朝の波音
今回もレインは何度も道を間違えていた。
それでも私は不思議に思った。
「どうして、レインは目的地が分かるの?」
「何度も言うが、俺はここの案内人だからな」
「道、ずっと間違えてるけど」
「うるさい」
「それで案内人って?」
「この世界の訪問者に対する道案内だよ」
「この世界って?」
ここに来てレインがしばらく黙った。
もう一度だけ聞こうとした時だった。
「ここに来る前のお前は旅をしたいと言っていたらしい。それが未練だったらしい……」
レインはこれだけ教えると『この話は今するものじゃない』と切り上げた。
以前の反省も踏まえて、私もこれ以上聞かなかった。
「レインはどうしてここも知ってるの?」
「そりゃあお前の案内人だからな。お前のことなら大抵は分かる」
「答えになってない」
「今はな」
「じゃあ、後なら分かるの?」
『嫌でもな』と出会った時にも言っていた言葉を繰り返して使っていた。
「ここだな」
ファンタスティークの扉が街灯の仄暗い光を艶やかに反射させていた。
ドアをノックしろ、とレインに言われてノックした。
扉が開いた。
暖かい色をした光が闇の中を照らす。
「久しいな。イグナシオ」
レインは、家から出てきた一人の男の子の名前を呼んだ。
「ああ、レイン。久しぶり!こんな時間に……」
急に少年が黙り込んでしまった。何かあったのだろうか。
少年は私を見ると俯いた。
「え……えっ、と。僕は、その……えっと……イグナシオ……って言います。レイン……なっ……何か用事かな?」
「私はシラです」
「挨拶はまだいい」
「そうなの?」
レインはため息をついた。
「お前……女、まだ苦手だったのか。もう卒業手前だろうに……」
「まっ……まだって……さっ、三か月くらいじゃないか」
「ああ、そうだったな」
半ばレインは諦めたかのような口調で言った。
「まっ、まあそれはともかく……う、家に入りなよ。外は……冷えるから」
目元まで伸びた黒髪の奥からは不自然に泳ぐ黒い瞳が覗いていた。
「ああ、ありがとう」
「ありがとうございます」
いやいや、こちらこそ来てくれてありがとう、とイグナシオが首を大きく縦に振った。
なるほど、こういう時にもありがとうと伝えるらしい。
納得している私に対してレインは、『いや違うからな』と注意した。
中に入ると彼の父と母が出迎えてくれた。
私はリビングルームの椅子に座った。
真っ黒な海を見渡せる出窓付近には、ネリネや、青いアネモネと呼ばれる花が活けてあった。
「シラちゃんだね。今日は私の部屋を使ってね。私はお父さんの部屋で寝るから気にしないでいいわ」
母は家事をこなしながら言う。
「え?僕の部屋なの?」
キッチンで魚を捌いていた父がその手を止める。
「いいじゃないの。どうせ、アナタの部屋は一人でいるには大きいんだから」
「それはそうだけど……」
「じゃあ、シラちゃん。今日は私の部屋を使っていいわよ」
「ありがとうございます」
今日はそのまま寝ることにした。
部屋に入ると電気がついていた。
窓際にある棚の上にはフォトフレームに入った写真がいくつもあった。
右に行くにつれ、最初は二人だったものに、小さな一人が増え、小さい子は大きくなり、同時に二人は老いて行く。
「私の小さな頃は……」
白い雪の街で育った気がする。
思い出そうとしても、押し寄せてくる眠気がそれを阻止した。
今日は夢を見ることは無かった。
目が覚めると白い天井に微かな光の筋ができ、光にさらされた部分をきらきらと塵が舞っていた。
この光の筋はカーテンの僅かな隙間から生じているのだと分かった。
私はカーテンを開けた。色とりどりの家々が早朝の日光浴をしていた。日の光を浴びた家たちは明るい雰囲気でいて、個性があった。
昨日までの魔法じみた景色の面影などどこにもなかった。
「目、覚めたか?今から海に行くぞ」
「いたんだ。おはよう」
レインは小さな片手を上げて応じた。
「ついでにイグも起こすか」
「……イグって?」
「イグナシオのあだ名だな。その方が呼びやすいだろ」
私は確かに、と思った。
レインを肩に乗せ、イグを起こしに行く。
「おい、起きろイグ。海行くぞ」
そう言いながらレインは私の肩から降り、乱暴にイグを揺さぶった。
「う~ん……あと……すこしだけ」
寝言のように覇気のない声でイグが返事した。
「シラ、なんか話せ」
「え?……え……と…ありがとう?」
私はとりあえず挨拶をした。
ビクッ!
