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校舎のかおり

「でも今となっては良かったの。こうやって誰かに言いふらしちゃいたくなるくらいね。ねえ、シラ。二年の私のクラスも行っていい?」

「うん」

「ありがとう、シラ。これでシラも共犯者ね!」

 アリスは笑顔で囁いた。

「……やっぱり悪いことだったんだ」

「どうする?今ならまだ引き返せるよ?」

 何度も私の意見を窺っている姿は、イグと似ている気がした。

「もうここまで来たからいい」

「シラなら何となくだけど、そう言ってくれると思った!」

「イグと似てるね」

 そうつぶやくと、アリスは完全に虚を突かれたように棒立ちになった。

「ど、どどどうして?どうしてイグ知ってるのっ!?」

 アリスが叫んだ。

 すると。

「だ、誰かいるんですか?」

 廊下から、怖がっている女の声がした。

「やばっ……。今から逃げるわよ、シラ!」

 そう言うとアリスは私の腕をつかみ、廊下を走った。

 アリスのポケットから、するりと、海のデザインの財布が転がり落ちた。

「ふう、ここまでくれば大丈夫」

 アリスはえへへ、と笑った。

「で、どうしてイグを知ってるの?」

「昨日、泊めてもらったんだ……」

「とっ、泊めっ。むぐ……」

 『と』の時点で何かを察知した。二の舞を演じないためにもアリスの口を押さえた。

「コホン……ごめんなさい。それで、とと、泊めてもらった?詳しく聞いていいかな?シラ」

 私はアリスの質問に答えた。


「あー……なるほどね。じゃあ、レインと一緒に来たから一緒に泊めてもらって、その時に知り合ったんだ」

「うん」

「ごめん、勝手に早とちりしてた」

「早とちり?」

 私がそう聞くと、アリスは赤面した顔を夕焼けに向けて隠した。

「そ、それよりもさ!気を取り直して行こうか。ここがね、私の二年の時の教室」

 一年生の教室と何が違うのか分からないくらいに同じに見えた。

「イグと同じ教室だったの?」

「ううん。実は一年の時だけだったんだよ。私の学校は四クラスあったから同じになる方が少ないんだよ」

「そう。寂しかった?」

「ううん。そんなことないわ。むしろ、離れて良かったわ!」

 アリスは自信満々に答えた。

「どうして?」

「その時になって初めて気が付いたからかな。いつでも会えるって思ってたけど、クラスが変わってしまった途端、関係がほとんどなくなっちゃったから」

「ずっと会えないのは怖い?」

 私はアリスに聞いていた。

「うん。きっとね」

 夕日はカーテンに隠れ、アリスの席だけが陰になっていた。

「ありがとね、シラ。次は三年に行く前に屋上、行ってもいい?」

「うん」


「外、きっと気持ちいいよ」

 アリスは、屋上の扉を前に、ようやく口を開いた。


 夕日に照らされた黄金色の大地。その向こう側に見える海は、煌めいていた。

 転落防止のために取り付けられた鉄格子にアリスが勢いよくもたれかかった。

 もし、鉄格子が外れてしまったら、そう思ってしまうくらい大胆だった。

「ここは、私が辛い思いをしたところ」

 アリスは鉄格子に背中を預け、のけ反りながら海を見つめた。

「私の肌、少し焼けてるでしょ?だからかな、少し言われちゃったんだ」

 アリスは笑い話だと言っているようだが、その声は少しだけ冷たかった。

「人ってさ、不幸な人は助けたくなるけど、幸せな人は蹴落としたくなるってよく聞くよね?だから、きっと、私は幸せに見られてたのかなって思えば救われる気がするの」

 アリスは遠くの海を眺めていた。

「……」

 私には、幸せが良く分からない。だから、蹴落としたくなる気持ちも理解できなかった。

「そうしたらさ、悲しまなくて済むでしょ?」

 私はアリスの言葉に対する返事が思いつかなかった。

「たしかに……そうかもしれない」

 でも、私は、あの旅でフレンダから学んだ。

「でも、人を傷つけるのは良くないと思う……」

「ふーん……。これで二人目だね、私を擁護しようとした人は……」

「二人?」

「そっ。一人はシラ。で、もう一人が……」

 

 アリスは自身の過去を語ってくれた。


 学校での私の悪い噂は波みたいに広がった。

 先生はどうにかしようと奮闘していたが、意味はなかった。

 悪い噂が広がるようになったのは私がクラスの男の子に告白されたのを断ってからだった。

『本当はあの子、すごい淫乱なんだよ』とか『本当はあの子、性格悪いんだよ。前も告白した○○君の悪口言ってたよ』

 『本当は』

 それはいじわるな魔法の言葉だった。

 その時から私はこの屋上で、誰も来ないのをいいことにお弁当を一人で食べていた。

 ある時、そのことがバレた。

 クラスの女の子三人がそこへ来た。

 私のお弁当のご飯が地べたに広がった。

 カメラのシャッター音が瞬きみたいに鳴った。

「なんで……なんでこんなことするの?」 

 自分でも思うくらいに上ずったみっともない声だった。

「なんでって……そんなのも分からないのっ!?」

 一人の女の子が私を蹴った。

「その肌色でよく〇〇君のこと、裏切ったよねッ!」

 その女の子の声は、悲痛な叫びだった。

 もう一人はただ、慌てて見ているだけだった。

 

 どうして?


 そうだ。死ねば考えなくてもいいんだ……。


 翌日、屋上へと向かった。

 遥か下のアスファルトが楽園のように見えた。

 ひんやりとした鉄格子に手をかけ、穏やかな青空を見つめた。

 またがっていた鉄格子に、上半身を突き出した時だった。

「アリスッ!」

 久しく聞いていなかった声がした。

「な、何しようとしてるの?」

「イグ……。久しぶりだね」

「……」

「何よッ!そんなに私を見てッ!アンタが、アンタがっ、私を助けてくれるわけっ!?」

 やり場のない怒りをイグにぶつけていた。

 今はもう嫌われた方が楽だった。

「た、助けてあげられるわけないよ。だ、だって、自分から終わらせようとしてるのに、僕なんかが助けられるわけないよ」

「じゃあっ……」

「僕が出来るのは手伝うだけだから……」

 イグの声は既に枯れていた。

「どうして、どうしてこんな私を助けようとするのよ?嫌いにならないのよ……皆みたいに」

「逆にどうして僕が君を嫌いになるの?」

 イグは何も知らなかった。

 きょとん、とした顔で聞く姿を見て、少し肩の力が抜けてしまった。

「クラスの噂、聞かなかったの……。私、あんなこと言われてるんだよ」

「知らないよ……。だ、だって、僕はいつも一人だから」

 よく見ると、手や足は小刻みに震えている。

 イグのその姿に、笑ってしまった。

 もういいや。自殺なんて馬鹿らしい。

「アハハッ……変なの。どうしてアンタが震えてるのよ?ふつう逆でしょ?」

「そうだね……。やっぱり僕は弱くて情けないよ……」

 私はイグに抱き着いた。

 イグはあたふたしたまま、顔を真っ赤にし、何か言葉でないような言葉を吐き出していた。

「……ありがと……イグ」


 アリスは鉄格子に預けていた背中を起こした。


 私もアリスみたいに鉄格子に触れてみた。

 冷えた鉄は、いつの間にか私の体温を持っていた。

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