え切れずに潰れるぞ?」

 レインの指示に従うと、痛みは嘘のように消えた。

「……やけに詳しいね」

「……俺はお前の案内人だからな。それくらいは知ってるさ」

 レインは車窓に映る私へ向かって言った。

 それ以上を聞こうとしても、やっぱり何も教えてくれなかった。私も面倒だからこれ以上聞くのをやめた。

 ……きっと面倒というのは口実だ。本心はそれを見せてはいけないと警鐘を鳴らしているみたいだった。

 少し開けた窓から哀愁ただよう紅葉のにおいと郷愁を帯びた土のにおいがする。

 景色の流れが遅くなる。どこにも停留所は見当たらないのに、汽車は停車した。

 必死に走った疲労を吐き出すように、ぷしゅう、と音を鳴らした。降りろ、と指示するように扉が開く。

 私よりもよっぽど生き物みたいだと思った。

「行くぞ」

 レインはあたかも当たり前のように私の肩の上に飛び乗った。

「わかったけど……レインは、歩かないの?」

 歩く気配など一つもないレインに向かい聞いた。

「俺は小さいから時間がかかるだろ?」

「そう……」

「……それに面倒だしな」

 レインの髭を引っ張る。

「痛い痛いッ!髭千切れんだろが。仮にも俺は案内人だ。だから乗せてくれ」

 私は諦めた。お互い、面倒くさがりらしい。

 街灯など一つもない。夜空の光がうっすらと照らす畦道を進む。畦道は、そこの水田に浸かった機械一台すら、通れるか怪しい狭さだった。

 あたりの草木はカサカサと鳴く。実を重たげに落とした稲がさざ波のように揺れ、カエルやコオロギがあちこちで合唱している。

 少し強い風が吹けば、一瞬、静寂に包まれる。

 暫くするとまた、水田の波紋みたいに広がって生命が合唱が再開する。

 嵐がくれば、この景色が崩れ落ちるほどに繊細で脆そうだと思った。

 他人事みたいに思えないから見ていて飽きない。

「そこも…多分、右だ」

「……わかった」

 ちょろちょろと水音がする。すぐ隣に小川があった。蛍の群れが川辺をゆらゆらと照らしている。

「儚い……」

 その囁きが誰に聞かれるわけでもなく、風に乗って山のどこかに消えていった。

「……」

 レインは分かれ道でじっと黙っている。

 これまで何回か道を間違えてる。

 今回は長いこと考えてると思い、レインを見た。

 ただ畑に生える、よく分からない草に気を取られているだけだった。

「何見てるの……?」

「いや、クローバーがちゃんと生えてるなって……。もういいぞ。そこ、左だ」

「ほんと?」

「ここまで来たら大丈夫だ」

 結局、反対方面だったが、何とかして目的地の家に着いた。

「今日はここに世話になる?」

「知り合いの家?」

「ああ。さっきの畑の持ち主さ。クローバーを植えたのは俺だからな。まあ、ノックしろ」

 暖かい色をした板戸をノックした。

「はぁい~、今出ます」

 声の低い女性の声がした。

 トントントン、と走る音がした。

 滑りの悪そうな音と同時に扉は開き、柔らかな光が溢れ出してきた。

「どちら様で……ってレインかい。久しぶりねぇ。で、そちらの子は?」

「こいつは旅人で俺がその案内をしてる」

「それでここへかい?まあ、外は冷えるし中に入りな。またよそ者が許可も無く来たって村の連中に怒られるからね……」

 おばあさんは顔も手も皺だらけだった。今にも重力に押しつぶされてしまいそうだった。

「ああ、ありがとう。ナイトおばさん。あと、お前も挨拶だ。ほら、『お邪魔します』だ」

 レインは例を見せる為、首をあの稲のように垂らしてみせた。

「分かった。お邪魔します」

 頭を下げる理由は分からなかったが真似をしておいた。

 リビングは質素だった。その代わり、辺りの稲畑を見渡せる贅沢で大きな窓がある。

 キャビネットの上にはフォトフレームに入った写真がある。その横に名も知らない赤いスプレータイプの花がある。

「そこに座りなさいな」

 おばあさんの指し示す机の上には湯気をもくもくとたてているお茶が用意されていた。

「その写真が気になるのかい?」

 写真に写るあの頃へ思いを寄せるような遠い声だった。

「……」

「ありがとうございます、って言っとけよ」

 湯気立つお茶を前にして、すかさずにレインが言う。

「ありがとうございます」

「いいよいいよ。礼なんて。偽善じゃなくて、私がしたくてしてるんだよ。それより、冷めないうちに飲みな」

 レインが会話に入ったから、あの写真について話すきっかけを失ってしまった。

「虫害はどうだ?」

 レインはおばあさんに切り出すように話す。

「ああ、あれからはお陰様でねえ。クローバーを植えてから、ヤエムグラも、スズメノテッポウも生えてこなくなった。いやあ、あれらはコンバインに絡んで大変だったから助かったよ」