急にイグが息を吹き返した魚のように反応した。
パッと目を見開き私を見るとすぐに、ベッドから飛び起きた。
「まずはそのパジャマ、着替えろよ」
飛び起きたイグは、パジャマが着崩れ腹のあたりが出ていた。
「あっ!」
レインに言われ、銃で撃たれたような動作でよろよろと着崩れしたパジャマを見つめている。
「あと、寝ぐせもな」
目元までかかっていた深い髪が、静電気により、飛び上がっていた。
「ああっ!」
「急いで……その、じゅっ、準備しますっ!」
「大丈夫だ。ゆっくりで」
イグは頭を下げて、急いで部屋を出て行った。
「お待たせ……ごめんね、その、遅くなって……」
ほんの数分でイグが着替えて息を荒げながら戻ってきた。
「私も急いでるわけじゃない」
「ごっ、ごめんなさいっ……」
「じゃあ、行くぞ」
「うん」
「は、はいっ!」
外に出ると、柔らかい日光が差し、涼しい風が流れる。向こう側からは、朝焼け色に輝く大きな海が見える。
カモメが日光を背に岩場で談笑をしていた。
「どうしてこの町はこんなにカラフルな家が多いの?」
私はイグに聞いたつもりだったが、レインが答えた。
「ああ、漁師が自分の家を海からでも把握できるようにするためらしい」
「……へえ」
私が、ではなくイグが相槌を打った。
「えっ?……ああ、いや、その……ぼ、僕も知らなかった……」
イグは顔を紅潮させていた。
「さ、着いたな」
砂の山を越えると海が広がっていた。
早朝の光を纏い、ガーネットのように輝く姿がどこまでも続いていた。
波に砂が飲み込まれ、消えたり、姿を現したり。
延々と同じ動作が繰り返されているようにも見える。
けれどよく見ると、少しずつ波が陸地に押し寄せてきている。
その海の遠くでシルエットになった漁船が止まっているようにも見える。
「綺麗」
「……もっと近くまで行く?」
そう声を掛けたのはレインではなくイグだった。
「うん」
岸辺まで行くと、一面が砂粒で覆われ、その中には色とりどりの貝殻が散りばめられていた。
貝殻一つ一つが、この町のように浜辺を色彩豊かに彩る。
「……その、あ、足だけ浸かってみる?」
イグが控えめに提案した。
「うん。浸かりたい」
「滑るなよ?」
「分かってる」
私は浅瀬に足をつけ、そのまま浅瀬を岸辺に沿って歩く。
足先は静かに揺れる波にくすぐられる。
足を撫でられているような不思議な感覚だが心地よかった。
「海……初めて、かな?」
イグが沖の遠くに目を泳がせながら聞いてきた。
「うん。昨日初めて見た」
「ど、どう海は?」
イグの足元の砂が、ぎゅっと集約し、砂煙を立てていた。
「どうって……。うん。綺麗」
「そ、そっか……。僕は、海が好きなんだ……。えっと、嫌なことがあったらいつもここに来てるんだ。たまに友だちと一緒に……。でも、最近その子がなかなか来てくれないんだ……。その、だから、僕は最近その子に嫌われたんじゃないかって不安になって……」
足元を流れる波は静かに揺らぐ。
「そうなんだ」
イグは海の底を見つめた。
「……えっと、シラ……さん。僕……、アリスって言う同級生ともっと仲良くなりたいんだ。でも、僕みたいに頭悪くないし、地味じゃないし、優しいんだ」
「どうして私に話したの?」
どうしてイグもフレンダも、自分の過去や言いたくないようなことを平然と言えてしまうのだろうか。
「……な、なんでだろうね。……でも、なんか、その、海を見ながらだったら話せるから……かな」
イグの瞳には、ただ流れるだけの波だけがしっかりと捉えられていた。
なるほど、海を見れば言いたくないことも言いやすくなるのかもしれない。
けれど、それは私には効果が無かったらしい。
それからしばらくして、家に戻ると両親はもう漁に出ていた。
「もう行ったの?」
「えっと、うん。その……もう海……に行ったんだと思う」
両親が用意してくれていたパンをイグが手に取り、二等分にしながら言った。
どうやらイグの両親は仕事の都合で二、三日ほど、顔を見合わせない日も珍しくないとのことだった。
イグは等分し終えると私の方にお皿を運んだ。
「ありがとう。イグ」
「……ううん。こ、これくらい大丈夫だよ……。それに」
イグが目を泳がすほど数秒の沈黙があった。
「あ、朝ご飯を……その、みんなで食べれることって、あんまり……ないから」
「まあ、つまりみんなで食べたいんだよな。イグ」
レインに同意するようにイグは頷いた。
「シラ。それ食べたら俺たちは出かけるぞ」
「分かった」
「イグ。俺たちはこれ食べたら隣町に行く。悪いが留守番頼む」
「う、うん。分かった。留守番は……任せて……。き、気を付けて」
イグが行ってらっしゃい、と控えめに言ったので、私も控えめに、いってきます、と言った。
「今日はアリスに会いに行く」
「イグの友だち?」
「ああ、そうだ。だが、隣町とは言え、少し遠い」
「イグはどうして連れて行かなかったの?」
「ややこしくなるからな」
「私はフレンダと一緒にいれて良かったと思えた。だから、会うべきじゃないの?」
そう言うと、レインは驚いたようにしてこっちを見て黙ってしまった。
海沿いの崖を進む。
「あそこ、見てみろ」
肩に乗ったレインが向こう側の崖の上を指さす。
「街が見えるだろ?そこに行く」
「うん。じゃあ、このまま崖に沿って歩く?」
「いや、近道する」
レインはそう言うと、緑に囲まれた森を指さした。
「道……じゃないよ?」
「ああ、道じゃない」
ただの森だった。どうやらここを通れば近道になるらしい。
レインが当たり前のように言うものだから、腑には落ちないが納得した。
私たちは、草の海を踏み進む。
さっきまでの強い直射日光とは打って変わって木漏れ日が柔らかな日光を降り注がせていた。
涼しげな風が吹けば、緑の海も呼応して波を作り、あたりの日影を揺らす。
「少し休むか?」
「うん」
私は円形に開けた空間にあった、苔むした樹木に腰かけた。
鳥のさえずりや、草木のなびく音、遠くで海が波打つ音がした。
「レインは私のこと、どれくらい知ってるの?」
「どうした。急に?」
「私は悪い人?」
青い草木がざわざわと鳴った。