「そうか、よかった。他に困ってることは?」

「やっぱり村の子とかねえ……」

「相変わらずか?」

「ああ。そうだねえ。規律は相変わらず厳しいし、よそ者を毛嫌っててなあ……。そのくせ、後釜が、だの、根性がつってずっと変わらんねえ」

 ナイトおばあさんは真っ黒に変色したゴツゴツの爪と手を見ながら言った。

「自分がした苦労は人にさせたくないが、人が自分の苦労も知らずに楽してると嫌になるからな。この村はそうした文化が強いからな。そこに関しては俺も手伝えない」

 私にはさっぱり分からかった。

 レインとの会話を終えたナイトおばあさんはゆっくり立ち上がる。どこか体が悪そうに。

 さっき私が見ていた写真をそっと手に抱える。

 薄い花びらを風で揺らしてしなわないようなくらい、大事そうに優しく私の所まで運んで見せてくれた。

 父親と女の子の写った一枚だった。

 誰が見ても幸せな、笑顔を彷彿とさせるような一枚。

「……うちの孫はね、生まれてすぐに母親を亡くした。そんで、この写真の父親一人で育ててたんだ。だから、大層なついてたんだけどねえ。でも、病気で死んじまったんだよ……。まだ若かったのにねえ……」

 おばあさんは遠い昔を懐かしがるように写真をそっと撫でる。

 窓からは、凛々しく咲く真っ赤な花が揺れている。

 丁度、川を隔てた先で咲き誇り、それが生と死の境界線みたいに見えた。

「もっとあたしがしっかりしてたらねえ……」

「人の心を変えるのはそう簡単にはできないさ。『あの』葬式はアンタのせいじゃない」

 あの葬式?

 そのことについて聞こうとした時だった。

「ナイトおばさん。まだフレンダは起きてるか?」

 それをわざと遮るようにしてレインは言った。

 レインを見ると首を横に振っている。

「そうさね……。あの子も、自分と年の近い子と話せたら少しはねぇ……」

 ナイトおばあさんは、ごめんなさいねぇ……、とハンカチで顔を隠した。泣いていると誰もが分かるのに、顔を隠す必要があるのだろうか。泣く理由も不思議だったが、隠す理由の方がもっと不思議だった。

「だそうだ。すまんが行ってきてくれ。ついでだ。そこにあるフォークとナイフ、それと明日の朝食の皿を持ってフレンダの所へ行ってやってくれ」

「フレンダ?」

「ああ。あの写真の娘の名前だよ。たしか部屋が二つあったはずで、手前側だったはずだから頼んだぞ」

 レインの言われた通りにして、二階の手前側の扉を開けた。

 そこは真っ暗な部屋だった。

 パリパリに干からびてしまった悲しい雰囲気の手紙が置いてあった。奇麗な部屋なのに、それだけは掃除もされず、ずっとそこにあって古いままだった。

 隣の部屋から足音が聞こえてきた。そこにフレンダが居ると思い、扉を開けようとした時だった。

「入らないでっ!」

「でも、明日の朝食が……」

「誰ッ!?」

 私の声を聞くや否や、恐れを知らない少女が扉をぶち壊す勢いで開ける。

「……あの、私」

「私を騙したのねッ?最低ッ……。消えてッ!」

 閉じこもっていた少女は、怒りと羞恥で白い肌を極限にまで赤らめている。

「じゃあ、消える」

 記憶の奥底で、消せ、消せ、と声がする。

 それの消えろ、ということがどういうことなのか、私にはそう解釈するしか出来なかった。

 何も感じなかった。怖くなかった。淡い雪のような白色に血の色はよく馴染むからだ。

 私は、朝食の入った皿とフォークを置き、ナイフだけ手に取った。

 私もなぜか分からないくらいに、それの扱いには慣れていた。

「え……?」

 刃先が生き血を求め、啜るようにして腹の奥へとのめり込んでいく。やがて、ぽたぽたとナイフが血を吐き出す。

高層ビルに囲まれた建物から空を見上げると広く見えますね。不思議です。

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